第22話

「ねぇ、登坂さん待ってよ!本気なの?!」


輝はフェンスを登りその向こう側に移動して降りると、足元より下の地上の通りを眺めていた。久米が何度も名前を呼び、引き返して欲しいと言っても聞く耳を持たなかった。


「お願い、やめて。私、本気でいなくなってだなんて言ったわけじゃない。そうよ、ずっと一人が怖くて誰か傍にいて欲しいって思っていたのは本当よ。その時にあなたがいたから……どうにかして孤独をなくしたいって思って声をかけてみたの……」


彼はフェンスを渡って敷地の角に来ると振り向いて彼女を再び見ていた。


「登坂さん、戻って!馬鹿なことしないで考え直して!結衣ちゃんは……あなたがいなくなったらどうなるの?!」


彼は重たい口をゆっくりと開き、彼女に向かって告げてきた。


「結衣のことは妻に任せる。君はこれから良い人に巡り会えることを祈るよ……」

「こんな別れ方嫌よ!こうなると私があなたを殺すことになる。こっちに来て!まだ引き返せるから……」

「俺も、君に出会えて恋ができてよかった。純粋に好きでいられる時の自分も愛おしく感じていたよ」


すると、風向きが変わり彼の足元から突き上げるように凍てつく風が吹き上がってきた。


「久米……いや琴葉さん」

「えっ?」

「君は今、自分が好きかい?」

「そうね……多少は……」

「今よりもっと素敵な女性になれように、俺は君を見守りたいんだよ」

「登坂さん……」


「ありがとう。本気になった女性を愛するって……怖いことだね」


そう告げて輝はフェンスから手を離し、突風が吹いたと同時に身体のバランスを崩してその場から飛び降りた。その内部から見ていた久米は愕然とし、腰が引けてその場にしゃがみ込んだ。身体を震わせながらスマートフォンをバックから取り出して警察に連絡をした。


「……そうです。銀座五丁目の伊之瀬ビルです。目の前で男性が飛び降りました。いいから早く……誰か……誰か来てください……!」



安置室へ来ると莉花は青ざめた表情でしばらく輝の顔を見ていた。ドアの向こうにある廊下から足音が聞こえてきて、振り返ると検証を行なった警察官が来て聴取したいと言い、フロントロビーのところへ行くと椅子に座るよう促された。


「自殺……ですか?」

「はい。現場に久米琴葉さんという女性もいらっしゃって、今その方も署で事情聴取を行なっています」

「彼女が追い込んで主人を突き落としたことも、考えられますか?」

「今は何とも言えないですが、はっきりとした事情が判れば捜査も変わります」

「あの人は……特別何かに追われていることなどありませんでした。私たち夫婦で娘を見てきていたのに……久米さんも引き返すこともできたはずです」

「娘さんは今はどちらに?」

「私の実家の両親に預けてあります」

「明日また午前中に連絡をしますので、お電話番号を聞かせてください」

「はい……」

「……ありがとうございます。葬儀会社の方がこれからご自宅に来ますので、先に家に帰るようにしてください。ご遺体はそれから引き渡します」

「よろしくお願いします」


その後、久米の聴取も終わり、莉花が警察署へ行き話を聞くと、輝は自殺したことが断定されて、事件性は特に異様なものではなかったことと告げられた。


彼の葬儀がしめやかに執り行われ、更に日は経ち四十九日法要も終わった。


ある日、莉花が室内の掃除をしている際、彼の書斎に入り、机の上に置いてある書類を片付けていると、引き出しから手紙らしきものが出てきた。リビングへ行きソファに座りその手紙を読んでいくと次の事が記されていた。


『莉花へ。この間、久米さんの件で話を聞いてくれてありがとうございます。包み隠さず全てを打ち明けたことで、少しは重たい荷物が下ろせた気がします。彼女との関係は数回宿泊をしたり食事に出かけたりすることがありました。そして共に男女の関係も一線を超えたこともあります。僕は純粋に人を愛したいという思いで久米さんといましたが、家庭のことも決して忘れていたわけではありません。特に結衣のこれからをどうすればいいか四六時中考えています。しかし、この文面を読んでいるころには、僕はその先の生涯を生きることに諦めて一人旅立っていっていることでしょう。無責任なことをして申し訳ないです。あなたにはどう着せてきた罪や将来のことを背負わせることになってしまいましたが、これも独断で決めた僕の責任です。生きることより全てを捨てて立ち去ることが、僕の本心です。こんな自分ですが、些細なことがあってもいつも受け止めて話を聞いてくれたことには、いつまでも忘れることはないです。あなたには感謝したくてもしきれないほどの、たくさんの幸せをいただきました。結衣のこと、よろしくお願いします。僕の家族並びに莉花の家族にもよろしくお伝えください。どうかわがままな僕を許してください。ありがとう。登坂輝』


「本当に無責任で馬鹿な人ね……」


彼女は結衣を抱き上げて子守唄を歌い出した。無邪気に笑う結衣を見て彼女は話をしていた。


「今日からママと二人で生きていくのよ。パパはいなくなっても、きっとどこかで私たちを見ていてくれているに違いない。いつかあなたにパパのお話をするわ。それまでは私が守っていくから、一緒にたくさん遊んでお友達も増やしていこうね」

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