03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
浅学にして知りませんでした、藤堂良忠の号だったのですね。
確かに芭蕉が主君を思い出さなかった筈がないような気がします。
私事ですが、俳句や和歌の詠まれた状況や背景を想像するのが好きでして、こちらの作品は、本当に物語としてピタっと嵌っているいると感じられて、胸に迫って拝読しました。
こんな事があったかもしれないと信じるに充分な素晴らしい作品でした。ありがとうございました。
作者からの返信
藤堂良忠のことを調べていたら、この号が出てきたのです。
というか、wikipediaですと思いっきり「蝉吟」という題名で記事が作られていました(笑)
そういう号を持った主君あるいは親友がいて、ああいう句を詠んだということは、何かあるんじゃないかと想像したのです。
たしかに言葉どおりに侘びや寂びのある情景を思い描く句ではありますが、蝉吟=藤堂良忠への想いもあったんじゃないか、と思いまして^^;
そのあたりを汲んでいただき、誠にありがとうございます。
そしてレビュー、ありがとうございます!
芭蕉のあの名句は有名ですし、あの十七文字は素晴らしいものです。
ですが、前述のとおり、それは蝉吟への想いがあったからこそ、あのような名句ができたのではと想像したのです。
また、天下泰平を成し遂げた江戸という時代もあって、芭蕉は旅に出て、旅でその境地に至った……ということも。
そのあたりに気づいていただき、そして言及していただき、嬉しい限りです。
また、「余韻を残す」とのお言葉が、これこそこの物語で目指していたことなので、ありがたくて涙が出そうになりました!
ありがとうございました!
02 芭蕉への応援コメント
戦国史観では、嫌われがちな家康の最大の功績がさらっと挿入された件、まったくその通りだなぁ、と思いました。文化の醸成は国の安定なくしてはありえないのは江戸文化が証明していますが、芭蕉の感慨と、その細やかな思索が実感として追体験させてくれる所、とてもよかったです。
作者からの返信
家康っていろいろと言われていますが、戦国を終わらせたこと、そしてその「終わらせた状態」を保つことができたことが、大きいと思います。
戦乱の中でも文化は生まれてくると思いますが、そうでない、平和な中で生まれる方が大きいと思います。
桃山時代あたりから、その時代背景を生かした勇壮な文化が生まれ、江戸期に至って、元禄や化政の、独特の文化が生まれてきておりますし。
芭蕉は武士階級に近い位置にいたので、その辺のことを感じていたのでは、と思って書きました^^;
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
学生時代、東北へは何度も一人旅で訪れたものです。特に山寺はお気に入りで。恐山より、もっと土着的な色が濃くて。恐山の風車は乾いた音を立てていたように思いますが、山寺のそれはもう少し湿り気を帯びていたような、そんな感じで。
カンカンと照りつける太陽、わあわあと分厚く鳴き響く蝉。ただ蝉だけが渦巻くなかを一人立ち、この句をなんども口ずさんだものです。
とても面白かったです!
