第17話 姫様の旅支度④

 俺は魔王様から飛び降り、人型の姿に戻って魔王様の前を歩き、姫に気付かれないようにそっとドアを開け静かに廊下を歩いていく。先ずは左手のドアだ。そっと開けるとそこは洗面所になっている。その奥はお風呂場の様だが人気はない。少し残念な気はしたが、断じて下心からではない。

 俺のその怪しい行動を魔王様は何故かニコニコしながら静かに見守っている。まぁいい。次だ。右手のドアをそっと開ける。そこはトイレだった。やはりここも人気がない。とはいえ、もし風呂やトイレに姫が入っていれば俺はただでは済まなかったのだろうけど。

 次は真正面の扉だ。ここが本丸。今まで以上に慎重にドアを開けると応接間があった。俺が亜空間に創ったリビングの半分くらいのひろさだろうか? 中央にあるテーブルの上に置かれた紅茶の香りが漂う部屋で、ソファーに座りながら優雅に本を読んでいた。


「あら。遅かったですわね」


 寛いでいる姫に呆気にとられたのは俺一人だった。魔王様は動じていない。


「ひ、姫様。さっき何度もインターホンを鳴らしたのですが?……」


「ええ。何度も五月蠅かったですわ。さっさと入ってくればいいものを何をしておりましたの?」


 姫は悪びる様子もなくいけしゃあしゃあと紅茶のカップを口に当て一口飲む。そしてこちらに目を向けることなく本のページをめくった。


「一応、今この部屋は姫様の部屋ですから勝手に入るのは色々とマズいと思って開けてもらうのを待っていたのですが?」


「マズい? ではなぜ入ってきたのです? そもそもなぜ私がわざわざドアを開けに行かなければならないのです?」


 今の言葉を聞いてよくわかった。コイツは客が来ても自分で出迎えたことなんてないんだ。従者がいない状況ではコイツは何もできないのだろう。


「先程の態度の悪いメイドはどうしたのです? 紅茶を入れさせ、茶菓子をお願いしたらなかなか戻ってこないし。ようやく戻ってきた頃にはすっかり冷めてしまった紅茶を入れ直してもらって、余興に何か面白い事をやってほしいと頼めば変顔をする。その顔が余りにもつまらないので読み物を頼めば漫画を持ってくる。……まぁこの漫画は面白いですけど」


 話している間一度もこちらを見ることなくページをめくる。


 「何故かその間もずっと変顔を続けるのです。続けていれば笑ってもらえるとでも思っていたのかしら? 余りにもしつこいので『ああ面白い』と言って差し上げたら、気を良くしたのかもっとひどい変顔をし始めたので『もういいですわ。外で休んでなさい』と言って気を使ってあげたのに。そのまま帰ったのかしら」


 リリス様が般若の形相をしていた原因が判明した。今やっとわかった。この女には心底悪意がない。遠慮も感謝もなく、息をするように周りの人間をこき使うのだ。コイツ今までどれだけ甘やかされてきたんだ? いや、コイツの運の良さが自然とそういう環境を作り上げてしまったのかもしれない。魔王様は俺にこんな奴と旅をしろっていうのか? 冗談じゃない。俺はコイツのいう事なんて聞いてやらないぞ。色々な世界でいろんな状況に陥れば自分がいかに幸せな環境で甘やかされて育ってきたかわかるだろう。こんな奴が異世界で生きていけるわけがない。

 そういう俺だって他の世界に行くのは初めてだ。どんなものが見られるだろうとワクワクする反面、どんな世界でどんなことが起こるか想像もつかないからドキドキする。どちらにしてもコイツの命を守ってやる力も知恵もない俺と旅をするのであれば、思い通りにいかずいい伴侶を見つける前に自分の国に帰りたくなるだろう。それが最も早くて丸く収まるんじゃないだろうか? 国際結婚でも色々なしがらみがあるってのに、ただのわがままで異世界人に出会いを求めるなんて話は聞いたことがない。コイツに比べたらマリーアントワネットですら可愛く見えるぞ。

 

「姫様。彼の亜空間の準備が整いました。一度ご覧いただけますか? 旅立つ前に足りない物を運び入れる必要もございますので」


「わかりました」


 俺は渋々亜空間の門を開いた。でも、なんでせっかく手に入れた夢のマイホームにこんな奴を入れなきゃいけないんだ! 姫は門が開くなり我先にと亜空間の中に入っていく。コイツ! 危機感ってものがないのか!? 仮にも周りに居るのは魔族だぞ? 危険な目に遭う可能性を考えないのか? 俺は慌てて姫に続いて亜空間に飛び込む。そして、ニコニコ笑みを浮かべながらその後ろに魔王様が続く。この人……さっきから何がそんなに嬉しいんだ? 先に亜空間に入っていた姫はそのまま玄関を土足で上がる。


