第26話 地獄

影の英雄は魔王国を再建します 26 地獄


地獄


アランとフウラがニンファへ戻る12時間前。


寝支度を済ませたネレがメリーヌと、この日最後の定期連絡を済ましていた。


「——本日の連絡は以上となります」


「報告ありがとう。今日はあなたも疲れたでしょう?」


ネレは今日の会談に同席していたメリーヌの体を気遣った。


「い、いえ!そんな事はありません!私はただ後ろで、黙って話を聞いていただけですから!」


それを聞いたネレは、クスクスと笑った。


「な、なんで笑うんですか!?」


「黙ってたは嘘でしょう?あなた、あの計画書を見て直ぐアンドレア王に意見したじゃない」


「そ、それは…!」


「あの時は、流石に肝が冷えたわ」


「も、申し訳ありません!」


「いいのよ。間違った事はしていないから、あなたが謝る必要なんてないわ」


俯き反省顔になっているメリーヌの元へ行き、ネレは手を握る。


「あなたの正義感と愛国心はとても立派なものだけど、偶に行き過ぎてる時があるわ。それさえ気を付けてくれれば、私も安心だわ」


そう言うと、ネレはニコッと笑った。


「はい!以後気をつけます!」


ネレの笑顔を見たメリーヌは元気を取り戻し、大きく返事をした。


「良い返事だわ。今日はもう休んで、明日に備えなさい」


「ありがとうございます!では、失礼します」


メリーヌは深々と頭を下げてから、部屋を後にした。


ネレの指示通り、休息を取る為に自室へ向かうメリーヌは、高級感のある天然木目調の長廊下を機敏にスタスタと歩くが、彼女の面持ちはその動きと裏腹に、重たい表情をしていた。


(また、ネレ様に心配を掛けてしまった…)


彼女の脳裏は、ずっとその事でいっぱいだった。


自分を叱責し、反省する。


これを心の中で何度も繰り返し、気づけば自室の前へ辿り着き、ドアノブに手を掛けた。


——ガチャ。


完全に自分の世界に入り込んでいたメリーヌは、その音を聞いた瞬間フッと我に返った。


(ダメだダメだ!そんな気持ちでネレ様を護れるものか!ネレ様の言う通り、今日はしっかりと休んで明日に備えよう!)


メリーヌは無理矢理気持ちを入れ替え、自室へ戻った。


しかし、彼女の心身は休まる事なく、明日を迎える。


——それは、メリーヌが眠りについてから5時間後。


静寂と暗黒の世界にいた町は、城門から鳴り響く、たった1つの魔法で一変した。


大きな音を立てた1つの魔法は、忽ち2つ、3つと増えていき、やがて町のあちこちで鳴り響き、それは遠く離れたニンファ城にまで届く。



その音に目を覚ましたネレは、すぐさま窓の外を見た。


「——何が起きているの…!?」


遠くの町の方では、赤色に染まった灯りがまばらと見えた。


——コンコン


扉を叩く音が部屋に響き、ネレは直ぐに反応した。


「メリーヌ!?一体これは——」


開かれた扉の向こうに居たのは、堅苦しい鎧を着たニンファに仕える男の兵士だった。


「通達です!先程、町の城門から魔獣が複数体侵入した模様です!いずれも、クォーツ級に該当する魔獣と報告を受けています!メリーヌ様は、擾乱を聞きつけ直ぐに町の方へと向かいました!」


その報告を聞いたネレは驚愕し動揺する。


「なぜ魔獣が!?結界はどうしたの!?」


「詳しい情報はまだ分かりませんが、城門を警備していた兵士によると、結界が破れたあと直ぐに魔獣が攻めてきたと、報告を受けています!」


すると、ネレは扉の向こうにいた兵士を押し退け廊下に出た。


「何処へ行くのですか!?」


「祭壇よ!直ぐに結界を張り直して、二次被害を防ぐの!」


そう言うと、ネレは長い廊下を走り去って行った。




——町内、城門付近。


「こっちだ!早く逃げろ!」


フラット団リーダーのディーゼルは、逃げ惑う市民達を大声で避難ルートに誘導していた。


(くそ!何で魔獣が町の中にまで来てんだ!?一体何が起こってんだ!?)


