願わくば、

成瀬七瀬

 

 性癖ってのはそれこそ人間の数だけある。ロリコンや熟女好き、コスプレやSM。死姦趣味や快楽殺人。少し考えただけでもこれだけ浮かぶのだから、内輪での微妙な差異まで含めればきっと誰でも変態的な嗜好に当てはめられるんじゃないか。世の中物好きばかりだ。それに気付いたのは中学の頃で、俺は何となく安心したのを覚えている。


 そんなわけで俺はその『物好き』の一人だった。首を絞められながらでないとオルガスムスに達することが出来ない、正常とは言い難い性癖。俺の場合は特に好きな奴じゃなきゃ嫌という事も無く相手にこだわることは無かったが、『首を絞めてくれ』と持ちかけて、ひかない女は今のところいなかった。




 付き合った女にはだいたいそれで振られる。異常だとか変態だとか散々言われたけど、まあ実際そうなんだから仕方ない。


 それならプロ相手に発散だとばかりにSM系の風俗に行った経験もあった。本気で絞めてくれと言って麻紐を渡したら、気の強そうなS嬢は何も言わずに奥に引っ込んだ後に、経営者らしき怖い男を連れて来た。二、三人殺したことの有りそうな迫力の男に「あんたが死んだらうちの店が迷惑する」と説教されながら、俺は彼の手を見つめて(こういう手に絞められるのも良さそうだ)と考えていたのを覚えている。




 こんな俺だが、性癖以外はそれほど異常では無いので人並みに恋愛だって出来る。現在だって付き合っている女性がいた。性格に惚れ込んだ俺の方から彼女に告白してから、そろそろ半年ほどになるだろうか。


 半年の間、俺は彼女とセックスしていない。というか首を絞められなければ完全に勃起することさえ難しいのだから彼女を誘うことすら無理だった。しかし半年という期間、全くセックスのセの字も匂わせないのは今までの経験からして非常にまずい。最近彼女との仲もギクシャクしているような気がする。浮気でもしているのかとか、女としての魅力が無いのかとか言われそうな雰囲気を感じる。




 君を大事にしたい、とか嘘を吐けばいいのだろうが、俺は壊滅的に嘘を吐くのが下手くそな男だった。だから馬鹿正直に性癖を告白しては振られてきたわけだが、それより何より、俺だってセックスしたい。愛する彼女とやりたい。願わくば、白魚のような彼女の手で首を絞められながら射精したい。


 考えていると、まるで中学生のように頭が悶々としてくる。俺は彼女のことが大好きだ。思いやりに溢れていて優しい彼女を愛している。単に首を絞められるだけなら相手は男だろうが猿だろうがこだわりはないしオルガスムスにだって達せるだろうが、俺は『彼女』と『セックス』がしたい。欲を言えば首を絞めてもらいたい。彼女を愛しているからだ。




 そういう欲求が高まりきって爆発しそうになり、遂に俺は打ち明けた。首を絞められなければセックスがまともに出来ないのだと、打ち明けた。




 彼女は最初は笑った。突飛すぎて悪い冗談と思ったのだろう、今までの恋人と同じ反応だ。しかし表情を崩さない俺の顔を見て、徐々に笑顔が固まっていき、やがて眉を顰める。これも何回も見てきた反応だった。




 そんな彼女の可愛らしい顔を眺めながら俺は考える。次に彼女の唇が動く時は、どんな言葉が飛び出るのだろうか。




 無意識に膨らむ想像を止められない。『気持ち悪い』……こう言われたら、何の釈明も出来ないな。『変態じゃないの』……紛うことなく俺は変態なんだ。『そんな人とは思わなかった』……ああ、想像の中の彼女の瞳には軽蔑の色が浮かんでいる。


 うん。どれもこれも、こんな俺には相応しい罵倒だ。




「……わかったわ」


「……は?」


 想像の中に入り込んできた現実の声を、俺は一瞬理解出来なかった。脳味噌が理解するのを拒んだような気さえする。




「そんな事……できるかわからないけど、あなたが望むんなら、私一生懸命やってみる」


 何故か涙をうっすら浮かべながら、慈愛の微笑みに似た表情で言う彼女を俺は呆然と見つめるしかなかった。何を言っているんだろう。変態と罵られても仕方ない願望を彼女に話したつもりだ。それなのに何故、こんなにあっさりと了承するのだろう。




 彼女の白魚のような美しい手を見る。不思議なことに、絞められたいという欲求は全く湧いてこなかった。これまでだったら自分の性癖を打ち明けてからの別れ話の最中、罵られながらでも欲求は高まるばかりだったのに。汚物を見るような瞳で罵倒されながらでも絞められたいと興奮し、むしろ軽く陰茎を固くさえしていたのに。




 あ、と不意に悟った。


 俺が今までの恋人に性癖を打ち明け続けたのは馬鹿正直だったからではないんじゃないか。自分の変態的な性癖を、愛する恋人に告白し、軽蔑し罵倒され、その最中で『首を絞められる自分』を妄想することによって最も興奮出来るのだと知らず知らずのうちに理解していたからだ。




 冷え切った頭と、萎えたままの陰茎が何よりの証拠だろう。俺は受け入れられては駄目なのか。双方の愛情の上で、死を予感させる首絞めなんて楽しめるのかどうか怪しい上に、愛されながら首を絞められるなんてまっぴらだ、と自然に思える。


 目の前ではさっきまで愛していた女がじっと俺を見つめている。奇妙にも、秘密を共有している同好の士のような悪戯ぽい笑みを浮かべていた。




「私、あなたの首を絞めてみるわ。貴方のこと……愛してるから」








 その日、俺は人生で初めて自分から女を振った。


 願わくば、嫌悪感と拒絶のあまり俺の首を絞めてしまうような女と出会う運命があることを神に祈りながら。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

願わくば、 成瀬七瀬 @narusenanase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る