四ノ巻 グロリアス・ニンジャ・フォーエバー

第16話 新たなる夢

 アメリカとソ連のトップたる、ブッシュとゴルバチョフによるマルタ会談にて、冷戦の終結が無事に宣言された。


 あれから何日かが経ち、まだまだ世界情勢を警戒している新聞を読んでいたアリスは、ふと顔を上げ、寮のガラス窓をぼんやりと見た。

 天からは、雪がふうわりふわりと降りてきていた。一段と冷える本日だが、世界は雪解けの時を迎えている。春風が木々の芽吹きを促しているかのように、人々は平和の到来を祝福している。


 未来のことをどう好意的に解釈しても、人類が争いをやめることは絶対に無さそうだが、ひとまず長い冬に区切りがついたのはめでたいことだ。明日になったら核戦争で地球が滅亡していたなどというシナリオは、一時的ではあれど回避されたと言って良かろう。


 さて──そろそろ行くか。

 新聞を畳んで立ち上がる。黒装束を持ち出して、アリスは忍者の国に向かった。


 忍者の国の危機も去り、みんなは一安心しているらしい。今日は、皆の働きを讃えて、木陰こかげがお疲れ様会を開いてくれるとのことだった。もちろんアリスもお呼ばれしていた。


 城に着くと、宴会場は既にがやがやと騒がしく、食事もあらかた用意されていた。刺身、鯛の姿焼き、鰤の照り焼き、唐揚げ、白菜がしこたま入ったお鍋……。

 皆が座布団についたところで、木陰が立ち上がり、軽い挨拶をした。


「未だ世界情勢が不安定とは言え、上様の威光と皆様の御働きによって、ひとまず我らが苦難の冬は去り、暖かな春が来ました。これを祝し、本日は楽しみましょう。乾杯」

「かんぱーい」


 アリスは皆に倣って、お猪口を持ち上げた。事前に教わった通り、日本酒をちびちびと口にしてみる。独特の風味とほのかな甘味が口に広がる。初めて飲んだが、嫌いではない。


 宴会は、最初は格式ばった形で進行した。皆の仕事ぶりを振り返ったり、心愛がお言葉をくれたりして、皆おとなしく酒と料理を嗜んだ。


 特に弥生やよいは今回及びこれまでの功績を評価され、眠り姫という異名を授かっていた。彼女はみんなに言祝がれ、嬉しそうにしていた。危うく、カモミールティー中毒者の略でカモ中などと付けられるところだったが、その案はギリギリのところでお流れになった。


