魂の臭い――冬月 澪
思わず咳き込んで、目が覚めた。
ムスクの香水とフゼアの香水を合わせて使うような男が醸す臭い。そのきつい香りの向こう側には、煙草の臭いも見え隠れしている。
わたしの咳が止まらなくなり、その臭いの発生源も目を覚ました。
「起こしてしまったか?」
「あなたねぇ――、わたしがこういうのに弱いと分かってて――」
咳に邪魔されて話すこともままならない。
たまらず寝台から起き上がり、ベッドサイドランプを灯し、彼から少し離れたところのソファーに座る。
臭いの発生源になっている奴は、女が一人で寝ている寝室に、平気で侵入し、半裸でその女の隣に寝ようとするような男。
決してわたしには手を出さない。なんならそのまま朝まで何もせず寝るつもりだろう。下着姿なのは、寝間着を着ない男というだけの理由。
でもお父様に見られればその場で八つ裂きになるだろう。大胆な殿方なことで。
ちなみに、わたしの親くらいの世代の男だから、普通に危険な状況。
「悪いね。お前の近くは居心地がよくてさ」
「わたしが一方的に不利よ!」
健康的な意味で。いつか
涅槃像のように寝そべりながらわたしを見つめる彼の顔は、どこか闇を抱える笑みを浮かべる。
特徴的に、右の横髪だけを脱色するというスタイルの彼は、49歳だけど肉体にはまだ若々しさがある。
無邪気さと大人の色気を併せ持つ彼は、闇が深い。
泣かせた女は数知れず、さらに殺した人間も山ほどいる。部下に任せて手にかけた、とかではない。アキラ直々に手を下している。孤児だったと聞いているけど、どうやら人間関係の築き上げ方が独特みたいだ。
娘、つまり女の部下と恋愛関係になったことはない。でも娘を躊躇なく罰することができる。
悪漢は息をするように殺せる。でも、悪女は手元に起きたがる。送り込まれたトロイの木馬でロデオをするような危険な真似もする。
よく分からない男だ。
「今日はどうしたのかしら?」
「久々にゆっくり休めそうだから、一番落ち着くこの部屋で寝たいだけだ」
「そう。邪魔したら悪いから隣の部屋に行くわ」
「独りにするのか?」
「大人でしょ?」
屁理屈を並べてわたしのもとから離れない。
目的は分からない。お父様の弱みを握りたいのか、わたしを飼い殺しにしたいのか、ほかの目的か。
読みかけだった本を手に取り、このままソファーで読むことにした。目が覚めてしまったから、落ち着くまで物語に思いを馳せる。少しは鬱陶しい男のことも忘れられるだろう。
そう思った矢先、寝室の扉をコンコンと叩く音がした。
わたしはもうソファーから動かないことに決めている。無視。
「ソロモンだ。大ボスから親父に伝言がある」
ソロモンから見ての親父、つまりアキラに用があるようだった。わたしが寝ている時間に勝手に入り込んで、わたしの部屋で業務報告なんて迷惑な話だ。
アキラはわたしに気を使うことも無く下着姿で扉を開け、ソロモンに対応する。
「陽炎がなんだって?」
「『ΑΩ-10の輸送計画を破綻させた奴を殺せ』だとさ。クライアントとの取引で、その輸送を失敗したことで信頼を失ったからだそうだ」
そういえば、アキラの部下たちがGeM-Huの輸送を失敗したんだっけ。密輸業者としては珍しい気がするけど。
「あいつとなんか最初から信頼関係なんかないだろ? それにあれは妨害があったからじゃねえか」
「失敗したという事実が、クライアントから揺すられる口実になってしまった。誰か一人に罰を与えろとのことで、言うことを聞いてくれる雰囲気ではなかったぞ」
アキラは頭を掻きながら、荒々しい溜め息を吐く。
部屋を裸足でうろうろしながら、サイドテーブルに置いてあった拳銃を手に取る。
「あの輸送計画の責任者はダルドだ。冬月は責任者の首を差し出せ、と言っているんだろ?」
ソロモンに応えつつ、込めてある銃弾を確認するアキラ。
わたしの方をちらりと見やると、変なことを尋ねてきた。
「ダルドの首を持っていけば親父さんは満足するか?」
「そんな汚らわしいもの、お父様は大嫌いよ」
アキラは虚無を抱えた笑みを見せる。「汚らわしい、か」と、淋しげにも聞こえる独り言を呟いた。
「
レオーネ。わたしも知らない名前ね。可哀想に。
「レオーネか。了解。どんな奴だ?」
「17歳の男で、白人で猫のようなヘーゼルアイ。ボサボサな髪を後ろで括っていて――」
「――俺のこと言ってるのか?」
やっとタネが分かった。
架空の人物を罰したことにするという魂胆だ。ソロモンにそっくりな誰かが、責任を負わされてありもしない命を奪われるということ。
「多分お前より長髪なんだろう。ま、そんなところだ。
万が一死体がいるようなら、島から持ってこい」
死体には困らないからね。GeM-Huの生存率が悪すぎるといつもいつも聞かされているから、それくらいは分かる。
お父様も穢れた島だと言って、研究所にはほぼ行かない。白百合修道会があった島だし、お似合いかもね。さすがは死神を祀るだけある。
シニカルに笑ったソロモンは、わたしを一瞥すると部屋を出ていった。
小説を読み進めていると、また咳き込んでしまい、こいつが凝りもせず近寄ってきたとうんざりさせられる。
仕方なく本を閉じて彼を見上げる。
アキラはわたしの胸元を見つめる。さすがに気持ち悪いし、彼を押し返す。
でも目当てはわたしではなかったようで、わたしが首にかけていた宝珠を手に取る。
一点の曇りもない水晶の勾玉だ。
「いくらあなたでも、勾玉はあげないわよ?」
「ああ、俺には似合わない。
俺の魂は、こんなに透き通っていないし、美味い魂でもないだろう」
魂を象徴する勾玉。その透明な宝珠の向こうで、彼は屈折して歪んだ笑みを見せる。
「俺が勾玉を持つとしたら、何色だと思う?」
「白瑪瑙でしょう。濁り切っていて、中身が見えないのよ。しかも――」
アキラの手から水晶の勾玉を奪い返す。
「――
思い当たるのか、アキラは歯を見せて笑う。
「よく分かってるようだな」
「あなたは暇さえあればわたしの所に来るし、嫌でも分かってくるわよ」
読書を再開したいわたしの顔を覗き込もうとするアキラの頭を押しのけたけど、強烈な香水の臭いにむせ返った。
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ムスク――
フゼア――シダを意味する香りで、植物的で男性的なイメージの強い香り。
ヒューマノイド《冒涜の遺伝子》 Ver.2.0 園山 ルベン @Red7Fox
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