第17話 ブリキの花嫁

 窓から吹き込む風に甘い香りが乗ってくる。何かの花の香りだろうか。貧民街スラムでもサクラタウンでも嗅いだことのない香りに鼻をくすぐられて、メアリーはやっとクラウンシティに来たことを実感した。


 

「やぁ、気分はどうだい?」



 白過ぎるベッドの上に横たわるメアリーに、ウィリアムは日差しよりも爽やかな声を投げてきた。さぞかし良いことがあったのだろうと、メアリーはさすがにもう思わない。彼はそういう性格なのだ。



「あんたが来たせいで最悪になった」


「そう。元気そうで何よりだよ」



 こういうナチュラルに皮肉っぽいところが本当にいけ好かない。メアリーはウィリアムに聞こえるように舌打をした。だが、やはり気にせずウィリアムは続ける。



「わるいね、こんな郊外に押し込めてしまって。本当は俺の屋敷に部屋を用意しようと思ったのだけど、さすがに桜結晶をシティのど真ん中に置くわけにはいかないと止められてね」


「郊外? ここが?」


「部屋も狭いな。もっと広い部屋を用意しろと言ったんだけど。ベッドも固いな。こんなベッドじゃ眠れないだろ」


「それ以上しゃべんな。あんたをますます嫌いになりそうだ」



 大豪邸だと思っていた。ベッドも、シティのベッドはさすがにものが違うなと感動していたというのに。メアリーは静かにショックを受けていた。



「しばらくはここにいてもらう」


「あたしは、殺されないってことでいいの?」


「もちろん。むしろ働いてもらう」


「それはかまわないけど」


「足りない継填装パッチワークは今作らせているから少し待ってね。桜結晶に耐えるものとなるとすぐには用意できなくて」


「金はないぞ」


「元より期待していない。ただ実験には協力してもらう。俺たちが欲しいのは桜結晶のデータだから」


「そういうことね」



 ふぅ、とメアリーは一息つく。ほんの数日前のことであるが、一生分の苦労をしたような気分である。というより、一生を終えるところではあったのだけど。


 第二次桜結晶崩壊サクラダウン・セカンド未遂事件の後、サクラタウンがどうなったのかをメアリーは知らない。すぐに気を失ってしまったし、起きたときにはこのベッドの上であった。他の者に聞いても答えてくれない。そもそも、ここでもウィリアム以外の者はメアリーのことを家畜くらいにしか思っていないのだから仕方ないのだけど。


 ただ粗相はない。メアリーも持て余すくらいに、ものすごい気を使われていた。その理由は、あのウィリアムの問題発言。


 少しそわそわとしてから、メアリーは口を開く。



「あのさ、改めて聞くのもあれなんだけど、その、あれはどのくらいマジで言ってるの?」


「あれ?」


「あれだよ、あれ。あのぉ、そのぉ、嫁とかいうやつ」


「ん? どのくらいも何も本気だけど」


「なっ!? ふ、ふざけてんのか?」


「嫁というより許嫁だけど。俺もいろいろとややこしい身の上だから、すぐに結婚というわけにはいかないんだ」


「待て! そうじゃなくて、あたしは義体持ちブリキだぞ? 王族と結婚なんてありえないだろ?」


「俺がいいって言ったらいいんじゃないの?」


「いや、そりゃ、まぁ、そうなんだろうけど」


「嫌だった?」


「嫌とか、そういうのの前に、結婚とか考えたことがないから実感わかないっていうか」


「ふぅん。まぁ、俺もよくわかってないから大丈夫だよ。それよりも今はやることが山積みだ」


「それよりって何だ!? おまえ、そういうところだぞ!」



 ぷりぷりと怒るメアリーに対して、ウィリアムはおかしそうに笑ってきびすを返した。どうやら忙しいのは本当のようで、ここには立ち寄っただけらしい。


 ウィリアムは扉の方に歩いて行って、そこでふと思い出したようにこちらを振り返った。



「そういえばさ、あのとき何て言ったの?」


「あのとき?」


「君が生きる理由だよ。ちょうど聞こえなかったんだ」


「あぁ、大したことじゃないよ」


「そうかもしれないけれど興味があるんだ。桜結晶の暴走を抑えるような君の生きる理由にね」



 そこでメアリーは窓の外に目を向けた。カーテンが風に揺れて、ちらちらと緑が見える。あの木が香りのもとだろうか。いつかウィリアムに聞いてみてもいいかもしれない。こんな穏やかな気持ちになったのは初めてだったからだろうか、メアリーは自分でも驚くほど素直に彼の質問に答えていた。



「花壇に水をやらなきゃって思っただけだよ」



 ウィリアムは、顎に手を当てて少し考えてから、いいねとだけ言って去っていった。このときばかりは、彼のさりげなさが心地よくて、メアリーは少しだけうれしかった。それを希望と呼ぶにはいささかくだらないかもしれない。だけれども、今のメアリーには十分だった。

 


「今年はちゃんと咲くといいな」






 このときは誰も知らない。ブリキの姫とカカシの王子の不遇にも運命的な二人の出会いが、後々、世界の行く末を左右することになろうとは、誰も知らない。そのときが至るまでは、誰も。

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ブリキの姫とカカシの王子 最終章 @p_matsuge

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