第五話 義村剃髪す

 永正十七年(一五二〇)十月中旬、かつて『松ばやし』の綺羅に包まれた播磨置塩おじおの守護館を、いまは阿鼻叫喚が包んでいる。館の守護に当たるべき番手衆は参集せず、眼前に迫った浦上勢に対して館は裸同然であった。陵辱されるくらいならと自死を選ぶ女中数多あまた

 敗残の義村は具足の紐を解くいとまもなく若公わかぎみ御座所ござしょから亀王丸を連れだし、わずかな供廻りと共に置塩館本主殿に立て籠もった。

 二度にわたる包囲戦でも三石城を抜くことが出来なかった義村は半年前の四月、村宗に対して過去に例のない大規模な軍事行動を起こした。軍を二分し、先鋒部隊を家老小寺こでら則職のりもとに預けて美作岩屋城を攻めさせ、自身は播磨白旗城に本営を置いたのである。

 当時岩屋城に在城していたのは浦上家の属将中村五郎左衛門であった。小寺則職は半年にわたってこれを包囲し、ために籠城衆は「既に中村難儀におよぶ」(『赤松記』)ほどの窮状に陥ったという。

 村宗は岩屋城に後詰ごづめを出すべきだったが動けなかった。

 三石城から見て岩屋城は、山間の難所を越えながら北へ十三里(約五〇・七キロメートル)の距離。これに対して義村が本営を置いた白旗城は、三石城まで南西方向に街道をほぼ一直線、四里(約十五・六キロメートル)という絶好の位置にあった。

 もし村宗が岩屋城に後詰するために三石城を出たならば、義村は即座に白旗城から打って出て、その留守を衝くであろう。そうなってしまえば守備兵を欠いた三石城が即時に陥落することは間違いがなく、恐慌に陥った浦上の後詰部隊が、村宗を棄てて雲散霧消することもまた疑いのないところであった。

 しかしそれが怖いからといって、三石城に引きこもったまま岩屋城の陥落を座視すれば、村宗の信用が失墜することもまた疑う余地がなかった。己が属将を見棄てるような領主になど誰も従わなくなるであろう。

 村宗にとって岩屋城を見殺しにする選択肢はあり得ず、そうである以上、後詰派遣の一択だったわけだから、追い詰められてはいても迷いはなかったはずだ。

 義村からしてみれば、本作戦はどちらに転んでも利のある結果に終わる必勝不敗の作戦だった。とはいえ気づかない間に三石城に出発されてしまっては元も子もないから、三石城周辺には相当数の監視を配置したはずである。

 結果からみれば、村宗はこれら監視哨を残らず排除することに成功したのだろう。半年という期間は、あるいはその位置を特定し、排除するために要した期間だったのかもしれない。

 義村に勘付かれることなく密かに三石城を出発した村宗は十月六日、小寺則職率いる岩屋包囲軍を背後から急襲した。腹背に敵を受けた包囲陣は壊滅し小寺則職は討死うちじに。村宗は返す刀で播磨室津まで急進すると、先手の潰乱を聞いた義村本隊の士気は阻喪し、あっという間に崩壊した。義村は白旗城を棄て、這々の体で置塩に逃げ込むしかなかった。

 村宗は室津より東に軍を進めなかった。軍事行動を停止する代わりに人質として洞松院と、その娘で義村の正室小めし、そして嫡男の道祖松丸さえまつまる(のちの赤松晴政)を差し出すように求めたのである。抵抗の手段を失った義村はこれに応じるしかなかった。

『赤松記』によると、洞松院は赤松の執政をめぐってかねてより義村と対立しており、そのため以前から村宗と気脈を通じていたのだとしている。しかしいくら洞松院が義村を嫌っていたとしても、もしこの戦いが史実と異なって義村の勝利に帰しておれば、それでも洞松院が勝った側を棄てて、わざわざ負けた側に転じたはずがない。洞松院以下が義村を見棄てたのは、とどのつまり義村が負けてしまったからだ。

 実は洞松院が勝った側に鞍替えした例はこれが初めてではなかった。彼女が赤松の執政を担っていたころ、管領の座をめぐって細川澄元と細川高国の間で争いが起こったときのことだ。このとき洞松院は澄元に味方したのだが、あろうことかその澄元が船岡山で高国に大敗を喫したのである。このさい洞松院は、敵対していた高国の陣中に自ら赴き、赤松赦免の沙汰を取り付けている。

 女子供といえば弱者の代名詞だ。武力を持たない弱者が生き残るためには、勝った側に鞍替えするしか道がなかった。洞松院といえば乱世を巧みに遊弋したやり手の女戦国大名という評がついて回るが、当時の時代背景を無視してその鞍替え行動を難じてはいけない。

 余談はこれくらいにしておこう。

 勝った村宗は、いくたびも領内を蹂躙した恨み重なる義村に対し、人質の差し出しのみならず

「頭を剃りなされ、若公様を当方に移したまえ」

 再三にわたってそう求めた。しかし義村は薙髪の要求にこそ応じたものの、亀王丸の引き渡しには頑として応じなかった。亀王丸の引き渡しを求める浦上の使者に対して

「先の公方様(足利義澄)は余に若公様を託されたのじゃ。そなた等ごとき下賤の者に御身おんみを委ねることなどできようか。慮外者、下がりおろう!」

 かくのごとく一喝し、亀王丸に指一本触れさせようとしなかった。

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