エピローグ

 しばらくしてからのことだ。シュヴァルツェンベルク市のほとんどすべての人々が寝静まった夜、教会から出てくる二人の人影。

 雪が激しく降る上に、濃い霧が出ている日だった。数メートル先であってもはっきりと見ることはできない。もし目の前から馬が飛び出してきたら確実に衝突するだろう、……避けることは不可能だ。

 そんな視界不明瞭な中、手を繋ぎながら歩くその二人。シュヴァルツェンベルク市の中央広場の横にある広い道路を、何やら楽しそうに話しながら進んでいく。


 二人の姿が中央広場から見えなくなった時からおよそ三十分後、丘の上の古城、アイヒベルガー城が建っている辺りの一部が、ほんのり橙色に染まった。

 霧が濃いせいで、そこが城のどの辺りなのか、はたまた城の内部なのか外部なのかさえもわからない。


 それとほぼ同じタイミングで、ある男が、この丘のふもとにある建物の正面から出てきた。男は慌ただしく鍵を閉めては、丘の上——「精霊の棲む古城」の辺りを見上げる。

「『精霊の棲む古城』の……、……歌姫………………」

 自分の耳にもほとんど聞こえないほど小さな声で呟き、鍵をコートの内ポケットに入れた。


 男は丘の反対側に向かって少し歩いたが、やがてまた振り返って見上げては、奥歯をギッと鳴らした。

「……そこにいるお前は……、…………幸せではない」


 今宵も、アイヒベルガー城では、美しい歌が寂しげに響き渡っている。その、ただ歌い続けるだけの二時間のコンサートを聴く人間は、たったの一人。

 真夏だろうが真冬だろうが関係なく毎日開かれるコンサートだが、歌い手はただ一人。しかも、聴けば聴くほど、月日が流れるほど、その声は弱々しくなっていく。

 しかし、ようやく、その退屈なコンサートに新しい演者が登場しようとしていた。


 男は、コートのポケットに、シュヴァルツェンベルク市では珍しいチェック柄の手袋をはめたまま両手を突っ込んで歩き出しては、樺色かばいろ弁柄色べんがらいろの建物の間にある、霧も寄り付かないほどに闇を放った狭い路地の中へ、足音も立てずに吸い込まれていった。

 窓の外を眺めてもすぐそこの景色さえ消されているような夜に、この男が歩いている姿など誰も見ることはなかった。

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涙流るる古城の街で歌姫は夜空に祈りを捧ぐ Meeka @acryl_official

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