ラブレターに賞味期限はない。花でないから汚れない

 これはわたしの、わたしのための、愛とただしさの備忘録である。ここに記された言葉は最終的には愛と、たとえば恋のようなものを結びつけるようなものではない。そしてたとえそのふたつが結びつけられるものだとしても、わたしがそこに何かを望むということは、まずない。なかったと思う。

 すきな文をかくひとが、愛は愛のままでしかいられない(ということもある)と言っていたことがあった。わたしのそれも、そのようなものだとおもう。わたしの愛がただしさを志向する限り、わたしはこの愛をわたしだけの愛にしたままにできる、と思う。

 そのような、記録である。



「じゃあ、また」


 結局ボイスメモを捨てられはしなかった。

 一緒に行った場所の、メモのようなダサいレイアウトの写真だって、わたしの写真フォルダから消そうとすれば、指がそれを拒んで、それまで難なく勧められていたスクロールだってできなくなる。ちょうど深夜に重くなる世帯Wi-Fiのように。

 でもほんとに、ほんとうに卒業するつもりでいた。最長記録の片想いは、昨日でおしまいにするつもりだった。あなたはわたしのことに興味なんてなくなったような顔をして、わたしはどこまで許されているかをたしかめて、そこにはきちんと燃え切った白い煙草の灰殻だけがあるはずだった。それがわたしのシナリオだった。

 けれど、それのどれもすべてが「だった」で終わってしまう。終わらせるどころか始めることもできていなかったから、そもそも終わりなんてないのかもしれない。

 久しぶりに会ったあなたは、それまでと同じような顔でわたしに目を向けて、それまでと同じようにわたしの身辺を心配したりなんかもする。なんとか人間の形を取り戻したわたしに、ああ良かったね、なんて言って、わたしがわたしとして崩れるまえに繰り返していた文脈を引き継いだようなことを、言うから。

 ……あれ。あなたはわたしを愛していたんだっけ。愛しているんだっけ?

 今日は、ずっとそうしてきたようにあなたの顔をきちんと見ることができなかった。そもそもわたしとあなたが一緒にいたとき、そこにはつねにわたしとあなたしかいなかったから、だからわたしはきちんとあなたの顔を見られていたのかもしれないけれど。わたしが確かにあなたに、もしかしたらわたしが思っているよりもわたしは愛されているかもしれない、と思ったとき、それはあなたのわたしに向ける笑顔にあった。ケーキやパフェを頬張るわたしに「おいしい?」と笑いかけ、あなたの目尻がゆるく滲んで、夜を映していた瞳はそのコントラストをあいまいにした。愛していると言われたことはなかったけれど、このひとはきっとわたしを、わたしの想像よりもほんのすこしだけ愛しているのだろう、とその瞬間だけでも納得することができた。

 でも、愛しているって言葉はわたしにとっては簡単なそれだった。そこにあるものが本物の愛でなくたって、愛と勘違いしていてじつは愛でなくったって、愛してるって言えてしまう。そういうことを、わたしは知っている。だからわたしは本当は、愛なんてこれっぽっちも信じていなかった。愛には形がない。数字もない。基準もない。だからすべて確かめようがない。愛していると、言われたら楽だっただろう。その一瞬は舞い上がってしまって、そしてすこし時間が経ってから、どうせまた「こんなもんか」と思って、胃液が迫り上がってきてしまっていただろう。畢竟、そんなニュアンスを多分に含んだことを言われた途端、わたしはもっとはやく消え去ることができていたのかもしれないんだけどな。

 あなたのことを「先生」以外の呼び名で呼んだら、すべてのきもちがうそになる気がしていた。嘘いまもずっとそんな気がしている。わたしとあなたとの文脈にはいつも机一つ分を空けた距離があって、そのただしさはいつもそのままになっていた。きっとわたしには、ほんとうに信じているものなんていくつもないけれど、片手で収まってしまうだろうけれど、その一つに、先生、あなたとつみ上げてきた文脈があることは、きっとこのうえなく幸福なことでした。

 思い出す。あなたのただしさと優しさを思い出している。花が咲く頃、あなたに見出されたわたしが、たぶんかつての世界の片隅で泣いていた頃。あなたにわすれられるのを怖がっていた頃。すぐ会えるよと笑ったあなたはわたしにとても優しかった。その優しさはたぶんずっと変わることがなかった。「一週間なんてすぐだよ。すぐ会えるよ」「じゃあ、またね」そうしてあなたが降り立った駅のホームを、わたしはいつも穴が開くほど見つめていた。しかしそのことをいつもあなたは知らない。

 そうしてわたしたちはいくつもの季節を、ときにばらばらに超えながら、いつもわたしはあなたに指切りを促されて、そうして明日を生きていくことができた。ひどい雨の季節も、あまりに暑い夏の日も、寒くなっていく秋の日も、その寒さを互いに緩和させようと努めていた日も。また来週、また来週、……それじゃあまた。それが「じゃあね」や「ばいばい」になることはなかった。あなたが意識をしていたのかはわからない。確かめようもない。けれどいつも「また」だった。わたしはそのことを、ただずっとうれしく思っていた。これはわたしのおろかなことの事例のひとつだ。

