魂転生管理局
鈴木魚(幌宵さかな)
魂転生管理局
天国と地獄の狭間に、六道の交点に、様々な世界の分岐点に、「魂転生管理局(たましいてんせいかんりきょく)」という「魂」を管理する部署がありました。
そこは生前のあらゆる記憶、全ての業を洗い流した完全無欠、純粋無垢な魂に新たな『生』を与える場所でした。
◆魂転生管理局極東支部
「あぁ!もうやってられるかー!」
白いワイシャツに、灰色のベスト、同色のスラックスという服装の男が事務机に置かれた書類の山を、ウルトラマンに出てくる怪獣のような豪快さで薙ぎ払った。
書類の束は、なすすべもなく空中に投げ出され、大理石の床に散らばっていく。「藤文(ふじふみ)部長、何やっているんですか!やめてください!」
狂ったように書類をばら撒いた男、魂転生管理局極東支部部長、阿波野藤文(あわのふじふみ)三十五歳の元に、白いブラウスと灰色のベスト、同色のフレアスカートという、藤文とよく似た格好をした女性が慌てて駆け寄って来て、書類を拾い始めた。
「うるさい!うるさい!もう仕事なんてやめてやる!」
藤文と似たような格好をした女性、葛野湯々(くずのゆゆ)二十五歳は喚き続ける藤文を困ったように見つめながらため息をついた。
「ちょっと落ち着いてくださいよ」
「これが落ついていられるか!?この広い職場に職員が二人だぞ!田中は異動、伊藤は退職、パートの飯田さんはぎっくり腰!どうやって現状で仕事を回せと?」
藤文は拳で机を強くと
「くそぉぉ……転属なんかするんじゃなかった」
そのまま力なく机にうなだれた。
今、藤文と湯々がいるのは小学校の体育館ぐらいの大きさの部屋だった。高く吹き抜けになっていた天井には照明のシャンデリアが輝き、壁側には本が詰まった棚が天井近くまで並んでいる。
人数にして百人は悠に収まるだろうという部屋の中に、今は藤文と湯々の机だけがポツンと置かれ、机の上には大量の書類と旧式のディスクトップパソコンが設置されている。
「魂転生管理局」という名前だが、空間の広さと部屋の雰囲気だけ見れば図書館か何かのようであった。
「気持ちはわかりますけど、子供じゃないのですから、暴れることはやめてください」
湯々はそう言いながら、拾った書類をまとめて机の上に戻していく。
「そんなこと言うが、いかせん仕事が多過ぎるのがいけない!書類チェックや来世の段取りだけでも大変だというのに、最近は異世界転生の案件が多すぎる!やれスライムだ、勇者だ、賢者だ、しまいには蜘蛛にまで!転生とは生前の業を長い時間をかけて漂白した汚れなき魂だけが行える儀式だったはずだろ……」
藤文は頭を抱えて机に突っ伏した。
「激務なのはわかりますけど、物に当たることははやめて下さい。あと仕事を増やすのも」
拾われた書類は元のように藤文の隣に山になっていく。
藤文は、積み直された書類の束を見つめて、生気が全てなくなってしまうぐらい深いため息をついた。
「湯々、仕事を増やしてしまってすまなかった。ちょっと一服して、気分を変えてくる」
「はい、どうぞごゆっくり」
藤文は椅子から立ち上がると、ふらつきながら部屋を出ていった。
湯々は残りの書類を片付けながら、
「今日は定時に上がれるかなー」
と一人呟いた。
一服した藤文は冷静さを取り戻し、未処理の書類を次々に捌き始めた。
一種のドーピングのようだなーと、隣でデータ入力をしながら湯々は常々思っている。しばらくは、紙が擦れる音とキーボードを叩くタイピング音だけが部屋に響いていたが、そのうちどこかから小さな鐘の音が聞こえ始めた。
カーン、カーン、カーン……。
「藤文部長、そろそろ受付時間になります」
「お、もうそんな時間か?」
藤文は書類から目を離し、大きく伸びをした。
「今日も一日よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします。では、お時間です」
湯々の声と同時に先ほどとは違う、重音を響かせた梵鐘(ぼんしょう)の音色が盛大に鳴り響く。
ゴーン、ゴーン……
