21 幸せ

 これまで以上に寒く感じる今宵。アイヒベルガー城から見えるシュヴァルツェンベルク市の街並みは非常に美しく、クレマー川を挟んだ反対側——シェーンベルクの風景もまた長閑のどか

 アレクシアはここから見える景色が好きだが……、今はただ手を握りながら夜空を眺めている。

「神様は、私に教えてくださいました。……どうしてヴィルヘルムが、私のところにやってきたのかを……」


 アレクシアは昨夜のことを回想していた。

 当時は神の言うことに戸惑っていたが、今はそう見えない。

「彼は、私のことを利用して神様に近付こうとしている。……それは、きっと違います」

 ヴィルヘルムは今も寝たままだ。

 あのとき、どうして彼が刺されたのか、アレクシアはわかっている。……本当ならばアレクシアを刺そうとしていた犯人から、身を挺して守ったからだ。

 命の危険さえある状況。そんな状況で、自身のことを守ろうとしてくれる人間が、悪人であるはずがない。


 アレクシアは、決心したように続けた。

「神様はおっしゃいました。神様と話せるのは私しかいない。だから、私をうまく利用して神様と話したいのだと……」


 アレクシアは祈る手を解き、胸に両手を当てた。

「それは、こういうことなんです。……ヴィルヘルムは何らかの理由があって、ヴルフ市の統制をしている。それが想定外の二次災害を起こして、王室にまで影響が及んでしまった。そこで、王室は、神様と会話ができる私になら問題を解決できると考え、ヴィルヘルムに調査を依頼した」

 アレクシアは、かつて見ないほどにしっかりと話していた。少しずつ声が神に吸い上げられているはずなのに、それを感じさせないほどに。


「ヴィルヘルムは私と出会い、神様と会話する私の姿を見た。そこで、彼は気が付いたのです。神様とお話しすることで新しい契約ができることに。それを利用して、ヴルフ市の虐殺を行わなければならなかった彼の事情を、解決しようとしているんです……」

 アレクシアは言い終えた後も、しばらく夜空を眺めていた。


 すると、急に夜空に光る星が移動し始め、部分ごとに集まっては、アレクシアの視線の先で文字を形成した。それを彼女はじっと見つめて読み上げる。

「——『わらわと話すことができるお前の能力は、特別なもの。そして、新しい魔法を会得するためには、わらわと話すことが必要なのだ』……?」


 またしばらくして星たちが移動し始め、今度は別の文字を浮かび上がらせた。

「『これは最後の言葉だ。わらわは、お前のことを想っているだけではない。これは、シュヴァルツェンベルク市にとっても、それ以外にとっても、大きな問題なのだ』……」

 アレクシアは夜空の言葉を読み上げたが、如何いかんせん頭の中で繋がり合わない。

「神様、もう少しだけ教えてください。何が問題なのでしょうか……!?」


 しかし、次に星たちが動いたと思えば、力が抜けたとでも言うように元あった場所にそれぞれが戻っただけで、二度と文字を形成することはなかった。


    ◇◆◇


 翌日から、ヴィルヘルムが目覚めるまでの数日間、以前と同じようにアレクシアは孤児院の子どもたちの世話をして、夜には一人でアイヒベルガー城に訪れていた。

 少し子どもたちと仲良くなりつつあったヴィルヘルムのことを子どもたちが尋ねてきたときには、「ちょっと忙しいみたいで、じきに戻ってくるから」と端的な回答をしていた。

 アレクシアの頭の中では神が言っていたことが引っかかっていたが、それでもやはり、実際にそばで優しく接してくれたヴィルヘルムのことを信じたい、という気持ちを内に秘めていた。


 数日後の昼、病院の医師が孤児院にやってきては、ヴィルヘルムが目を覚ましたと説明した。

 アレクシアが病院に駆け付けたところ、ヴィルヘルムは何やら弱々しい表情だったが、アレクシアに微笑みを向けた。

「ヴィルヘルム、目を覚ましてくれて、……本当に良かったです」

 そう言いながら、彼女はベッドに横になっている彼の手を握った。

「いいえ、アレクシアが無傷であったことが、不幸中の幸いでした」

 アレクシアに微笑みかけてそう語る彼の顔を見ていると、神が言っていたことなど記憶の外だった。


「申し訳ないです。……こんなことで、寝込んでいて」

「いいえ、私は大丈夫です、ヴィルヘルムが無事なのであれば。……しっかり休息を取られてください」

 アレクシアは本当に安心した表情を彼に向けながら告げた。


 ヴィルヘルムが深く頷いたのを確認して、——それにしては、と彼女は続けた。

「……あの男が着けていた手袋、実は、昔、家にあったものに似ていたんです」

 話を聞いたヴィルヘルムは、わずかに聞こえる程度の声で「えっ?」と呟いた。

 しかし、彼女は「……いえ、やっぱり気にしないでください」と答え、しばらくしてから、子どもたちの夕食を作るため孤児院へと帰った。


    ◇◆◇


 ヴィルヘルムが悪人なのかどうか——

 この答えは、アレクシアの中ですでに導き出されていた。

「……彼は、本当に優しくて、それでいて、私のことを気遣ってくれるんです。だから、彼が悪い人だということはあり得ません」


 そう語る彼女の目の前にいるのは、情報屋のフランツ。彼はアレクシアの言葉を聞いて高らかに笑った。

「ほほっ、左様でございますか。それはそれは、……風の吹き方は、大きく変わるものですね」

 アレクシアがチャーチチェアに座って休んでいたところ、以前と同じようにフランツがやってきたのだ。


 一瞬アレクシアは彼の言葉に違和感を覚えたが、彼の捉えようのない笑みを見ていれば、その不調和の感情もすぐに消え去った。

「……いやぁ、幸せなものですね」

 笑いながら放たれたフランツの言葉に、アレクシアもまた、笑顔で——


「はい。それに、この先もきっと、……とても、幸せなんです」

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