場違い

三鹿ショート

場違い

 私は、全てにおいて他者よりも劣っている。

 授業の内容を理解することができず、運動能力は近所の子どもよりも低く、落書きのように見目が悪い。

 そのような人間が虐げられてしまうことは当然だと理解しているものの、だからといってその時間を今後も過ごすことを望んでいるわけではない。

 自分の願望が簡単に叶う世界ならば、とくに苦痛から解放されているはずだが、私は変わることなく地面を舐める日々を過ごしていた。


***


 その日もまた、顔面に付着した汚れを洗い流していたところ、不意に声をかけられた。

 声の主を見て、私は驚きを隠すことができなかった。

 何故なら、その相手が私とは正反対の世界で生きている人間だったからだ。

 学年の首位に立つほどの学業成績であり、運動部にも引けを取らないほどの身体能力の持ち主で、佳人であり、人当たりも良いという、彼女はまさに非の打ち所が無い存在だったのだ。

 同じ学校に通っているものの、関わることはないと考えていたが、彼女ほどの優等生が私に何の用事があるというのだろうか。

 私の問いに、彼女は己の手巾を差し出しながら、

「気分転換でもしませんか」


***


 彼女と共に向かった場所は、郊外に存在している一軒家だった。

 出入り口に立っている屈強な男性は彼女を目にすると頭を下げ、扉を開けた。

 男性は彼女の後ろを歩く私を不審な目で見つめていたが、私もまた同じ気持ちである。

 何も知らないまま家の中を進み、階段を下りていった先は、まるで無法地帯だった。

 高級そうな料理が並べられ、一般人の年収をどれだけつぎ込めば購入することができるのか分からないほどの装飾品を身につけた人間たちが談笑している一方で、怪しい粉末を吸入している若者や他者の目を気にすることなく交合している男女まで、様々な人間が好き勝手に過ごしていた。

 呆気にとられている私の手を掴むと、彼女は知り合いと思しき人間たちに接触していく。

 彼らは表情を変えることなく彼女に声をかけていくが、私の存在に気が付くと、口元を緩めた。

 どうするべきか分からないままの私に対して、彼女は人差し指を立てながら、

「この場所で好きなように過ごしても問題はありませんが、一つだけ、条件があります」

「条件とは」

「あなたがこれまでに他者から受けた仕打ちや失敗談などを話してほしいのです。この会場に来る度に毎回一つだけ話をしてくれれば、それで良いのです。そうすれば、ここで何をしようとも、文句を言う人間が現われることはありません」

 彼女の言葉に、他の人間たちは頷いた。

 だが、私は未だに理解が追いついていない。

 突然このような場所に案内されたかと思いきや、思い出したくも無い事柄を話すことを求められるなど、意味が分からなかった。

 しかし、その見返りは何とも魅力的だった。

 今後の人生においても味わうことが出来るかどうかが分からないものばかりが、この室内には溢れている。

 過去の話題の在庫が尽きることがない限り、何度も味わうことができるなど、これ以上は無い条件だった。

 彼女の言葉通り、これは良い気分転換なのかもしれない。

 私は咳払いを一つしてから、彼女たちに向かって自身の過去を語った。

 自分で話していて面白いと思うような話題ではなかったが、彼女たちが興味深そうに聞いていた姿が印象的だった。


***


 くだんの地下室において、私は何度も夢のような経験をしたが、それと同時に、己の能力の低さを改めて知ることとなった。

 彼女たちの話題に耳を傾けたところ、興味深かった最近の論文や政策についての議論など、同じ学校に通っている人間がするようなものではなかった。

 それに比べて、私は己の過去を語った後に欲望を満たすだけの、程度の低い時間を過ごしている。

 場違いも甚だしかった。

 彼女たちの姿を見ているうちに、段々と自分が恥ずかしくなったことが影響したのか、私はこれまで避けていた勉強に取り組むようになった。

 現在通っている学校での授業の内容は理解することができないために、小学校で学ぶような内容から再び勉強をしていくことにした。

 その中で、気が付いたことがある。

 かつて理解することができなかったために投げ出した壁を乗り越えた途端、面白いように勉強がはかどるようになったのだ。

 諦めていなければ、底辺に留まっていたこともなかったに違いない。

 過去の己に対して、叱咤激励をしたい気分だった。


***


 学業成績が向上し始めた途端、彼女から声をかけられることがなくなった。

 くだんの地下室での時間も良いものだったが、それよりも勉強の楽しさに気が付いたためにすっかり忘れていたものの、彼女の姿を目にしたとき、そのことを思い出した。

 久方ぶりにくだんの地下室での時間を愉しもうと考えて声をかけたが、私への彼女の対応は、明らかに異なっていた。

 笑顔を浮かべているが、上辺だけのような会話を続けるばかりだったのだ。

 私が何か無礼を働いたのかと問うたところ、彼女は首を横に振った。

「あなたは既に、我々が望むような人間ではなくなったのです」

「どういう意味だ」

 彼女は人差し指の先で私の胸を何度も突きながら、

「我々が求めていたのは、我々とは正反対ともいえる人間です。その人間たちの過去は、我々が経験することがないようなものばかりで、新鮮でした。だからこそ、我々は底辺の人間たちを求めていたのですが、あなたは変わってしまった。ゆえに、我々のあなたに対する関心は、既に消えたのです」

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場違い 三鹿ショート @mijikashort

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