その瞬間に、部屋の扉が開き、青白く発光する球体が空中をゆっくりと浮遊しながら入ってきた。それは地獄、もしくは天国を超えてやってきた、全てを漂白された魂。
魂は一つだけではなく、列になって次から次へと部屋に入ってくる。
一番先頭の魂が、二人の机の前で停止した。
「魂No.✕✕✕✕✕✕✕✕」
湯々が手元の書類を見ながら、一番先頭の魂に向かって呼び掛ける。
「___」
魂は何も言わない。
湯々は続けて書類を読み上げる。
「来世は日本国千葉県船橋市佐藤家長男として誕生予定。表面化する特徴は愛嬌、潜在化する特徴は商業センス。その他の特記事項、引き続き項目はなし」
「___」
やはり魂は何も言わない。
湯々は手に持った書類を藤文に手渡した。
「魂No.✕✕✕✕✕✕✕✕。あなたの転生を受理いたします」
藤文は、渡された書類に『受理』と書かれた大きな判子を押した。すると、黙ってその場に浮かんでいた魂が強く発光したかと思うと、風船が割れるように弾けて消えてしまった。
「次どうぞ」
湯々は消えた魂に気をかける様子もなく、次の魂に呼びかけた。
列に並んでいた魂が二人の机の前にやってくる。
「魂No.✕✕✕✕✕✕✕ ✕」
魂の番号を呼び、来世の情報を伝える。
「魂No.✕✕✕✕✕✕✕ 。あなたの転生を受理いたします」
判子を押すと魂が弾けて消える。
その次に並んでいた魂が二人の机の前に進んでくる。番号を呼び、情報を伝え、判子を押す、消える。
途切れることのない魂の列と繰り返される業務。
どのくらい時間が経っただろうか、再びゴーン、ゴーン…と梵鐘の音が室内に響いた。
「午前の業務はこちらで終了いたします。午後の受付再開は一時間後です。皆様、退去をお願いします」
湯々が机越しに呼びかけると、魂たちは揺めきながら、静かに部屋から出ていった。魂が全員部屋から出ると部屋の扉が自動で閉まった。
「あーやっと昼かぁー」
藤文はそう言いながら、体ごと机に突っ伏した。
「お疲れ様でした。今日も魂の数が多いですね。藤文部長は、お昼どうします?」
湯々はそう言いながら首と肩の関節を大きく回した。
魂転生管理局の主な仕事は、書類の不備や不法転生の取り締まり、誤転生の防止など。名目では魂転生前の最後の砦であり、冥界の中でもかなり重要な部署ではある。しかし、基本は地味な反復業務ばかりだった。ほとんど動くこともなく、一日中椅子に座り続けるので、すぐに体はバキバキと硬くなってしまう。
「今日はもう疲れた。昼はカップ麺で済まして、残りは昼寝する」
「そうですか。じゃあ、私はランチを食べに行ってきますね」
湯々がそう言って立ち上がろうとした時、部屋の扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
藤文と湯々が扉の方を見ると、黄色く発光する、人のようなものが部屋に入ってくるところだった。人のようなものは部屋に入ると二人に向かって深々とお辞儀をした。
「ご休憩中に申し訳ありません。早急にご対応頂きたい案件がありまして、取り急ぎお渡しに伺いました」
機械音のような甲高い声が聞こえ、人のようなものは二人の方に近づいてきた。
近くまで来ると、その姿がはっきりと見えた。黄色く発光したその者は教会の司祭のような丈の長い祭服に身を包み、人間のように直立二足歩行をしている。しかし人間の頭部に当たる部分に頭はなく、代わりに大型の草食動物の頭蓋骨が乗っていた。
「突然のご訪問をお許しください」
どこから声が出ているのかはわからないが、その者は話し始めた。
「大変申し訳ございません。午後の業務の際に先行して処理いただきたい案件がありまして。許可は頂いておりますので、こちらをお受け取りください」
その者は、懐から冊子のように綴じられた書類を二人の前に差し出した。
表紙には天国と地獄の判子が押してあり、冥界の公式の書類のようだった。
その書類の束を見た瞬間、湯々が視線を藤文の方に投げかけてきた。
藤文も何かを察して、湯々の方を見つめた。
コンマ数秒の無言の対話が行われる。それは打算的な小さな攻防。
今、書類を受け取った際に削られる昼休み時間に対して、藤文と湯々の様々な思惑が錯綜する。
