昔の大陸の列車の話(カクヨムweb小説短編賞2023に応募しています)

@Teturo

昔の大陸の列車の話




你又聋又哑吗お前は耳の聞こえない、馬鹿なのか?」


 初めて乗った天津西駅から、渉県しょうけんに向かう列車の給湯室。そこで僕は、ボイラー番の老人に怒鳴られていた。いつも怒られるだけの彼の人生の中で、他人を怒る事ができるのが嬉しいのか、大層なボリュームの怒声だった。

 ただカップ麺に、お湯を注ぎに来ただけなのに。何が気に喰わないのだろうか。僕は、その場に呆然と立ち尽くす。

 咄嗟にどう話したら一番良いのか迷っていると、老人の怒りに更に火が付いた。返答も返さないでボーッと立っているだけだったから、馬鹿にされたとでも思ったのだろう。炭で汚れた指先で、僕の胸を突き出した。

 このままだと、彼は更にヒートアップするに違いない。そこでどんなに怒った人でも、許して貰える僕なりの魔法の普通語ちゅうごくごを口にする。


对不起ごめんなさい我是日本人僕は日本人です。」



 今は昔。時は今から二十年以上前、まだ一元が十三円(現在は二十円位)だった頃のお話である。北京や上海には世界中の外国人が集まっていたが、僕が向かっている地方都市(からの農村)では、まだまだ外国人が珍しかった。


 どうやらボイラー番の老人は、僕を地元学生のように思っているらしい。植物栽培の指導(という名の肉体労働)を行うのがメインの仕事だから、スーツではなくジーンズ姿であるのも良くないのだろう。また外国人が、こんなローカル線に乗っているとは思わなかったに違いない。

 この地では誰も僕を、外国人だと認識してくれない。現地語を話せるのが当たり前だと皆、思っているのだ。仮に外国人認定を受けても日本人では無い。良くて彫の浅いベトナム人となる。連日の農作業で日焼けはバッチリだったので、仕方が無いのかも知れないが。


 僕は某中小食品メーカーのサラリーマンだ。本社は東京の目立たない所にひっそりと存在している。通常業務の他に、香辛野菜の栽培調査を任されていた。何の香辛野菜かと聞かれると、ちょっと書きづらい。現在も引き続き調査を行っているからだ。そこで、この話の中では調査品目を香辛野菜と表現する事にする。


 今回の栽培地は河北省と山西省と河南省の間に、挟まれた渉県という辺境の地である。関東地方で言うと三郷市(東京都と埼玉県と千葉県の間)の様な感じの場所だ。目的地は辿り着くまでに日本の空港を出発してから、最速で二日半かかる。体感時間としては飛行機で、ブラジルに向かうより遠い山奥である。


 僕の働いている会社は中小企業ではあるが、天津市内(の外れ。埼玉県に立てた建物に、東京工場と名付けた様な感じ)に工場がある。人口は多いが、そこそこ田舎町で外資系に勤められるとあって、工場には様々な経歴の人が働いていた。

 コンピュータの専門家や三か国語以上話せる通訳など、日本で働いて貰った方が世の中の為になるような人も多数在籍している。


 この工場では当然の様に食品を製造販売するのであるが、業務はそれだけに留まらない。他の企業が作った製品を日本などへ送り込む、貿易業務なども行っていた。やはり日系企業が現地で活動しているという、評価と実績は馬鹿にならない


 これは昔に限らず、現在にも通じる事である。中国での仕事には、現地人との繋がりが絶対に必要である。仕事を始めるには彼らの親戚や身内の引きがないと、騙されたり誤魔化されることが多い。

 例えば中国でコシヒカリを作って、日本に輸入しようとしていたが、年々収穫量が減ってゆくという事案があった。

 栽培者は天候不順や病害虫の発生などを理由にするが、何の事はない。出来た米を闇で転売していたのである。事程左様に、現地に居続ける事ができない場合(居てもヤラレる)、契約書などで縛っても騙されてしまう物なのだ。


