最終話 私のものだから

「んんっ……!」


 優美と葉月と別れてから二週間が経とうとしていた。


「透子、舌だして」


 あれからふたりとは一切の会話を交わさないように努め、視線がぶつかってしまったときは、どちらともなく顔を逸らした。

 最初のうちは苦しかったけど、徐々に視線が交わる回数も減っていき、今では完全に他人同士の間柄になっている。


「こ、こう? ……んぁっ!」


 優美も葉月も透子も俺も、全員が幸せでいられる理想の日常。

 そんな夢みたいな日々に、俺たちは浸かっている。


 歩きつづけた先に、誰もが幸せになれる未来が待っていた。


「はぁはぁ……今度は私からやってみていい?」

「うん。いいよ」


 透子が舌先で俺の舌をなぞっていく。続けて包み込むように、ぎこちなく舌で弧を描く。

 俺とのあいだに唾液の架け橋を作りながら、透子は不安げな顔で尋ねてくる。


「どうかな?」

「悪くないよ」


 透子の口のなかに舌を入れて、歯茎をなぞり、頬の裏をなぞり、舌裏をなそる。


「んんっ……!」


 透子は上歯茎が敏感だから、ほかの部位より丹念に刺激しておく。透子の喘ぎ声がみるみる高潮していく。


「んっ、ふぅふぅ、んぁ、んんっ、はぅっ……!」


 俺の背中に爪を突き立てて、透子がぶるりと全身を震わす。


「声抑えなくていいのに」


 今日は休校日のため、ほかの生徒がやってくることはない。

 俺たちは忘れものをしたと嘘をついて校内に入り、こうして淫らな行為に耽溺している。


 現在の時刻は一時手前。冷房のおかげで快適な場所になっているけれど、身体を動かせばそれなりに汗ばむ。

 透子の身体からは、雄を堕落させる甘美な色香が漂っている。汗と透子の体臭が溶け合った匂いともいえる。


「抑えるもなにも、慎哉に口を塞がれてるからどうしようもないんだよ」


 そういう透子は、どこか不満そうだ。不完全燃焼だからだろう。


「なるほど。透子は誰もいない教室で大声をあげて絶頂したい変態なんだな」

「うるさい」


 俺の耳の輪郭をつーと舌でなぞり、ぐるぐる耳穴を攻撃してくる。


「んっ……それでどうして急に教室でしたいなんて思ったの?」


 俺は反対したけど、透子がどうしてもしたいというから聞き入れた。

 俺は透子に甘いし、透子は俺に甘い。この先、堕落する未来しか見えない。


「さぁ? なんでだろうね?」


 小悪魔めいた笑みを浮かべ、透子はリボンタイを外す。

 カッターシャツの第一ボタンと第二ボタンを外し、俺の腹部に跨ってくる。


「どうする? バレちゃうかもしれないけどする?」


 わざとらしく柔らかな膨らみを俺の胸に押しつけながら、臀部を俺の局所に擦りつけてくる。


「俺、スリルは最高のスパイスだと思うんだよね」

「ふふっ、へんたい」


 俺のカッターシャツの第一ボタンを外し、首筋をちゅるちゅる吸い上げてくる。


「まぁ、へんたいだろうがなんだろうが、私が慎哉を愛することには変わりないんだけどね」


 優しいキスから、激しいキスへ。

 制服越しに触れていた胸にブラジャー越しに触れて、直接触れて。

 佇立した突端を指先で弄んで、吸い上げて。

 スカートのなかに手を入れて、パンツ越しに刺激して。

 パンツを下げて直接さわって、動かして、なかにいれて、攪拌して。


「んっ、んっ、ぁあっ、あぁっ、んんん~っ!」


 透子ができあがった――そのときだった。


 教室の前の扉が開いた。


「ごめんね谷津さん。遅くな……」


 ――優美だった。


「ぇ」


 やや遅れて後ろの扉も開く。


「谷津さん、サンドイッチ買ってき……」


 ――葉月だった。


 誰もいない教室で愛し合う俺と透子。


 そんな俺たちを見て、ふたりは絶句している。俺も絶句している。


「ありがとうふたりとも」


 けど、透子だけは平静を保っていた。微笑んでいた。


「あむぅ、んちゅぅっ……」


 俺の頬を両手で挟み、透子は見せつけるようにキスしはじめる。


「……は、はは。嘘だよね?」


 優美が崩れ落ちる。


「だって谷津さん、わたしの恋を応援してくれるって。今、慎哉くんは辻さんと付き合ってるんだって……何回も相談に乗ってくれたじゃん」


 ……なるほど。そういうことか。


 透子はずっと、この瞬間を待ちわびていたのだろう。


 自分が勝者なんだって、誇示する瞬間を。

 ふたりの目の前で俺を奪い、ふたりに復讐する瞬間を。


「……谷津さんは、ずっとはーちゃんたちを躍らせてたの?」


 葉月も優美同様、透子に恋愛相談を持ち掛けていたのだろう。仄かに怒気を孕んだ声だった。


「ぷぁ……うん、そうだよ」


 机に置いていたスマホを手に取って操作し、葉月に画面を見せつける。


「っ! これって……」

「この動画が、歪んだ関係の破滅に拍車をかけた」


 見なくてもわかる。

 それは、葉月がいじめられるきっかけになった動画だ。


 撮影者が透子である確率はかなり高いと前々から思っていた。けど、透子が葉月をいじめたいという願望を持っていたとは思えないし、なによりその動画は俺が不利益を被るものだった。