「書類は、全部私が拾いましたけどね」
静かに湯々がつぶやく。藤文は返す言葉もない。
「……拝見致します」
小さくため息をつきながら、藤文は差し出されて書類を受け取った。書類は数十ページほどの束になっていて、右端がホッチキス止めされていた。表紙には、天国と地獄の判子の他に『緊急』という赤い文字が書かれている。
かなり重要な書類のようだ。
「お忙しいところすみませんでした。午後に再度お伺いいたします」
その者はそう言うと、扉から出ていった。
「あいつはなんだったんだ」
藤文はそう言いながら、受け取った書類のページを一枚めくり、そこに書かれた文字を読んだ瞬間に固まった。
「あ、……ランチ終わっちゃうんで行ってきますね」
藤文の後ろからその冊子を覗いた湯々が全てを悟り、逃げるように部屋を出ていった。
バタンと扉が閉められる音が響き、部屋には藤文一人だけが残される。
一ページ目に書かれていたのは、転生する魂の取り扱いと誓約事項。
さんざん喚いた異世界転生系の案件らしい。
「くそっ」
湯々が出て行った扉の方を見ながら、藤文は悪態をつきつつ、冊子をめくっていく。書類の三ページに達した時、不意に大きな赤い太文字が目に飛び込んできた。
*特記事項:地獄の血の池から世界最強の傭兵(ようへい)の魂を回収すること。
「はぁ?」
もう一度、その文字を読み、そして続きの文章も読んでいく。
段々と藤文の表情が強張り、冊子を持つ手に力が入っていく。
そしてついに、
「くそ、なんなんだよ!魂の回収は業務外だろ!!」
藤文は持っていた書類を壁に向かって投げつけた。書類の束は壁にぶつかると、留め具が外れ、バラバラになって床に飛び散った。
p3 「異世界への魂転生の手続書類 (様式第1号 )」
*特記事項:地獄の血の池から世界最強の傭兵の魂を回収すること。
冥界裁判の際に異世界転生予定の魂が誤って、地獄へと移送されてしまいました。地獄の職員に捜索・回収の指示を与えておりますが、転生までの時間がなく、魂転生管理局極東支部にも協力を要請いたします。
冥界庁地獄課・天国課
冥界庁魂転生管理作戦本部
◆地獄 血の池
黒い雲が空を覆っている。時々雷鳴が響き、稲妻が雲の間を駆け抜ける。周囲の空気は重苦しく、すべての幸福を吸い取るような陰鬱とした雰囲気が溢れている。
そんな地獄の平野の中を、巨大な猫の姿をした『火車(かしゃ)』という妖怪が、土埃を上げながらすごい勢いで走っていた。その背中には藤文と湯々が振り落とされないように必死でしがみついている。
「もっと、快適な乗り物はなかったのか!」
『火車』に付けられた首輪を握りながら、藤文は隣の湯々に怒鳴った。
「藤文部長が、とにかく最速で行けるものがいいって言ったんじゃないですか!?」
「確かに言ったが、限度があるだろ!!」
『火車』の移動があまりに速いため、風切り音が凄まじく、叫ばないと会話するのさえ難しい。
「藤文部長、間も無く着きますよ!」
湯々の声に藤文が前方を見ると、遠くに赤い線が見え始めてきた。その線は近づくごとに大きさを増していく。
目指しているのは東京ドーム数十個分という大きさの巨大な血の池地獄。広大な面積を誇る血の池には数多くの罪人の魂が投げ込まれ、もがいている。
そんな罪人の芋煮のような血の池の中から、目当ての魂を見つけて帰らなくてはいけない。かなり無謀な仕事だ。
「まったく、なんでこんなことになったかなぁ」
藤文は小さく愚痴をこぼした。
巨大な猫の姿をした『火車(かしゃ)』は、血の池のほとりに静かに停車した。
血の池からは生暖かい風が吹き、鉄臭い匂いが漂ってくる。絶えずうめき声が聞こえてきて、周辺には人骨と見られる白い物体が散乱していた。
「回収しろと言っても、この広い池の中からどうやって探せばいいんだ」
絶望的な顔をして藤文は火車から降りた。
高速移動をしていたためか少し陸酔い(おかよい)をしているようで、地面がずっと揺れているような感覚がする。
「この地区を管轄している職員の方にまずは話を聞いてみますか?」
