第17話 甘さより好奇心が勝つ新婚生活の始まり④
まさかの発言に、場が凍りついた。壁際に立っていたウォルの「ヒィッ⁉︎」という声だけを響かせて。
「あの……今、何て」
「いや、そういえば名前を知らなかったなと」
(そんなわけないでしょ――っ⁉︎)
と、叫びたくなるのを全力で堪える。
だってそうだろう。まさかこの段階で名前を知られていないなんて、思うはずがないではないか。
(確かに一度も名前で呼ばれてない気はするけど、最初に聞いてるはずよね?︎ そりゃあ寝室だって当たり前のように別々だし、まだ片手で数えられるくらいしか顔を合わせたこともないけど……妻に関心がないにしても、さすがに名前くらいは覚えてるもんじゃない⁉︎)
だが、彼にそんな常識は通用しなかったということだろう。さすが、人に興味がないことで有名なロイド・アルディオンだ。……なんて感心している場合ではない。
「……ノーラと申します。昨日より、正式にあなたの妻になりました」
頬をひくつかせながらも、ノーラは今朝ウォルから聞いた情報も付け加えて言った。
ロイドは「ああそういえばそんな名だった」とでも言いたそうに、納得したような表情を見せた。悪びれている様子は全くない。
(無関心でいてくれてる分には助かるから、別にいいんだけど……)
そう、それくらい構わないのだ。ただ、子どもたちから気まずそうな目で見られているのを感じ、ちょっと居た堪れないだけで。
(というか、いくら何でもここまで無関心だなんて……。いっそ可笑しくなってくるわね)
一周回って込み上げてきた笑いを堪えていると、気を取り直したようにロイドが呼びかけてきた。
「では、ノーラ」
「っ⁉︎」
急に名を呼ばれ、ドキッとする。瞬間的に身体が熱を持ち、ついでに顔も赤くなった気がする。
「……なんだ、その顔は」
「きゅ、急に呼ばれると驚きます!」
「? ……お前の名前なんだろう?」
怪訝そうに問われ、我に返る。
(そ、そうだった。何もおかしなことはないんだった)
ライルたちの視線がますます居た堪れないものになってきて、コホンと咳払いをする。
「……失礼しました。何でしょうか、ロイド様」
「……あー、つまりだな。こいつらの世話、頼んだぞ」
「は、はい。承りました」
変な空気になったせいでぎこちないやり取りになったが、子どもたちが見て見ぬふりをしてくれたので、ありがたく何事もなかったように話を進めさせていただく。
かくして補助役のノーラが加わった講義は、もう一度再開されたのだった。
ノーラの参加は、結果として正解だったといえる。というのも、ロイドの講義の進め方は本当に子どもに易しくないものだったからだ。
「ここで頭に入れておくべきなのはディヴァイ論文で――……」
「またどこにも載ってない単語が出てきた!」
「エヴリン様、それはこちらの本に載っています。第二章の……」
「クラントの反乱が……」
「また話が飛んだわ!」
「それはこちらにあります」
いくつもの文献の間を反復横跳びするようにあちこち飛び交う情報を、どこに記載されているのかノーラは正確に二人へ指し示してアシストした。その甲斐あって、ロイドの話が大きく中断されることはなく、また子どもたちを混乱させることもなく円滑に講義は進められていった――のだが。
「……うるさい」
ふいに、エヴリンが険しい顔で呟いた。
「何か言ったか、エヴリン」
その声を拾ったロイドが、話をしながらもずっと動かしていた手を止める。
「……ねえ叔父様、そのずっといじってるやつ何︎⁉︎ さっきからカチカチシュワシュワうるさいんだけどぉ……!」
ノーラも感じていたことを、エヴリンが喚くように代弁してくれた。同感だったらしいライルも、妹が指差した場所をちらっと見る。
三人の視線を集めるロイドの手元では、先程からフラスコが集中力を削ぐ勢いで大きな音を立てているのであった。
