思う壺

高黄森哉

思う壺


「都合の悪いことは、最初はだれでも、自分のことを言われているように、感じないものです。それが悲惨な場合はなおさら」


 牧師のような装いをした、若い男は言った。彼は肘をつき、胸の前で、三角を形作っていた。いかにも理知的で、慈愛に満ちていそうな笑いで、目の前の女をじっと見つめる。


「そうですか」


 彼の目の前にいる、若い弱そうな女性は、俯きがちに答えた。まだ、半信半疑といった様子である。


「あなたは運が悪かったんです。あなたの信じていたものは、決して実らないものだったのです。騙されたとも言い換えることは出来る」


 彼女は、まるで、「医者が癌だ」と宣告したように感じた。しかし、それは実はもっと前から分かり切っていたことだ、とも感じた。それもまた、癌患者のようであった。


「ときに、イチジクのたとえをご存じですか。実のならないイチジクを育て続ける男の話です。イチジクは、実りまでに大変時間がかかり土地をやせさせます。だから、そのような木は致命的なのです」

「知っています」


 身のならないイチジクは宗教で、イチジクは救い。


「では、今まで信じてやってきたことは決して救われないのですか。今まで、ずっと救われると思って、ずっと、ずっと」


 彼女は早口でまくし立てた。言葉の強さとは裏腹な、崩れそうな悲壮感が、その響きに金属の倍音を幻覚させた。彼女はまさに天使のようだ。それも翼の折れた、なのだ。


「すでに結果が出ていることについて、そうである可能性があるのか、と尋ねるのは一種のナンセンスです」


 牧師は厳しい声色で鞭打った。イカロスの羽を燃やした太陽のように、彼女の心の炎を、その上から焦がしつくした。


「そうですね。確かに、身のならないイチジクに水をやり続けてきました。無駄な時間でした。イチジクは実りませんでした」


 投げやりに認める。女の声は震えていた。


「その通り。無駄な時間でございます」

「私のことを笑いますかね。いつまでも、ずっとこれだと信じて。はたからみたら、馬鹿みたいですね」


 女は弱弱しく笑った。その姿は、アンケートに記された年齢よりもずっと若く見えた。彼女のはかない心情が、そうさせるのかもしれない。


「育てかたが間違っていたとしか言いようがありません。こういう話が故事にあります。苗を早く育てようと、毎日、苗木を引っ張った男の話です。すべて枯れてしまいました。無駄な努力は、どうしても、報われることはありません」

「では、どうすれば、いいと思いますか。どういうやり方がいいと思いますか」

「角度を変えてみることです。もっと、科学的な、そして統計的な見方で、自分の努力を見つめなおしてみることです」


 牧師の語りには熱が含まれていた。


「私もあなたの同士です。実は、私も模索中なのです。ある場所に種をまきました。三百もの種を。すべて、死にました。今もなお、暗い地中に埋没したままです。負けてはいけません。一つくらいは花を咲かすはずです。私たちと真理を見つけましょう。あなたも一緒に種を蒔きませんか」

「私でよければ」


 女は、牧師の繊細そうな、しかし大きな手を取り、その熱にうっとりとした。「また過ちを繰り返すのか」という心の声が、外側から響いてくるのだが、二人は耳を貸さない。


 というのが、私たちである。短編という種をまき、いつか、出版社の目に留まることを信じて、花咲かす日をじっと耐え忍ぶ我々。どこで、道を間違えたのだろう。

 

 ――――― 都合の悪いことは、最初はだれでも、自分のことを言われているように、感じないものです。それが悲惨な場合はなおさら ―――――

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思う壺 高黄森哉 @kamikawa2001

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