藤文の後に続いて湯々も火車から降り、冥界本部宛てで領収書を切って、支払いを済ませた。
火車はゴロゴロと喉を鳴らしながら、どこかへ走り去って行った。
「そうだな。まず地獄の職員を探ししてみるか」
そう言って二人が歩き出そうとした時、赤褐色の肌をした赤鬼がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。赤鬼は二人の前に来ると深々と頭を下げた。
「ご足労いただきありがとうございます。この度は、ご迷惑をお掛けしてすみません。血の池の現場監督者をしております、赤鬼のレッドと申します。火車が見えたのでもしやと思い走って参りました。閻魔の方から事情は聞いております」
「ご、ご丁寧にありがとうございます。私は魂転生管理局極東支部長、阿波野藤文と申します。こちらは、職員の葛野湯々です」
急な登場からの丁寧な挨拶に、驚きと戸惑いを感じながらも藤文は頭を下げ、湯々もそれに倣って頭を下げた。
「今回は本当にすみませんでした。異世界に転生予定の『世界最強の傭兵』の魂の発見はなんとかできたのですが……その、少々問題がありまして……」
気まずそうレッドはそう言った。
「見つかったんですね!それは有り難いです。それで、その問題とは?」
「それなのですが、その、ご説明するよりも見ていただく方が早いと思いますので、その魂がいるところまでご案内いたします」
そう言いながら恐縮したようにレッドは深くお辞儀をした。
「わかりました。どちらにしてもその魂には会わないといけないので、ご案内をお願いします」
その言葉にレッドは安心したように笑顔を見せて、藤文たちを先導し、池に沿って歩き出した。
池の周りはサラサラとした白い砂に覆われ、どこ前進んでも同じような景色が続いている。 時間や距離の間隔が麻痺していく。
「ここの丘の頂上でございます」
どのくらい歩いたのはわからないが、急にレッドが立ち止まり、目の前の小高い丘のような場所を指差した。それは風によって砂が堆積してできた砂丘のようだった。
三人はゆっくりとその丘を登り始める。
柔らかい砂は滑りやすく、登ることに苦戦しながらもなんとか頂上まで辿り着いた。
「あれをご覧ください」
レッドが丘の上から眼下の池の方を指差した。
そこからは血の池を広く見渡すことが来た。
赤い血の池がどこまでも続き、池の中には人の頭や腕が見え隠れしている。もがきながら沈んでいく人間の姿も見えた。
あまりいい光景とは言えないが……それよりも目的の魂がどこにいるのだろう?
藤文と湯々がいくら凝視してもそれらしい姿を見つけることはできなかった。
「『世界最強の傭兵』の魂はどこにいるんですか?」
「あ、言葉が足らず、すみません。血の池ではなく、血の池の上の方をご覧ください」
「上の方?」
藤文が血の池ではなく、血の池の上空へと視線を移し始めた時、何かが見えた気がした。
「藤文部長、空中に何か浮かんでいるみたいです」
湯々が空を指刺した。
藤文がその方向を見ると確かに黒い何かがモゾモゾと動いているのが見える。目を凝らしてみると、それは人の形をしていた。
「え?もしかして。あれですか?」
「はい、そうです」
「え?いや、嘘だろ……」
魂は浮遊することはできるが、高く飛ぶことはできない。そもそも、魂の漂白作業が完了していない人型の時は浮遊さえすることはできない。
それは冥界の常識であり、普遍のルールでもある。
「藤文部長、人型の魂って、飛べない……ですよね?」
「あぁ、人型の魂は飛べない、そう決まっていたはずだ……。レッドさん!今起こっている状況を説明していただけませんか!?」
「は、はい、もちろんです!まず、あの魂は浮遊しているわけではないのです」
「浮遊ではない?」
「はい。よろしければこちらをお使いください」
レッドが懐から、二つのレンズが付いた双眼鏡のようなものを藤文に差し出した。藤文はそのレンズを受け取り、血の池の上に浮かんでいる人型の、『世界最強の傭兵』の魂の方に向けて覗いた。
レンズを使うと、その姿がはっきりと見えるようになる。