「何って、今は大事な実験をしているところなんだが」
そうロイドが言った瞬間、彼が掴むフラスコの中身が緑色に発光した。それからバチバチッと大きな音を立てて火花を生み、目が眩むほどの光が弾けた。
「む、失敗か」
「だから何やってるの? 音と! 光が! 気になって話に集中出来ない〜〜〜‼︎」
エヴリンが耳を塞いで目を瞑る。ロイドは手の中の物体が爆発したというのに動じることなく、冷静にフラスコの中身を検分している。
「上手くいくと思ったんだがな。……やはりまだ、何かが足りないか」
そう言って、フラスコから小さな石を取り出した。緑色に光る鉱石は、以前ノーラが本で見たことのあるものだった。
「まあ、それは風の魔石ですか?」
思わず質問をしてしまい、またやってしまったと身を縮こまらせる。
ロイドはノーラが突然割り込んできても気にしないようで、「そうだ」と返した。
またしても咎められなかったことに安堵し、ノーラは目の前の鉱石をまじまじと見つめた。
(風の魔石……。風の魔力が込められた特別な鉱石、よね)
この国には、地水火風を司る巨大な原石が四つ存在する。各属性の魔力をそれぞれ内に秘めたそれらの石は、王家が守る特別な場所に安置されており、人々が四大元素の魔力を扱うことが出来るのも、その石の恩恵を受けているからなのだと古くから言い伝えられている。
そしてその石から採れたかけらのことを、魔石と呼ぶ。市場に出回ることはまず無く、実在するのかどうかもわからないものだと言われていたのだが、まさかこんなところで目にする機会に恵まれるとは。
「これが魔石だと、見ただけでよくわかったな」
「魔石は内に含む魔力の色に沿って発光する鉱石。風の魔石であればその光は淡く柔らかな緑色なのだと、本で読んだことがありましたので」
小さいながらも強い光を発する魔石に目を奪われる。この石は見た目に反して、膨大な量の魔力を保有しているという。その魔力を解き放てば大いなる魔法の恩恵を受けることが出来る、という記述が印象的で、よく覚えていたのだ。
「しかし、本当に存在するとは思っていませんでした。実物はとても小さいのですね」
「これは王太子から特別に貰い受けたんだ。実験に使うために」
そういえば貴重なはずのこの石はさっき爆発してたんだった、と内心ゾッとしていると、エヴリンが無邪気に質問をした。
「何の実験をしていたの?」
「魔力変換魔法の実験だ」
「魔力変換魔法?」
子どもたちの声が重なった。ノーラも首を傾げる。
「お前たち、四大元素の属性能力における待遇格差を知っているか?」
「えっと……、地と風に比べて、水と火の魔力を持つ者の方が優遇されやすい、という話ですか?」
「そうだ」
ライルの回答に、ノーラもあの話かと思い至る。
(国の中枢の議会でたびたび議論になるという、あの件ね)
新聞で目にすることがあり、ノーラでも知っている話題だった。水と火の力は、地と風の力よりも人が生活する上で必要とされる場面が多くあることから、その二種類の魔力の方が重宝される――ひいてはその魔力を扱う者も優遇されるという、ちょっとした社会問題のことである。
確かに、魔法で水や火を生み出すことによって、生活資源の足しに出来る能力は役に立つだろう。これらの魔力保有者が多く暮らす都市や、その家門が繁栄するのはごく自然なことであった。
(代々水属性家系のアルディオンや、火属性家系のミディレイが栄えた背景も、過去を辿ればそこにあるというしね)
その話が魔石の実験にどう繋がっていくのだろう、とロイドの話に再び耳を傾ける。
「俺は以前から、その問題を根本的なところから変えたいと思っていた。で、ある日閃いた。誰もが、初級レベルのものであれば水や火属性の魔法を扱えるようになればいい、と」
「……?」
ライルとエヴリンは不思議そうな顔をしたが、ノーラは「あっ」と気付いた。