「おい! 靴脱げよ!」


「は? なんで靴を脱ぐのです? というか何です? この狭くて短い廊下は……」


 姫は俺の制止を無視してそのまま土足で進んでいく。慌てて姫の腕を引いて無理やり引き留める。


「脱げって言ってんだ! ……俺の家の中で靴を履くことは許さない」


「……脱いでほしいならあなたが脱がせたら?」


 その挑発に腹を立てた俺は姫の足元に膝を付いた。そのまま細く柔らかいふくらはぎを掴み、小さな足を持ち上げた瞬間に我に返った。あれ? なんだこれ? 何で俺が姫の足を触っているんだっけ? 顔の目の前まで持ち上げた瞬間に我に返った俺はその勢いのまま靴を脱がせばいいものを、一番ヤバい姿勢の状態の瞬間に我に返り、身体と思考が停止してしまっていた。どうしよう? 何かめっちゃいい匂いするし……。その匂いにさらに焦った俺は姫の顔を確認しようとそのまま顔を上げる。するとスカートの裾を押さえて真っ赤な顔で俺を睨んでいる姫と目が合った。


「キャーーー! 何すんのよヘンタイ!」


 姫はまだ脱がせていないヒールで俺の眉間のど真ん中にヤクザキックを喰らわせてきた。その勢いで右足の靴が脱げた。


「ウギャーーー!!」


「信じらんない! 無理やり足を開かせてスカートの中を覗くなんて! ヘンタイ! 死ね!」


「だ、誰がそんな汚いもん覗くか! お前が脱がせてみろっていうから靴を脱がせようとしただけだ!」


 するともう片方のヒールを脱いで投げつけてきた。先ほどヒールで蹴ったのと全く同じ場所に靴のヒールをクリーンヒットした。


「誰が汚いですって!?」


「……」余りの痛みに声が出なかった。


「まぁまぁ姫。言葉の綾です。そのタイツを身に付けているのですから彼には何も見えておりません。靴を脱いでほしいというのはこの空間の中では姫にゆっくり過ごしてほしいという彼の配慮なのです。それに姫はこれから色んな世界に赴いて靴を汚すこともあるでしょう。ですが、ここで汚れた靴を脱いでおけば家の中は綺麗なままで過ごせるでしょう?」


「……それならそうとちゃんと言いなさい。私の靴はそこに並べておきなさい」


 魔王様の言葉や姫の命令に反論をしたかったが痛みで何も言い返せなかった。

渋々靴を脱いだ姫様はズケズケと家の中に入っていく。最初に入ったのはリビングだ。


「……魔王様。ここからは俺が姫を案内しますので魔王様はお引き取り下さい。それと……」


 俺は魔王様の耳元で囁いた。魔王様は少し考えた後で「わかった。じゃあ後の事は頼んだよ」と言い残して玄関のドアを開けて亜空間から出て行った。俺は姫の後を追ってリビングに入った。姫は部屋を物色していた。


「……広さはまずまずですが随分質素な家具ですわね。というか、なぜ私の部屋に調理場がありますの?」


 それがこの部屋を見た彼女の一言目だった。この女……殺してやろうか?


「質素な家具で悪かったですね。このシンプルな機能美が分からないなんて。ここはリビングダイニングです。料理をして食事をして家族で寛ぐ為の部屋。姫の部屋は二階」


「あら、そうなの? よかった。ではわたくしの部屋に案内して」


「……こっちです」


 俺はリビングを出て階段を上がる。姫は俺の後に続いて階段を上がってくる。階段を上がって廊下の左手にあるドアを開けて姫の部屋に入る。そこは俺なりのイメージで作り上げた貴族の部屋が広がっていた。


「あら。部屋は狭いですけど中々素敵なお部屋ですね」


 全く予想していなかった言葉が返ってきた。中々わかってるじゃないか。俺は自分がイメージした貴族の部屋を本物の姫に気に入ってもらえたことが素直に嬉しかった。


「ちなみにこの家具はどこのブランド? このカーペットとカーテンはパトランプ国の西町にある生地屋に、このベッドとソファーとタンスと鏡台は東町の家具屋の店主に交換してもらって下さる?」


 そうでもなかった。俺のイメージした家具は根こそぎ否定された。


「こ、この家具は俺のイメージで作り出したものですからブランドなんてありません。それにこの部屋と一体になってるので家具の移動もできません。」


「あら。私は先ほど魔族と盟約を結んだのですよ? 私の命令は絶対だと」


「いいえ。アナタが盟約を結んだのは株式会社魔界であり、全魔族ではないのです。そして、俺はさっき株式会社魔界を退社しました。魔王様にお願いして俺個人としてアナタの旅に同行させてもらうことになりました。ですからアナタの命令に従う理由はありませんし、魔王様とのコンタクトは俺がいないと出来ません。この部屋が不満ならお一人で行って野宿するか、自分の世界に帰ってそこで誰がマシな人と結婚してください」


 どうだ? 悔しいだろ? 何でもかんでもお前の思う通りに行くと思うなよ。悔しそうにする姫の顔を想像していると意外にも顔色一つ変えず予想外の言葉を口にした。


「いいえ。お構いなく。私も無理を言って皆様にお願いしている身です。この部屋で我慢いたしますわ」


 おや? 意外にしおらしい……いや、違う、騙されるな。無理を言ってお願いしている? いつお願いした? 我慢? この家で一番大きな主寝室にわざわざお前が気に入る様にイメージして部屋をあてがってやったのに何が不満だ?


