第15話 ファールス家の屋敷:2
リョウのカストールの二人は大きな建物の裏に連れていかれた。自分たちが寝泊まりした小屋は壁の傍にあり、他にもいくつかの小屋が密集していた。それらに背を向ける格好でひときわ大きな、三階建ての建物が奥の方にそびえている。奥と言っても、大きな建物が屋敷のメインの部分だろうから、自分たちが居る場所こそ敷地の奥。使用人たちの家や納屋、馬小屋に井戸と立派な建物に住まう方々の生活を支えるものが一通りそろっているとリョウは思った。
二人を連れた兵士は近くに荷馬車が置かれている扉をノックして、出てきた男に何かを告げると立ち去った。置いていかれたリョウとカストールは無言で出てきた男を見つめる。相手も値踏みするようにこちらを一通り眺めまわしてからため息をついた。手を振って入れと指示する。
リョウ達が通されたのは厨房の奥だった。樽が並んでいる上に干し肉や乾燥させた様々な植物が下げられており、地下へと通じる階段が見える。朝食の準備か、お昼の仕込みなのか、人がひっきりなしに出入りをしていて活気づいていた。
「邪魔になるからこっちに来い」、そう言いながら男は二人の袖を引っ張って隅っこの方に押しやる。
「ほら、そこにある布を頭に巻け。こっちはこれから市場に出るってのに、見るからにダエモンでございな二人を寄こしやがって、何考えてるんだか」
ブツブツと文句を垂れる男は樽の上にあった布を二人の手に押し付けてくる。片側の端に近い所に横に切れ目が入っている。巻けと言われてもどう巻いてほしいのか分からずにいると男はリョウの手から布を取り上げて自分の頭に巻いて見せた。なるほど、切れ目を目の所に持ってきた後は単純にぐるぐる巻きにするだけか。布を返されたリョウが真似て巻くとカストールも既に眼だけが見える状態になっていた。
男は二人をもう一度値踏みするように見やってから再度ため息をつき、今度はついて来いと手招きをして外に出た。さっきの荷馬車の所にはもう一人の男がいて馬をつなぎ終える所だった。
「よぉ、バンズ。ファイナちゃんは朝からお腹が痛いみたいだから無理させるんじゃねぇぞ? 大事な馬なんだ。そっちの二匹には歩いてもらえ」
馬の背中をポンポン叩きながらリョウ達を指さす男。
ファイナちゃんとは馬の事らしい。リョウからすれば肉食獣のような牙を剥き出しにし、目をグルグルとさせては低く唸るこの毛むくじゃらの生物を馬と呼ぶのも、それに『ちゃん』を付けるのにも抵抗があった。慣れない物を慣れた言葉で表される度に一瞬思考が止まる。聞こえてくる音と頭に入ってくる意味がずれていることには慣れてきたが、こればっかりはまだまだ苦労しそうだと思いながらリョウは噛まれないようにファイナちゃんから距離を取った。
「どうせまた寝る前にお前がウサギか何かを与えたんだろ? この食い意地の塊みたいな化け物に。腹痛で荷物を引けなくなったらお前に引いてもらうからな」
そうバンズに言われると男はムッとして、ファイナちゃんがいかに可愛くて、いかに化け物という呼び方が失礼なのかの熱弁を振るい始めた。バンズは聞く耳持たぬ感じで喋り続ける男を適当にあしらいながら、リョウ達に荷台に乗るように指示をし、自分は御者の位置に座った。無視をされて憤慨する男を横目に置いてあった細い枝でファイナちゃんを突いて口笛を吹くと荷馬車が動き出した。
門の前でもう一人、兵士を荷台に迎えると、四人を乗せた荷馬車は屋敷を囲む壁の外に出た。リョウは昨晩暗くて見れなかった街並みを良く見ようと身を乗り出そうとしたが、兵士に一喝されてまた荷台に座り込む。仕方が無いので首だけ回してみる事にした。本で読んでイメージしていた中世ヨーロッパの雰囲気がある。思っていたよりも道は広く、入り組んでもいなかったがそれはここが裕福層の暮らすエリアだからだろうと想像がついた。朝も早いせいか、人はまばらで、見かけるのは自分たちのような身なりの者だけだった。横を見るとカストールが暇そうにしている。
「なぁ、カストール。あんたの世界はどうだったんだ? ここと似ているか?」そう尋ねるリョウに驚いたようで、どこもこんな感じじゃないのかと逆に聞き返された。自分の居た世界は全然違う。この石造りの家屋、電線も街灯も見当たらない街並みは自分の世界なら数百年昔の遠い地と似ている。そうリョウが答えるとカストールは興味なさげに「へぇ」とだけ答えてまた黙り込む。本当に興味が無いのか、こちらをじっと見ている兵士が気になるのかは分からなかったが、リョウもそれ以上は追求せずに再び街を観察し始めた。