 わたしはわたしがおろかなことを知っていると思っている。わたしはわたしがおろかなことを知っていて、それでもまだずっとおろかなままでいる。おろかなままでしかいられない。そしてわたしはずっとおろかだから、あなたに迷惑をかけ続けていると思っていた。それがひどくおそろしくて、ときおり死にたくなるほど嫌だった。わたしがもうすこしおろかでなければ、あなたの手を煩わせることもなかったから。「ここまでわかった?」と聞かれたときに、吃らずにわかったと答えていたら、それが確からしかったら、「え、……じゃあもっかい最初からいくよ」と言わせることもたぶんなかった。知らないこと、知っていても理解が足りていないこと、教えてもらったのにまだ覚えられなかったこと、取り越し苦労のさまざま。いつも同じ話をさせて、当たり前のことを何度も確認させた。それらのすべてがいつも申し訳なかったのに、「もう馬鹿だとか思いませんよ、もう」「おまえは頭が良いし、話していて楽しいし」なんてあなたが言うからへんな期待をしてしまったじゃない。

 だいたいあなたは、わたしの世界の空がぱっくり割れていた日に、鮮やかに飛び込んできた深い青のようなひとだったのが、たぶんいちばんいけなかったのだ。「その捉え方は間違いではないと思います」って言うから、そうしてわたしの名前をきいて、「覚えておきますね」なんて言うから。次の季節もあなたのごく近辺にわたしがいることが、当たり前のように言うから。わたしが雨に任せてめそめそないていた日に、「他人に人生を明け渡しちゃだめだよ」なんて、言うから。

 あなたはわたしのことをどうやって救って、掬い上げてきたのかなんてきっと知らない。具体的なことを伝えたことがなかったから。それでもあなたがわたしのかみさまだったことは本当のことで、ほかに替えようなんてない。どうしてこの分野にいるのかと聞いたら、「ずっとなりたかったから」と言ったのはたしか今日みたいな春でした。わたしが今いる分野にいたいな、と思ったのはあなたがそれについてお話ししていたことを聞いてからだけれど、それからいつもわたしが勝手にすくい上げられるのは、あなたが滲み出したつもりもないだろう、あなたの人生からの言葉だった。

 いつかわたしが路頭に迷っていたとき、「でも、だいじょうぶだよ。ちゃんとやってたら。ちゃんとやるでしょ?」と言ったあなたは優しかった。わたしのことを信じてくれているのかと思った。信じていると、言われたことはなかった。ただ「ほんとに信じてるひとに信じてるって言わないしね」とか「おまえは大丈夫だって、おまえが今教わってるひとは思ってるんじゃない?」って言う、言うから。いつか、あなたの背中を見て、わたしも残り続けたいのだとお話ししたことがあった。時を経てあなたは、「それを聞いたから、ちゃんとしてあげようと思ったんじゃん」と回想していた。わたしは路頭に迷うことが一回や二回ではなかったけれど、たぶんそれを見かねたあなたが都度手を差し伸べてくれなかったら、今のわたしが物理的に存在していたかも怪しいな、とおもう。そしてまた、わたしを掬い上げてきた自覚はあるんだな、と思った。わたしに相対するときのそういうただしさのことを、つまりわたしは、愛しているのだ。あなたがわたしのことを、愛していると名言できるほどにはおもっていなくても。それでもわたしは、あなたを愛している。愛してしまっているらしい。愛なんて信じていないのに。じゃあなんて言えば良いですか? 呪ってやるとでも言えばわたしらしいでしょうか。けれどあなたの描いたわたしは、呪ってやるなんて、口にする人間でしょうか?

 ……案外そうかもな、とおもう。そうかもな、というのは、呪ってやると言ったところで、あなたは驚かないかもしれないな、という意味だ。わたしのすることに、あなたが驚いたことはなかった。わたしを称賛することは、いくつかあった。けれどわたしは金魚鉢のなかの金魚のようなものだった。金魚鉢の金魚は金魚鉢を超えて飛び上がることはない。多少芸のできる金魚であったとしても。だからわたしが呪ってやると言ったとて、それがあなたの予想を上回る意味になることはないのだろう。そしてわたしはあなたを呪っているわけではない。わたしの愛が、一般には呪いと紙一重のものだとしても、その呪いはつねにわたしにだけ返ってきて、あなたは意にも介さない。ずっとそうしてきて、これからもそうなのだと、思う。それをわたしは、いつのまにか幸福と呼んでいた。正確には不幸中の幸いだとおもう。

