因習が終わるとき

生贄の因習が歪められたまがい物なら、土地神の存在すらまがい物。

だとしたらその時に起こった天変地異もまた、歪みによって生じたまがい物であっても、何らおかしくはない。

座敷牢のある土蔵を出た私の前には、それを証明するように垂直に切り立った崖。その眼下に広がる海は水平線の彼方まで広がっていた。


「本当なら、この先にも陸地が広がっていたはずなんだけどね」

私の後から土蔵を出てきた土地神が海の方を指さしながら話した。


土地神曰く、半世紀前の新月の嵐の夜。たまたま2つの世界の位相が重なり合ったとき、転移したのは土地神と祖母だけではなかった。


「ざっと海岸線から数キロ。面積にして500ヘクタール近い土地がこの世界から切り離され、君たちの世界に行ってしまった。村の海岸線の東で隆起したと言われている新たな土地の正体は、こっちの世界の陸地さ」


本来、こっちの世界の切り立った崖の先にはまだまだ土地が広がっていたが、それらの土地がまるごと転移に巻き込まれたのだ。それが村の発展の礎となった土地隆起の正体だった。


「……というか、ナチュラルに外に出てきてるけどいいの? 座敷牢の中にいなくて」

一連の顛末を説明してくれるのはいいが、自力で座敷牢から出られるとか聞いてないのだが。

「こっちの世界なら誰にも見られても問題ないでしょ。それに今夜しかできないことだから」

「……半世紀前と同じ、2つの世界の位相がつながる夜だから?」

「そう」


土地神が見上げる夜空には、白と紅の光を放つ、2つの満月が浮かんでいる。この時点でここは地球であるはずがなく、異世界と認めざるを得ない。

月だけでなく、私の知っていそうな星座も、夜空の星々には見つけられないし。


「君たちの世界では新月で、こっちの世界では2つの満月が同時に空に上るとき、2つの世界の位相が最も近づく。座敷牢という「位相の狭間」を通じて世界を行き来できるのは、そのときだけだ」


ちなみに土地神の言う「その時」が訪れたのは、私がこの因習の真実を聞かされてから1か月後。新月の夜になった今夜。ちなみに予報外れの嵐が村の周囲にだけ吹き荒れていた。まさに半世紀前と同じ状況が再現されたのだ。


「まあ、君らの世界では「ゲリラ豪雨」とかで片づけられるんだろうけど、村で起きてる嵐は、位相の乱れによるものさ」


そしてその機に乗じて、私は土地神がもといた「異世界」を訪れている。


かの土蔵と座敷牢は、私たちのいる世界と、この世界との狭間に存在する。

座敷牢の格子が2つの世界を隔てる境目となっており、私は土地神のいる牢の中に「入る」ことで、こっちの世界に「出る」ことができたのだ。土地神に導かれるまま、土蔵を出た私はこの異世界へと足を踏み入れた。


「ただ、位相が重なるたびに土地が動いたりしたらまずい。俺はいっちゃんに頼んで「土蔵」と「座敷牢」という目印を作ってもらい、さらに魔法でもって、その場所を位相の接触点とした。そうすることで今度位相が近づいたら、そこを中心にして安全に世界をつなげられるように」

「アンタにそんなことできるの?」

「俺は土地神じゃあないけど、人外ではある。前にも言ったろ?」

「……ま、今更か。そしてお祖母ちゃんはこっちの世界側にある座敷牢から「文飛ばし」の魔道具で、アンタ達に近況を伝えてた、と」


土地神は頷きで返した。


「結果として、ある意味事故に近い偶然で手に入った広い土地を、いっちゃんは上手く活用した。おかげで村は大繁栄。俺ものんびりと2つの世界の境界を監視してれば衣食住が全部ついてくる生活にありつけてる」


それに老人たちは村長と土地神を怖がって何も言い出さない。村から生贄が出ることももうないだろう。


「そういうこと。俺達の目論見は見事にあたりを引いたわけだ」


あたりと言いいつつ、この土地神の男が得るものは何も無いように私には思えたのだが、土地神は「いっちゃん含めて昔を知ってる連中がみんなくたばった後なら、俺が座敷牢からいなくなっても誰も困らないだろ?」とけろりとした顔で言ってのけた。あと半世紀もかからない、と。


「そうなれば『土地神が監禁されているとずっと信じられてきた土蔵の座敷牢は、実はもぬけの殻でした』……なんてありがちなオチでこの因習は締めくくられる。それまでのしばらくの間、座敷牢の中でのんびりさせてもらうよ」


「しばらくの間、ねえ……」


きっと悠久の時を生きるこの不老の人外にとって、短命な人間の因習など「面白そう」程度で付き合ったものなのかもしれない。それが存外にウィンウィンな結果をもたらしただけで。