「それが、魔力変換魔法なのですか?」
「そういうことだ。手始めに風の魔石を使って、風を水に変換することが出来ないか試しているところだった」
なるほど、と相槌を打つノーラとは違い、子どもたちの反応は微妙なものだった。
「……そんなの不可能じゃありませんか?」
「どうしてそう思う、ライル」
「だって四大元素の魔力は、それぞれが他に成り代われない特殊な性質を持つ貴重な力だから、〝恩恵〟と言われているんでしょう? それに叔父上がさっき教えてくれたんじゃないですか。地水火風の魔力はそれぞれ全く異なる性質を持っているって。なのに風を水に変えるだなんて……」
「まあ大抵のやつはそう考えるだろうな。だが可能性がゼロではないのに試さないのは愚かだ」
ロイドが風の魔石を指先でそっと撫でる。
「それに、他の誰にも出来なくても、俺なら魔力変換魔法を発明出来るかもしれないだろう?」
「すっごい自信……」とエヴリンが呆れたように目を細める。ライルもロイドならありえなくはないと思ったのか、黙ってしまった。
「いくら叔父様でも、あたしは無理だと思うなぁ。そもそも簡単なものでも物質の変換魔法を扱うこと自体が難しいって、お母様に聞いたことがあるもん。それを四大元素でなんて。ねえ?」
同意を求めるように、エヴリンが突然ノーラを振り向いた。
「えっ」
「あなたもそう思うでしょ?」
「えっと……私は」
皆の視線が集中し、一気に緊張が走る。魔法のことで意見を求められるなんて初めてだったからだ。
少し考えてから、ノーラは切り出した。
「私も……不可能ではないと思います」
え、と子どもたちが目を丸くすると同時に、ロイドが大きく身を乗り出した。
「お前もそう思うか!」
「ふぇっ⁉︎」
急な前のめりの姿勢に、思わず仰け反る。あからさまなその動きにもロイドは怯むことなく、テーブルに手をついてさらに身を乗り出してくる。
「この話をすると誰もがこぞって『不可能だ』と返してくるんだが、俺と同じ意見の人間がいるとは思わなかった」
「え……」
そんな非現実的なことを言っただろうか。慌てて周りを見ると、魔法のことに疎いハンナ以外の全員が、心底驚いた様子でノーラを見ているのがわかった。
どうやら、ノーラの回答は普通ではなかったらしい。
(え、えぇっ? だってそんなにありえないことだとは思わなかったんだけど⁉︎)
四大元素の内の一つを他の元素に変える。確かに難しそうではあるが、そもそもノーラからしたら、普通に魔力を持っていて普通に魔法を扱えること自体が奇跡みたいな話なのだ。何せ自分は、四大元素魔法どころか無属性魔法すら扱えないのだから。それゆえに、研究さえ進めばそれくらい可能になるのではないかと思ったのだが。
(視線が痛い……! 何言ってるんだこいつみたいな目で見られてる……!)
ライルとエヴリン、ウォルからの視線が妙に突き刺さる。
対してロイドは、これまでに見たことがないほどキラキラした表情でこちらを見ていた。常に冷静な雰囲気をまとっている印象とは打って変わって、まるで夢を追う少年のようなあどけなささえ見受けられる。だがその様子が、ノーラが一般的ではない反応をしてしまったことを明確に物語っていた。
「魔法式の構築さえ工夫すれば、変換魔法を生み出すことは可能だと思うんだ。なのに今まで誰も研究してこなかったのは疑問でしかない」
「は、はあ……」
「――お前、話がわかるやつだな」
「っ⁉︎」
しみじみと感じ入るようにそう言われ、無意識に後退するノーラの背中がついにソファへぴったりとくっついた。
緊張で汗をかき始めたのを感じながらも、ロイドから目が離せない。彼からこんなにも真っ直ぐに見つめられるのは、この屋敷に来てから初めてなのではないだろうか。そのせいか、青い瞳の純度の高い澄み切った輝きに、身体が思うように動かなくなる。
(ち、近い近い近い……!)