『世界最強の傭兵』の魂は粗末な布を腰に巻き付けている以外、服らしきものは一切身に付けていなかった。裸の上半身にはよく鍛えられており。体の動きに合わせて筋肉が躍動していた。
見ていると『世界最強の傭兵』の魂は、右手を空中に伸ばし、何かを掴んだような動作をし、次にはそれを引き寄せるように腕を曲げ、体を上空に引き上げるという動作を繰り返していた。腕の動きに連動するように、足は何かを後方に押し出すように伸び、次の動作のために膝を曲げて抱え込むような姿勢になる。
「登っている?」
藤文は『世界最強の傭兵』の魂の手元を注視した。すると手の中で微かに何かが光って見えた。
「??何か光った?」
「藤文部長、何が見えるんですか?」
覗こうとしてくる湯々を静止して、更に集中して動きを観察する。
「見えた」
『世界最強の傭兵』の魂が手に握っている細長い光る物。
半透明のため見にくいが、それは紐状の何か、だった。長い紐のようなものが天空から垂れ下がっていて、『世界最強の傭兵』の魂はその紐を登っていた。
「細い紐のようなものが、空からら垂れていていますね。あれは何ですか?」
「あれは糸です」
「糸?」
「はい。天国から垂らされた蜘蛛の糸」
レッドは、糸が垂れている先、地獄の空を指差した。
「それは、どういう……」
「藤文部長、私にも見せてください」
話に割り込んできた湯々に藤文はレンズを渡し、レッドにもう一度尋ねた。
「天国から糸が垂れているのはどういうことなんですか?」
「たまにあるんですよ。天国の気まぐれで罪人を引きあげてあげることが。それが今回は運悪く、あの魂になってしまって……。大抵は途中で落ちて地獄に戻ってくるので、しばらく様子を見ていたのですが、どうもあの魂は落ちて来ないんですよ」
「あの糸を切って落としてはダメなんですか?」
レンズを見ながら湯々がレッドに聞いた。
「それは出来ないんです。あの糸は天国のものなので、私たち地獄とは管轄が違います。あの糸をつかまれた時点で私たちは直接の干渉ができません」
ここでも、縦割りのお役所仕事か!藤文は思わず怒鳴り出したくなったが、レッドが悪いわけではない。むしろレッドは迷惑を被っている側だ。
藤文は苛立つ心を深呼吸で落ち着けた。
「何か出来るないんですか?何かこう、あの魂を地獄に戻す方法とか……」
「落ちて地獄に戻ってくるか、登り切った先の天国で身柄を拘束するか、もしくは天国から糸を切ってもらう、そのぐらいしか方法がないです」
「そうですか」
藤文は頭を抱えたくなった。
元々面倒だった事態がさらに複雑になってしまっている。でもこのまま帰るわけにもいかない。なんでこんなことになった?
「藤文部長、ちょっといいですか?」
まだレンズを覗いたままの湯々が藤文に話しかけた。
「どうした?」
「あの、今必死に糸を登っている『世界最強の傭兵』の魂は、地獄に行くのが嫌なんですよね?そしたら、もう転生が決まっているから、地獄に行かない旨を教えたら、降りてきてくれるんじゃないですかね?」
「……確かに。なるほど」
いい考えかもしれない。
あの魂が地獄に戻ってきてくれさえすればこちらで対応することができる。
「『世界最強の傭兵』の魂の近くまで行って説得をしたいのですが、何か手段はありませんか?」
「それなら、鳥地獄からすぐに怪鳥の類を手配して、こちらに回します」
そう言ってレッドはバタバタとどこかへ走っていった。とにかく今はできることをやるしか無いのだろう。
「湯々は天国の方に連絡を取って、転生の決まっている魂だから、糸を切るように頼んでくれ。一応、天国に到着した際の拘束の申請もしておいてくれ」
「わかりました」
レンズから目を離した湯々はニヤニヤと藤文に笑いかけてきた。
「?なんだ」
「いつになくやる気だなーと」
「はぁ?やる気な訳あるか。早く帰りたいんだよ。そのためにも、あの魂を何とかしないとな」
「そうですね。じゃ、私は天国の方に話をしてきますので、一回事務所に戻ります」
湯々は携帯を出して、アプリを起動させると『火車』に迎車の申請を行った。
『火車』はアプリで呼べるのか……。