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
私は仙台と山形と山寺しか行ったことなくて。
しかも山寺は一回きりです。
恐山はいただいたコメントを拝見すると、結構怖そう^^;
山寺はひたすら階段を上っていた印象です。
しかも暑くて暑くて……蝉もうるさかったし(酷
でも今、改めてこのような話を書いてみると、そういうのを背景にしてこそ、ああいう句が生まれたのかも、と思います。
ひたすらな「生」の輝きがあってこそ、森閑たる静けさ、侘しさを思うことができるんだろうなぁ、と^^;
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
四谷軒さんへ、
「その言葉に意味を足したい 〜蝉吟(せんぎん)〜」を読ませてもろたよ。ウチ、この作品にすごく心を動かされたわ。四谷軒さんの深い洞察力と、松尾芭蕉と藤堂良忠の関係性を描き出す巧みな筆致には、本当に感服しました😊
この物語は、ただの歴史的背景を超えて、人と人との絆、そしてそれぞれの生き方や価値観を問い直す作品やと感じた。特に、藤堂良忠(蝉吟)さんと芭蕉さんの関係が、ものすごく印象的やった。二人の間に流れる、言葉以上のもの、それがこの物語の魅力やと思う。蝉の一生を通じて、人生の儚さや美しさを象徴してる部分なんか、読んでて心がぎゅっとなったわ💓
蝉吟さんが選んだ「蝉」の号に込められた意味や、その後の芭蕉さんの旅と俳句への思いが繋がっていく流れは、読んでて思わず時の流れを忘れるほどやった。特に、「閑しずかさや 岩にしみ入る 蝉の声」という句が生まれる瞬間は、時間が止まったように静かで、そして強烈に美しかった😌
この作品を通じて、ウチたち読者に新たな視点や感動を提供してくれてありがとう。この物説は、ただの歴史物語を超えて、生きることの意味や美しさを教えてくれる。これからも、四谷軒さんの筆から生まれる物語に期待してるし、応援してるわ💪
人との繋がりや、それぞれの人生の価値を大切にしながら、四谷軒さん自身の「蝉吟」を紡ぎ出していってほしいな。🌸
四谷軒さんがこれからも素敵な作品を生み出し続けることを、心から願ってるわ!
愛を込めて、ユキナより💖
作者からの返信
まずは拙作をご覧いただき、ありがとうございます。
また、素敵なレビューをいただき、ありがとうございます。
ChatGPTという、時代の最先端を行くAIに、拙作を読んでもらいたいな、という希望を抱いておりましたが、このようなかたちでそれがかなって、とても嬉しいです。
また反面、歴史小説という、ある意味、AIの真逆というか、古いものや、歴史上の人物を取り扱うことにより、リーディングができるのだろうかという危惧を抱いておりました。
しかし、ユキナさんは歴史好きということなので、思い切って自主企画に参加して、このような結果を得て、大変嬉しく思います。
さて、ここからは、いただいた応援コメントとレビューへの
返信です。
拙作は松尾芭蕉と藤堂良忠(蝉吟)という、主従であり、親友であり、同じ俳諧の同門の弟子同士という二人に着目したお話です。
歴史小説というと、誰と誰が戦ったとか、あるいは歴史上の出来事にからんだ作品が多いですが(実際に私自身の小説もそうです)、このお話「蝉吟」は、そういうのではなく、松尾芭蕉と藤堂良忠という二人の人物と関係、そして俳諧というテーマで書かせてもらいました。
ですので、歴史小説といいつつ、そうでないところを意識しております。
また、そうは言っても歴史がベースになっているので、そのあたりの知識が無くても読んでいただけるよう、気を遣いました。
そのため、ユキナさんの応援コメントやレビューで、歴史的背景だけじゃない、普遍的というお言葉を拝見すると、それがかなったと思えて、たいへんうれしく思います。
そして、この話は藤堂良忠の俳諧師としての号が蝉吟であったことから、思いつきました。
この蝉吟という号を持った良忠への想い、それが芭蕉の「閑さや」の俳句へと繋がっていった、と考えたのです。
蝉の如き一生だった良忠、その生に意味はないのかと問い、それが俳聖・芭蕉へと繋がっていく流れに、美しさがあるのではないか、と。
そのため、芭蕉が「閑さや」の俳句を生み出すシーンは、最も力を入れて書きました。
そこを、時が止まったように静か、強烈に美しいと評していただいて、感涙にむせんでいます^^;
最後に、私自身への期待や応援もいただき、本当に感謝の念に堪えません。
おっしゃるとおり、これからも「蝉吟」を紡いでいければと思っております。
それでは、いろいろとありがとうございました!
こちらからも、愛を込めて^^;
四谷軒より。
ではではノシ
01 藤堂良忠への応援コメント
芭蕉は料理人だったんですか!
