第15話 産みの親

 「ここは、どこ、だ……?」   


 目を開けると、俺の視界には真っ白な天井だけが映った。

 妙に重たい体を起こし、辺りを見渡すと、ここが病院の中なのだと分かった。

 

 俺の左腕には点滴のようなものが繋がれており、体を動かすことも一苦労だ。

 窓にかけられたカーテンの隙間から日の光が俺を照らし出す。

 

 その眩しさに思わず左手をかざし光を遮ろうとするが、点滴の針が刺さっているからか、肩から指先まで痛みが走る。

 

 「あら、起きましたか?」

 

 白い白衣を身に纏った看護師のような人がベッドの周りに掛けられていたカーテンの隙間からこちらを覗き込んでいる。


 「は、はい」


 事故の後、気を失っていたのか。

 

 白色の高級車が、大通りで何人もの人を撥ねたあの事故。

 俺があの事故に巻き込まれたのは2度目だ。

 

 「あの、優香ちゃんは?」

 「優香ちゃん?あぁ、田代優香さんですか、彼女は……」


 即死だったという。 

 

 前回と同じ。

 また何もできなかった。


 だが、前回と違うこともある。

 胸の中のズキズキやモヤモヤがとれない。

 

 前回は優香ちゃんの死に驚きはしたものの、所詮は他人だと割り切り、何も感じることはなかった。

 だが今回は、あの時こうしていれば、とか、あの時に戻れたら、など、後悔が残っている。

 思い出すと涙が出てくる。


 そもそもなぜ俺はこの世界に戻された?

 この世界に戻ってこなければこんな思いをすることは無かった。

 この世界に対する心残りなんて……


 心残りは一つある。

 

 産みの親、戸籍上の母親だ。

 あの世界に行くまで、人の愛というものを知らなかったので、母親の存在などどうでも良かった。

 だが、あの世界で家族が出来て"愛"というものを知った時、どうして母親があのような態度で俺を扱ったのか気になった。

 

 ただ単に俺のことが嫌いだったのか、それとも何か理由があって虐待をしたのか……。

 

 「あの、俺はもう退院してもいいですか?」

 「簡単な検査をして異常が無ければいいですよ」


 検査の結果、俺の体には特に異常はなかった。

 

 事故のショックで気を失っていたのだろう。

 とりあえず病院を出ることができた。

 

 この世界で俺がしたい事はただ一つ。

 俺を産んだ母親に会いに行く事だ。

 

 どこにいるかも、名前すらも分からない。

 

 警察には頼めないな。

 自分で探すか……


 そう途方に暮れながら歩いていると、視界のはじに、ある看板が映った。


 〔小坂部探偵事務所〕


 探偵って、人探しもしてくれるんだったよな。

 

 看板に書いてある住所を調べ足を運ぶ。


 「すみませーん、依頼したいんですけど」


 「おー!久しぶりの依頼ですよぉ?父さん!」


 扉を開けて挨拶をすると、高校生くらいの女の子と中年の男性がソファーでくつろいでいた。


 「ほらほら、こちらに座ってくださぁい!」

 「は、はい」


 元気な女の子だな、と思いつつソファーに腰掛ける。

 中年男性は奥のソファーに座っており、こちらと目も合わせない。

 

 「依頼とはどんなですかぁ?」

 「えっと、話すと長くなるんだけど、簡単にまとめると、母親を探したい」

 「なるほっどぉ、人探しですねぇ?私の得意分野なのですぅ!詳しく聞かせてくださぁい!」

 「はい、では順を追って説明します……」


 俺は小さい頃に虐待を受けており、高校生の頃に母親が行方不明になった事、ある事がきっかけで母親に会いたくなったことを説明した。


 「わかりましたぁ!15年も前に行方不明となるとぉ、大変ですなぁ!1時間待っててくださぁい!」

 

 少女はそれだけ言いパソコンに向き合った。


 きっかり一時間後……


 「あなたの母親ぁ、名前は山田涼子さんですねぇ、宮城県でぇ、えーっと、海沿いの小さなカフェを営業してますよぉ!」


 少女は母親の名前と住所を把握したようだ。


 これは予想外すぎる。

 どんな探偵でもこんなに早く、依頼はこなせないだろう。

 ましてや1時間でこんな正確な情報を入手できるなんて……


 「君、何者?」

 「小坂部探偵事務所の古町こまちと申しますですぅ」

 「本当にありがとう!」

 「はぁーい、代金はそこに置いていってくださぁい」


 少女が指差した方にはたくさんのお札が入っている段ボールがあった。


 「あの、いくら?」

 「あなたの気持ち分でいいですよぉ〜」


 俺は母親のいる宮城に行けるだけのお金を残して財布の中身を全て段ボールに入れた。

 

 「こんないいですかぁ?」

 「うん、本当はもっと払いたいくらいだよ」

 「毎度ありぃ」


 探偵の少女と別れ、宮城行きの新幹線に乗った。

 1時間半程で着くらしい。

 それまでに、心の準備をしておかなければ。


 宮城まではあっという間だった。

 新幹線に乗っている間の事は緊張で何も覚えていない。

 

 探偵の少女が教えてくれた住所までは、駅から20分ほどかかった。

 海の見えるカフェテラス。

 

 こ、ここに母親が、いるのか?