「そうすると、この一件で相対的に一番得をしたのは村長さんってことになるのかしら」


祖母は生贄という最悪の状況を、異世界へ渡って逃れたに過ぎない。

土地神にとって今の状況は悪くはないが、といって大したものでもない。

言い方はアレだが、半世紀にわたって村を牛耳ってきた村長が、この因習にまつわる一件で一番得をしたといえる。


「……どうだろうね。いっちゃんからしたら、一番大切なものが悉く自分の手元から消えてる気がするけど」


災害や土地神を利用してでも祖母を異世界に逃がして生贄から解放したかった。それは事実だろうけど、結果的に守ろうとした祖母には二度と会えなくなったわけだから、と。


「そして残された忘れ形見の一人娘も、村に嫌気がさしていなくなってしまった」


村にいる間、母親は特に不自由なく生活できていたらしい。けれども実の母親が失踪し、他の村人からは生贄の娘で腫物扱い。

村長が保護していたとしても、あの村は母にとって居心地がいいとはとても言えないだろう。私だって同じことを考えるはずだ。


いや、実際私は今、同じことを考えているのだ。


「……そして孫娘もまた、村に戻ってくるなり、去って行こうとしている」

土地神が私の方を見据えた。懐かしい者でも見るかのように。


「本当に行くんだね?」

「あんたも村長も言ったじゃないの」


―― 生贄の真実は、生贄にしか教えられない ——


結局、祖母の本心を知りたければ、私も異世界に渡り、祖母に直接問いただすしかない。それが、私が出した結論だった。


「理由はどうあれ、おばあちゃんは残された私の母さんのことを一切顧みずに異世界に渡った。私はそれを、はいそうですかとは受け止めたくないのよ」


祖母にとって、もといた世界が気に留めることのない、どうでもいいものだったとしたら。私の母も、私自身も、どうでもいいものになってしまう気がしたから。


「自分のルーツをたどった結果、自分が望まれない存在でしたで終わらせるなんて、私は納得できない。私の価値は、私が証明して見せるわ。こっちの世界で」


既に私には父も母もいない。そんな世界で祖母の本心も分からず一人で悶々とするくらいなら。私もこの世界に渡って確かめる。土地神がよこした本の内容と時系列が事実なら、祖母はまだこの世界のどこかで暮らしているはず。とっつかまえて教えてやるのだ。


貴方の孫がここにいる、と

貴方に会うためにここに来た、と

勝手に孤独になるな。

勝手に全てを捨てたつもりでいるな

残された私を放っておくな


私は貴方にとって、捨て去っていいような、どうでもいいものじゃない、たった一人の肉親なんだと答えるために。。


「自分の価値は自分の力で見出す……か。孫は祖母以上にたくましい」

「なんかバカにしてない?」

「俺には理解できんもの。安定した生活を放ってわざわざ異世界に冒険に出かけます、なんて。まして君のお祖母ちゃんみたく必要に迫られたわけでもなく、君の母さんのように元のいた場所に嫌気がさしたわけでもない。単純に自分自身のためだろう?」

「自分自身のためだからこそ、よ。アンタがアンタのやりたいように座敷牢に留まるのと同じ。私は私のやりたいことのために異世界へ渡る」

「……そういうもんか」

「そういうものなのよ」


言い終わると、どちらからともなく笑い出してしまった。

だがこれでいい。私はそう思った。人外と人間が相容れるわけないのである。


「……さて、そろそろ時間だ。こちらの嵐が止んでる以上、もうすぐ位相は離れるだろう」

「オーケー。縁が合ったらまた会いましょ。次は座敷牢の外で」

「……ああ」


彼の返事と同時に、私は回れ右をして駆け出した。きっと祖母は遥か彼方だ。私は走らないと追いつけないだろうから。振り返ることはしなかった。


恐らく翌朝の新聞には、新月の夜の嵐に一人の女性が行方不明になったという記事が載るのだろう。生贄の孫娘、なんて言葉も書き立てられるかもしれない。歪められた因習はこれからも続いていくはずだ。土地神が座敷牢にいる限り。


―― 生贄の真実は、生贄にしか教えられない ——


そう、因習はまだ続いているのだ。今の私はまだ生贄の孫娘でしかないのだから。

因習がまがい物と分かってなお、因習のせいで自分の価値を否定されている。

だから私自身が祖母に会って、彼女に私自身の価値を、生贄以外の価値を、認めさせるのだ。

祖母が生贄から解放されたように、私もこの異世界で「生贄の孫娘」ではない何かを掴み取る。


向こうの世界の因習は、やがて終わりを迎えるだろうと土地神は言っていた。でも私にとっての因習は、私が終わらせなければならないのだ。この世界で。


真上にあったはずの2つの月は、上天から徐々に傾き始めていた。

後ろには、切り立った崖に打ち寄せる波の音以外に聞こえるものはない。

土蔵も座敷牢も静寂に戻り、そこには誰もいない。

私は振り返ることはしなかった。私が手にすべきものは常に、私の前にあるのだから。

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因習が終わるとき 風車(りっぷる) @huusya43

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