「兎に角、これからは俺が貴女と株式会社魔界とのパイプ役になります。魔王様や他の魔族の方は直接あなたが交渉することはありません。貴女が理想の彼氏を見つけられるようにサポートはするんでさっさと見つけて国に帰ってください」


 俺の言葉で姫は何やら不満そうな顔をしている。どうやら思い通りにいかずに不満なんだろう。ざまあみろ!


「あの、さっきから姫とか貴女とか堅苦しいですわ。これから私のパートナーになってくださるんでしょう? ライサと呼びなさい」


 キュンとした。なんだよ! ツンデレかよ! 女の子に名前で呼んでって言われたの初めてでドギマギしたわ。女の子を名前で呼んだことなんかねーよ! 急に目の前に居るのが女の子だって意識した自分に腹が立った。


「ところでアナタの部屋はどちらです? まさか私の部屋の隣なんてことはないでしょうね?」 


「俺のこともベルでいいですよ。俺の部屋はライサの斜交いです。この部屋を出て左の奥の左側の扉が寝室。何かあったらそこに来てください。そこに居ないときは廊下の右側の突き当りの小さな部屋に居ます」


 ライサは不思議そうな顔で俺を見る。


「小さな部屋? そこで何をしているのです?」


「見てみますか?」


 そう言って俺はライサの部屋を出て右側の廊下を月辺りまで進む。その奥の右手にある引き戸を開けた。


「な、なんですの? このごちゃごちゃした小さな部屋は?」


 ものすごく不憫そうな目で俺を見てくる。本当に失敬だなこの女。


「ここは俺の秘密基地です。俺の元いた世界で今までに発売されたゲームや漫画やアニメを好き放題楽しめるんです。この狭さがこの部屋の良さを最大限に引き出してくれるんです」


 俺はディスプレイの前に座りゲーム機の電源を入れる。そして映し出されたゲームをプレイして見せた。ライサは初めて見るゲームに興味津々な様子だ。


「やってみます?」


 そう言ってライサにコントローラーを手渡した。ライサは恐る恐るそのコントローラーを受け取り、同時に俺の座っていた椅子を明け渡した。その現代科学の粋を活かしたゲーミングチェアに身体を預けてゲームをプレイする。最初は操作が簡単なアクションゲームだ。ライサはそのまま右に真っ直ぐに進んで敵にぶつかってやられた。


「なっ! ちょっと触っただけでやられましたわ! ベル! どうなってますの?」


「敵に当たっちゃダメですよ。ジャンプしてよけたり、上から踏んづけて倒さないと。あ、穴に落ちたりしてもダメですよ。ここを叩くとアイテムが出るので取ってください」


 そう言ってライサの後ろからコントローラーを操作して見せる。


「わ、わかりましたわ。やってみます」


 そう言って最初からプレイし直すと、今度はうまくジャンプしてよけた。よくよく考えたら女の子の手を握ったのも初めてだ。……って何を意識してるんだ俺は! 


「や、やりました。避けましたわ。次はここを叩く。あ、取れました。パワーアップしましたわ」


 楽しそうにゲームを楽しんでいる姿は可愛い少女そのものだった。この時の俺は俺はちょっと油断していた。「ちょっとトイレに行ってきます」と言って部屋を出た事を俺は数時間後に心底後悔することになる。結論から言うと俺がこの椅子に再び座れたのは約二か月後になった。ライサはこの後、ゲームにハマり部屋を占領したのだ。冷蔵庫の中にはある程度の食料は詰め込んであったし、俺が部屋を離れた隙をついてトイレに行って後は鍵を閉めて出てきやしない。挙句の果てに冷蔵庫の食料が無くなったらドアの隙間から食べたい物や必要な物を書いたメモで要求してきた。そうして俺は立派な引き籠りを作り上げてしまった。


「魔王様。ライサが部屋に籠って出てきません。助けてください」


 お手上げ状態になってしまった俺は魔王様に助けを求めた。すると、


「君、姫の事は任せてくださいって言ったじゃない。それに暫く時間が掛かってくれた方がこちらとしても助かるから姫様が飽きるまで付き合ってあげなよ」


 と、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら援助を断られた。なんて野郎だ! 人が本気で困ってるのに!


 こうして姫改め干物女ライサと俺の楽しい学園生活と婚活旅は一時中断となり、ライサの引きこもり生活がスタートした。コイツに気に入られて結婚する男は何と不憫な事だろう……。

 犯罪にも似たような罪悪感を懐きつつ引きこもりまっしぐらのライサの面倒を見る日々に明け暮れる事となった。……そう言えばコイツいつから風呂入ってないんだ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王様は人類に苦悩する @Tsu-tone

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