 透子は俺が不利になるようなことを絶対にしない。だからもしかしたら犯人は別に……と思っていたけど、今なら透子の計画の全容がわかる。


 まず、葉月をそそのかして優美の前で俺とキスさせる。これで優美と俺の関係が瓦解する。優美が諦めずに関係が継続したのは、たぶん透子にとっても誤算だったんだと思う。


 そして、その動画を拡散することで俺と葉月は周囲から排斥される。俺と葉月は弱る。弱った俺を慰めて透子は自分の立ち位置を向上させる。俺と葉月に陰湿なことをした生徒は、透子が直々に駆逐する。かくして俺と葉月が致命的な傷を負うことなくいじめは自然消滅し、この出来事がきっかけで葉月に本物の友だちができる。それを見た俺は、もう自分がいなくても葉月が大丈夫だと気づく。俺は葉月と別れて、誰とも付き合っていない状況になる。


 となれば、あとは透子の独り舞台だ。俺を独占することができる。


 俺も優美も葉月も幸せになれる結末は存在する。


 あのとき、俺がその結末にたどり着きたいと頼んだときに、透子のなかではこのシナリオができあがっていたんだろう。

 嘯いたわけでも、理想論を口にしたわけでもなくて、透子のなかでは明確に成功の算段がついていたのだろう。


「……ひどいよ。ひどすぎるよ谷津さんっ!」


 瞳に涙を溜めて、優美が透子を睨み据える。


 ……違う。透子は悪くない。

 俺が頼んだことを実行してくれただけだ。難解なプロセスを踏んでいるから気づけなかっただけで、透子は俺たちのために動いてくれていたんだ。


「そういう鴨川さんは、ずっと慎哉を苦しめてたよね?」


 透子は優美を睨み据える。


「っ……! そ、それはそう、だけど……」

「慎哉、ずっと苦しそうだった。朝食もあまり食べてくれないし、話しかけても上の空だし、いっしょに寝てくれない日もけっこうあった。……あ、それは辻さんが原因の方か」


 と、透子さんは視線の矛先を葉月に変える。


「……谷津さん、もしかしてだけど……」


 神妙な顔をする葉月に、透子は柔らかな微笑みを向ける。


「やっぱり賢いね、辻さんは」

「ってことはやっぱり……」

「お察しの通り。私は慎哉と四年前から同棲してるの」

「っ……ずっと思ってたんだ。やっちゃん、お弁当誰に作ってもらってるんだろうって」


 鴨川さんじゃなかったんだ、とつぶやき、葉月は透子から目を逸らす。


「私は慎哉の母親代わりみたいな部分もあるからね。家族だし」

「家族って……」


 ちらと俺を見やる優美。


「じゃあも近くに……」

「……」


 俺は目を逸らした。

 あのとき、その抽象的な言葉がどの瞬間を指しているのか、わかってしまったから。


「だから、私は慎哉を守らなきゃいけないの」


 透子は、ぞっとするほど冷たい声でいう。


「慎哉を傷つけて困らせたあなたたちは恋人失格だよ。だから、慎哉は私のものにする」


 視線を俺に転じ、透子ちゃんは柔らかく微笑みかけてくる。


「ね、慎哉?」


 続けていう。


「これが最終プロセスだよ。ふたりに慎哉が愛してるのは私だけなんだって教えてあげて。私だけを見て、思いっきりキスして、思いっきり抱き締めて、めちゃくちゃにこわして」


 俺の耳元に顔を近づけ、透子はささやく。


「こんな悪いことをした私におしおきしてよ」

「……」


 俺は透子を思いっきり抱き締めて、思いっきりキスをする。


「んん~っ! ……ぷぁっ、はは、しんや、すご……んぁっ!」


 桜色の突端を強く抓り上げ、濡れてぐしょぐしょになった秘所を刺激し、口のなかで激しく舌を躍らせて、俺は透子をめちゃくちゃにする。ほんとにこわれるんじゃないかってくらいに乱暴にする。


「はぁはぁ……いいよいいよ、その調子だよしんやぁ」


 けど、透子は喜んでいる。だから俺は手を緩めない。透子を昂らせる。


「……どうしてまたそんな酷いことするかなぁ。……苦しいよ。ねぇ慎哉くん、わたしすごく苦しいよ……」


 透子が全身を激しく痙攣させる。淫裂からとぷとぷと熱い液体があふれだす。


「鴨川さんじゃなかったんだ。やっちゃんをおかしくしたのは……」


 肩で息を切らしていた透子が顔を上げて、俺にくちびるを重ねてくる。


「はは、ねぇ慎哉、あの子たちなんか言ってるよ。いいの、反応してあげなくて」

「俺には透子だけだから」

「「っ……!」」


 何度も何度も、短いキスを繰り返す。


 俺とのあいだに透明な架け橋を作りながら、透子は呆然とする優美と葉月に向けて言った。


「慎哉は私のものだから」


 ― FIN ―

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彼女がふたりいる俺は義理の家族に答えを求める。 風戸輝斗 @kazato0531

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