ディーゼルは込み上げてくる不安と焦りによって、昔のように口が悪くなっていた。


逃げて来る市民は徐々に減り、避難誘導は終わりを迎えた頃、同じくして各地で避難誘導をしていたフラット団のメンバーからテリパティで報告を受ける。


『西側の避難誘導完了です!』


『東側も完了しました!』


「お前らよくやった!俺も避難誘導が終われば——」


各地の避難誘導は上手くいき、一つ不安が解消されたと思った矢先、ディーゼルの言葉はテリパティの魔法で会話に割り込んで来た下っ端の言葉と共に途切れる。


『リーダー!ギルドが…燃えています…!』


「なにぃ!?」


ディーゼルは眉間にしわを寄せ、大きな声を出した。


「中に人はいるのか!?」


『分かりません!でも、かなり燃えてしまっていて…仮に中に人が居ても助かる可能性は——』


「バカ野郎!まだ中に誰かいるかもしれねぇ!俺が直ぐに向かうから、お前は消化に専念しろ!」


ディーゼルは直ぐに避難誘導を止め、ギルドに向かって走った。


彼は細道や険しい道を通り抜ける。


それはこの町で産まれ、この町で育った彼だけが知っているギルドまでの最短ルートだ。


ギルドに近づくにつれ灯りは次第に大きくなり、煙の匂いも強くなる。


そして彼は、激しく火柱が上がりバチバチと燃え盛るギルドの前へ到着した。


そこには、先程テリパティで会話に割り込んできた下っ端が、水属性魔法で炎上したギルドを消化しようとしていた。


しかし、水の勢いは燃え盛る炎の勢いに負け、事態は悪化の一途を辿る。


そして、極め付けは避難所を案内していた別の下っ端からの連絡だった。


『リーダー!イレーナが避難所に来ていません!』


「何だと!?」


『最近、夜遅くまでギルドに残って仕事していたみたいですし、もしかしたらまだ——』


ディーゼルは全身で悪寒を感じ、ゆっくりと燃え盛る建物を見た。


テリパティから聞こえてくる下っ端の声はもう、彼の耳には届いていなかった。


「——ずをかけろ」


「え?」


「俺に水を掛けろ!」


鬼の形相をしたディーゼルは、隣にいる下っ端の両肩を掴み、激しく揺らした。


「ひぃいい!分かりましたっ!」


情けない声を出し涙目になった下っ端は、激しい揺れから解放されると直ぐに、水属性魔法でディーゼルの体全身を濡らした。


「リーダー、一体何するつもりで——」


「うぉぉぉぉおおおおおおお!」


ディーゼルは雄叫びをあげて、ギルドの正面ドアをタックルして燃え盛る炎の中へ突入した。


「イレーナ!いるのか!?」


辺りを見渡すが、自分達がいつも馬鹿騒ぎしている場所にイレーナの姿は無かった。


声を出しながらギルド内を隈無く探していると、建物が燃え盛る自然な音とは別に、人為的に発せられた音が天井から聞こえた。


「上にいるのか!?」


ディーゼルは受付カウンターを飛び越え、奥の細い階段を駆け上がると、そこは8畳程のこじんまりとした空間が、火事によって崩壊しかけていた。


激しい煙を掻き分け音のする方へ向かうと、イレーナが倒壊した柱の下敷きになっていた。


「大丈夫か!?」


安否を確認すると、すでにイレーナは声も出せずに、意識が朦朧としていた。


「今助けるからな!」


ディーゼルはイレーナに重くのしかかる柱に手をかける。


筋肉質の大男が両手で力を振り絞ると、体はプルプル震え顔は赤くなり、その柱はゆっくりとイレーナから離れていった。


ディーゼルは安全に柱を下ろせる場所に置き、下敷きになっていたイレーナに、自分の上着を着せて抱き抱えた。


体制を低くして来た道を戻ろうとした時、燃えて脆くなった天井の木材達が雪崩の様に階段前に落ちた。


「おいおい!嘘だろ!?」


完全に退路を断たれたディーゼルは、徐々にたちこもる煙に蝕まれ、激しく咳をした。


安全な逃げ道を探す為に辺りを見渡すが、そんな道などあるはずもなく、8畳の空間に一つだけつけられた窓に目を向けた。


固唾を飲んだディーゼルは、イレーナを深く抱きしめ、自分を奮い立たせる様に、再び雄叫びを上げて走り出した。


勢いよく窓にタックルをして突き破り、2階から豪快に飛び降りた。


ディーゼルは宙を舞い、そのまま背中からイレーナを庇う形で地面に着地する。


「イレーナ!リーダー!」


下っ端が2人の元に駆けつけると、寝転んだ状態のディーゼルはゆっくりとイレーナをおろした後、背中で着地した痛みに悶えていた。


「クソ痛ぇ…」


「リーダー大丈夫ですか!?」


「あぁ…。お前は…イレーナを連れて先に避難しろ。俺は…暫く立てそうにない…」


仰向けに寝転び、痛みで顔が歪みながら話す。


「…分かりました。直ぐ応援を呼んできますので、後で避難所で会いましょう」


下っ端はイレーナの背負い、駆け足で避難所へ向かった。


去り行く2人の後ろ姿を見届けたディーゼルは、煙で濁ってしまった夜空を見て大きな溜め息を吐いた。


「まるで地獄だな…」


故郷を襲われ、大事な友人達が傷つき、自分は重傷を負う。


彼にとってこれは、まさに地獄だった。








——グルルルルルル…


寝転ぶ彼の元に近づいて来たのは、邪悪なオーラと異臭を放ち、汚れた毛並みと不衛生に伸び切った爪、そして口から大量の涎を垂れ流して虎視眈々と狙う狼の姿をした魔獣、それはダーティーウルフだ。


ダーティーウルフは獲物が弱っていると理解し、ディーゼルの恐怖を煽る様にゆっくりと迫った。


「うそだろ…!?なんでここにダーティウルフが!?」


ディーゼルは地面に這いつくばって必死に逃げるが、努力の甲斐なく、あっという間に追いつかれた。


ダーティーウルフの唸り声が間近に迫り、ディーゼルは死を悟って反射的に手で頭を覆った。


ダーティーウルフはその鋭い爪を高く掲げ、ディーゼルに向かって振り下ろす———











「——よく耐えましたね」


ディーゼルはその声を聞くと、覆った手を退けて顔だけ振り返る。


「守護の戦乙女ジルマーヴァルキリー…!」


メリーヌはディーゼルの前に立ち、魔法で作られた緑色に発光するバリアで攻撃を防いでいた。


「後は、私に任せてください!」

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