数分後、湯々は管理局の事務所に走り去り、レッドは数百羽の鳥の群れを連れて戻ってきた。
「お待たせしました」
鳥たちはそれぞれ、爪にロープの端を握っていて、その中央部分の人が乗れるように板が渡してあった。まるでゲゲゲの◯太郎のようだ。
「乗り心地はあまり良くないですが、速さはありますので」
二つ用意された鳥の乗り物のうち、近い方の乗り物の板にレッドは座った。
「藤文さんは、こちらをお使いください」
そう言って、もう一つの鳥の乗り物を薦められる。
「あ、ありがとうございます。お借りします」
速さがある乗り物の乗り心地の悪さについては、『火車』で学習済だった。
藤文は恐る恐る板に座る。
「では、出発しましょう」
レッドがそういうと、鳥たちが羽ばたき始め、大きな風が吹いたかと思うと藤文たちの乗った板は地面を離れて、空に浮かび上がった。
「ロープにしっかり掴まってください。先導したします」
藤文の斜め上を飛ぶレッドが大きな声でそう言うと、鳥たちが弧に描きながら、今もなお糸を登っている『世界最強の傭兵』の魂に向かって飛んでいく。
こんなに地面から離れるのが怖いとは思わなかった。
藤文は必死でロープにしがみ付きながら、落ちないことを願うので精一杯だった。しばらくすると、鳥たちは糸を登っている『世界最強の傭兵』の魂の横に並び、ゆっくりとその周りを旋回し始めた。
「おい、そこのお前!」
レッドが『世界最強の傭兵』の魂に向かって叫んだ。
その声に反応して『世界最強の傭兵』の魂はレッドと藤文の方を見た。
眼光は他の者を圧倒するほどに鋭く、彫りの深い顔には、深い皺が刻まれていた。短く刈り上げられた頭髪には所々に乾いた血がこびり付いている。
近くで見るとよくわかるが、肉体には無駄な贅肉は一切なく、ストイックに絞り込まれている。そして身体中に無数の切り傷や縫合の跡が見えた。
「お前に話したいことがある、今後の転生に関することだ!心して聞くように!」
レッドはそう言った後に、藤文に目配せをしてうなずいた。
ここからは藤文の番だった。
藤文は大きく息を吸い込み、叫んだ。
「私は魂転生管理局極東支部長、阿波野藤文という者です。今回、あなたは生前の記憶を持ちながらの早急な異世界への転生が決定しています!なので、すぐに地獄に戻ってください!」
その言葉に『世界最強の傭兵』の魂は藤文を一瞥したが、無反応で糸を登り続ける。
「お、おい、ちょっと待ってくれよ。聞こえなかったのか?……あの!落ちても刑罰などはない!新しい生に転生できる!」
「……どうせ嘘だろ」
藤文の呼びかけを聞いた『世界最強の傭兵』の魂は低い掠れた声が小さくつぶやいた。
「何か、言いました?!」
「嘘だろうって言ったんだよ!」
今度は怒鳴るような大声。
「嘘ではない!本当だ!しかし、あまり時間がないので、すぐに降りてきて欲しい!」
話しながらも『世界最強の傭兵』の魂は登る手を止めない。
「何か証拠でもあるのかい?」
「証拠はここに、転生の書類ある!見せたいが、飛びながらでは難しい!」
信用されないのもわからなくはないと思った。地獄からやっと抜け出せた者が簡単に人の言葉を信じて地獄に戻るはずがない。そんな当たり前の心理に考えが及んでいなかった。
苦々しい思いを感じ、藤文は黙ってしまった。
しかし、その時レッドが叫んだ。
「お前はなぜその糸を登る!傭兵であるお前は、生前にたくさんの人間を殺してきた!良心の呵責はないのか?!」
驚いて、藤文はレッドを見た。
「人の命を奪いながら、それでも天国に行きたいと思うのか!」
何度も叫ぶレッドの声に『世界最強の傭兵』の魂は小さく舌打ちをした。
「……うるさい」
「罪から逃げるな!お前は……」
「うるさい!ずっと天国に居ようななどとは思ってない!」
「言い訳か!」
「……死んだ妻に一言謝りたいだけだ。それが済んだら、俺は、また地獄に戻る!それも許されないのか!」
「なるほど」
レッドが叫ぶのを辞めた。
『死んだ妻に謝りたい』そのためだけに糸を登ってきた者を咎めることができるのか?それは悪なのだろうか?
