因習が変わるとき

土地神と呼ばれることになるその男は、半世紀前に異世界からやってきた。


今から半世紀前、この世界と土地神のいた異世界の位相が接触し、一時的に2つの世界が繋がってしまう事件が起こった。


「この世界では嵐と地震で片付けられたようだけど、真相はそれさ」


位相が接触した場所……村の土蔵があるこの場所がまさにゲートの役目を果たし、一時的にふたつの世界が行き来できてしまう状態になった。時間にして数時間程度の出来事で、その後ふたつの世界は再び離れ離れになったが。


偶然にも時を同じくしてこちらの世界では、一人の若い娘が村の因習に従って生贄として海に投げ出されようとしていた。村娘と親しかった一人の青年が立ち会う中、生贄の儀式が決行されようとするまさにその場所に、土地神はゲートを通って現れた。


「君のお祖母ちゃんも、いっちゃんも、目の前で起こった出来事と俺のことを理解してくれた。俺もまた、彼女達の置かれた状況を認識した。その上で一計を案じた」


生贄にされた祖母は、土地神のいた異世界へと渡った。表向きは生贄にされたという体を装って。

逆に土地神はこちらの世界に留まった。自分はこの村の因習にある土地神だ。生贄を受けて顕現したのだと偽って。

そしていっちゃん……若かれし頃の村長は、生贄を用いた土地神の顕現という一大イベントに立ち会い、土地神の承認を得た唯一の存在として村の実権を手にし、村の因習を作り替えた。


「ふたつの世界が繋がってしまった場所にこの土蔵と座敷牢を設けたのも村長……いっちゃんが指示したことだね。新たな因習の下地を作るために」


その後、村の発展とともに当時を知る者は少なくなり、作り替えられた因習はそのまま昔からのものとして納得された……私がこの村に来るまでは。


「あまりにもぶっ飛びすぎててツッコミが追いつかないけど……」

「どうしても信用ならないなら、君を異世界に案内してやるけど」

「できるの?」

「条件さえ整えばね。それで不用意に誰かが異世界に行ったりしないように、この土蔵の周囲は厳重に立ち入り禁止なんだよ」


筋は通っている。というか実際問題として村で語り継がれている因習には違和感があるし、その違和感を払しょくするには目の前の土地神がトンデモな存在でなければならないし、祖母の行方不明にも説明がつかないといけないわけで。


「……でもなんで当時の村の人達は、でっち上げられた因習を容易く信用したのかしらね」

「土地神の所以を考えれば無理もないんじゃないか。半世紀前に起こった出来事で物理的に一番大きいのは、生贄でも俺でもないだろ?」


そこまで言われて、私は極めてシンプルかつ物理的な事実に今まで触れてこなかったことに気づいた。

「……海退と土地の隆起を、土地神と結び付けた……」

「そ。生贄と土地神を名乗る男の登場と前後して自然現象が起こったら、普通は因果関係を結びつける。いっちゃんが利用したのはそこだった。村に新たな土地が生まれた。土地神様の神徳だってね」


因習なんてのは元をただせば、自分達じゃ説明のつかない出来事への辻褄合わせだよ、と土地神は語った。いや土地神が語ってしまっていいのかそれ、と思わず心の中で突っ込んでしまったが。


「ましてあの当時は昔からの生贄の因習が信じられてた。だから辻褄が合っていれば俺が土地神だと納得したわけだ……だが、それも半世紀前の話」


くだんの土地の隆起はレアケースの自然現象ということで説明がついている。でも、今更土地神が胡散臭くなったとして、そのことを追求すれば、芋づる式に生贄の因習が行われたという事実も明るみに出る。古い村人たちはそれを恐れたのだろう。

村が裕福で開明的になった今では、迷信を真に受けて若い村娘を生贄にして殺しました、なんて事実は村の汚点でしかない。自分達が集団リンチに見て見ぬふりをしていたと、子や孫に自白することになる。


「裕福な暮らしが彼らを臆病にさせた。真相がバレれば豊かな生活に支障が出ると思った古株の村民達は、互いを人質にとるような形で、外部の者へ因習や土地神について語ることをしなくなり、なし崩し的に土地神の信仰を黙認した」


村の老人たちは生贄の因習も、土地神が不老不死の人外ということも、今でも信じているのかもしれない。だが時代の流れはそれを許さないし、自分たちの黒歴史を不用意に打ち明けることもできなくなり、余計に因習の真実は外から見えにくくなった。


「ましてや当事者の孫娘相手に村人が自分から何かを語るなんてまずない。生贄の孫娘と恐れることはあってもね」


だからこそ、私をこの土蔵に案内したのは村長だけだった。裏を返せば、私を相手に真正面から話してくれるのは、全ての実情を知っているからともいえるか。


「そして半世紀前の出来事を知らない若い世代は、そもそも因習なんて迷信として信じてないから突き止めようともしないし、老人ばかりで働き口のない村からは出ていってしまう。かくしてアンタッチャブルな土地神伝説の完成だ。老人たちが墓場に言った時点で自然消滅してくれるというおまけつきさ」