バンズに小突かれるままにゆっくりと歩くファイナちゃんが外壁よりは低いが、それでも立派なもう一枚の壁を抜けると景色がガラリと変わった。こっちの方がイメージに近いとリョウが思う細い小道や立派とは言えない家、窓から伸びたロープに干されている洗濯物。人の数も一気に増え、格好にバラエティーが出てきた。染めていない丈夫そうな布のズボンに袖なしチュニック、皮のサンダルを履いた一団がファイナちゃんに道を譲って壁に張り付いたかと思うと、今度は彼らの後ろから全身緑の服に身を包んだ男が現れてバンズと口論になった。道を開けろと言っているようだったが、バンズが後ろを指しながらファールス家の名前を出した途端に緑の男は空気の抜けた風船みたく萎んで横にどいた。
「見たか、ダエモン?これが俺たちの仕えるファールス家の威光ってやつよ。港の荷揚げギルドだって何も言えやしないさ」、得意げにバンズが前を向いたままで話しかけてきた。そのまま彼はさっきも聞いたような事を並べ始める。ファールス家の偉大さなら起こされた時に散々聞かされてきたのでリョウが途中で遮った。
「バンズさん、ファールス家が偉大なのは良く分かったよ。それよりもそろそろ俺たちが何をどうするのか教えてくれないか?俺たちがへまをしたらファールス家の名に泥が塗られてしまうんじゃないのか?そうならないためにも知っておきたいんだよ、ふるまい方やら、何やらをね」
ファールス家の名誉などどうでも良かったが、兵士もいる手前、こう言えば流石に答えてくれるだろうと踏んだリョウの思惑は見事に当たった。時には通行人と言い合いになり、話が遮られたが、何だかんだバンズは色々教えてくれた。リョウとカストールの二人は基本的に力仕事に回されたと言える。市場での買い付けに同行して荷物を運んだり、港まで行って木材を運んできたり、今度はその木材を薪に変えたり。飯は同行する者の采配次第だが、ガリガリでひ弱そうな者がファールス家に仕えていると思われるわけにもいかないし、弱り過ぎては仕事にならないのでそこはあまり心配が無さそうだった。リョウが思っていた以上に悪くない待遇だった。自分たちがファールス家の所有物で、どんな粗相も極刑になる事を除けば寮完備の万事屋に勤めるのと大差が無いように思えた。
極刑の事もバンズに聞いてみたが、それが間違いだった。バンズは大の見世物好きで、死刑が執行されると聞けば必ず見に行く人間だった。これまでに彼が見た残虐な刑の話を嬉々として語る様はリョウに吐き気を
「バンズの父つぁんよ、でもよ、ダエモンの死刑ってのはどうなんだい? さっきの八つ裂きの話もすげぇヤベぇけど、俺たちも同じ扱いなのかい?」
「はっ!同じに決まってんだろ、何で変える必要がある?」
「だってよ、ダエモンだぜ? 誰も怖がったりしないのかい?父つぁんは経験豊かで頭が良いから大丈夫でも、一日中馬の世話ばっかでフンの匂いがしみ込んでるような世間知らずは違うんじゃないのかい?」
馬を連れてきた男をさり気なく貶めながらバンズを持ち上げる。出る前のやり取りでバンズが相手を下に見ていると賭けに出ているようだが、そこは見破られてしまった。バンズが手綱を引いてファイナちゃんを止めてから振り向く。
「おいおい、ジャンの悪口はダメだぜ。お前らよりずっと位が高いからな。今回は見逃すが、口には気をつけろよ」
「例えばの話だよ、父つぁん。ジャンさんの事は尊敬してるって。こんな狂暴そうな、ヤベぇ馬は見た事がねぇ。それを可愛がってる男はただ物じゃねぇ。それくらい分かるよ」
カストールが両腕を上げて必死にはぐらかそうとするが、バンズはもう分かったと手を振ってまたファイナちゃんを小突いて荷馬車を発進させた。
「分かれば良い。だが、まぁ、言われてみればダエモンの死刑は見た事が無いな。三級のダエモン自体が珍しいしな。娼館にでも行かなきゃお目にかかれねぇ」
「俺は要らなくなったダエモンの娼婦が練習台にされるって話を聞いたことあるぜ」
それまで黙っていた兵士が突然口を開いた。
練習台。リョウの脳裏にアマネウスの言葉が浮かんだ。「野戦尋問の練習台で済むと思うな」、確かにそう言われた。その練習台かどうかを兵士に尋ねてみたが彼はそこまで知らないようだった。野戦尋問の練習台なら納得は出来ると言った風ではあったが。兵士が話の腰を折る形になって自然と会話も途絶えた。それぞれが物思いにふける中、荷馬車は遂に開けた広場に出た。
大小さまざまな屋台。荷馬車。無造作に積まれた樽や俵。生きた家畜。大小さまざまなフルーツや野菜。そして人。とにかく人で溢れかえる広場に入るなり兵士が二人現れてファイナちゃんを他の荷馬車が立ち並ぶところへ誘導していった。どうやら荷馬車はここに置いて、買い物はそこまで自分たちが運ぶ段取りだ。リョウとカストールが荷台から降り、バンズが荷馬車を管理する兵士と話をつけ終えるのを待っていると、目の前を行きかう人の中に自分たちと同じ布を頭に巻きつけた人物が見えた。
ダエラン ~王都の影~ 田中満 @Meruge
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