因習が終わるとき

風車(りっぷる)

因習が興るとき

このご時世「村」という行政区画が存続し続ける理由は両極端だ。つまり「周辺自治体が合併を躊躇うほど貧しい」か「村だけでやっていけているほど豊か」か。


日本有数の大都市圏にほど近い、海に面したこの農村はその両方を経験している。村の東半分は土地よりも河川の水面の方が高いという、所謂海抜ゼロメートル地帯。つまりこの村の東半分は干拓……というか海の底からせり上がった陸地でできている。今から半世紀以上前にのことだ。


ただ普通と違うのは、人工的な干拓ではないということ。


きっかけは当時この地域を襲った巨大な台風と地震。曰く「世界的にも珍しい、高潮による潮流変化が起こした急速な堆積と地殻変動による地形隆起」ということだが、いずれにせよ、この村の東半分は天変地異に近い自然現象で生み出された。俄かには信じられない話だが。


こうして手に入った広大な沿岸部は貧しい村を一変させた。大都市圏に程近い立地の工業地域・港湾地域として利用しようと様々な大企業が殺到したのだ。折しも時代は高度成長期。ろくな産業もなかった農村の財政状況は、沿岸部の工場・港湾企業がもたらす莫大な税収で見る間に潤った。


今や村内のあらゆるインフラや病院・学校は潤沢な財源のもと最新設備。各種行政サービスの行き届きぶりも政令指定都市に匹敵する。


21世紀でもそれは変わらない。ハイテク産業だの宇宙開発のためのロケットを作る巨大企業だのが沿岸部に工場を建てており、ここは本当に村なの? とか思ってしまうことしきり。


これが対外的なこの村の50年史。だが村内にはある言い伝えが残り続けている。


曰く、天災を鎮めるため、半世紀前にある若い村娘が生贄にされたのだと。


生贄によって嵐と地揺れが静まった後、一人の男が立っていたと。男は自らを土地神と名乗り、自分が嵐を鎮め、村に新たな土地をもたらしたのだと。


土地神を敬う一方で、手に入れた土地が再び海に沈むことを恐れた村人は、土地神を祀る土蔵を作り、しかしその土蔵の中の座敷牢を作り、男を閉じ込めたと。


今も村にある台風鎮撫の記念碑とその隣の土蔵が立ち入り禁止なのは、座敷牢に閉じ込め、崇めている土地神の男を隠すためだと。


御年70近いこの村の村長は言い伝えを本気で信じており、潤沢になった村の予算を投じて、土蔵と記念碑の周囲に防犯カメラと有刺鉄線のついた境界フェンスまでこしらえ、人の立ち入りを厳禁としているのだ、と。


……正直、因習というより都市伝説に近い迷信だ。


記念碑も土蔵も、災害を今に伝えるため、かつての海岸線に設けられたのだ。立入禁止も防犯上の措置だろう。

そもそも村が裕福になったから人を近づけさせない厳重な警備ができるようになったわけで、これでは原因と結果が逆ではないか。


私もそう思っていた。

土地神と呼ばれた、座敷牢の中にいる男を目にするまでは。


「へえ、君がお孫さんか。なるほどなるほど、彼女の面影がなくもないね」


村長の言葉と村の因習を裏付けるかのように、土蔵の中には確かに座敷牢があり、その牢の中では一人の青年が座して私を待ち構えていた。

長い銀の髪を漂わせるようにした顔には青白い瞳が浮かび、柔らかな笑みを浮かべながら私の方を牢越しに見つめていた。

何もかもが田舎の農村……というか日本人離れした容姿である。なるほど土地神だの人外の存在と言われて信じてしまうのも分かる気はする。


「私は土地神とか信じてないけど……アンタが半世紀前からここにいるってのが本当なら教えてもらうわ」

私自身、その澄んだ瞳と微笑に不思議な雰囲気を感じながらも、改めて座敷牢にやってきた用向きを彼に伝えた。


「半世紀前、私の祖母はあんた……つまりは土地神の生贄にされて死んだ……それは本当のこと?」


これを確かめること。それが祖母と母の故郷であるこの村を訪れた私の目的だった。



―― 母さんは、土地神の生贄になって死んだの ——


私の母が生前、祖母に関することで私に語ったのは、その一言だけだった。


母はこの村の生まれだが、若い内に村を離れた。真偽はさておき祖母は母が幼い頃に生贄にされた上、祖父はその時点で病死していたという。つまり母は孤児だった。

事実なら、自分の親を生贄にするような村とは一刻も早く縁を切り、立ち去ろうとしてもおかしくはないし、そんな祖母のことを私に殆ど語りたくはなかったのもうなずける。そもそも祖母との思い出など母には殆どなかったのだろう。実際、母はこの村のことを殆ど話してくれなかった。


……ただ、そんなのは実家に戻りづらい自分の現状を、当時幼かった私に悟られまいとする母の方便だった可能性がある……というか普通はそう考える。

けれど当の母は一年前に交通事故で父共々あっけなくこの世を去った。結局真相は分からずじまい。だから私は両親がいなくなったのを機にこの村を訪れた。


だが村を訪れて村長に話をするなり、御年70超えの村長は、私にこう言ってきた。


―― 祖母のことを知りたければ、君も土地神の生贄にならねばならぬ ――

―― 生贄の真実は生贄にしか教えられない ——


本邦有数の金満自治体の首長とは思えない、生きた化石の如き時代錯誤な警告は、母の言葉を裏付けるものだった。祖母のことにはあまり触れてくれるなとでも言いたげな脅しにも見える。


