昨日失くした涙

帆尊歩

第1話 昨日失った涙

「大丈夫か」と担任の先生は言った。

それ以外の先生は、遠巻きに私を見ている。

一年の時の担任ですら近寄ってこない。

職員室の応接スペースは、ドアが開けられてはいるが、意識的に中をものぞかなければ分からない。

担任だけが、すぐ横に立っている。

私はこの先生のことをあまり知らない。

中学二年になって初めて付いた担任だった。

一年の頃から名前だけは知っていたけれど、接点はなかったので、どういう先生か分からなかった。

二年に上がって、すぐに私は事故に遭った。

全く酷い事故。

私の足は押しつぶされ、四ヶ月の入院になった。

お医者様や看護師さんは、良かった、良かった、を繰り返す。

命が助かったのみならず、足も切断しなくていいなんて奇跡らしい。

一昔前なら切断になってもおかしくないくらいのダメージだった。

それほどの事故だ。

だって、私以外の家族は即死だったから。

「立ち入ったこと聞いても良いか」いかにも心配していますオーラを出して、よく知らない担任が私に話かけてくる。

「どうぞ」と私は短く答えた。

「一生歩けないということではないんだよな」失礼な言いようだった。

他の先生がいたら止めてくれただろうか。

「足はあるので、一年くらいすれば歩けるだろうと言われました」

「そうか、良かったなー」ここでも良かったと言われる。


この学校とも今日で最後だ。

両親と弟が亡くなり、一人になった私は、親戚に引き取られる事になった。

でも特別な感情はない。

二年に上がって一ヶ月、まだ完全にクラスが固まらないうちに私は事故にあった。

四ヶ月の入院。

もう今は秋を通り越して、冬になりかけている。

その間、クラスは私を抜きに成り立ち、きっと私の居場所など、もうどこにも無い。

もっとも、このクラスでの居場所なんて、出来る前から私は病院のベッドにいたから、この教室には何も存在しない。

こんな挨拶だって必要ない。

むしろ、これから転校して行く新しい学校になじめるかだ。

おそらく来年の夏くらいまでは車椅子だろうから、新しい学校ではどう見られるのだろう。

不安はある。

でも、もう私は泣かない。

四ヶ月間、散々泣いてきた。

そして分かった事がある。泣いても何も変わらない。

これから自分はどう生きて行くか、それだけだ。

昨日、最後に家に帰った。

そこはもうすでに、片付けられていた。

四ヶ月の間に全てが終わっていた。

会社の社宅だった家は、お父さんが死んで出て行くことになったらしい。

家財道具は、おじさんが一時保管してくれている。

最後に、空家になった家を見せてくれた。

みんなでご飯を食べたリビングも、弟と一緒で、自分の部屋が欲しいと駄々をこねた部屋も、今はもぬけの殻。

迂闊にもその時、私は涙をこぼした。

もう二度と泣かないと誓ったのに。

だから私は昨日、涙を失ったのだ。


「さあ、教室に行こうか。みんなに最後の挨拶をするんだぞ。でも辛くなったら、何も言わなくて良い。先生が横に付いているからな」

「はい」とは言ったけれど、昨日涙を失った私には、何も響かない。

教室に入ると、案の定私のことを心配したという雰囲気はなかった。

そこにあったのは、同情の雰囲気だけ。

それはそうだ。

このクラスに私の居場所はなく、教壇の横には車椅子に乗った、家族を失った足の動かせない、クラスメイトだったはずの人間がいるだけだ。

誰も私の事を心配などしてくれない。

そこには同情があるだけだ。

「皆さん、ご心配をお掛けしました。このとおり無事退院出来ました。でも、両親も弟も亡くなり、私は親戚の家に行きます。短い間でしたが、ありがとうございました」一年のときから一緒だった子の何人かだけ、頑張ってねとか、手紙書くよとか言って、少し涙声になったけれど、私は昨日涙を失っていたから、無表情を悟られないように頭を下げた。

そこにあったのは同情だ、心配ではない。

クラス委員の彼が、みんなの寄せ書きの色紙をくれた。

そういえば一人だけ、彼だけは心配してくれていた。

クラス委員の彼は入院中、何度もお見舞いに来てくれた。

一年生の頃から同じクラスで、別に多くの接触があったわけではなかったけれど、私は彼にだけは、

「ありがとう、そしてさようなら」と言った。

でも彼だって、私に同情していただけだ。


帰りの車の中で、色紙を見た。

クラス全員の言葉が、一枚の色紙に入るのだ。

みんなおざなりの言葉が、一行くらい書かれているだけだ。

一年から一緒だった子は少し長かったけれど、別にという感じ。

そしてクラス委員の彼は、一番多くの文字が綴られていた。

ふと真ん中より下に、文字を隠すように付箋が貼ってある。

何だろうと剥がしてみた。

そして私は、昨日失ったはずの涙をもう一度こぼした。

付箋の下には彼の走り書きが書かれていた。


あなたが助かって良かった。

あなたが助かって良かった。

あなたが助かって良かった。

もう会えないと思うけれど。

あなたの事が大好きでした。

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昨日失くした涙 帆尊歩 @hosonayumu

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