駐輪場に、君がいた。

木下ふぐすけ

駐輪場に、君がいた。

駐輪場に、君がいた。

校舎の影に隠れて、そっと覗く。

君は左手で自転車のハンドルを掴み、右手のスマホを見ている。

なにかを入力しているらしかった。もちろん片手で。

私は自分の手を見た。

私の手は小さい。

片手入力モードでも「い」がフリックできない。無理にフリックするとバランスを崩してスマホが落ちる。小さめの機種なのに、だ。

私のより、ふた回りは大きいんだろうな、君の手は。

とか考えているうちに、君はいなくなっていた。


自分の自転車へ急ぐ。

君を追わないと。


校門を出る。君の家は、左側。

道が長い直線なおかげで、遠くに君が見える。

登り坂がキツい。

追いつけない。

けど、大丈夫。問題はない。


君は、次の交差点を右に曲がる。

ほら曲がった。

そして左側にあるコンビニに入る。

調査済みなのはここまでだ。

君が買い物してる間には追いつける。


コンビニに着いた。

最悪だった。

君は、知らない女といた。楽しそうに笑っていた。

私と制服が違う。他校か。あれはどこの……そうだ、山の麓にあるお嬢様校のだ。


自転車を止めると、君は私に気づいた。

「あれ、佐藤さん!偶然!佐藤さんも家こっちなの?」

まさかストーキングされていたとは思ってもいないようだった。

気づいててこの笑顔なら皮肉が過ぎる。

そんなことまで考えるタイプではないはずだ。

「誰?この人」

女は機嫌が悪そうだ。

同じだな。私もお前のせいで機嫌が悪い。

「あー、会うの初めてだよね、佐藤はクラス一緒でさ。んで、こっちは彼女の奈々未」

そうか、お前は奈々未というのか。

「あ、その……はじめまして、花枝奈々未と言います。よろしくお願いします」

陰気な女だった。クラスでは目立たない方だろう。私と一緒だな。

それでもお嬢様校の生徒なだけあって礼儀正しく、所作の一つ一つが優雅さを帯びていることは否定できない。

「あー、いえ、はい、佐藤です。こちらこそ、よろしくお願いします」

君はこんな女がタイプなのか?だったら私でいいじゃないか。

お嬢様校ぶんの振る舞いの差か?