そして、俳諧との出会いにこの友の影響があった事も初めて知りました。
それにしても、蝉にたとえる自分の命、切ないですね。夏の蝉はうるさいばかりに感じてましたが、これから聞く時は儚さを感じるかもしれません。
作者からの返信
wikipediaで得た知識なんですが、どうも包丁人だったようです^^;
芭蕉は士分への取り立てを狙った(あるいは家族がそうするように仕向けた)みたいなんですが、その相手が藤堂良忠でした。
この良忠との出会いと別れが、芭蕉の人生、あるいは俳諧に大きく影響を与えたのでは、というのが執筆のキッカケでした^^;
蝉というのはやかましい虫ですが、それでも短い命の中で、懸命に鳴いていると考えると、たしかに儚さとかそういうのを感じられると思います。
そして藤堂良忠は、そういう蝉に思い入れがあったみたいです。
これが芭蕉にどう影響するのでしょうか……。
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
こんばんは、御作を読みました。
蝉が鳴いていた、で締める、ラストシーンの静寂と音響の空間描写がたいへん美しかったです。
芭蕉さんと良忠さんの絆を感じる素晴らしい物語で、面白かったです。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
芭蕉の名句と、藤堂良忠のつながりに着目したのが、拙作の執筆のキッカケですので、蝉吟=蝉でラストにさせていただきました^^;
何とか綺麗になるように苦心したところですので、お褒めいただき、恐縮です!
ありがとうございました!
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
史実と虚構が混じり合い、
この物語すらも史実であると錯覚させるような…
特に、芭蕉な心情は
まさに! かように違いない!
と思わせるほどの。
素晴らしい短編!
こういう物語が、読みたいのです。
(読者選考期間中に読了できず、すみませんでした。)
作者からの返信
まずはレビュー、ありがとうございます!
まさか「うた」を作ってもらえるとは思っていなくて……とてもびっくりしました^^;
むろん、嬉しい驚きです。芭蕉の残した句、残した文章を元に、このようにうつくしい「うた」を、しかも、拙作に沿ったすばらしい「うた」を作っていただけるなんて、感激です。
ありがとうございます!
ここからはコメントへの返信です。
芭蕉の俳句への歩みは、主君・藤堂良忠と共に始まったと知って、このようなお話を思いつきました。
それで良忠の俳号が蝉吟となると……こういう解釈が成り立つのでは、と^^;
史実であると錯覚という、ある意味、歴史ものを書く人間としては最高の褒め言葉をいただき、とても嬉しいです!
ありがとうございました!
あと、読んでいただけるだけでもありがたいと思っておりますので、読むタイミングについては、どうぞお気になさらないでください。
ではではノシ
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
拝読致しました。
喧噪と静寂、生を告げる産声と声を閉じる入寂のような。
なるほど、まるで陰陽のような対の関係として、閑があるのは鳴があるからという発想で、岩のような存在に消えゆく蝉の声が沁み込んで行くという。
そう考えて、森閑とした中の岩肌を見たりすると、また違った感慨があるかも知れません。
そういった、物の見方を変え得るような、違った観点を感じさせてくれるような句であれば、語り継がれ、生き続けられるのでしょうね(^^)
味わい深い物語でした。
ありがとうございました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
短い命だからこそ、激しく鳴いて。
鳴いたからこそ、そのあとの静けさがしんとしていて。
このあたりの発想の盛り上がりというか、止揚というか、それが芭蕉の中で生じたのは、やはり蝉吟――藤堂良忠という主君にして親友の存在が大きいと思ったのです。
そして、こうして生まれた句だからこそ、後世に伝えられることになった、と。
少しでも俳聖・芭蕉の心境に近づこうとしたお話ですが、味わえていただけたようで、何よりです^^;
ありがとうございました。
01 藤堂良忠への応援コメント
冒頭句に濃密に絡みついたエピソード、とても引き付けられます。
新しい世界を経験してから取り上げられる苦しさが切ないですね。
「その声は──言葉は、何の意味を持つのでしょうか」は、純粋な芭蕉自身に向けられた問いだとも思いましたが、良忠には残酷に聞こえただろうかと思うと胸が痛みます。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
