第23話(最終話)
一方の久米はその後店を辞めずに仕事に勤しんでいっていた。やがて閉店時間となりレジの精算を終えて店頭の床をモップ掛けしていると、店の外で誰かがこちらを見ている様子が目に入ってきたので、自動ドアの前に行くと莉花が立っていた。
「もしかして、登坂さんの……奥様でしょうか?」
「はい。初めまして。この時間に来てまずかったかな?」
「ちょうど今閉店したところでした」
「……久米さんお客さんですか?」
「こちら登坂さんの奥様です」
「あのマネージャー……中の控室に案内させてもいいでしょうか?」
「ああ、いいよ。どうぞお入りください」
「ありがとうございます」
控え室のテーブル席に座り、莉花は輝の事で用があり聞きたいことがあると言ってきた。久米も席に着き自分も聞きたいことがあるというと、先に話してきてくれと返答した。
「登坂さん、あんなふうに私を慕っていたことが今でも忘れられないんです」
「輝もあなたには救われたところもあったと話していたわ」
「救われた?」
「娘の結衣が産まれだばかりのころ、育児ができるか不安で結構悩んでいたの。それで初めはそれから逃げるように、あなたのところに行っていたみたいだけど、本当はあなたにも私の事を相談したかったみたい」
「ええ。確かその話は聞きました。でも、二人でいる時は全部忘れて私と過ごしたいって言っていました」
「やっぱり……もう一つの居場所をずっと彷徨うように探し求めていたのね」
「登坂さんは仕事以外の事はいつも漠然としながら何かに更けるような顔つきで人の顔を眺めたり遠くの景色を見ていることもありました」
「常に自分自身と葛藤していたのよ。何が良くて何が正しいのかって。そういう繊細なところもあったわね」
「私はそういうのはあまり見せないふりをしていましたが、なんとなくはそのような性格だなとも感じていました」
「久米さん」
「はい」
「輝の何が良くて一緒に居たんですか?」
「駆け引きをせず素直に向き合ってくれるところでした。あと、触れると……壊れそうなところですかね」
「男性としてたくましいとも感じてはいなかったの?」
「それはありました。あの人は自分を保つようにどうにかしてうまく何かを乗り越えていこうとしていました。そして自分のふがいなさも突き飛ばそうと懸命に尽くそうとしていました」
「そうかぁ。そういう顔を見せていたんだね」
「奥様にはそういう顔は見せなかったのですか?」
「うん。何を考えているのか理解できないところもあったけど、それを含めてあの人なんだと受け止めていましたしね」
「こうして私を話していて、私を苦しめたいと思わないのですか?自殺したあの日に最後にいたのは私だったんですよ?」
「苦しめてどうするの?」
「え……?」
「何をしても何をあがいても、あなたに何をしようとしても結局は自分に汚点が帰ってくるだけよ」
「それじゃあ、今回の事だって……許されるものではないですよね?」
「ええ、もちろん許さないわ。代償だって本当はあるんだからそれなりの誠意を見せてほしい。だけど、あの人がいなくなった分、結衣の事を守らないといけない責任が大きくなっているから、あなたの事は忘れたいのよ」
「忘れることで、結衣ちゃんにも良い保証はできると?」
「そうね……あなたの存在は話さなくてもあの子は大きくなっていく。父親が亡くなった理由も綺麗にまとめて話して伝えていくつもり。もしあの子が気づいた時が来たら、それなりに向き合って言ってもいいのかと心積もりはしている」
「改めて言います。本当に申し訳ございませんでした」
「こうして話を聞いてくれた私からも礼を言います。だからあなたも自分の将来に傷をつけないような生き方で、これからも頑張っていってほしいわ。では……これで失礼します」
莉花が席を立ちドアまで行くと、久米は深く頭を下げて涙を流しながら彼女を見送っていった。莉花もまた目を赤くしながら歩いていき家路に向かっていった。
実家に預けた結衣を連れて家に着いた莉花は、彼女を寝かしつけると、仏壇の前に手を合わせて、輝に久米との終止符を打ったことに胸を撫で下ろし、ようやく三人の生活が取り戻すことかできたと心の中で彼に話しかけていた。
それから歳月は流れ、輝の七回忌が過ぎた頃、結衣は買ってもらったばかりのランドセルをたて鏡越しに覗かせては莉花の名を何度も呼び、頬を赤く染めながら喜んでいる。四月から小学生になる彼女。莉花は夕飯の手伝いをしてほしいと声をかけて、二人並んで台所に立つ。
今日の献立は輝が好きだったたけのこと豚肉の炊き込みご飯と、程よくしみ込んだ大根と手羽先の煮物。まだ少しだけ茶碗を持ち運ぶ手が危うい結衣を見てはテーブルに置くと、ちゃんとできたねと励ましている。
子どもの成長をこうして見守るなか、莉花は自分の育児がこれで伝えられているのかと考えることあるのだが、輝とともにこの世に授けることができたことに、彼の存在にも改めて感謝したいと心の底から信頼をして、結衣にかけがえのない愛を託していきたいと願いつつあった。
《了》
乱孵 桑鶴七緒 @hyesu
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