いや、君はそこまで礼儀にうるさいタイプじゃないだろう。

「彼女さんとは、どこで知り合ったの?」

あくまで単に恋バナに興味津々な女子の素振りで聞く。横の女ではなく、君に。

「奈々未とは、なんていうか、幼馴染でさ」

「生まれた病院から中学までずっと一緒だったの」

女は得意げに言った。お前には聞いてない。

が、なるほど。

私の数々の間接的アプローチが全て失敗したのは、この女がいたからか。

脳内で不穏な計画が7パターンほど組み上がっていくが、私だって犯罪者になりたいわけじゃない。

コンビニに入って適当に飲み物を買い、今日のところは引き上げた。



夜。君からメッセージが来た。

『彼女がいること、他の人には秘密にしといてもらえると嬉しい』

『わかった。彼女さんにはしにくい相談とかあったら、気軽にしてもらっていいから』

すぐにOKのスタンプが来た。

まあ、単なるクラスメイトからは接近できたかな。

『あ、そうだ』

君から、思い出したようにメッセージが来た。

『奈々未が佐藤さんの連絡先知りたがってるんだけど、教えていいかな?『気が合いそうだからー』って』

少し考えて、承諾する。


即座に新規フレンドの通知。と、同時にメッセージ。

『彼につきまとわないでもらえます?』

挨拶抜きの宣戦布告だった。

『どういうことです? 私はただ偶然コンビニ寄っただけですよ?』

『だとしても、彼に色目使わないでくださいね?彼は私のなんで』

確かに、現時点では、君の正当な恋人はお前だ。それは認めよう。

『色目使ってるつもりないですよ? 言いがかりも程々にしてくれません? 彼女さんとして心配なのはわかりますけど』

『そうだといいんですがね』

会話はそれで終わった。


決めた。

ストーキングは、もうしない。

こんなまどろっこしいやり方は、略奪愛にはパワーが足りない。

明日からは、もっとストレートにいかないと。

あの女がいない昼間が勝負だ。

私は、私の好きにさせてもらう。



「席替えするぞ~」

LHRで担任が言った。そんな急な。

いや、一部の陽キャには急でもなかったらしい。

私に伝わってなかっただけか。友人が少ないとこういうとき損だ。

もちろんそんな私が根回しなどできるわけもなく。

純然たる確率の導きにより、私の隣は、下の名前も知らない有象無象の男子になった。

「佐藤、よろしくな~」

名字は確か……

「あ……うん、よろしく、渡辺くん……」

渡辺はやたらとニコニコしている。

こいつは何が楽しいんだ?

ともあれ、君は私から見て、二つ前一つ右の席になった。

観察はしやすいから、まあ、悪くはないな。


君に話しかけるタイミングがない。

席の位置関係が悪い。どの授業のグループワークでも一緒にならない。

英語の授業で渡辺の相手をしている間も、私は君を見ていた。

君は、隣の女子と笑顔で英会話をしている。

コンビニで私に向けたのより明るくないか?

うかうかしてるとあの女以外も競合になるかもしれない。

どうにか早急に手を打たないと。

「佐藤?すごい難しい顔してるけど……体調悪いなら保健室行ったほうがいいんじゃ?」

「ううん、大丈夫」

うるさい。思考の邪魔をするな渡辺。猫かぶるのもリソース使うんだぞ?

いや、待て。今、保健室と言ったか。

それだ。

どうにかして君の目の前でぶっ倒れればいい。



月のものが来た。

重い。痛い。苦しい。

いつもは恨めしい限りだが、今はむしろ好都合だ。

本当に体調が悪いのだから、仮病がバレることは絶対にない。

チャンスは一度。三限の芸術選択、音楽室への移動中。

君が後ろにいることを確認して、わざと大きくふらつく。

そのまま壁によりかかり、廊下にへたり込む。

「佐藤さん!」

君はすぐ駆け寄ってきた。優しいね。私なんかの仮病を本気で心配してくれてる。

「大丈夫!?保健室行ったほうが良いよ!一人で行けそう?」

「ごめん、ちょっと無理そう……肩貸してもらえる?」

「わかった、わかった。無理しないで、ゆっくり行こう」

通りがかった音楽選択の男子に先生への連絡を頼んで、私と君は歩きはじめた。


音楽室は五階。保健室は一階。しかも校舎の反対側だ。

体調不良を装ったまま牛歩戦術で行けば、五分は余裕でかかる。

首に回した腕から夏服のシャツ越しに感じる君の体温は、この夏にあっても心地よい。

緩む口元をコントロールし、つとめて苦しげに、できるだけ君に密着する。

私の腕がずり落ちないよう、君はしっかりと手を握ってくれている。

その手から、分かる。鼓動が速まっている。

私の?君の?