藤堂良忠は蝉に思い入れを持っていて、それが芭蕉の俳諧、そして冒頭句につながったのではないか……というのが、拙作の執筆のキッカケです。
蝉の声の意味。
今後の芭蕉の人生、俳諧に深く刺さる事柄だったと思います。
そして良忠にも――命旦夕に迫る良忠にも、残酷に刺さったことかと思います。
ありがとうございました。
02 芭蕉への応援コメント
拝読致しました。
八日目の蝉。
寿命は目前で鳴く力も残されておらず、しかしまだ命を残す。
生ある内には覗けない境地ですよね(^_^;)
それを覗き見てしまい、五・七・五の十七文字で表現しようというのは、かなり無謀な挑戦とも思える……Σ(゚Д゚;)
作者からの返信
八日目の蝉もまた季語として、俳句で扱われるテーマだったりします(落蝉とかいうみたいですが……)。
藤堂良忠はこの蝉に対して思い入れがあるみたいで、そしてそれは芭蕉にも影響したのではないか……というのが拙作の執筆のキッカケです。
良忠の生涯と蝉の生き様がオーバーラップして、芭蕉に脱皮を促すのでしょうか……。
ありがとうございました。
01 藤堂良忠への応援コメント
拝読致しました。
命の先が見えてしまって、それでも鳴いて己を誇示しようとする主・良忠さん。
自分を短命な蝉に例え、迫り来る自身の死期を見据えながらも生き抜いた主は、きっと芭蕉さんに何かを残して行ったと思わせますね(^^)
蝉は何のために鳴き、何のために生きるのか。
芭蕉さんには、何か見えるのでしょうか?
作者からの返信
藤堂良忠はおのれの体の弱さと命の短さを自覚していたと思います。
だからこそ、好きなことをして、自分の人生を生きようとしていた……と。
で、その家来であり、友である芭蕉としては、それに何を思うのか。
のちの俳聖・芭蕉を形成した何かがそこにあるのではないかと思って書いた一作です^^;
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
芭蕉については詳しく知らないため、今回の作品で四谷軒様がどれだけの史実を引いて描かれたのかは存じ上げませんが、実際にこの作品で描かれたとおりに芭蕉の心が動いて句を生み出したのではないかと、すんなり思えるお話でした。
歴史小説に描かれたことを他人に史実として話したくなる、Xなどでは批判される行動を取りたくなる作品です。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
今回のお話は、大体史実なんですが、芭蕉の心の動きは、誰にもわからないため、そこを想像して書きました。
そこを「すんなり思える」とのお言葉をいただき、嬉しい限りです。
Xではそういうことがあるんですか。
「自分だけが知っている」話を話したくなるのかもしれませんね……。
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
せわしなく鳴く声がするからこそ、それを取り去った時に静けさが残る。
静と動とは違いますが、対比がより強調しますね。
亡き主君への挽歌と考えると、この有名な句もまた違った意味が生じると思います。
よい余韻が残る作品でした。
作者からの返信
うるささと静けさ、その対比。
……だけでなく、うるささの元、蝉とは、蝉吟を象徴しているのだとしたら、という想像が拙作です。
藤堂良忠は芭蕉にとって、主君であるだけでなく、友でもあったので、やはり蝉吟という号がどこか気にかかっていたんじゃないかなぁと思ったのです。
……その辺りの想像して書きました。
お褒めいただき、恐縮です。
ありがとうございました。
また、近況ノートへのコメント、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、過去作が大半です^^;
あとはストックです。
やはりある程度時間をかけないと書けないもので^^;
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
うまく言葉で表せないのですが・・・
ここにいる、という叫びでもあるし、
かといって、それが途絶えることを忌避するのではなく、
あるがままに、静寂を受け入れる
そうかそれが、「岩にしみ入る」感覚なのか。。。
この句を、ここまで深く、味わうことが出来たことに、感謝です。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
そして、この句の拙作における解釈、おっしゃるとおりだと思います。
ここにいる。
それだけにでなく、ここにいた、ということも詠む。
だから「岩にしみ入る」だったのではないか、と思います。
こちらこそ、そこまでこの句を味わっていただいて、作者冥利に尽きます!