だが私は村長に対して「だったら土地神に会わせろ」と詰め寄った。こんなハイテク村に因習も生贄もへったくれもあるまい。先に話したとおり、迷信にほかならないと思っていた。要は昔の恥ずべき風習について「他言無用」というだけの意味合いだろう、程度に考えていたから。


私の言葉に折れたのかはわからないが、その後村長は素直に村の土地神が祀られた土蔵へと私を案内し、今に至る。土蔵の周囲はフェンスやゲートで厳重に囲われており、村長と一部の村民以外は出入りできない。今土蔵の中には私だけ。目の前の座敷牢にいる男が本当に土地「神」だというなら「人間」は私一人で間違いあるまい。


そして、相対する土地神は先の私の質問に対して表情を変えずに答えた。

「そうだね。迷信でも都市伝説でもない。半世紀前、君のお婆さんは、生贄にされたよ」


「……てことは、アンタが祖母を殺したってことでいいのかしら。土地神さん」

生贄にされたというのが事実なら、この土地神とやらが祖母を殺したというのもあながち間違いではあるまい。だが……

「生贄ってのは方便で、アンタが座敷牢に閉じ込められてるのは本当はそのせいなんじゃないの? 理由があって警察沙汰にしたくない村長あたりが手を回してさ」


本当は祖母は最近まで生きていたのではないか。

母は出奔した実家に戻りたくないから、祖母が生贄にされたなんて方便を使った。

一方村では、実は生きてた祖母が最近になって目の前の土地神を名乗る男に殺された。だが風聞を気にした村長が表沙汰にせず因習にみせかけて座敷牢に……となれば辻褄は会う。


「辻褄は合ってても事実じゃないね。君の祖母が行方知れずになったのは半世紀前だし、俺は殺人犯じゃない。嘘だと思うなら村長や同世代の村人に聞いてみれば良い。俺がいつからここにいるかを」

私のとっさの思いつきだと察してか、土地神は表情一つ変えることなく言い返してきた。そしてそれは、彼の言うとおりである。くやしいが。

「……確かに村のご老人達は因習を信じ切ってたわ。私を見るなり「生贄の孫娘が帰ってきた」だの「この村に再び災いが起こる」なんて騒いでたみたいだし。

「彼らは半世紀前に何があったか直接知ってる世代だからね」


―― 土地神の容姿は、初めてこの村に現れたときからまるで変わっていない ――


祖母の真相を探るべく、この座敷牢を訪れるより前に村人、それも半世紀前からこの村に住まう高齢者達に片端から尋ねたが、彼の言う通りの答えが返ってきていた。

祖母が生贄になったことも含めて、村の老人達は村長同様に割と本気で因習を信じ、同時に恐れている、と考えるのが自然である。


「……だとしても、引っかかる部分があるわ」

「というと?」

「ここに来るまでに村の内外で、この村の郷土史をみっちり調べたわよ。たしかにこの村には昔から、天災を鎮める目的で生贄の因習があった」

「だろう?」

「けれど、土地神の姿が「すらりとした銀髪碧眼の男」なんて話はどこの資料にもなかったわ」

「ほう……」

そもそも村の古い伝承には、土地神の姿形を示したものがない。無形の土地神は嵐や地揺れといった天災に姿を変えるため、生贄を捧げて災害を遠ざける……それが昔からの伝承だった。


「なのに村人は誰もが、いきなり現れたアンタを土地神だと信じた」


目の前の男は答えず、微笑みながら私の次の言葉を待っていた。


「……村の誰かがアンタと口裏を合わせたんだわ。アンタが土地神だとね。そして、アンタが土地神になることで、この村で一番得をした人が一人いる」


その人は生贄の儀式に立会い、土地神を呼んだことを手柄にして、20代でこの村の支配者の座についた。

因習を利用し、土蔵と座敷牢を作り出し、新たに手に入れた土地に大企業を誘致したのも彼だった。


「アンタと村長は、示し合わせて村の因習を都合よく利用し、自分達の権力を確たるものにした……生贄にされた私のお祖母ちゃんを利用して。でも……」


「それはそれとして、僕が人外の存在でなくては、今に至るまで因習が信じられている説明がつかない、というわけだ」

私が懸念している問題点を、土地神はストレートに指摘してきた。


当時を知る村人が今でも因習を恐れ、土地神を信じているのは、この目の前の男が本当に半世紀以上姿を変えずにこの場に留まっている、不老の人外だからこそだ。

つまりこの土地神の語る因習を否定したければ、目の前の人外を人外と認めなければ理屈が成り立たない。


「……結局、アンタは一体何者なの?」


結局のところ、私はそれ対する答えを座敷牢の向こう側に求めるほかなかった。


そしてしばしの沈黙の後、土地神は答えた


「まあ、いっちゃん……村長が君を案内したってことは、真実を伝えてもいいってことなんだろうね」

「真実?」

「ああ。この村でも俺と村長しか知らないことだ。まあ言ったとして君が信じるかはわからないけど……」


再びの沈黙の後、土地神は改めて私を見つめながら答えた。

「俺ね、異世界から来たんだ」


……はい?

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