思わず藤文は考えてしまった。待つしかない、のかもしれない。そんな風に思ってしまう。藤文たちが待てばそれで済む話では無いのだろうか、と。
「お前、地獄を舐めるなよ」
先ほどの叫び声とは一変して、レッドは問いかけるような口調で『世界最強の傭兵』の魂に話しかけた。
「ここは冥界。地獄の血の池だ。嘘は全て暴かれる」
プツン、と音がして、傭兵の握っていた糸が突然、千切れた。
「地獄で嘘をつける奴はいない」
レッドの言葉が静かに響き、『世界最強の傭兵』の魂は真っ逆さまに血の池へと落ちていく。
「あ、」
藤文が手を伸ばしたが、届くはずがない。
『世界最強の傭兵』の魂の体は、血の池の池面(いけも)に叩きつけられ、大きな水飛沫が上がる。魂とはいえ、その衝撃は計り知れないだろう。
「!!」
声にならない言葉が、『世界最強の傭兵』の魂の口から漏れ、次の瞬間には、視界は赤褐色の血に染められる。
「!」
『世界最強の傭兵』は慌ててもがき、手足をバタつかせてみるが、体は重く、思うように動かない。酸素が口から漏れ、代わりに肺に血が流れ込む。息ができない。
次第に体の力が抜けていき、『世界最強の傭兵』の魂の意識はゆっくりと消えていった。
『世界最強の傭兵』の魂が意識を取り戻した時、最初に、見えたのは見知らぬ天井だった。吹き抜けの天井には大きなシャンデリアが輝き、壁一面には本が並んでいる。
「気づきましたか?」
女性の声が聞こえた。
『世界最強の傭兵』の魂が、声のした方を見ると、白いブラウスと灰色のベストを着た女性が机に座り、こちらを見ていた。
その隣には、地獄で話しかけてきた男が同じように机に座ってこちらを見ていた。名前は、確か……。
「手荒い感じになってしまい、すみません。魂転生管理局極東支部長、阿波野藤文です。早速ですが、転生の準備をさせていただきます」
「あぁ、そうだったな」
『世界最強の傭兵』の魂は上半身を起こした。あれだけの衝撃だったのに、どこも怪我はしていないみたいだった。
もう死んで魂だけなのだから、当たり前と言えばそうかもしれない。
起き上がって、『世界最強の傭兵』の魂は自身が裸ではなく、生前の軍服を着ていることに気づいた。更に隣を見ると、黄色く発光する、動物の頭蓋骨を頭に乗せた変な者がいた。
色なことが気になったが、何も聞かずに『世界最強の傭兵』の魂は藤文の方を見つめた。
「では、転生の手続きに移らせて頂きます。まず、あなたは、今までとは全く別の世界に生前の記憶を持ったまま転生となります。具体的には*****という地域の地方伯爵家**で次男として誕生します。前世の性格や特性は引き継がれますが、向こうの世界ではそれ以外に特殊な能力なども付加されます。付加される能力については転生後、ご自分で確認していただくことになります。その他、様々な差異に戸惑うこともあるかとは思いますが、頑張って生きて頂ければと思います」
藤文は一気にそこまでを読み上げ、大きなため息と共に手に持っていた書類を机の上に置いた。
「……と、ここまでが、正規の手続きです。で、ここからは業務外の、まぁ、まさしく冥土の土産なんですが……まず、冥界での嘘は大罪と同じです。たとえそれがどんな嘘であっても、です。あなたの奥様は数年前に死亡し、確かに今は天国にいます。しかし、あなたが天国に登りたかったのは、『死んだ妻に謝りたい』などという理由ではありませんよね。むしろ、あなたは奥様に合わせる顔がないと思っている。そんなあなたが今回、天国を目指したのは別の理由ですね?」
『世界最強の傭兵』の魂は苦笑いをしながら頭を掻いた。
「なんでもわかるんだな」
「魂を見れば全部わかってしまうんです」
「そっか。なら格好つけるんじゃなかったな」
『世界最強の傭兵』の魂はおかしそうに笑った。