 だからきっと、「愛しています」がわたしらしくはない、ということは、ないのだ。

 いつかあなたの夢をみる。わたしはきっとあなたになれない夢をみる。けれどそれでもあなたにしがみついて、その背中を追いかけた。わたしはいつも、あなたの背中を見つめていた。目指していた。わたしはきっとあなたのことを多くは知らない。あなたの横顔もきちんとはわからない。それでも、あなたをわたしよりもずいぶん背が高く思えることが、ずっとずっとうれしかった。わたしの空がぱっくり割れていた日に出会った、あまりにもまぶしくて深い青。冬の夜の空のようにピンと伸びた背筋。その手から白いチョークが擦り切れ落ちていくのが似合う、うつくしいひと。わたしの夢のはじまり。

 超えてきた季節のさまざまに、ミルクレープをくずすわたしに、おいしい? と訊くものだから、ひとくちどうですか、と言ってみたことが、あった。わたしにしてはずいぶんな挑戦だった。そのときわたしたちの間に、机ひとつ分を隔てた距離はなくて、あなたはわたしの目の前で、紅茶かコーヒーかをずっと悩んでいた。「ケーキだし、紅茶かなあ」と言うから、好きにしたらいいと思います、などと答えて、わたしは目の前のケーキの断層と格闘しいた。「……ねえそれ、メロン入ってる?」ふとそんなことを、あなたは尋ねた。わたしのものは、フルーツミルクレープ、みたいな商品名だったと思う。メロンどころかシャインマスカットなども入っていた。「……じゃあ、いいや」あなたはちょっと視線を下にやって、そう告げる。そういえば食感がぐにゃっとしたものが、やや不得手なひとであることを、この前、知ったばかりだった。食感ですか? と念の為尋ねると、そうだと言う。学校給食ではフルーツを残すことが多かったとも言う。好き嫌いが、意外と多かった。それまでわたしはあなたのことを、ずっととおく思っていた。かみさまのように思っていた。かみさまのように思っていたひとは、きちんと人間で、人間だから、トマトもメロンも桃も食べられない。人間だから、朝起きるのが苦手で、おやつにハンバーガーを食べることがある。人間だから、親指と人差し指のあいだでペン回しをずっとしているし、人間だから、衆目のないところに座ると靴を脱ぎたがる。そうして人間だから、わたしの手を引き、夜闇との境界線があいまいになった海で、わたしの時間を、幾度も止めた。

 たぶんあなたは優しいのだろう。すくなくともわたしにはそうするのだろう。それを望んでいなかったと言えば嘘になるけれど、わたしはあなたに、べつに優しくされなくても良かった。むかし、転んだ時に手を差し出してほしいから、あなたを好きになったわけじゃないですよ、あなたが何をしてくれなくても、そのままのあなたで十分です、というような台詞を、ある作品で目にしたことがある。その通りだと思う。あなたが、たとえばわたしの名前を覚えておきますねと言ってくれなかったとしても、わたしのことを、いつかはわすれてしまうのだとしても。……いやわすれられちゃうのは嫌かな。覚えていてほしいかな、やっぱり。……それでも、わたしはきっとあなたに憧れ、あなたになりたいと思ったことでしょう。

 それだけの愛で、今日まで積極的には動かしたくなかった心臓をうごかし、わたしはいのちの階段をおりることが、ずっとできずにいる。

 あなたに言われたことがすべてきちんと分かるようになるまで、この場を去りたくないと思っている。あなたが言った「じゃあ、また」が永遠に訪れなかったとしても、去らずにいればいずれまた巡り会えるような気もしている。そうしたらその時は、また今日と変わらずに、わたしに微笑みかけてくれたら、とてもうれしい。次にあなたに巡り会えるまでの時間が長すぎて、いつかあなたはわたしを忘れてしまうのかもしれない。それも仕方がない。それでも、わたしはなぜかあなたがわたしのことを忘れないでくれるような、覚えていてくれるような、そんな気がしている。そしてきっと次に巡り会ったときのあなたは、わたしに向けて「元気だった?」「そうは思えないけど」と言うのだ。今日のように。困ったような顔で。すこし目尻を下げて、まるでわたしを慈しんでいるかのような表情で。

 季節の花を、季節ごとに見つけて、そのたびに図鑑を開き、その花の名を知り、その花を愛することでいのちをつないできたと思う。その花がわたしの視界いっぱいに広がるとき、その花しか見ていないことは、仕方がなかった。それでよかった。しかし今、花は突然に植え替えられてしまって、わたしの眼前にある鉢のなかは空っぽだ。好きな花を植えていいと言われている。種から育てろと言われている。好きな花の名前は知っている。けれどわたしはその花の種を見たことがなく、図鑑にもそれは載っていない。育てるのに適切な季節についても同様だ。適切な種を見つけることができる自信はない。それでも。……それでもわたしはまだ。わたしが「それでも」と言いたいのは、結局まだあなたのように生きてみたいからなのだ。

 あなたにもらったものをたくさん抱えて、わたしは生きていく。そう生きられない日もあるだろうけれど、それでもとうぶんは。幼いままの心で、わたしは祈る。あなたの愛に生かされた、これはわたしの生きる理由だった。

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とあるバンドマンの引退、あるいは時限装置のラブレター 沙雨ななゆ @pluie227

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