 その後は忍者たちは好き勝手にくっちゃべるようになった。無礼講ということで、自由に席を行き来して色々な人と話に花を咲かせる。

 アリスの周りは、何だかんだで、時事の話題になっていた。


「ソ連はもう長くないよ。実質的にアメリカの勝ちだよね。つまり次はパックス・アメリカーナと呼ばれる時代が来るってワケ」

「いや、パックスは絶対違うだろ。あいつら戦争ジャンキーだぞ。戦争が無いと存続できん奴らだぞ。賭けても良いが、平和にはならん」

「似たようなもんでしょ。実際これまでのパックス・ナントヤラの時代だってロクなもんじゃなかったんだから」

「これからの世界がよりにもよって阿呆のアメリカ野郎の未来だなんて……何たるゴミクソ」

「イェイイェイ、未来最高、未来最高」

「我々も他所の国のことボロカスに言えるような立場じゃないけどね」

「鬼畜日本」

「人間はクソ!」

「幾山河越えさり行けど醜さの果てない世界ですよ」


 ひとしきり文句を言い終わり、酔いが回った辺りで、話はだんだんとくだらない方向へ向かっていき、会場では愉快な騒ぎが頻発するようになった。


「何か食いもん減るの早くない?」

「酒もだよ。あんなに沢山あったのに……絹枝きぬえさんも飲んでないのに……」

「あーっ! さっきからやたら見かけると思ったらこの大哉だいや、滅茶苦茶増えてやがるじゃねーか! 一人で何人分食う気だ!」

「普段から」

「俺は」

「何人分もの」

「仕事を」

「しているから」

「このくらい」

「ねぎらわれて」

「当然だと」

「思わないか」

「ややこしい! 喋るのに役割分担をするな!」

「あっちこっちで言われると何か立体的に聞こえる……」

「ちょっと厨房に知らせてくる。人数が増えましたって」


 一方、アリスの席の隣では、別の珍事が発生していた。心愛の両親がおふざけを始めたのだ。狛亜はくあが何故か四つん這いになり、伊織いおりがその上に足を組んで座っている。二人ともにこにこと笑みを崩さずにいるから、何だかよく分からないけれど楽しいなら良いのかな……というような気持ちになる。


「伊織様! 狛亜様もお歳なのですから……」

「いいのいいの。平気でしょ、あなた」

「もちろんだよ。ははっ、愉快だなあ」


 同じくにこにことしてその様子を見ていた心愛は、困惑しているアリスに話しかけた。


「昔から母上は、ああやって父上を人間椅子にするのがお好きなのですよ。父上は仮にも先代将軍だというのに……ふふ、面白いでしょう。尻に敷かれるとはこのことです」

「そうなんですね」

「ああ、ところで、あなたの国のサッチャンさんについてですが……」

「えーっと、どなたです? お知り合いですか?」

「ええ、とても面白い方ですよ。一度はお会いしたいものです」

「あ、お知り合いではないのですね」

「でもアリスさんはお会いしたことがあるでしょう?」

「んんん……? 心当たりはないですね……。もしや上様も酔っ払われていらっしゃるのですか」

「んふっ……嫌ですねえアリスさん、私が酔っ払っているように見えますか」

「あれ? 違いましたか。すみません」

「んふっんふふっ。私は酔っ払っていると思います。んふふふふふふ」

「そうでしたか。実は私にもそう見えるんですよね。あはは」


 そんな風に和やかに聞き手に回っていたアリスだが、遅れて酔いが回ってきて、結局へんてこりんなことをし始めた。不意に立ち上がり、お猪口を掲げ、高らかに自分語りを始める。


「えーこの度は、私が、私がぁ〜、これから先も忍者でいるのかいないのか、それが問題となってまいりました!」


 何だ何だと騒ぎが大きくなる。何の演説だ。アリスは抜け忍になるのか。いや酔っ払っているだけか。アリスは気分がフワフワとしていて、勢いに乗り早口でまくしたて始めた。


「だって、私のような文武両道天才万能最強無敵ミラクルレディーは、どこか一国のためだけじゃなくて、世界中の人の役に立つべきだと思わない? 最初から分かっちゃいたけど、御庭番って日本のための仕事だもんね。もちろん忍者は好き! 日本は好き! だからね、日本学の研究をやめる気はないよ。でもね、それと同時並行で、例えば株で大儲けして、国際的な慈善団体とか立ち上げたりするのはどう? 私の頭脳と忍術と忍法があれば、貧困国であろうと紛争地帯であろうと、誰だって助けることができるし、そうやって頑張っていたら近いうちにノーベル平和賞をもらえちゃうかも。決めた、私、ノーベル平和賞を取る!」


 おおーっと笑い声が上がる。恐らく冗談だと思われている。だがアリスは真剣だった。


「そしたら私、超大天才で超絶善人のスーパーヒーローだって世界中から賞賛されちゃう! あははっ! やっぱり人間たるもの、この世に生まれたからには、一度は歴史に名を残してみたいよね」

「そんな不純な動機でノーベル平和賞を狙う奴があるか」

 至極真っ当な指摘が入る。アリスはお猪口の酒を飲み干す。

「まあ……色々言ったけど、私、他人のために動くのってやっぱり向いてないからね。自分が楽しいかどうかが一番大事だもん。つまり、私が楽しみながら他人も助かる、これなら一石二鳥! 一挙両得! 素晴らしいでしょ? だから──要は──私は! 忍者稼業はやめにして! 日本学を究めつつ! ノーベル賞を取りに行くよ!」