「そうさ、天国に行きたかったのは妻に謝るためじゃない。こんなになってしまって、どんな顔をして会いに行ったらいいか、わからないからな。天国に行きたかったのは、頼まれたんだよ。戦地であった女の子に、天国の母親に手紙を渡してくれってな。今まであれだけ人を殺してきたのに、ヤケが回ったもんだよ。その手紙を受け取ってしまった。そして、死んで、持っているものは全て無くなったはずなのに、なぜかその手紙だけが残った。そして、気付いたら目の前に美しい糸が垂れてきたんだ。その時に、思ってしまったんだな、俺が生きていた理由は、いや地獄にきた時点で死んではいるのだが、俺の存在理由はこの手紙を渡すことなんだと。あとは知っているだろ?こんな悪人が最後に善行をしようとしたなんて、とても恥ずかしくて言えなくて、嘘をついたら再び地獄に真っ逆さまってことさ。情けねーな」
『世界最強の傭兵』の魂は喋り終わると大きく伸びをした。
「最後まで、無意味だったな、俺の人生は」
藤文はそんな『世界最強の傭兵』の魂の姿を無言で眺めたあと、隣の湯々に話しかけた。
「ちょっと、湯々に聞きたいことがあるんだがいいか?」
「なんですか?」
「切れたあとの糸はどうした?」
「糸ですか?天国の方で回収しましたよ。もう必要ないので」
「じゃあ、たとえばその糸に何かくっついていたらそれはどうする?」
「それは、くっついていた物ももちろん天国の方で回収になりますね」
「それが、もし“手紙”だったら?」
「それは、もちろん“天国の糸に付いていた手紙”なんですから、届け先の人に渡すに決まってるじゃないですか!」
「そうか。ありがとう。あっと、『世界最強の傭兵』さんはまだ居たんですね。そろそろ転生してもらわないと」
「……おい、お前ら下手過ぎるだろ。だが、まぁ、ありがとな」
そう言いながら『世界最強の傭兵』の魂は、清々しい笑顔で笑った。
「転生を受理いたします」
藤文が書類に判子を押すと、『世界最強の傭兵』の魂の体が光に包まれ、その輪郭が歪み始める。体は徐々に球体へと収縮して、最後に強い光を放つと、球体は弾けて消えてしまった。
「藤文様、湯々様、感謝いたします」
同時に黄色く発光する人物の姿も少しずつ薄くなり、空気に溶けるように消えてしまった。
「やれやれ、やっと終わったな」
藤文が椅子に体重を預けて大きく伸びをした。
「そうですね、就業時間を過ぎてしまったので、特別残業の申請を出しておきました」
「あぁ、ありがとう。助かる」
午後の業務を完全停止したため、机の上の書類の山は朝よりも標高が高くなっていた。
残業したのに、仕事が増えるという負のスパイラルに巻き込まれている気がする。ただ、それでも、今回は人間のエゴを持った魂に出会えたことが少し新鮮で、清々しくさえもあった。
「こういう、仕事もたまには……」
藤文がそう言いかけた時、ポトン、と扉の方で何かが落ちる音が聞こえた。
二人が音のした方を見ると、扉の前に一通の封筒が落ちている。
「……藤文部長、さっきまであそこに封筒なんてありませんでしたよね?なんか私、嫌な予感がします」
「あぁ、俺も面倒な雰囲気を感じている」
藤文と湯々は恐る恐る封筒に近づいた。
床に置かれた封筒には「魂転生管理局極東支部長様宛」と書かれ、天国と地獄の判子が押されている。その後には『緊急・速達・親展』という判子が連続で押されている。
不穏さしか感じない。
大きくため息を吐きながら、藤文はその封筒を拾いあげ、封を開けた。
封筒に中には分厚い紙の束が入っていて、その一枚目の表題に
「不死鳥の魂が逃亡。至急捜索を求む」
という手書きの文字が赤い字で殴り書きされていた。
藤文は書類を元の封筒に戻して、床の上に置き直して、一つ深呼吸。
湯々は既に手で耳を塞いでいる。
「あぁ!もうやってられるかー!」
藤文の叫びが部屋中にこだました。
fin.
魂転生管理局 鈴木魚(幌宵さかな) @horoyoisakana
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