第3話 ジヴァニア執政官の正体
無視できないほどの声量を出す乱入者に対し、不快そうな目つきをしたオードヴィ公爵ガイストは、誰何します。
「何だ、貴様は」
「ジヴァニアと申します。老齢のため執務を制限なさっているウーゾ大臣の代行者、執政官を務めております」
しれっと答え、そんなことはどうでもいいとばかりに、ジヴァニア執政官は、ジャケットコートの懐から一通の封書を取り出しました。その場にいる人々の視線が、封書へと集中します。
それを狙っていたジヴァニア執政官は、よく通る声で話を進めます。
「さて、皆様、一つお忘れのことがございます」
「ふむ、何だね?」
「遺書です。先代国王の遺書、その存在を知っていたにもかかわらず、秘匿した意味をお伺いしたい」
瞬く間に、その言葉を耳にした人々のざわめきが広がります。
三人の王位継承権者は、それぞれ違う表情をしています。オードヴィ公爵ガイストは動揺し、ラキア大公メディツァは眉間のしわ深く沈黙し、王太子シュヴァルツは真面目くさって驚いています。
私はただ黙って、この劇を見物するだけです。
「何のことだ? ラキア大公、シュヴァルツ、そんなものがあるのか?」
「……執政官、いきなり何を言い出すのだね」
「遺書の話など聞いたことがありません。実在するのなら」
三人の言葉など無視して、ジヴァニア執政官は封書から金縁の紙を取り出します。
誰の目から見ても明らかな、大きな先代国王のサイン。並んでいるのは大司教の使う印章です。宗教権威からも保証された文章、それはジヴァニア執政官の言ったとおり、遺書に他なりません。
「こちらになります。無論、複写したものです。原本は玉座とともに大事に保管しておりますとも」
どうぞ、とジヴァニア執政官はその金縁の紙を三人へ手渡します。よく見ると四枚あり、それぞれ一枚ずつ渡されて、内容を一見しただけで全員素っ頓狂な声を上げました。
「法典の、破棄!?」
「アンネリーゼ王女の婚約者に王位を譲る!?」
「何だこれは! 私は聞いていないぞ!」
ジヴァニア執政官の口元が、わずかに愉快そうに歪みます。
「シュヴァルツ殿下がご存じないのは無理ないことかもしれません。遺書について伝わったのはお父上であるヴァッサー王国現国王まで、と考えられますからね。しかし、オードヴィ公爵、ラキア大公は言い逃れはできますまい。あなたがたは葬儀の際、遺書の作成に関わった大司教を捕らえて監禁し、先代国王の遺書を探し出そうとした。しかし、大司教は口を割ることなく、衰弱死なさった」
ジヴァニア執政官の言葉は、耳によく届きます。内容もさることながら、彼の声には怒りと冷静さが共存しており、聞く者の感情に強く訴えかけるのです。
「この二年でまあ、よくも何百人もの人々を殺害したものです。すべて、こちらのノートに名簿を作り、詳細を記述しておりますとも。あなたがたは決して天国には招かれませんよ、遠く離れた聖なる地におられる教皇猊下の破門状もそろそろ届くでしょう。帰って言い訳の準備をなさったほうが賢明かと」
ざわついていた聴衆たちは、ついには静まり返ります。
それが事実であれば、遺書が存在し王位が亡き先代国王の意思どおりに定まるのであれば、歓喜と逸る気持ちを抑えきれない一部の貴族たちは大広間から出ていこうとして、警備兵たちに制止されています。会議中は出入りが禁止である、とされているためですが、押し寄せる聴衆を防ぐのもまもなく限界を迎えるでしょう。
三人の王位継承権者のうち、オードヴィ公爵ガイストとラキア大公メディツァはジヴァニア執政官に対し、強く反論を主張します。勝ち目がないとしても、ただ黙って敗北を受け入れることは耐えがたく、その肥大したプライドにかけて抵抗の姿勢を見せておかなければならないから、という見栄があるのでしょう。
「でっちあげだ! こんなものがあるなら、なぜ今まで見せなかった!」
「あなたがたにもみ消されるからですよ。この聴衆がいる場でないと、見せられませんでした」
「もっともらしいことを言って、この遺書の偽物を用意するまで時間がかかっただけだろう!」
