最終話 義村死して王者誕生す
十二月二十六日夜半、巻き返しを図る義村は亀王丸を連れて
このとき義村の元には挙兵を求める播磨諸侍の声が続々届いていた。確かに義村は三度戦って遂に村宗を抜くことが出来なかったが、それなん結果論というべきであった。事実、三箇年にわたる守護の攻勢を前に村宗は防戦一方だったのであり、それが逆転したのは、村宗が岩屋において幸運の一勝を拾ったからにすぎない。
諸人が一致団結すれば、赤松は今度こそ勝利を得られるのではないか。なんといってもこちらは、糾合の核ともなり得る有力な駒を握っているのである。亀王丸を担ぎ上げて浦上討伐の旗印を掲げれば、さすが村宗といえど手もなく練り倒すことが出来るであろう。
しかし
「
義村が亀王丸に迫ると
「嫌じゃ、怖い」
嫌がる亀王丸。
「そのように駄々をこねるものではございませぬ。ゆくゆくは武家の棟梁ともなろう若公様がそのような弱気でなんとなさる。いくさを教えて差し上げよう」
「いくさが怖いのではない。そなたが恐ろしいのだ。王は全軍を後ろから押さえるもので、前へ出張っていいものではないと私に教えてくれたのは他でもないそなたではないか。それが何故いまになって私を前に連れ出そうとする。
義村が何を考えているか私には分からぬ。寄るな、恐ろしい」
「いかさま仰せのとおり、歩兵や香車のように鑓をとって戦えというのではありませぬ。本陣にて諸侍の戦いぶりをその目で見極めていただければ十分でございます。それがしの申しようは前と少しも変わっておりませぬ。つべこべ仰せでない。いざ具足を召されよ」
赤松の内紛に巻き込まれつつあることを過たず察知したのであろう、十一歳の亀王丸は嫌がって子どものように泣きじゃくったが、義村は構わず具足を着せて出陣した。時に永正十八年正月のことであった。
結論から申し上げよう。
義村はまたも村宗の前に敗北を喫した。先陣を務めた弘岡左京が浦上方に転じ、しかのみならず赤松下野守村秀の陣中からも裏切り者を出したからだと伝わる。
義村は逃げた。亀王丸を連れて逃げた。逃げ込んだ先は北播東条の玉泉寺であった。立て直しを図る義村は玉泉寺滞在中、守護権威ここにありと喧伝すべく、分国各寺に安堵状を発給したが、そんなものは今さらだった。
かえってその居所を察知され、浦上先遣隊に玉泉寺を取り囲まれる始末であった。
「若公様はこれまでどおり義村の手許に据え置くこととし、義村は決して殺さない」
とする破格の和約条件を以て、義村と亀王丸の身柄をまんまと玉泉寺から引きずり出すことに成功した村宗。
浦上の監視下、今在家遊清院に移された義村が殺されるであろうことは、誰が見ても疑いようがないほど明白だったが、当の本人だけはそれを信じようとはしなかった。なぜならば義村は、亀王丸をがっちりと掌中に握って未だに離してはいなかったからである。
出陣をめぐって亀王丸とひと悶着あったことは事実だが、それなん両者の関係からすればほんの一コマにすぎず、慈愛を以て養育してきた亀王丸は、総じて見ればいまも自分に対して敬慕の念を抱いているに違いない。死罪の沙汰が下されても、そんなものは亀王丸のひと声で
義村はそう信じきっていた。
遊清院において、やることもなく日がな一日据え置かれた亀王丸と義村の主従。
「手持ち無沙汰ゆえに一曲披露いたし申そう」
いよーっ、そぉーれい--。
お囃子の第一声を上げる義村。
伸びかかっていた髪をもう一度剃られ、青みがかった痛々しい頭もそのままに、かつて亀王丸を喜ばせた『松ばやし』のお囃子と舞いを、笛の音も鉦鼓もなく、見る影もないほどみすぼらしくなった
亀王丸は引きつった愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「
村宗本人が取り巻き多数を引き連れて遊清院に姿を現したのは七月のことであった。
「ひぃぃぃ~ッ!」
--いよいよ殺される。
直感した義村は、力尽くで抱き寄せた亀王丸の喉元に脇差を突きつけながら、村宗の接近を拒んだ。
「寄るな、寄るでない! それ以上近づけば亀王丸の命はないものと思え。ええい寄るなと申すに!」
亀王丸に対する尊称すら忘れて、口の端に泡ためながら必死の抵抗を示す義村。もとより亀王丸を取り返したうえで義村殺害を企図していた村宗は、旧主のかかる狂態に困り果てるばかりであった。
その時であった。喉元に凶刃を突きつけられていた亀王丸が、その脇差を握る義村の右手を大人のような力でぐいと押しのけた。
なにごともなかったかのようについと立ち上がる亀王丸。
「それで良いのだな? 義村、本っ当にそれで良いのだな?」
たったいま声変わりが始まったばかりの荒削りな声で、一瞥をくれながら亀王丸が義村にかけた、これが最後の言葉であった。
亀王丸は村宗に向き直った。
「浦上掃部助村宗であるな。怨敵を打ち倒したそこもとの武勇賞賛に値する。大儀であった。更に馳走せよ」
十一歳にすぎぬ亀王丸の威容に
「い……行くな亀王丸」
義村がいくら呼んでも、子どもではなくなった亀王丸が後ろを振り返ることはもうなかった。
この後、足利亀王丸は、赤松義村ではなくその宿敵、浦上村宗に推戴されて入京し、父義澄以来の宿願を果たした。新たに義晴の名乗りを上げ、大永元年(一五二一)十二月、足利の第十二代将軍に任官することとなる。
義村が義晴の栄達を目にすることはなかった。新将軍誕生に先立つ九月十七日、今在家遊清院より更に移送された先の室津実報寺で浦上被官人の急襲を受けた義村は、刺客の手首を切り落とす奮闘をみせたと伝わるが、いかに奮闘しようとも王を手放した時点で義村が殺される運命は定まっていた。辞世かくのごとし。
浮世を
義村の訃報に接して、義晴がどのような所感を陳べたものか記録は残されていない。
時代は戦国の真っ只中であった。敵を倒したと呼号する諸侍がそこかしこに跋扈する世上、これらを顕彰するに忙しい王者には、敗者に心を寄せているいとまなどなかったようである。
(完)
王者誕生 @pip-erekiban
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