誰か助けてと無言で救援を求めるも、この状況に戸惑っているのは他の皆も同じなのか、ピクリとも動かない。ハンナをちらりと見るが、彼女も当主相手にどうしたらいいのかわからないようだった。
「あ、あの……」
「そうだ、ノーラ。お前ちょっと、こっちに来てみろ」
「はい⁉︎」
やっと身体を引いてくれたロイドが、ちょいちょいと手招きする。
「こっちに来て、意見を聞かせてくれ。変換魔法の魔法式にまだ何かが足りないようなんだが、話がわかる第三者の意見も取り入れてみたい」
「え⁉︎ いや、私は」
「お前、魔法に関してそれなりに知識があるだろう。その上でこの魔法式を見て何か気付くことがあったら言ってくれないか」
「……⁉︎」
突然の提案に狼狽する。どうやら彼の中で何やら認めてもらったようだが、ノーラとしては「そんな大層なもんじゃないんですけど⁉︎」と全力で逃げ出したくなるような心地である。
「あ、あの……そのように評価してくださるのはありがたいのですが、ロイド様が思ってらっしゃるほどの知識があるわけでは……」
「いいからとりあえず見てみろ。何も思い浮かばなかったらそれでいい」
「えぇぇぇ」
ノーラの拒否の言葉も物ともせず、ロイドがテーブルを回り込んでこちらへやってくる。
(わっ、ちょっと待って!)
ソファから立ち上がるより早く、サッとロイドが目の前に立った。そしてノーラの腕を掴もうと手を伸ばす。
「待っ……」
「そこじゃよく見えないだろう。ほら、こっちへ――……」
「――……っ‼︎」
触れられてしまう。そう思った瞬間、ノーラは伸ばされた手から逃れるように、咄嗟にガバッとソファの上で身を捩った。
「っ」
ロイドが息を呑む。次いで、ノーラも自分が何をしてしまったか理解した。
(……あ、あからさまに避けすぎた――!)
非常に気まずい沈黙が流れた。ノーラに向けて伸ばした手の行き場をなくしたまま、目を見開くロイドと、そこから全力で身を守るように身体を捻っているノーラ。ライルたちもどう反応したらいいかわからないのか、押し黙っていた。
「……」
「……あ、あの、えっと、ですね」
ロイドは目を覚ましたようにぱちぱちと瞬きし、じっとノーラを見ていた。
「す、すみませ……」
「……悪かった」
「え」
やや強引な行動だったとはいえ、それに対して失礼な態度を取ってしまったのはノーラの方なのに、ロイドがぽそりと謝罪を口にした。
そのまま、ノーラから離れて元の位置に戻っていく。
「話が脱線してしまったな。四大元素魔法の話に戻そう」
そう言って、何事もなかったように講義を再開してしまった。
ライルたちも一瞬迷う素振りを見せたが、ロイドに従って講義へ意識を戻していく。
風の魔石はテーブルの隅に置かれた。ロイドはもうそれに触れようとしなかった。まるで、実験をする気が削がれてしまったかのように。
(……どうしよう)
嫌な気分にさせてしまっただろうか。きっとそうだ。全く興味がないと言っても、仮にも妻である女からあんなにもわかりやすく拒絶する反応を見せられたら、いい気はしないはずだ。
(……いっそ不快そうな感情を表に出してくれればわかりやすいのに)
この部屋に入ってきた時と同じくらい落ち着き払った表情をしている彼からは、何を考えているのか読み取ることは出来なかった。
だが、少なからずロイドに何らかのマイナスな感情を生じさせたことは、間違いないと思われた。
(あんな表情を、するなんて)
ノーラが拒絶した時、驚きと共に一瞬だけその顔に映し出されたのは、悲しみの感情だったように見えたのだ。
まさかロイドのそんな顔を見るとは思わなくて、たった一瞬視界に映っただけなのに、ノーラの記憶に強く残っているのだった。
しかし、ノーラがそれについてちゃんと謝る機会は訪れないまま、それから間もなく講義は終了の時間となった。ロイドとは目が合うこともなく、ノーラも退出することになってしまった。
(……ああ、どうしたらいいの)
彼に触れることで体質の秘密が露見する恐れを回避するためではあったが、ノーラの胸には大きな罪悪感が残ることになったのだった。
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