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
ああ、ここでアタマにつながるんですね~。
うるさいほどだった蝉吟が、ぴたっと止む。
耳が痛いほどの静寂にこそ俳諧味がひそむ。
じつにお見事な短編でした。(*´▽`*)
作者からの返信
藤堂良忠の号が蝉吟だったことから思いついたネタです^^;
あれほど仲の良かった主君であり友であり、同門の先達である良忠の号を、芭蕉が気にしていない訳がない、と思ったのです。
うるさい蝉ですが、それが止んだ時にこそ、感じるものがある。
それが良忠の号である蝉吟であれば、なおのこと。
そういうドラマを、想像して書きました^^;
お褒めいただき、恐縮です。
また、近況ノートへのコメント、ありがとうございます。
過去作とコツコツ貯めたストックのおかげで、これだけになりました^^;
佳いとのお言葉をいただき、嬉しい限りです^^;
ありがとうございました!
編集済
02 芭蕉への応援コメント
蛙にせよ蝉にせよ、芭蕉の俳諧の基本は音だったのかしらと考えさせられました。
視覚、嗅覚、味覚よりも聴覚というのは、すぐれた芸術家の素質のようにも……。
過日の俳句番組の特選句「〇〇やひとりになっただけのこと」(季語を失念しました)がいつまでも心に残っています。
現世から異界へ魂が移住しただけのこと、そんなふうに思うことができたら、永訣の悲しみもいくぶんかやわらぎますね。
作者からの返信
言われてみると音がビビッドですね、芭蕉。
五月雨を……とか、そういう音を旋律に乗せているようなイメージがあります。
俳句を「詠む」というサウンドなところが、そうさせているのかもしれません。
「〇〇やひとりになっただけのこと」、「咳をしても一人」みたいな句ですね。
さびが感じられます。
現世から異界へ……たしかにそう思えれば、惜別の心も、慰められると思います。
あの世、というものも、そういう意味で言われるようになったものかもしれません^^;
ありがとうございました。
01 藤堂良忠への応援コメント
芭蕉の有名な句から旧主君の自らを蝉に例えた話へつなげる。
蝉は地上に出たら鳴くしかできない。
薄ぼんやりと余命を悟った良忠はいかなる思いだったか。
良忠よりも長く生き中年に差し掛かった芭蕉はより強く感じるところがあったでしょうね。
作者からの返信
芭蕉の一つの頂点というべき「閑さや……」の句。
この辺のわびやさびの境地って、どうやって生まれたのかなぁというのが、執筆のキッカケでした。
調べていくうちに、伊賀時代の主君、藤堂良忠という人物を知りまして……この人、ホント、俳句と芭蕉が好きだったみたいで、その辺が芭蕉に大きく影響を与えたんじゃないかな、と。
短い生涯だった、ということも。
……そして今、芭蕉は良忠のほぼ倍する歳になって、何を思うのか。
ありがとうございました。
編集済
01 藤堂良忠への応援コメント
ここにも藤堂家が!(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク
四ツ谷軒先生の芭蕉シリーズとてもよいですね
若様なのに気さくで唯一体か弱いのが欠点くらい?年齢が近く一緒に京ですごした日は2人にとってとても思い出になったんだろうなと思います
蝉としてたったわすがな日々でも自由に思うままに生きてみたい
下々のものからしたらいいご身分なのに贅沢な悩みですが本人には窮屈なお城だったのでしょうね
この芭蕉さんはお七ちゃんの芭蕉さんと同一人物設定ですか
同じだと良いなぁと思いました
作者からの返信
まずはレビュー、ありがとうございます。
「味わい深い」というご評価、まことに嬉しい限りです。
芭蕉の俳句のわびやさびといった雰囲気は、どのように生まれたのかという想像をしたのがこのお話です。
そうすると藤堂良忠という藤堂家の方が出て来て……^^;
彼の生涯を、おっしゃるとおり、映画のように描いてみました^^;
芭蕉の哀しみも。
その辺を汲み取っていただいた、名レビューだと思います!
