(5)

 膨大な魔力を放出し続ける吸血鬼ヴァンパイアの男。その力は、配下たちの士気を向上させ、人間たちには恐怖を与えた。


 しかし執事は、その影響を全く受けていないのか、腕組みをしながら平然としている。そして、呆れた顔を見せる。


「その程度ですか?」

「なっ……」


 恐らく吸血鬼の男は、自分の力に余程の自信があったのだろう。だが、執事のあまりの反応の薄さに言葉に詰まる。それに心なしか、彼の袖無しの外套がいとうしおれているように見える。


「後悔が、なんでしたっけ?」

「……お前たち、この女をさっさと始末しろ!」


 執事の煽るような言葉に苛々を募らせると、広間に群がる配下たちに命令を下す。彼らは、待ってましたと言わんばかりに闘争心を丸出しにすると、自らの仲間を蹴飛ばしてまで、いの一番に彼女を狙おうとする。


 だが、その有象無象たちを軽く往なす執事。一体、また一体と彼女に倒されていく配下たち。やがて、立っている者は二人きりとなり、広間は静寂に包まれた。


「使えん奴らめ……」

「でしたら、ご自身で動いてはどうです?」


 白手袋に付着した土埃をはたく執事は、余裕を見せるかのように、両手を後ろで組みながら笑みを浮かべる。また驚くことに、彼女の立ち位置は殆ど変わっていなかった。


「いいだろう……その減らず口にも飽き飽きしていたところだ」


 負け惜しみめいた言葉を聞いて呆れる執事は、溜息をついた僅か数秒、吸血鬼の男から目を離したあと視線を元に戻すと、向かいに立っていた彼が忽然と姿を消した。


「――ッ!?」


 あまりの一瞬のことで油断した執事は、吸血鬼に呆気なく背後を取られていた。そして、振り向く間もなく思い切り蹴り飛ばされた。


「口ほどでもないではないか」


 広間の大階段へと頭から突っ込んだ執事からの返答はない。一撃。たったの一撃で呆気なかった。


 吸血鬼の男は、まだ執事が起き上がる可能性を危惧きぐし、確認のため耳を澄ます素振りを見せる。しかしすぐにそれも飽きて、倒れた配下たちに魔力を注いで立ち上がらせる。


「所詮はの竜族。上位存在である我に勝てる訳が無かろう」

「それに、――たかが下級竜の! 分際で!! 馬鹿にするなクソ雑魚がぁ!!」


 情緒が不安定なのか、溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、宙に魔法陣を幾つも展開させると、魔力を帯びた黒い炎を執事に向かって放つ。


「ふぅ……そうだ。冥途の土産にいい事を教えてやろう。この世界は直に、我ら魔族によって支配され、蹂躙されることをよく覚えておくがいい」

「――我ら魔族は、新たに玉座に就かれた魔王、“救世主セイバー”様によって生まれ変わったのだ!!」


 再び宙に大きな魔法陣を展開させる。そして、先程よりも勢いよく燃える黒い炎を執事に向かって放つ。それは広間の大階段を木っ端微塵にするほどの威力であり、その衝撃は、彼女を瓦礫の中に閉じ込め生死の確認すら出来なくさせた。


 *


「なんて、酷い……」

「彼女でさえもなのか……」


 執事のそのやられ様を見ていた少年の母は、顔を覆い隠して涙を流し、父もまた、見るに耐えないと隠し窓を静かに閉めた。


 小部屋の中は絶望的な空気が漂っている。

 父は騎士王として自分が出る他ないと意を決し始め、母もとして夫とともに戦おうと決意し始めていた。だが二人は、自分の息子を心配するあまり、いつまでも決めあぐねていた。


 そんな両親の心配を余所に、少年は一人、短刀を握り締めている。

 誓った約束は必ず守る執事。彼女がこうもあっさり敗北する筈がないと、彼は両膝を突くと、両手で竜紋の描かれた短刀を掲げ、心の中で誓いを唱える。


 ――剣に誓って……。


 すると、それに応えるかのように瓦礫が微かに音を立てて崩れる。だが、吸血鬼の男と配下たちは、それを微塵たりとも気にも留めなかった。


 少年は再び誓いを唱える。


 ――剣に誓って……!


 半壊した広間の大階段から、崩れた瓦礫が大きな音を立てて下へと転がっていく。


「おい……まさか、あれだけ喰らって立ち上がるとでも……」


 少々、焦りを見せ始める吸血鬼の男。


「ま、まあ、それも計算内だ。立ち上がるのならば、徹底的に打ち倒し、そして、愚かな竜族たちへの手向けとしてやろう!!」


 高笑いを上げながら、先程よりも更に無数の魔法陣を展開しては、黒い炎を連続で放っていく。


 ただただそれを聞かされ動けずにいる少年の両親は、最初から共に戦っていればと後悔ばかりが生まれる。


 やがて、静かになった。

 瓦礫の崩れる音は聞こえない。

 聞こえるのは、母の咽び泣く声だけ。


「そこのお前。一応だ。確認してこい」


 命令された小さな魔物は、恐る恐る瓦礫の山へと近付いて行く。


 少年も必死に我慢していたのだろう。彼の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。しかし、それでも尚、諦めることなく同じ体勢のまま両手で短刀を掲げ、執事を信じて心の中で誓いを唱え続ける。


 ――け、剣に……剣に、誓っ……て……!!


 瓦礫の山に近付いて、匂いを嗅いで執事の生死を確認する小さな魔物。

 彼女が負けるはずがないと、短刀を強く握り締めながら祈る少年。


 ――なぜなら彼女は……!


 少年の祈りが届いたのか、瓦礫が勢い良く崩れる。そして、中から手が飛び出てくると、小さな魔物の首根っこを鷲掴んだ。


「……なぜっ……なら、わた……しは!!」


 途切れ途切れに聞こえる声の主に首根っこを強く掴まれた小さな魔物は、両手足を激しく動かしながら苦しそうな声を出し続ける。


「何をしている? ふざけるのも大概に……」


 吸血鬼の男が瓦礫の方を見て顔をしかめる。少年の両親も異変に気が付くと、小部屋の隠し窓を開いては耳を澄まし様子を伺う。


 微かに聞き取れた執事の声に少し安堵した少年は、再び短刀を強く握り締め祈る。


 ――ぼくたちの執事ともであり……。


 首根っこを掴まれていた小さな魔物は、その場で呆気なく息の根を止められる。そして、傷だらけになった執事が瓦礫の山を崩して這い出てくると、広間へと躍り出ては笑みを浮かべながら吸血鬼の男を見据えて叫んだ。


「――竜騎士かれらの副団長だからだ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

傭兵たるもの 櫟ちろ @kunugikko5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