応援コメント

02 芭蕉」への応援コメント

  • 戦国史観では、嫌われがちな家康の最大の功績がさらっと挿入された件、まったくその通りだなぁ、と思いました。文化の醸成は国の安定なくしてはありえないのは江戸文化が証明していますが、芭蕉の感慨と、その細やかな思索が実感として追体験させてくれる所、とてもよかったです。

    作者からの返信

    家康っていろいろと言われていますが、戦国を終わらせたこと、そしてその「終わらせた状態」を保つことができたことが、大きいと思います。
    戦乱の中でも文化は生まれてくると思いますが、そうでない、平和な中で生まれる方が大きいと思います。
    桃山時代あたりから、その時代背景を生かした勇壮な文化が生まれ、江戸期に至って、元禄や化政の、独特の文化が生まれてきておりますし。

    芭蕉は武士階級に近い位置にいたので、その辺のことを感じていたのでは、と思って書きました^^;

    ありがとうございました。

  • なるほど!
    名句が生まれた背景にはこんな事が。
    それから、天下泰平がもたらされた事により旅がしやすくなり、俳人芭蕉が生まれたというのも意外な観点で面白かったです。文化の興隆という側面からも、平和って大切ですね。

    作者からの返信

    芭蕉って、旅によってその文芸を磨いた人なので、ではその旅は何故できるようになったのか……と考えると、天下泰平という背景が思い浮かんだのです^^;
    戦国時代にも、各地を旅する人はいましたが、庶民レベルになるとどうかというと、あまり無さそうなので、やはり徳川幕府の天下統一は大きかったと思います。

    ありがとうございました。

  •  こんばんは、御作を読みました。
     俳句という形式自体、芭蕉さんが道なき道を辿り、作り上げてゆくものですものね。
     なるほど、旅に似ているのか。
     泰平の世だからこそ、というのが心に沁みました。面白かったです。

    作者からの返信

    俳諧が言葉遊びというか滑稽中心の状態から、詩としてのバージョンアップを遂げるのは、おっしゃるとおり、旅に似ていると思います^^;
    目指すところへ向けて、一歩一歩歩いていく姿が、重なります。

    泰平の世であることって、文化にとっては重要なファクターだと思うんです。
    その辺を盛り込んでみましたが、お褒めいただき恐縮です^^;

    ありがとうございました。

  • 拝読致しました。
    八日目の蝉。
    寿命は目前で鳴く力も残されておらず、しかしまだ命を残す。
    生ある内には覗けない境地ですよね(^_^;)
    それを覗き見てしまい、五・七・五の十七文字で表現しようというのは、かなり無謀な挑戦とも思える……Σ(゚Д゚;)

    作者からの返信

    八日目の蝉もまた季語として、俳句で扱われるテーマだったりします(落蝉とかいうみたいですが……)。

    藤堂良忠はこの蝉に対して思い入れがあるみたいで、そしてそれは芭蕉にも影響したのではないか……というのが拙作の執筆のキッカケです。

    良忠の生涯と蝉の生き様がオーバーラップして、芭蕉に脱皮を促すのでしょうか……。

    ありがとうございました。

  • 芭蕉は空間の色、音、雰囲気を切りとるのが巧いですよね。
    広い世界の中で自分の周辺だけをぎゅっと閉じ込める感じ。
    そこからまた世界が広がっていくというか。

    その境地に至るまでの内面に迫る過程がリアリティがあります。

    作者からの返信

    芭蕉はそういう世界を切り取ることを、俳諧の新しい境地と思っていたのかもしれません。
    滑稽だけでなく、漢詩的な、和歌的な。
    五七五の世界なんで、逆に想像を広げていくイメージ、たしかにあります。

    ……そういう芭蕉の俳諧への思いや深化していく様を想像して書いてみましたので、リアリティとのお言葉、まことにありがたい限りです。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    蛙にせよ蝉にせよ、芭蕉の俳諧の基本は音だったのかしらと考えさせられました。
    視覚、嗅覚、味覚よりも聴覚というのは、すぐれた芸術家の素質のようにも……。

    過日の俳句番組の特選句「〇〇やひとりになっただけのこと」(季語を失念しました)がいつまでも心に残っています。
    現世から異界へ魂が移住しただけのこと、そんなふうに思うことができたら、永訣の悲しみもいくぶんかやわらぎますね。

    作者からの返信

    言われてみると音がビビッドですね、芭蕉。
    五月雨を……とか、そういう音を旋律に乗せているようなイメージがあります。
    俳句を「詠む」というサウンドなところが、そうさせているのかもしれません。

    「〇〇やひとりになっただけのこと」、「咳をしても一人」みたいな句ですね。
    さびが感じられます。
    現世から異界へ……たしかにそう思えれば、惜別の心も、慰められると思います。
    あの世、というものも、そういう意味で言われるようになったものかもしれません^^;

    ありがとうございました。