 これは中国が凄く悪い国だと、言っている訳では無い。僕が知っている限り世界中、そんな感じである。

 今回のブラジルより遠い栽培地は、天津工場で働いている社員の一人の故郷なのである。そこには香辛野菜栽培の専門家も住んでいる。栽培候補地として、この条件以上は考えられない。

 これ以上を求めれば、工場の敷地内に畑を作るしかないほどである。しかし栽培面積が敷地内では全く足りない。だから否が応でも、渉県で栽培試験を行うしかないのである。そういう訳で僕は今、こうしてボイラー番の老人に詰問されているのだった。


 僕の拙い普通語を聞いた老人は、キョトンとしている。仕方がない。もう一押しだ。

「ごめんねぇ。中国語話せないんだ」

 日本語で話すと彼は、慌てたように両手を振った。どこかへ行けというボディランゲージの様である。中国では地方の老人は外国人との接触を嫌う人が、たまに居る。これは日本も一緒であるが言葉が通じないのは、やっぱり薄気味悪いんだろう。


 何とかカップ麺にお湯を入れ、硬臥(地方鉄道の二等席)個室へ戻る。思えば、この列車に乗るのも硬座(普通席)から硬臥へ、レベルアップするのも大変な道のりだった。



 現在は邯鄲かんだんという大都市まで、北京から中国版新幹線で行くことが出来る。しかし当時は地方鉄道でしか、渉県に辿り着く事が出来なかった。当然、車でも行けるのだが、一度行ったら会社の運転手から二度と行きたくないと、断られてしまった。

 運転手は中国人なのにである。その位の秘境なのであった。


 この頃の渉県行き地方鉄道は、一週間に三〜四本しか天津西駅から出ていない。しかも到着までに十二時間以上かかるので、朝五時半出発である。席の事前予約も取れない(あったのかもしれないが、事前に調べて分からなかった)。北京空港から天津西駅前のビジネスホテルに直行し、一泊したら朝食も取らずにチケット販売所に夜明けと共に並ぶ。


 並ぶというよりはチケット売り場正面を、中心として半円形に集合する。現在の中国都市部では、恐ろしく改善されているらしいが、当時の地方では列を作って順番に買い物をする文化は皆無だった。窓口に取り付いてお金を受け取って貰えた人から、チケットを下賜されるシステムである。


 王侯貴族のような態度の販売係までの道のりは、果てしなく遠い。この旅の相棒である、通訳の日本人後輩君は、僕に荷物を預け身軽になると頭から、その集団に飛び込んで行った。

 まわりの人々を掻き分け、右手に握った紙幣を突き出す。販売係に少しでも近づき、魂の籠った普通語の大声を上げる。それと同時に、空いている左手で後ろの現地人の手を、さり気なくブロックしていた。彼は本当に千葉県出身の、日本人なのだろうか? 現地人より活き活きとし、輝いて見える。


 阿鼻叫喚の大騒ぎの後、何とか二人分のチケットを後輩君が入手した。彼の功績を労おうと、朝食を売っている場所を探そうとする。しかし旅慣れた後輩君は、厳かに首を横に振った。

「列車の中で席を確保するまでは、安心しないで下さい」


 今回の列車は初めから、グレードの高い指定席を購入する事ができない。始めは全員、普通席に乗車するとの事である。良く分からないが此処では、そういうシステムなのだろう。その硬座も乗車人数が多いと座る事ができず、無座という立ち乗りスタイルになるとの事だ。

 十二時間以上乗るのに、座れないのは厳しい。あわてて車内に二人で飛び込んだ。


 因みに地方鉄道の席のグレードは、ご存知の方が多いとは思うが以下の通りである。

 硬座(普通席)、軟座(三等席)、硬臥(二等席)、軟臥(一等席)である。軟臥の上の特別クラスも、有るそうだが見た事はない。


 僕たちは朝食抜きの空きっ腹を抱えて、硬座の席の確保に成功する。席には食べ残して冷え切った、スープの残ったカップ麺などが放置されていた。足元はヒマワリの種の食べカスと煙草の吸い殻が、満遍なく絨毯のように敷き詰められている。

