久遠

第1話 空知らぬ雨

これは、遠い遠い、祖父から聞いた話だ。

 この国が生まれた頃、たくさんの八百万の神がいたけれど、神々だけでは国を治めるのは難しかった。人はたくさんの争いを起こすし、その全てに目を通すのは難しかったから。

 だからいつしか、神々は人と契約するようになった。力の一部を貸す代わりに、この国を裏から支えることができるように。

 そうした人々は次第に増えていって、今でも密かに活動しているらしい。人々はそういう人たちを、さかきって呼ぶんだって。










 もう二度と、家には帰らない__

そう決意して家を飛び出したのがつい数時間前の出来事である。小さなリュックを背負い、東京の河川敷の傍を俯きながら歩いていた少年_遠坂樹とおさかいつきは、綺麗な星々が映る空を見上げると、盛大に大きなため息をついた。



 事は数時間前に遡る。

 遠坂はいつものように高校の部活から帰宅し、家に帰ってきた。そこにはいつものように優しい母がいて、美味しそうな食事が食卓に置かれていた。


「おかえり樹、ご飯、出来てるよ。」


 母は台所からそう声をかけ、遠坂は笑みを浮かべて頷いた。それがいつもの、幸せな日常だった。


その日の晩御飯はもやし炒めと、茶碗半分の白米に卵が乗せられたものだった。その横にはたくさんの請求書が置かれていたけれど、気付かないふりをした。


「樹ごめんね、今日もごはん少なくって。」


「ううん大丈夫。母さんのご飯とっても美味しいよ。」


 そう、我が家は貧乏だった。

 父は遠坂が生まれた時から姿を消し、それ以降は母が一人で生計を立てている。それでも収入が足りず、借金も幾らかしているような状態だった。母は既に窶れていて、疲れきっている様子だったが、微かに笑って見せた。


 いつものように晩御飯を食べ、水を無駄使いしないよう心がけながら食器を洗い、シャワーを浴び、課題を済ませ、布団に入った。夜中に借金取りが来て目を覚ましたけれど、母が謝って何とか帰ってもらった。それがいつもの事だから、変なことでは無い。


 けれど今日は一つ違うことがあった。遠坂はそっと瞼を開けると、近くに事前においてあったリュックを持って部屋から出た。家の中で唯一ある部屋から出ると、リビングで寝ている母に気づかれぬよう足音に注意しながら、そっと外に出た。外に出るとすっかり冷えた空気が自身の頬に当たって、震えそうになった。そうして、遠坂は家を出たのだ。







 そうして家を出て、真夜中の道を歩いて電車に乗った。途中自身と同い年くらいの少年を見かけてたけれど、とても話しかけれるような雰囲気ではなかった。電車を多く乗り継いで、山の近くまで来た。すっかり人気がない山を登っている最中に振り返ると、遠くの都心の景色が微かに見えて、思わず立ち止まった。


「綺麗…」


「ここで何をしている。」


 途端背後から声がし、背筋に悪寒が走った。あまり振り向きたくなったが、意を決して振り返ると、そこには袴姿の男性が立っており、じっと遠坂を見つめていた。おそらく髪が少し長いのだろう、黒髪を団子にしてまとめており、身長は遠坂よりも高く細身だった。


「子供は寝る時間だぞ。」


「…家出、してきたんだ。夜が明けるまでここで身を隠そうって思って。」


 恐る恐るそう言うと、その人物は少し不思議そうに表情を変えた。そして近くの木に寄りかかると、腕を組んだ。


「何故。お前と母君は貧しかったが仲は良かったはずだ。」


「…確かにそうだ。俺は母さんが大好きだった。」


 何故自身と母のことを知っているのかは分からないが、そのことよりも誰かに話を聞いてもらいたいという欲求が勝った。遠坂は改めて遠くの都心の夜景を見つめると、自然に口が開いた。


「俺の家、貧乏だから俺の学費を払うの、とっても大変なんだよ。高校行かないって言ったんだけど、学べる内に学んどけって…でも申し訳なくって。だから家を出て、稼ぐことにしたんだ。」


稼ぐ?とその人物が問うと、遠坂はおう!と笑顔を向け返事をする。遠坂の目には確かに光が宿っていた。


「知ってるか?住み込みバイトっていうのをすれば、衣食住の問題なく稼げるんだ。学校はあるから、平日は夜しか働けないけど…俺が居なくなれば、母さんも少しは楽できるだろうし。」


 そう、全ての母の為だった。学校はバイト禁止だったけれど、学校から遠ければバレる可能性も少ないだろう。ちょうどいいバイト先が見つかったのだ。これ以上母に迷惑をかけるわけにも行かない。好きだった部活も辞める予定だった。


