第5話 魔女の家

マーリンのところに来て3日。一体どういう理屈なのかわからないけど、マーリンが処方してくれた薬はとてもよく効いた。おかげで普通のご飯を食べて、部屋の中を歩ける程度には回復した。

「そろそろ、この家の案内をしておこうか。ちょっと広いけど、大丈夫そうかい?」

 朝ごはんを食べていると、マーリンがそう提案してきた。

「うん。退屈してたところだし、丁度いいよ。それに、魔女の家ってどんなとこなのか気になってたんだ」

 この部屋だけでも、見たことのないものがたくさんある。ほとんどが何に使うものなのか、さっぱり見当がつかない。

「キミが期待するようなものはないと思うが。まぁいいだろう。ついて来てくれ」

 ベッドから抜け出し、マーリンの後をついて部屋を出る。

「え、ええー⁉︎」

 部屋を出てすぐに広がっていたのは、星空だった。床も地面もないのに、なぜか床の上のように歩ける空間。上をみると、天井もないし壁もない。ただ上へ上へ続く螺旋階段と、扉だけが夜空に浮いている。

「今いた部屋のドアを覚えておくといい。戻る時に必要だからね」

 浮いている扉の全部が、色や形が違う。今出てきたのは、緑色の扉に金のドアノブがついた扉だ。

「キミに関係あるところから行こう。まずはこっちだ」

 マーリンについて階段を登り、黄色い扉の前に出た。花の絵が書いてある。マーリンが扉を開ける。

「え、外?」

 扉の向こうは、どこまでも続く花畑だった。穴が空いたように青い空には、昼間なのに流れ星が流れている。

「ここは、ワタシが手入れしている庭だよ。まぁ、一般的な庭と同じかと問われると否だがね。あまり遠くに行くと、戻れなくなるから気をつけて」

「これも、全部魔法なの?」

 手に止まった蝶に、マーリンは首を振る。

「いくら魔法でも、生き物はそう簡単に再現できないよ。ここにいる生き物は、ワタシが監視している世界の、ほんの一部を集めたものさ。空は、どこかの世界で今見えているものを投影してある。キミが世界を旅する時、同じ空を見ることがあるかもしれないね」

 太陽と星が共に輝く空が、俺の知らない場所に実在するんだ。まだ見たことがないものが、可能性がこの先に待っているということ。旅の目的は別だけど、少しだけワクワクした。

「ここなら充分な場所が確保出来るから、キミに剣を教えるのに都合がいいと思ってね。一応キミに合わせて気温や湿度は調整したつもりだけど、過ごしにくくはないかい?」

「うん、大丈夫。ちょうどいいよ」

 俺と──がいた場所は夏が短く、長い冬を生きていかなければならない場所だった。マーリンの庭は暑すぎず寒すぎず、運動したらちょっと汗ばむ程度の気温だ。一体どうやっているのかは分からないけれど、マーリンの気配りが嬉しかった。

「いきなり剣を振る、なんてことはしないつもりだけど。今のキミにどのくらい力があるか測らせてもらって、そこから何をどう教えていくか決めるよ。ふふ、弟子なんてとったことはないから、柄にもなく心躍っているところさ」

「そうなの?マーリンくらいすごい魔法使いなら、弟子がいっぱいいるんだと思ってた」

「そもそも、ここに辿り着くには相当の修行がいるからね。キミのように特殊な力を持っていない限り、時空の狭間で自我を保ったまま歩くなんてそう出来ることじゃない。尋ねてこない者を弟子には出来ないからね」

 マーリンに出会って、最初に言っていたことを思い出す。俺は運良くここに辿り着いたけれど、普通の人がここに来るには何か特殊な方法が必要なんだ。

「次の部屋を案内するよ。ついてきてくれたまえ」

 マーリンに続いて庭を後にする。螺旋階段の先には青色の扉。本の絵が描いてある。

「うわぁ、すごい!」

 天井が見えないくらい高い部屋に、本棚がたくさん浮いている。中には綺麗に本が詰められていて、色の違う背表紙が並んでいる。鳥のように羽ばたいている本があったり、近づくと逃げていく本があったり。

「ここはワタシが独自に集めた情報が眠っている場所だ。最初にワタシが星の観測者であることは話しただろう?」

「うん。この星の西側を監視してるって言ってたね」

「その通り。ここにあるのはいわば議事録。数ある世界の記録さ」

 マーリンはあらゆる世界のことを常に記録し、保存している。それを読める形に具現化したのがこの部屋なのだという。

「記録はしているけれど、ワタシ自身が全部に目を通しているわけではなくてね。どこかで何か事件が起こった時に、確認する程度にしか使ってはいないのだが。もしかすると、キミの探している情報が眠っているかもしれないと思ってね。キミ、字は読めるかい?」

「読めるけど、ここにある全部が読めるわけじゃないかも。この本の字は読めるけど、こっちは読めない」

 近くにあった本を二冊手に取る。一方の本のタイトルである『食べられる野草について』は読めるのだが、もう一冊の方はそもそも一文字一文字の境目すら分からない。

「ああ、それは調整が効く。情報元の世界の言語に合わせて、記述しているだけだからね。キミが読める言語に変換しよう」

 マーリンはそういうと、指を一つパチン!と鳴らした。すると読めなかった方の字がグニャリと曲がって、読める字に変換される。出てきたタイトルは『今年絶対活躍する勝負服!』だった。そんなのもあるんだ。

「時間がある時にでも調べ物をするといいよ。本は好きかい?」

「うん、大好き!」

「それなら上々。庭と書架、キミの部屋はワタシがいない時でも、出入り出来るようにしておくよ。他の部屋は、素人が入ると危ないところもあるからね。と言っても、キミには鍵を開ける力があるから、入ろうと思えば入れるだろうけれどね。そこはキミ自身の判断に任せるよ」

 中には、俺には見せられない資料や道具があるのだろう。魔女が何をしているのか気になるところではあるが、余計な首を突っ込むのは得策ではなさそうだ。

「分かった。鍵がかかってるところは入らないようにするよ。俺も別に、マーリンを困らせたいわけじゃないから」

「素直でよろしい。早速だが、何か読んでいくかい?まだ運動するには早いし、かといって退屈だろう?」

「うん、実はちょっとソワソワしてる。こんなにたくさんの本が読み放題なんてこと、今までなかったから」

 ──にいろんな物語を見せてあげたかった、というのもあったけど。──に出会う前から、本はいつも読んでいた。けれど、新しい本を手に入れる手段はそんなになくて。同じ本を何度も何度も読み返していた。これだけの本の数なら、読んでも読んでもなくならない。何より、世界の記録だから更新もされる。目的とは違うけれど、純粋に本を楽しみたいなと思っている。

「ワタシも物語は大好物だからね、気持ちはとても良くわかる。目についたものを持っておいで。お茶を淹れてあげるから、ゆっくり読書としよう」

 いつの間にか用意されたテーブルとティーセットを前に、マーリンは丁寧にお茶を淹れている。それを視界の端に、気になるタイトルを探し始めた。

 

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エンドロールに心臓を 雨上鴉(鳥類) @karasu_muku14

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