 どよどよと皆が言葉を交わす中、パチパチ、と小さな拍手が起こる。振り向くと心愛が手を叩いていた。


「素敵な夢ですね。私は応援しますよ」

「本当ですか! 上様にそう言って頂けるとは……嬉しいです」

「しかしアリスさん」

 心愛は優しげに目を細めながら、しっかりとした声で続ける。

「あなたは前にこう言っていましたね──草鞋なら二足でも三足でも履きこなして見せると。つまり、三足までなら大丈夫なのでしょう? 研究職と慈善活動と忍者稼業の三つ……当然、やって下さいますよね?」

「……えっ?」


 ……言質を……取られていた……? あんな些細な言葉を……!? それが、こんなところで炸裂した……!?


 一瞬、場がシンと静まり返る。その後に起こったのは、大爆笑の嵐。アリスが心愛にしてやられたのが余程面白かったらしい。アリスとしても反論の余地が無いのでもうどうしようもない。


「えーっと、上様、それはですね……」

 

 幾らでも自分を増やせる大哉ならまだしも、そこまで過酷で過密なスケジュールなど、アリスにはとてもとても──うまくこなせるであろう! きっと! 何せ、やろうと思ったことでやれなかったことなんて、生まれてから一度も無いのだから! いつだってアリスに二言はないのだ! 三足履きこなすと言ったからには、必ずできる! 当たり前だ!!


「分かりました。そのご命令、お受けします。そして見事にこなしてご覧に入れます!」


 アリスは堂々と大見得を切った。やんややんやと場が盛り上がる。アリスは金髪を手で払い、自信に満ち溢れた表情をして、得意気に会場を見渡した。内心ではどうしたものかと思ってはいたが、それを外に出したりはしない。どんな無理難題も、及び腰では失敗するから、やはり言動や態度から「できる」と示すのが大事なのだ。


 こうしてアリスの将来には、スケジュールがギッチギチに詰め込まれることが確定した。というか、忍者仲間たちにそれぞれ挨拶をして、オックスフォードに戻った時から、やることがてんこ盛りだった。

 まず、既にある研究課題。それから、株と経済の勉強。国際情勢の実態の調査。慈善活動家へコンタクトを取ること。それら全てをクリアしつつ、忍者の国から緊急の呼び出しがあった時に対応できるようなスケジュールを組むこと。

 流石のアリスも「ヒエー」と悲鳴を上げたくなるもののそんな暇さえ無いほどの忙しさだ。やるべきことがうずたかく無限に積み上がり、まるでチョモランマの如し。


 友人のローザはすっかり呆れ返っており、度々アリスに「欲張り過ぎる」と苦言を呈していたが、「人生一度きり、やりたいことは余さずにやる」と言ってアリスは一歩も譲らなかった。特段、学生の本分において支障を来すわけではなかったので、じきにローザも諌めることを諦めた。


 勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、たまに忍者。

 それが今のアリスの毎日だ。

 疲れないわけではないが、なかなか愉快で刺激的である。


 今日は久々にアリスの元に忍者の国から使いが来た。どうやら、日本のバブル景気で儲けすぎた輩が犯罪組織と手を結んで脱税を試みているらしい。

 アリスは頭の中で〇.五秒かけて課題に費やす時間を再調整すると、すぐに頷いた。


「ラジャー! 今すぐ行くよ!」


 黒装束を引っ掴んで外に出る。

 必ず任務完了できると信じて。


 そう、何だってできる。アリスなら。


 文武両道天才万能最強無敵超絶善人ミラクルレディー忍者アリスの活躍は、まだ始まったばかりなのだ。






 おわり



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忍者の国のアリス 白里りこ @Tomaten

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