「…ならば今すぐ母君の元に戻れ。」


「なんでだよ、そもそもお前誰…」


 そう言おうとした途端、振り返るとその人物が近くまで来ており、指を遠坂の額に乗せた。すると遠坂の脳に様々な映像が流れ込み、遠坂は思わず退いた。


 夜中、自身の住む家のアパート、寝ている母、その近くにいるのは、刃物を持った知らない人物。


「さっきのは…」


「それは今のお前の家だ。急いで帰らねば大変なことになるぞ。」


 信じられなかった。先程の映像は本当なのだろうか。そもそも彼は一体?遠坂は思わず頭を押えた。だがもしも先程の映像が本当に今の現状なら、彼の言う通り急いで戻らねばならなかった。


「でも、ここから俺の家までは1時間ぐらいかかる。電車だってもう…」


「それは問題ない。」


 そう言うとその人物は口笛を吹き、少し経ったかと思えば大きな猪が姿を現し、遠坂は言葉が出なかった。そうしている間にも彼は口をパクパクと動かし、猪と話しているように見えた。


「ほら、早く彼の背中に乗れ。」


「乗るって、てかなんでイノシシが。」


「山なんだから普通いるだろう。」


「いねぇよ!!」


 そうこうしている間にその人物は遠坂の体を猪の背中に乗せ、途端猪が突進するかのように先程歩いてきた道を駆け下りていった。あまりの速さに目が回り、気がつくと山をおり、住宅地に出て、ひたすらに走っていった。急に止まり体が勢いよく放り出され、痛む箇所を擦りながら目を開けると、そこにはいつものアパートがあった。自身の家からは明かりが漏れ、微かに悲鳴をあげる声が聞こえた。母の声だ。


「母さん…!!」


 彼が自身に見せた映像は本当だったのだ。遠坂は慌てると、どうしようかと考えた。他のアパートの住民に助けを求めようにも、このアパートはそもそも治安が悪いし、助けを求めても追い出されてしまうだけだ。かと言って自身自ら行こうとしても、ただ殺されることしか出来ない。何も出来ないことがただもどかしかく、その様子を一緒に着いてきた先程の人物がじっと見つめていた。


「そうだ、ねぇあなたなら助けらるんじゃないの?お願い、助けて…!!」


「…まぁ、確かに助けることは可能だがな。」


 じゃあ早く!と思わず声を荒らげるが、その人物は一向に動こうとせず、小さなため息を着くと目線を合わせ遠坂の肩に手を置いた。


「…俺らは、真の願いしか叶えるができない。いいか樹、どうしても叶えてもらいたいなら、願え。」


「…誰に?」


 八百万の神に、とその人物は言った。正直意味がわからなかった。でも今は、その言葉を信じることしか出来なかった。遠坂は強く瞼を閉じ、願った。すると突然目の前の人物の周りに薄白い光が現れ、その人物は部屋の方を見ると、小さく口を開けた。


「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」


 言っている意味はあまりよく分からなかったが、周りで光っていた薄白いそれはその言葉と共にひとつとなり、やがて大きな形を象った。目の前に現れたのは、大きな龍であった。その龍は姿を現したかと思えば、龍の周りに水が集まり、やがてそれは大きくなり、1つの小さなトゲのような形となりまた分裂した。その水はドアをするりと隙間から抜けると、不審者らしき者の悲鳴が聞こえ、やがてあたりは静かになった。


「あ、あなたは一体…」


 すっかり腰を抜かしてしまった遠坂に気づき、その人物はちらりとこちらを振り返る。大きな青龍はやがてまた光になると今度は普通の少女に変身した。茶髪ががった、肩まで髪が伸びたその少女は、遠坂に笑みを浮かべると目の前の人物に近寄る。


「俺は人々を扶け、見守る榊の一人だ。」


 振り返った人物は、遠坂にそう言い手を差し伸べた。








 一体どれほど歩いただろう。

 足が痛い、体が痛い、頭が痛い。お腹がすいた。眠い。疲れた。

 そう言ったものが次々と溢れ出て、抑えることが出来ない。先程同い年のような少年がいたが、あの人物は大丈夫なのだろうか。いや、あの少年は自身よりも元気そうだったから、きっと大丈夫なのだろう。

 そのようなことを考えながらよろよろと歩いていると、ふと目の前に影ができた。人の影だ。恐る恐る見上げると、そこには笑顔をうかべた僧侶がいた。僧侶はゆっくりと手を差し伸べると、暖かな言葉を吐いた。


「こちらへいらっしゃい。」




 

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

久遠 @ayaya252666

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