たぶん、二人とも。


三限目開始のチャイムが鳴った。

廊下にも、階段にも、もう私達しかいない。

くっつきすぎたか?ちょっと熱っぽい。だからといって離すつもりも毛頭ない。

それより、思考がまとまらない。なぜだ。

もう二階だ。階段を降りたらすぐ保健室になってしまう。

なにか、なにかもう一押……し――――

ヤバッ……と思ったときには遅かった。

演技でなく階段を踏み外した。

「危なッ……!」

私は、君もろとも階段を転げ落ちた。


一瞬気を失っていたらしい。

重さを感じて目を開けると、君が私の上に覆いかぶさっていた。

着衣とはいえ、ほぼ全身での密着。計算外だったけど、最後の一押しとしては十分だろう。

「大丈夫!?」

音に驚いたらしい養護教諭が飛び出してきた。

君はその声で状況を認識したようで、

「うあっ……と、ごめん!」

私から慌てて飛び退いた。もっとくっついてても全然いいのに。


私を先生に引き渡すと、君はすぐに音楽室へ向かってしまった。

顔がちょっと赤くなっているように見えたから、最後の一押しはそこそこ効いたらしい。

「貧血と、軽い脱水だね」

鉄分ゼリーとスポーツドリンクを持ってきて、先生は言った。

「これ飲んで、三限目の間だけでも横になってればだいぶ落ち着くと思うから」

そう言い残して、先生はちょっと用事があるからとどこかへ行ってしまった。

まだ少し頭がふらふらする。

言われたとおり、休んだほうが良さそうだった。



三限目が終わった。

「あ、佐藤! もう大丈夫?」

なぜか渡辺が来た。

「ほら、俺、保健委員だから。様子を見に、一応……」

「ご心配どーも。もう元気になったから。四限は普通に出るよ」

「手を貸したりは……」

「いらない」

いつの間にか戻っていた養護教諭に礼を言い、鉄分ゼリーとスポドリのゴミを捨てて保健室を出た。


教室に戻っても、私を心配してくれるような友達はいない。

きっと、仮病でサボっただけだと思われている。まあ半分事実だ。どうとでも言え。

君だけは、言葉にこそしなかったけど私に微笑んでくれた。

それで十分だ。


接近の糸口はなかなかつかめないもので、四限目の間も、手では機械的に板書を写しながら、頭はアプローチ方法を考えていた。当然、板書に動きがない間の目は君を追っている。