 恐らく前日の終業後、車内清掃を行わないのが習慣なのかもしれない。後で確認すると列車内の清掃は、走り出してから行われていた。走行する車内から、集めたゴミを外に放り出している。きっと車庫周辺でコレをすると、周辺住人から苦情が来るのだろう。


 今回乗っている緑地に黄色の列車は、硬座と硬臥の二種類が繋がっているとの事である。この他に列車のカラーリングは青と白や、赤と白の二パターンがあるそうだ。色によって特急や快速のような見分けが出来るようで、後輩君に教えて貰ったが良く理解できなかった。


 遅めの車内清掃が終わり、どこからともなく硬臥チケットが販売されそうだという噂が流れ始める。どの車両がそうなのか、僕は偵察に出た。席を確保した車両から二つか三つ先の車両が、目的地であるらしい。何でもコンパートメント席になっており、簡易ベッドが付いた貴族が利用する席であるそうな。

 ワクワクしながら、その車両に入ろうと思ったら、仕切りドアに鍵が掛かっていた。更に窓枠にはカーテンが掛けられ、中が見えないようになっている。


 諦めきれずにドアの前で、ウロウロしていると扉が開く。中から制帽をアミダに被り制服の上着を肩にかけた、イタリア風大男が顔を出した。ドアの音に気が付いて、様子を見に来たようである。ラッキーな事に、チラリと内部を見る事が出来た。

 内部の衝撃的な光景! 僕は肩を落として後輩君の待つ、庶民席へと戻って行った。


「あ、硬臥チケット売り出されそうですか?」

「……後、十分くらいで売り出されるんじゃないかな」

 後輩君の質問に、僕はそう答える。恐らく硬臥室で乗務員達が談笑しながら食べている朝食が終わるのに、その位の時間が必要だと思ったからだ。

 貴族席が発車と同時に使用できないのは、乗務員達が朝食を食べる時間と場所となっていたからなのである。良く他の乗客が文句を言い出さないものであった。



 僕は肩を竦めて、後輩君が護ってくれていた硬座の席に戻る。考えてみると中国の庶民文化や生活スタイルを知る上で、この移動は大変勉強になるかもしれない。座っている車両は、兎に角賑やかだ。

 硬座の座席は金属と木で作られている。クッションのようなものは皆無で、名前の通りガッツリと硬く、背もたれは九十度で、リクライニング機能は存在しない。普通に座っているだけで、体力がドンドン削られてゆく。しかし乗客は皆、大変に元気だ。


 誰もが大声で話し煙草を吸ったり、ヒマワリの種やミカンを食べている。外国人は僕たちだけで、興味津々なのだが話しかけてはこない。どうやら初めは様子を見ていたようだ。遠巻きに絶えず視線を感じる。そのうち後輩君が中国語を話せると分かると、我先に皆が話しかけて来た。


「どこから来たんだ?」

「どこへ行くんだ?」

「何をしに行くんだ?」

「結婚しているのか?」


 これが同時に四方向から注ぎ込まれる。まさに中国版、マシンガントークであった。後輩君は返答に大わらわとなる。

 まだスマートホンが普及する前だから、暇つぶしはお喋りか読書位しかない。お喋りが殆どできない僕は、鞄から文庫本を取り出して読み始めた。生贄は後輩君一人で十分だろう。


 ポン


 僕が開いた本の上に、小さなミカンが乗せられた。見れば隣に座っていたお婆さんが、ニコニコと笑っている。お世辞にも余り衛生的とは思えないミカン。でもこれは返してはイケない奴である。


