第49話

 そういう時だ、異変が起こった。

「いたか?」

「いない」

 衛士が大勢出て来た。何か問題が起きたらしい。

(やばい、侵入しようとしたのが、バレる) 

 私は何気なく歩いていただけだけど、手には古い納戸から取り出した古い書物、ついでに帝の御座所まで入っていって、あいつにひとこと言ってやろうかしらと思っていたところだったので急いで、古い建物の陰に隠れた。

 ほとぼりを冷ましてから、自分の部屋に戻ろうとしたのだけれど・・・

 ひいいい、ひゃああああ。と声がした。

(な、何?)

「あ、鬼がああ」

「出たあああ」

 鬼?

 その時、建物の簀子縁からゆらりと、白く輝く青い鬼が出た。

 闇の中に、ぼうっとその時、私はその人がなんだか、きらきらと光って見えた。

(あ・・・だ、誰?)

 闇夜に輝く、月明かりみたいに現れたその顔は・・・鬼。

 白い髪は逆立ち、青白い衣は炎に燃えているかのように揺らいでいる。顔は大きく目が開き、額が突き出て、口はぐわっと開き牙が見えている。

「ひっあ」 

 鬼だ。

 鬼がいる。ここはどこだっけ?地獄?幽冥境?後宮。そうだ、京でも中心の。現実だ、これは。

 鬼だあ。鬼が出たとか、きゃあああとか、人々の騒ぐ声と悲鳴が聞こえ、松明があちこち焚かれ、火の明かりが錯綜する。

 鬼はどんどんこちらに近づいてくる。

(あの人は・・・) 

 私は驚いた。なぜかその時、柔らかい気配と、馴染んだ空気。かつて親しんだ使いこなした硯のような、いわば、なんだか己の知り合いみたいな気がしたのだ。

 同時に、白い煙も・・・

「火事だー」という誰かの声があがった。

 鬼の足元や背後から、もくもくと上がる煙は、幻ではない。

「か、火事だぞ。火を消さねば、誰かー」

 簀子縁にどたばたと侍従が走って来て、そこで私もようやく正気に帰った。

 火事?逃げなきゃ。煙に巻き込まれる。が、体が動かない。

 青い鬼は手に何か持っている。弓矢だ。それをぎりぎりと引っ張り、鏃(やじり)はこちらを向いている。

「鬼を退治だ」

「怪しい奴は容赦なく切り捨てろ」

 そこへ近衛府の衛士も手に武器や弓矢を持って、ばたばたと周りを取り囲んでいった。

(早く逃げなきゃ、殺される)

 と思ったけど、やはり体がすくんで動かない。

 青鬼は私の向かって弓矢を引いた。びゅんと矢が飛んで、私の目の前を飛んで行き、バンという音をして、柱に矢が刺さった。

 きゃああとか、火を消せの声で、そこに青鬼がいることも、矢が立ったことも誰も見ないで逃げ惑う。

 青鬼はそのまま、弓を持ったまま、逃げた。

「逃げたぞ、どこだー?」

「こっちだ、追えー」

 闇夜に炎と灯篭の明かりがゆらゆらと揺れる中、衛士たちが甲冑の音を鳴らし、走って行く。

 私はふらふらになりながら、青鬼が打った矢がささったところへ行ってみた。何か白いものがついている。火事で燃えてしまうと思ったからだ。

 手に取ってみると、白い紙に文字が書いてある。

 書いてある文字は、恨ーーー

 火の手が上がった。ぼっと赤い火が屋根の上から出て、とたんに大量の煙が建物から溢れ出て来た。

 これは、上訴文だ。





「鬼など怖い。そんなの見て、よくもまあ、平気で動き回りましたね」

 私は部屋に戻ってからは落ち着いた。久理子は青ざめて、ぶるぶるっと体をさする。

「さすが椎子様は違う。夕闇の皇子でも気にせず、話を聞いて来るし。ちなみに椎子様。鬼ってのは、陰陽師では物のもののけ。地獄からの鬼、生霊、呪われし者などとなってます。陰陽師が使う鬼神もいますが、そちらは言うこと聞くので、心配はありません。本物の鬼には近寄らないようにしてください。見ない、触らない、関わらない。これが肝心です。現代、鬼など噂とか迷信とか言う者もいますが、穢れですからね」

 顔、ちょっと、顔が怖い。久理子の顔が。

「よ、良く知っているのね、久理子殿」

「これぐらい、宮中にいたら当然ですわ。昨年かしら、出た出たと騒ぎになった物の怪騒ぎの時だって、宮中では大騒ぎになって」

「え・・・前にも出たの?」

「ええ、たまにあるんですよ、ここ。前も陰謀や政変が多いって話をしたとき、呪いもあるってことを言いましたが、鬼も出るんですよ、ここ。内裏ですからね。衛士は弓矢をびゅんびゅん鳴らすし、妃や女房たちは読経の声が続くし、護摩焚きでもうもうとなって、前もどたばたとすごかったのです。私も本当に怖かったですわ」

 ちなみに、近衛府の衛士は魔除けで弓矢をびゅんびゅん鳴らすのだ。魔を退散させる効果があるらしい。

「そりゃ、怖かったけど、鬼でも何でも、怨念でも、何か訴えがあって行動していることなら、それを解決したら呪いも止まるかもしれないじゃないの。目の前に解かねばならない未知の現象があるとしたら、それを見定めてみようと思わない?」

「陰陽師ならやるかもしれません、でも一般の我々は穢れに触れることは嫌がります。椎子様は珍しい方ですのね。鬼の妖気に触れたら怖いと思うのが、普通ですわ。おお、こわ、ほら、また読経の声がして来ましたわ」 

 そう言うと久理子はまた、己の体をさする。

「でも、もしも陰謀とか、怨念とかなら?それって、元をただせば、誰か元凶がいるってことでしょ?」

「そう考えるのは、さすがに知りたがりの方ですわね。で、その投げ文は、どうしましたの?」

 久理子もようやく落ち着きを取り戻して来た。

「衛士に渡した。私が帝の妃と思われているせいか、何も疑われなかった」

「まあ、それはようございましたわ。余計な疑いがかかっては大変なことでした。椎子様がその投げ文に関わるなどなったら、近衛府で厳しい取り調べを受けたかもしれませんんわ。大納言様にもあらぬ嫌疑がかかり、朝廷での地位も危なくなったでしょう」

 私も気にならないわけではない。穢れに触れるのは死も意味する。

 でも、穢れより、何が起こっているかを知りたいと思ってしまうのよね。

 このたわけが、帝の後宮で大人しておれと、父なら言われそうだけど、

 確かにそうね。ううーん、でも、知りたかったんだもん。

 つい、興味本位に出ばってしまったわ。鬼相手に何があったか分からない。そう思うと、改めて、己の興味本位の行動がせわしなかったかなあ、なんて思った。そして、ああ、良かった生きていて、と、ほっと胸を撫で下ろした

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平安恋物語 月船星夜 姉の身代わりとして後宮に入ったら、好きな人に出会えた ryoumi @matylit

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