そのうち終わりのチャイムが鳴り、昼休みになった。


私は購買派だ。購買派といっても、パン獲得競争でごった返すカウンターには近づかず、隅の方にある自販機でエナジーバーとジュースを買うだけなのだが。

そのせいで、戻ってくる頃には私の席は群れたサッカー部連中に占拠されている。

一度、朝のうちにコンビニで買っておいたときには、わざわざ他クラスから来ているサッカー部員に邪魔そうな顔をされた。

自分のクラスで食えよ。


君がどうしているかと見てみれば、仲のいいらしい男子数人と一緒に弁当を食べているようだった。

その弁当……こないだまでは、親に作ってもらっているか、自分で作っているかだと思っていた。が、今にして思えば、弁当はあの女が作っている可能性がある。

とはいえ、確かめる方法がない。

クラスメイトたちがうじゃうじゃいるタイミングで私なんかが話しかけると、どうやっても目立つ。


君があの女に胃袋を掴まれているのであれば、厄介なことになる。

私は料理ができない。

もちろん、適当に買ってきた冷食を弁当箱に詰め込むことはできる。

それをお弁当と読んでも間違いではないだろう。

が、それは、お弁当ではあっても、断じて手料理ではない。

そのお弁当が美味しくても、それで君の胃袋を掴むのは冷食会社であって、私ではない。

そんな弁当であの女から君を奪えると考えるほど、私はバカではない。


君が食べている後ろをさりげなく通り、内容物を確認する。

冷食も混ざっているが、大半は手作りらしかった。


結局、聞くしかないのだ。

放課後、チャットを送った。

『お弁当美味しそうだったけど、誰が作ってるの?』

『奈々未』

やはりあの女か。

『無理しなくていいって言ってるんだけど、なんだかんだ毎朝作ってくれてる』

『いい彼女さんだね』

『ありがとう。自慢の彼女です』

心なしか、文面も嬉しそうだ。


はぁ……なにやってんだ私。

重要情報は手に入ったけど、それにしてもダメージが大きい。

君は、本当にあの女のことが好きらしい。


君とあの女の関係を知るごとに、私と同類の冴えない女だと思っていたあの女のハイスペックさが明らかになっている。

あの女を褒められた君は、自分が褒められたかのように嬉しそうだった。


もし仮に、私が君の彼女になったとして、君を今より幸せにできる自信が、ない。


とはいえそう簡単に諦められるものではなく。かといって策もなく。


策。

色仕掛けってのは、ある。最終手段だ。けど、その体にしても、あの女のほうが君にとって魅力的なんだろうな、などと考えてしまう。


部屋のクローゼットの扉には、姿見がついている。

前に立ってみる。


映る私は、お世辞にもスタイルが良いとは言えない。美少女とも言えない。

どうポジティブに言っても、せいぜい「ごく普通」より少し劣る程度でしかない。

思い返せば、コンビニで出会ったあの女の肌は、見えた範囲では私よりよほどなめらかだったように思う。


そもそも私自身、本当に最後まで、その…………するのは、まだ、怖い。

そこまでしても、君が私のものになる確約があるわけではないのだし。

そう、たとえば君とあの女がとっくにそういう段階に至っているなら、ただ私が痴態を晒すだけになってしまう。


それでも、もう一度、姿見を見た。


色仕掛けを実行するのは簡単だ。脱いで、撮って、送ればいい。

誘うようなメッセージを添えれば、もっといい。


だとして。

だとして、だ。

君が、それに飛びつくような人だとは思えない。

もし飛びついてしまうなら、それは、私が好きになった君ではない。

そんな君は、見たくない。


ボタンを外しかけていた手を、下ろす。


『明日、少し話したいことがあるから、放課後、駐輪場の一番奥に来て』

そんなメッセージを、君に送った。



放課後。

駐輪場に、君がいた。

今度は隠れない。呼び出したのは私だ。


君も私に気づいたようで、笑顔で小さく手を振った。

振り返して、歩く。距離が縮まる。

その一歩ごとに鼓動が加速する。落ち着け、私。

君も、私の緊張を察してか、右手のスマホをポケットにしまった。


「それで……話したいことって?」

気まずそうな、不思議そうな、それでいてだいたいわかってるような表情で、君は言った。


そう、こんなシチュエーションで言うことなんて、だいたい決まってる。

息を吸って、吐く。

これで終わりにするんだ。

最後まで、「君」なんて呼び方で誤魔化しちゃだめだ。


「高橋くん」

初めて名字で呼ばれて、高橋くんは少し驚いたようだった。

けれども、それは長続きしなかった。

「ずっと好きでした。付き合ってください」

続く言葉で、もっと驚いたからだ。


「待ってよ。だって、佐藤さんは!」

「知ってる。直接、紹介してもらったんだもん。だから……」

「……そっか。だったら、うん、わかった」


「ごめん、佐藤さん。付き合ってあげることは、できない」


知っていた。心構えはできていた。そう言ってもらうために、私はここに来たんだから。

なのに、どうしてだろう。

立っていられない。

頬を熱いものが伝う。泣いてるんだ、私。

「ごめん、ごめんね。でも、奈々未を裏切るなんてできないよ」

そう、それでいいの。高橋くんは、それで。


校舎に寄りかかって泣いていると、高橋くんの携帯が鳴った。

長い。通知じゃなくて着信だろう。たぶん、彼女さん。

私を気遣ってか、高橋くんは出ない。

「出てあげなよ」

高橋くんは申し訳無さそうに電話を取った。

なにか話している。内容はわからない。

しばらくして、高橋くんは再び申し訳無さそうに私を見た。

「行ってあげて。私はいいから。大切にしてあげて」

「ごめん……」

そう言い残して、高橋くんは行ってしまった。


残された私は、一人、駐輪場で泣いていた。


どれくらい経っただろうか。

「佐藤!?」

そんな声がして、私はやっと顔を上げた。渡辺だった。

「大丈夫か?なんでこんなところに?」

渡辺こそなんでこんなところに。

「いや、俺は部活終わって自転車取りに……」

もうそんな時間になっていたのか。

「じゃなくて!ほんとに大丈夫?立てるか?」

差し伸べられた渡辺の手を、私は、自分でも意外なほど素直に握り返していた。

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駐輪場に、君がいた。 木下ふぐすけ @torafugu

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