 ちなみに僕は仕事として海外へ出張する時、生水や氷、生野菜、生のフルーツを絶対に食べないようにしている。中国の生水はバリバリの硬水であるため、飲めば立ち所に腹を下す。氷だってミネラルウォーターを使っている訳ではないから、同じことだ。今では普通に中国でも食べられている生野菜も当時は、残留農薬や虫卵が本当に危険だから現地の人も炒めて食べていた。


 そうなると生のフルーツは貴重なビタミン補給源なのだが、これも僕は避けていた。何故なら、恐らくこれが原因で結構な食中毒おおあたりになってしまった事があるからである。上からも下からも偉い事になった。

 原因や理由は不明である。読者諸氏も知りたくないも無いであろうから、詳細な描写は行わない。しかし正露丸じょうびやく一本で治癒したのは、体力が有り余っていた二十代だからだろう。


 でもこのミカンは食べた。皮を剥いたら中身は割と、まともでホッとする。味は日本で食べるような甘いだけのミカンではなく、強烈な酸味と香りが立つ代物であった。

「……謝謝ありがとう这很美味おいしいです


 中国語が分からないとはいえ、この位は話す事ができる。僕の拙い普通語を聞き、笑いを深めるお婆さん。発音が悪いと、修正をされてしまった。

 いつの間にか後輩君の姿が見えない。まさか逃げ出したのかと思ったら、貴族席へのアップグレード券を手にして戻って来た。偉いぞ! 仕事のできる男だ!


 まだ僕たちを弄り足りないような彼らを残し、足早に未知なる領域である、コンパートメントへ足を踏み出したのである。

 座席概要は三段ベッドが向かい合わせになった、間の空間が小部屋となって区切られている形式だった。映画に出てくるような個室ごとのドアは無く、カーテンで通路と仕切られている。


 中段ベッドは壁側に畳むことができ、下段ベッドに座ると片側三人でも、余裕で座る事が出来る程広い。流石は貴族席である。座席の価格は下段が一番高く、上段が安い。中・上段へは併設された、梯子を使用して登る事になる。大酒を呑んで酩酊していると、そのまま垂直に落下しそうで、ちょっと危ないかもしれない。


 この六人用個室は初めから終わりまで、僕たち二人が独占することが出来た。初めから硬臥席が使用できなくても苦情が発生しないのは、利用する人が極端に少ないからだということが判明する。

 車窓には食事が出来る折り畳みの机があり、その下にコルク栓の魔法瓶が置かれていた。


 黒っぽくなった栓を開けてみると、ぬるま湯が半分ほど入っていた。これは一体何に使う物なのだろう? 二人で首を捻っていると、イタリア風大男が顔を出した。すかさず後輩君が質問する。以下は普通語で、やり取りされた会話である。

『このぬるま湯は、何に使うものですか?』

『あぁ、片付け忘れてたな。時間になったら熱いお湯を持って来てやるよ』

 大男はヘラリと笑って、魔法瓶を受け取った。

『朝食を摂り損ねました。何か車内販売は有りますか?』

『大きな駅に着けば構内で弁当を売っているが、車内販売は無い。腹、減っているんだろう?』

 二人とも、とてつもなく空腹だった。朝から食べた物は、お婆さんから貰った小さなミカンだけなのだから。大男は暫く腕を組んで考えてから、肩を竦めた。

『俺たちの備蓄のカップ麺で、良ければ分けてやるよ』


 イタリア人みたいな風体の、素敵な紳士はニカリと笑う。僕は有難うといい、料金を払おうとした。しかし手持ちの細かい紙幣が無い。彼は手持ちの一番少額な紙幣を受け取ると、お釣りは後で持ってくると約束し、またフラリと通路に戻って行った。


 さてここで当時の中国カップ麺事情について、若干ご説明させて頂きたい。都市部では安くて簡便な食品として認知されていたが、農村部では同じ値段を出せば屋台で軽食が食べられる位には、高価な食べ物だった。