「うまくやったもんね。全部村長の計画通りってわけか。でも……」

因習と土地神の真相はそうだとして、ただ、最初の疑問は一向に解消されていない。

「じゃあ結局お祖母ちゃんの行方は? 異世界へ渡ったと言ったけど」


そもそもの私の目的はこっちだったはずだ


「……まあ、これを見てもらった方が早いかな」


言いながら土地神は、一冊の古めかしい装丁の本を牢獄越しに私によこした。


表紙には漢字でもアルファベットでもイスラム文字でもない、知らない文字の羅列。

「……アンタのいた世界の本?」

「まぁ開いてみれば分かる」

私の質問には答えない土地神に促されて恐る恐る本のページを開くと、出てきた白紙のページが一瞬だけ光を発し、次いで文字が浮かび上がる。


炙り出しでも立体映像でもないことは、見てる私でも理解できた。更に文字を読み上げる声が私の頭に直接響いてくる


「これは……魔法……!?」

「さっき話した通り、2つの世界の間を人が通ることはできないけど、簡単な魔法を通すことくらいはできる。君等の世界でいうところの電話とかメールみたいなもんだね」


本のページをめくる度、浮かび上がる文字を読み上げ、話しかけてきた。


―― 『文飛ばし』の魔道具を手に入れたわ。これで動きできないアンタに代わって、私がこっちのことを伝えてあげられる。それと、いっちゃんには私の無事をちゃんと伝えておいてね ——


それは私の母親によく似た、女性の声だった。

本を読み進めると、その女性の声は様々なことを話した。


土地神がいたという異世界の様々な場所。

こっちの世界にはいるはずもない不思議な生き物。

そこに暮らす人々、魔法のような力を持つ不思議な道具。

土地神と同じように何十年も老いることのない長命な種族との出会い。


お伽噺から持ち出してきたかのような出来事の数々が綴られ、それを語る「彼女」の声は、新しいものを発見する喜びに満ちていた。


そして本の最後はこう締めくくられた。


―― 残念だけど、私からの定期連絡はここまで。私は別の大陸に旅に出るから。アンタはせいぜいいっちゃんをしっかりサポートして、不労所得を謳歌なさい ――


「信じる信じないは別として。俺から出せるもの、話せることはここまでだね……納得できたかい?」


「……ひどい話だわ」

本の中から聞こえていた声がページをめくるごとに明るくなるのと対照的に、私は読み進めるにつれて心が重くなっていくのを感じていた。


「酷い?」


怪訝な顔をする土地神に対し、私は自分の心の中に渦巻く感情を、咀嚼しつつゆっくりと言葉にして連ねていく

「この本に書かれてたのは……お祖母ちゃんがこの魔道具だかで言い残したのは……自分のことと、あんたのことと、そして村長のことだけじゃない」


この本では、実の娘である私の母のことについて、全く触れられていなかったのだ。


「自分が異世界に行った一方で、3歳の娘が孤児としてこっちの世界に取り残されてるのよ? なのに、この本であの人が語ってるのは、異世界であれを見た、これを見たって話ばかり」


まるで自分の娘のことを顧みもしない、というか意図的にその話題に触れていないようにさえ思える。


「祖母の手がかりを探してみたら、当の祖母はこの世界にも残された家族にも何の未練もなく異世界を謳歌してる。孫がいるだろうとも思わずに……納得いくはずないでしょ?」

残された者にとっての至極全うな不満。少なくとも私はそう思っていたが


「……君もなんとなく理由は分かってるんじゃないか?」

目を細めて土地神は一言だけ答えた。先ほどまでの微笑はない。

澄んだ瞳で私の心中をMRIか何かで探査するように、真っ直ぐ見据えられた。

「村にいた頃の君のお祖母さんの状態は、少し考えれば想像がつくだろう」

その瞳に促されるように、私は今まで目を背けていた事実を考察する必要を迫られた。


生贄にされた当時の祖母の年齢は、計算が正しければ18歳くらい。今の私より若い。つまり祖母は15~16そこそこで私の母を産んだことになる。一昔前でも若すぎる年齢だ。


さっき土地神と話した通りなら、土地神と村長がこんなことをする前から、村には生贄の因習自体は存在していた。因習に従って若い娘を生贄に出すことを躊躇わない、そんな閉鎖的な村で彼女がどういう扱いを受けていたのか。土地神が言いたいのはそういうことだろう。


ましてや古今東西、生贄といえば未婚の処女を選びそうなものだ。なのにわざわざ子持ちの女を生贄に選んだ挙句、旦那は「病死」ときている。


体のいい村八分の口実。疫病神の合法的な始末。

比喩でもなんでもない、体を傷つけないだけの集団リンチ。


「今の村に残ってる老人たちは、そうやって彼女を……君のお祖母さんを見殺しにすることに、何の異議もとなえなかった連中だよ。いっちゃんを除いてね。」


考えるだけで嫌なものがこみあげてくる。


あまり君の前で言うことじゃないだろうが、と前置きした上でさらに土地神は言葉を続ける。そこに先ほどまでの鷹揚な調子はない。

「彼女は何も言わなかったから想像するしかないが、君の母親も、望んで生まれてきたのかすら……」


「……もういいわ」

私はそう絞り出すように吐き出すのが精いっぱいだった。


「……まあ分かったとして、納得できるかは別の話だ。これ以上はいいっていうなら、俺は別に」

私は自分がどういう表情をしているか分からないが、私の顔を見やった土地神はそう言って話を打ち切った。


ただ最後に


「生贄のことを知りたければ、君も生贄になるしかないんじゃないか」


村長と同じ言葉を言い残した。

私は彼の言葉には何も返さず、座敷牢を後にした。

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