 

 見た感じまだ店は開いておらず、お客さんもいない。

 店の前まで行き、〔close〕と書いてある看板を見つめる。

 扉の上にはデカデカと【clash cafe】と書いてある。

 

 「あの、今日はお休みですよ」

 

 後ろから女性の声が聞こえた。

 振り返るとそこには……


 このカフェで使うであろうお皿を何枚か持った母親がいた……

 

 もう何年も前に忘れたはずの母の顔。


 だが瞬間、この人が母親なのだと分かった。

 

 「……。」

 「あの、お客さん?大丈夫ですか?」


 母の姿を見た瞬間、過去の記憶が蘇る。

 手足は震え、体の芯から寒気がする。

 

 「やっぱり……お、覚えてない?」


 そう、母に一言問いかける。


 「すいません、分かりません。以前来たお客さんですか?」

 「いや、ここに来るのは初めてだよ」


 母はキョトンとした顔で首を傾げる。

 何年も前に捨てた息子の顔なんて覚えているはずもないか。

 

 「俺の名前、山田闇亜種って言います」


 俺がそう言った瞬間、母が手に持っていたお皿を落とした。


 パリンっと割れて地面散らかったお皿を気にも止めず、母がこちらへ駆け寄ってくる。


 「えっ、本当に闇亜種なの……?」


 「久しぶり」


 今更、憎しみや復讐心なんてものは湧いてこない。

 にこりと微笑みながらそう言うと、


 「うん、生きててよかった……」

 

 と、俺を抱きしめた。

 

 また、暴力を振るわれるかとも覚悟していた俺だが、予想外の行動に思わず戸惑ってしまう。


 この世界で母親に抱きしめられたのは初めてだ。


 名前を呼ばれたのも初めてだ。


 「あぁ、ごめんなさい。私に抱きつかれても……嫌なだけよね、あんな酷いことをしておいて……」


 「いや、いいんだ。俺、今、凄く幸せだし」


 これは事実だ。


 これまでの経験があったから、あっちの世界でも何気ない愛情にここまで喜びを感じられる。

 

 「俺さ、母さんに虐待されてた時、何度も死にたいって思ったよ、この家から逃げ出したい、母親から離れたいって……、でも今は、なんていうか、割と感謝してるんだ。あの経験があったから、些細なことに幸せを感じられる」

 

 母の目を真っ直ぐと見据え、微笑みながらそう言うと、母はその場で膝をついて嗚咽した。


 「ごめんなさい、ごめんなさい、闇亜種……」


 母が落ち着いたところで、カフェの中に入れてもらった。

 

 「こちら、当店自慢のコーヒーになります」


 「ありがとう」


 母の淹れたコーヒーは、なんだか身体の髄まで染み渡るような暖かさがあり、芳醇な香りがした。


 「美味しい」


 「よかった」


 決して目線を合わせる事はなく、会話もぎこちない。


 チラッと母の顔を見ると、当時目の下にこびり付いていたクマは消えており、少し若返っているようにすら見えた。

 

 「ねぇ、聞いてもいい?

 どうして虐待したのか」


 「えっ?ええ、うん」


 母は罪悪感に押し潰されそうな顔で下を向く。


 こんな顔ができるのに、どうして虐待なんかしたのだろう。気になる。


 「本当に、ごめんなさい……」


 「俺が求めてるのは謝罪じゃい。理由が聞きたいんだけど……」


 今更謝罪されても、どうすればいいか分からず困る。


 「最初はね、あなたが赤ん坊の頃、泣いたら泣き止まなくて、近所から苦情が入ったのがきっかけだったわ。その時、あなたのお父さんが会社をクビになって荒れていて、そのストレスで思わずあなたに手を挙げてしまったの……」


 そんなことがあったのか……


 「あなたが物心ついた時にはあなたは感情を表に出す事はなくて、殴っても何の抵抗もしなかった。だから、どんどんエスカレートしてしまってあなたを……虐待してしまったの……」


 そうなんだ……


 「あなたが10歳くらいの時からはあなたの顔つきがお父さんに似てきて、あの男を思い出して、また殴ってしまったの。あなたの瞳が希望を失って犯罪を犯し続けたお父さんの瞳に見えてしまって……ごめんなさい……もう虐待したくないって思い続けていたら、いつのまにかこの土地に辿り着いてたの。ずっと、あなたに会いたかったけど、会いに行く資格も無いし、勇気も無くて……」


 「もういいよ……」


 母の顔が後悔と絶望の様子に変わっていき、息も荒くなっていったので、一旦話すのをやめさせる。


 ずっと理由も分からず虐待されてきたが、初めてその理由を聞けた。


 「それと、闇亜種って名前なんだけど……」


 「それは私がつけたの……ごめんなさい、その名前のせいで辛いこともあったでしょう」

 「辛いこともあったけど、今はこの名前が誇らしいよ!だから、ありがとう!」


 あっちの世界で母さんや父さん、リューや村のみんなに「クラッシュ」と呼ばれるたびに心地よさを感じる。

 だから、今はこの名前が好きだ。


 「あなた、そんな表情ができるようになったのね」

 「えっ?」


 そう言った母の顔は、どこか安心したような印象を与えた。


 この30年間以上、ずっと心の奥底に眠っていた疑問とトラウマ……

 それらが取り除かれたのが分かった。


 自分でも不思議だが、この母を恨むという気持ちは微塵も湧いてこない。

 成長したのかな、俺。


 その瞬間、眠気が唐突に俺を襲う。

 瞼が自然と下がっていき、視界が狭まっていく。

 

 「眠たい……寝るね」

 「えっ、闇亜種?ここで?」

 「うん、おやすみ」


 俺は気を失ったように眠りについた。

 


 

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他人に無関心なサラリーマンが異世界転生して他人を守る〜愛は人を成長させるらしい〜 けーすけ @keisuke0506

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