 有名なメーカーには康師傅かんしーふー今麦郎じんまいらんがある。当然のように簡易コピーの粗悪品も、多数出回っていた。粗悪品に当たると美味しくないだけでなく、ちょっと深刻な障害が発生する可能性があるという。

 イタリア風大男が持って来たのは、康師傅の本物であった。勝ち負けで言えば勝ち、である。


 食の大国、悠久の歴史を誇る中国のラーメンとは、どんなものであろうか? ご存じの方が多いと思うが、ラーメンと思って食べなければ、食べられない事も無い感じの微妙な代物だ。

 出汁感のゼロで脂多めのスープに浸かった、細うどんみたいな食べ物である。中国には世界に誇る美味しい食べ物、地方の綺羅星のようなソウルフードが無数に存在する。しかしラーメンだけは日本の方が美味しいと感じてしまう、僕が居るのであった。


 後はお湯が来るのを待つばかりである。普通席では出す事を禁じられていたノートパソコン(盗まれたり、無用なトラブル防止の為)を鞄から取り出し、資料確認や報告書の作成を始めた。


 ……十分経過してもお湯は来ない。


 カップ麺は持って来たのだから、お湯はセットの筈だ。もしやここの人間は乾燥麵にスープを振りかけ、バリバリ齧るのかとも思ったが、そんな訳はない。開店前の貴族席で彼らは、暖かいスープと麺を啜っていた。僕は見た!


 これはイタリア風大男が、お湯を持って来るのを忘れたのだと判断する。いい加減な奴め! コンパートメントの非常口案内を見ると、給湯室があった。ここに行けば、お湯が貰えるに違いない。

 後輩君と二人で給湯室に向かうと、彼の携帯電話が鳴り始めた。電話を取った彼は、少し難しい表情を浮かべた。どうやら込み合った案件らしい。


 僕は彼の分の容器も受け取り、彼に個室へ戻るように首を倒した。彼は片手を上げて、コンパートメントに戻って行く…… そこで冒頭のボイラー番の老人と遭遇した訳である。

 何とかカップ麺にお湯を注ぎ、貴族席へと辿り着いた。ワクワクしながら三分経過するのを待つ。そのうち後輩君の電話も終わった。二人で割り箸を割り、麺を啜った。


「!」


 ラーメンを口に入れた僕たちは、同時に固まった。麺が滅茶苦茶に硬い。表面にはスープに溶け切れていない、脂分が浮かんでいた。

「マズッ! これ、ぬるま湯じゃん」

「熱湯で作らないだけでカップ麺って、こんなに不味くなるんですね」

 余りの衝撃に呆然とする二人。その時、個室のカーテンが開いた。制帽をアミダに被った大男が、魔法瓶をぶら下げて登場する。

『お湯を持って来たぞ。あれ? どこでお湯を手に入れたんだ』


 僕たちのラーメンを見て、大男は首を捻る。給湯室の方を指差すと、彼は肩を竦めた。

水还没烧开まだお湯は沸いていないぞ

 この魔法瓶の熱湯は、乗務員室の電気ケトルで特別に沸かしてくれたものだという。そう言えば老人も、そのフレーズを何度も口にしていたような気がする。

 そうだよな。湧いていない給湯器の前で、カップ麺を持った外人が居れば注意してくれるよな。言葉が通じなければ面倒臭くなって、好きにさせるだろう。


 大男は大袈裟に肩を竦めながら、またフラリと通路に向かって歩き始めた。


 この列車の旅は貴族席に座れたことで一勝。生煮えのカップ麺を食べた事で一敗の五分五分の成績となった。

 ……いや、待てよ。イタリア風大男はカップ麺のお釣りを、持って来なかったな。一勝二敗で負け越しかぁ。



 これから栽培地で、どんなに碌でもない事が起きるのであろうか。何となく前途が薄暗い、そんな列車の旅だった。

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