第4話 女王と議長

 お祖父様が亡くなってから、ジヴァニア執政官がミカであることは、秘中の秘でした。


 婚約が強引に破棄されてからというもの、ミカは私の前から姿を消していました。次に会ったのは約一年後、変わり果てた顔となったジヴァニア執政官になっていました。


 ウーゾ大臣が何とかミカを救い出し、官僚として名前と経歴を捏造して私のそばに送り込んだこと——さらには、お祖父様の遺書を適切なタイミングで公表し、その遺志を全うさせることを使命として、今まで暗躍してきたのです。


 すべての騒動がおそらく制御不能なほど拡大し、多くの人々が犠牲になることをお祖父様は予見していましたが、病に冒された身ではそれを止める力はありませんでした。もし私やミカが即座に王位を継ぐことになっていたら、両親のようにすぐさま暗殺されるだろうと分かっていたからこそ、それができなかった。


 そして、エラト王国王家最大の秘密は私とお祖父様、そしてミカとその養父であった亡きツィコーディア伯爵しか知りません。


 ある夜のことです。


 厚手のコートを羽織り、旅装姿となったミカが、密かに私の部屋へやってきました。


 「お別れです」と言って。


 女王への即位が決まってしまった私は、ようやくエラト王国王家最大の秘密を口にしました。


「ミカは私のせいで、王様になれなかったのね」


 ジヴァニア執政官ではなくなったミカは、答えません。


 でも、私はもはや二人しか知ることのない秘密を、共有しておきたかった。


「私がアンネリーゼ・オブ・ツィコーディア。あなたは先代国王直系の孫、もっとも正統な王位継承者であるミカ。お祖父様も手がこんでいるわ、亡きツィコーディア伯爵と企んで、自分の死後のことまですっかり考えておられたなんて」


 ふふ、と私は微笑みます。


 熾烈な競争のもと、暗殺までもが横行した時代、子孫を守るために国王は忠臣とともにある企みを密かに実行した。


 それが取り替えっ子チェンジリング。さらには形式的と銘打った婚約、ミカと王宮で暮らした楽しかった日々。


 私が王位継承権者ではないことを、今はもうミカ以外誰も知りません。


 いつか結婚して夫婦となったなら、そんな夢を見ていたのはもう昔のことです。


 ミカは左足の膝を床に突き、右足の膝を折り立て、私を見上げました。


 金色の目はお祖父様と同じ色です。そして、私とも同じ、髪の毛だって緑がかった黒。


 慈愛に満ちたその目は、いつか見た少年だったミカと同じです。


「王女殿下、いえ、未来の女王陛下。婚約は破棄されても、私はあなたをお慕い申し上げております。どうか末長くお幸せに、じきあなたにふさわしい伴侶が現れることでしょう」


 ——ああ、そんな寂しいことを言わないで。もうどこにも行かないで。お願いだから。


 私は唇を噛み、その望みを口にはしません。


 ミカへ、私は何とか思いつく数少ない言葉を使って、問いかけます。


「あなたは、これからどこへ行くの?」

「先の二年間で暗殺を逃れた貴族たちやその子弟を避難させている土地があります。そこで、彼らのために新たな国を作ります」


 そう、と私は言うしかありませんでした。


 お祖父様が亡くなってから、ミカは自分なりに色々と考えたのでしょう。エラト王国の王位を継ぐよりも、自分たちが力ないせいで迫害され、追放された人々を助ける道を選んだのです。それこそ、エラト王国王家の果たすべき責務である、と言わんばかりです。


「私と彼らは弱かった、忠義あれどもあなたを守れないほどに。あなたに合わせる顔がないのです。どうか、私を行かせてください」


 よく言うわ、私が行かないでと頼んだって、振り払って出ていくくせに。そんな意地の悪い考えが浮かんでしまう自分が嫌でした。


 私は女王となり、遠くへ行くミカを追いかけることはできません。女王ならば、国を守らなくてはならないからです。二度とこんな混迷の時代を作ってはならない、ミカのおかげで結束した大臣や官僚たちが私に力を貸してくれます。この変革のチャンスを逃してはならないのです。


 それでも、私は……ミカにどうしても、こんなをしてしまいました。


「あなたが新しい国の国王となったなら、弱い彼らを許せるほどに私が女王として強くなったなら、また婚約してくれる?」


 いつ果たされるかも分からない約束など、すべきではないでしょう。


 しかし、ミカは断りませんでした。


「考えておきますよ、アンネリーゼ女王陛下」


 私の手の甲にそっと口づけて、ミカはすうっといなくなってしまいました。


 扉が閉まり、誰もいなくなった部屋で、私はうずくまって子どものように泣きじゃくり、どうにもなりませんでした。


 真夜中の満月が昇るころ、私はミカとの思い出に涙し、わあわあと声を上げてミカの名前を呼んで、積もり積もっていた恋心が狂わないよう、願いました。









 いつの日か、エラト王国女王アンネリーゼは、グラヴィエーラ共和国の初代国民議会議長ミカ・オブ・ツィコーディアを訪ねていきました。


 彼らは幼馴染だ、両国の関係はよりよくなるだろう、と新聞は騒ぎ立てます。


 アンネリーゼがミカと再会して泣き出したことも、ミカが婚約指輪を用意していたことも、二人の結婚式の日取りが電撃発表されることも、この時点では誰もが予想していません。


 さらには、ヴァッサー王国国王となったシュヴァルツが何かと二人の世話を焼き、仲人となったことも、後日回顧談が紙面に載るまで誰も知りませんでした。


 アンネリーゼはお忍びで、ミカとともに街中のカフェに出かけ、そのたび昔を懐かしんだのです。


「あなたは猫舌だから、熱々のホットミルクを飲めなくて苦労していたことを思い出したわ」

「よくそんなことを憶えているね」

「ええ、もちろん。結局飲み干したけど、その日はおねしょしたことも憶えているわ」

「さっさと忘れてくれないか」

「嫌よ。孫やひ孫にまで語り継ぐんだから」

「やめてくれ。君の寝相が悪いのは子どものころからの筋金入りだと言い触らすぞ」

「あら、私とずっと一緒のベッドで寝ていたんだっていう惚気かしら?」

「まったく。可愛いが、可愛げのない」

「お互い様よ、きっと」




おしまい。

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未来の王妃が女王になるころ。 ルーシャオ @aitetsu

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