〈後編〉
野球の試合の前に、その洋館を見た時、そんな昔の思い出が一気に蘇ってきた。
でも思い出に耽っている場合ではない。今日は、シーズン最後の試合の日なんだから。
秋晴れの中、試合はスタートした。僕のポジションはレフト。ボールが来ない時は暇で、空を見上げてる時もある。ああ、もうトンボの季節なんだな、とか。トンボは英語でドラゴンフライって習ったな、とか。普段記憶力には自信ないけど、意外と強そうな名前だったので憶えていた。
隣の校区のチームと僕達のチームは、どちらもピッチャーの好投で、ゼロ対ゼロのまま、試合は進んでいった。それも七回のオモテまで。七回のウラで、リョウヤがツーベースヒットを打って、次の打席に入ったミナトはフォアボール。そして次にチームのキャプテンがヒットを打つと、相手のエラーと重なり、二点が入った。そしてその二点を守ったまま、ゲームは九回のオモテの相手の攻撃へ。ツーアウトとなり、センターを守っていた僕は、はぁっと息を吐く。今日は特に目立ったプレイも出来なかったな、と少し悔しい。今日で僕達のシーズンは終わるというのに。
そう思った瞬間、僕の見せ場がやってきた。
相手チームの四番打者が打った球が高く上がった。センターフライだ。僕は高く腕を伸ばした。
……はずなのに。グラブにガシッとおさまる音を予測していたはずなのに。高く上がった球は見えなくなった。まさかホームラン? 何て事だろう。しかも後ろの洋館の柵を超え、体育館の窓を割ったらしい。
「オレ、ボール探しに行くから」
そんな声をかけたのは、昔、秘密の入り口を見つけていたからだ。なぜか今もあの体育館の窓は開いたままという予感がしていた。そしてその 通りだった。
僕は、ガランとした体育館の中で、難なくボールを見つけ、帰ろうとした。途端、どうせならあの豪華な部屋をもう一度、この目で見たくなった。
そして以前と同じ通路を通り、あの部屋の前にたどり着き、ドアを開けてみると……。
そこには以前と変わらない風景が広がっていた。ただ一つ違うのは、フカフカの椅子の上には、やせっぽちの女の子が今にも泣きそうな顔をして座っている事だ。小学校低学年みたいだけど、この季節に、薄いヒラヒラのワンピースを着ている。袖は提灯袖と言われる、優雅に膨らんだ形で、透き通るような薄緑色。初めは女の子かと思ったけど、見方次第では男の子にも見えるような子だ。
僕はい誰もいないと思った建物の中に人を見つけ、とても驚いていた。なのに割と冷静にその子に話しかけていた。
「何してるん? ひとり?」
その子は、僕に気が付き、涙ながらに答えた。
「わたくしは家族と共にいましたが、今はひとりきりです。わたくし達家族はこの地でずっと栄えていましたのに、今は悪い者に、出口に罠を仕かけられ、外へ出る事もできません」
その話し方は、すこく変わっていて、子どもっぽくないし、古い映画か何かを見ている気がした。
「閉じ込められてるって事?」
その子は、コクンとうなずき、窓の方をそのヒラヒラした袖で示した。
その窓ガラスは半分割れて空が見えていた。そしてその窓は巨大な蜘蛛の巣で覆われていた。
「あれが怖いのか。大丈夫……」
僕は、
「ほら、もう怖くないだろ?」
「本当にありがとう」
「でもここから出るのは危険だよ。いくら山の斜面に作られてるとは言っても、地面まで二メートルはあるし。 大丈夫。僕は出口を知ってっから」
僕は、自分の入って来た秘密の通路を案内しようと、その子に、「さあ、ついて来て」と言った。でも次の瞬間、後ろを振り返ると、もうヒラヒラ袖の子はいなかった。その代わり、透き通った羽根のトンボが一匹、さっき蜘蛛の巣を取り払った窓から飛んでいくのが見えた。
僕はなぜか、あの子は助かったんだと判った。
***
気が付くと僕は地面に、倒れていた。僕の周りを、仲間が、いや仲間だけでなく相手チームの選手達も心配し、覗き込んでいる。リョウヤは、スマホを持っているので、家に連絡をしているようだった。
「どうしたん?」僕が訊くと、周りから「やっと目を覚ました」と歓声があがった。
リョウヤが説明した。
「覚えとらんの? おまえ、九回裏に最後のバッターのセンターフライをキャッチした時、後退りしていて、後ろの柵に思い切りぶつかったんだ。そして倒れたまましばらく動かなかったんだぞ」
「ウソ……。それで……」
僕は、誰か子どもが、あの洋館から出ていくのを見なかったか、聞こうと思ったけど、止めて、その代わり、「試合には勝った?」と訊いた。
「ああ、勝ったさ。おまえ、しっかりボールをキャッチしたまま倒れてたんだから」
僕はヘンテコなヒーローだった。そしてヘンテコな夢。
あれは本当に夢だったのか。なぜなら、手に少し触れた蜘蛛の巣の感覚が残っているから。
そして自分の助けたあの子は誰だったんだろう。あの洋館に入り込んだままクモに怯えていたトンボかな? それとも怖がりだった昔の自分なのかもしれない。
昔の自分は、今いる場所から跳び出す勇気も、窓に張り巡らされた「蜘蛛の巣」について、誰かに知らせる決断力もなかったし。
僕はふっと、あのボス的な男子に来年のお盆に、もし会う事があったら、声をかけてみようと思った。今更だけど。
秋晴れだった空は、今では夕焼けのオレンジ色に染まりかけていて、風が少しヒンヤリする。
こうして、今日僕達のシーズンは終わった。次はどんなシーズンになるんだろう?
〈Fin〉
城趾 秋色 @autumn-hue
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