「いいえ。何なら鑑定結果をご覧に入れましょうか? 間違いなく、本物の遺書には先代国王のサインが記されておりますよ。お抱えの筆跡鑑定士をご用意くだされば、すぐに分かることです」
「しかし、遺書が本物だとして、法典の破棄は無茶がすぎる。エラト王国の統治の根底を揺るがすではないか」
「ですので、新法典を用意しております。あなたがたの目から逃れた、法務官僚たちが決死の思いで作り上げた、新しい国の形がすでに出来上がっているのです」
次々と投げかけられる問いに、ジヴァニア執政官はまるで最初から予想して用意していたかのようにスムーズに答えていきます。あまりの滑らかさに、若き謀略家王太子シュヴァルツはさっさと降参しました。
「分かった、分かった。私はじゃあ降りるよ、今回の王位争奪戦は諦める」
「シュヴァルツ! 貴様、ぬけぬけと」
「オードヴィ公、もし自身がおありなら兵を挙げて実力行使なさったほうがいいですよ。そのくらい、この執政官殿は用意周到にしている。まだ他にもいくらでも手を用意していると見ました」
——ええ、そうでしょうね。
私は、なんだかんだでこの三人の中で一番若い王太子シュヴァルツが、一番状況を理解していると察しました。老獪さは執着とくっつけば、ときに目を曇らせます。目の前にぶら下がる玉座に心奪われるあまり、オードヴィ公爵ガイストとラキア大公メディツァはもう手がない、ここで損切りをしなくてはならないと決断するまでに時間がかかっていました。
席を立った王太子シュヴァルツは、ジヴァニア執政官へ尋ねます。
「そこまで王女殿下を王にしたいのか? 君は一体、何者だ?」
はっ、と呆れを吐き捨てて、
「そんなもの、決まっているではありませんか。先代国王崩御の折、あなたがたに無理矢理王女殿下との婚約を破棄されてしまった男ですよ」
三人の王位継承権者たちは、視線を私とジヴァニア執政官の間を何度も往復させ、ようやくラキア大公メディツァが思い出したとばかりに『
「まさか、ミカ・オブ・ツィコーディアか? ツィコーディア伯爵が庶子を王女の護衛にと、極秘で城に送り込んだという噂があった」
もはや、答えるまでもありません。勝ち誇るジヴァニア執政官の顔が、すべてを物語っています。それでも諦めきれないのか、オードヴィ公爵ガイストはみっともなく叫びます。
「馬鹿を言うな! なぜ伯爵の庶子が王女と婚約できる!」
「あなたがたにアンネリーゼ王女のご両親が暗殺されたからですよ」
びくっ、とオードヴィ公爵ガイストの顔が引きつりました。
そんな十年以上前のことを今更掘り返されるとは思ってもいなかったのでしょう。
ジヴァニア執政官は、親切にもオードヴィ公爵ガイストの疑問に答えていました。
「だから、私は伯爵家に匿われ、アンネリーゼの側にいた。己の血統など隠して当然でしょう、自分の身を守ることもできないほど幼かった私は、アンネリーゼとの婚約で守られてきた。表向きは伝統的な形式的婚約として、アンネリーゼに正式な結婚相手が現れるまでの代役だ、とされてね」
私とミカの婚約。その婚約は形式的だったかもしれませんが、私とミカは本気でした。それに……実現しないと断言はできなかったし、お祖父様もそれを望んでおられたのですから。
そこまでここにいる人々に説明する義理はありません。ジヴァニア執政官は、すでに抑えきれないほど出入り口に殺到する聴衆と、手の内にある警備兵と、前へと踏み出した官僚たちを味方に、三人へ迫ります。
「さて、彼女の即位を支持するのなら、命までは取りません。お三方、異論は聞きません。賛成か反対、どちらかをお選びください」
答えなど、決まりきっています。
こうして、オードヴィ公爵ガイストとラキア大公メディツァの身柄は拘束され、ヴァッサー王国王太子シュヴァルツは城下の大使館で軟禁されることとなりました。
それも、私が即位するまで邪魔ができないように、とのジヴァニア執政官ことミカの配慮です。
三人の王位継承権者から国王を決めるはずだった『三公会議』は、アンネリーゼ女王陛下の即位承認の場になった、とその日からの新聞の一面は春が来たかのごとくお祭り騒ぎがしばらく続きました。
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