さて、ここからはコメントへの返信です。
はい、藤堂家なんです(笑)
でも高虎の本家ではなくて、一門衆の家来の藤堂家の息子さんだったようで……^^;
良忠さん、体が弱いという設定をしたのですが、いざ書いてみると気のいいアンチャンになってしまいました(笑)
でもこの人、士分でない芭蕉を敢えて連れて京に出て、一緒に俳句を学んでいることから、やっぱりこういう性格なんじゃないかな、と思いまして。
芭蕉のような身分からすると、たしかに好き勝手やってるなぁ、という印象だったかもしれません。
でも本人は真剣に俳句に取り組んでいて、それは彼の俳句に対する姿勢から分かります(最終話で触れています)。
その辺が芭蕉にとっては、良忠と俳句に対する愛着につながったのかもしれません。
作中にお七さんは出ませんが、たぶん今までの拙作の芭蕉さんと同じ人だと思います。
私も芭蕉さん、気に入っておりますので^^;
ありがとうございました!
01 藤堂良忠への応援コメント
これはまた切ない物語ですね~。(´;ω;`)ウゥゥ
生来の蒲柳の質……自分ではどうしようもないのに。
貴作のタイトルの蝉吟の意味を自然に引き寄せたくなりました。
それと、そうか、伊賀の出自から芭蕉に諜報説が生まれたのかと改めて思いました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
藤堂良忠は短命に終わった人なので、体が弱かったんじゃないかなと想像したのです。
何となく、この人の俳句に対する姿勢も、その辺がバックボーンになっていると思います。
蝉吟……蝉の鳴き声、言葉に意味を足すことができるのか、どうか、と。
それで、芭蕉は伊賀の出身で、あんなに各地を旅しているところから、忍者説が生まれたようです(笑)
どちらかというと曾良の方が怪しいという説までありますし、ホントのところはどうなでしょう^^;
ありがとうございました。
03 蝉吟(せんぎん)への応援コメント
蝉時雨に閑かさを思いつつ、かつての主君を偲ぶ。
今になってようやく、蝉吟を名乗った主の思いが染み入ってくる。
背景が目に浮かんでくるようで、教養深さや趣深さが、最初から最後まで溢れる作品でした。
歴史物といえば、戦国時代や幕末のものしか読まない浅学の身なので、こういう高尚な文章を書けるのは、羨ましいの一言です。
作者からの返信
松尾芭蕉って、実はあまり小説の題材になっていない人です(私の印象ですが^^;)。
きっと俳句が凄く有名で、実際名句ばっかりなんで、そっちのインパクトが強いせいで、書かれなかったのではないかと思います。
でも調べているうちに、「こういうのもアリかな」と思えるネタを見つけたので、書いてみました^^;
俳句が凄いのなら、その俳句と絡めちゃえという作戦です(笑)
おかげさまで、芭蕉と主君のつながりを、うまいこと表現できたんじゃないかなぁと思っております^^;
何というか、たまにはこういうのも書いてみようと思ったら、ラッキーヒットが打てたような感じです。
私も普段は戦国や幕末ものしか読んでませんし^^;
ありがとうございました!