逃がし屋と殺し屋

マコンデ中佐

第1話 🚕

 見渡す限りに続く、ひび割れた大地。


 その只中に、針山のような高層ビルの群れがある。


 一面に施された太陽光発電パネルが黒くきらめくビルを、連絡通路が結んでいる。その隙間を走り抜ける高架道路には、運行を管理された自動車が規則正しく並んで走る。


 そして、屹立きつりつする摩天楼の足元には、埃塗れの旧市街がうずくまっていた。


が来ねえ」


 愛車のボンネットに腰掛けて、タバコに火を点ける。一息吸って煙を吐く。


「マズい」


 いつもの銘柄が手に入らず、味も知らずに買ったタバコは酷い味だった。


「でもまあ、慣れれば悪くねえ」


 もう一口吸うと、意見がコロリと変わる。


 逃がし屋は、万事に前向きな男だった。


 盗んだ車を愛車とうそぶき、盗んだパーツで改造した。逃がし屋稼業を始めた動機は、車で稼ぎたかったからだ。


 夕方から夜明けまでフロム・ダスク・ティル・ドーン。夜には人で賑わう街は、今は寝静まっている。人気の少ない真昼の繁華街で、彼は「荷物」を待っていた。


 カネ次第で誰でも運ぶ無法者アウトロー逃がし屋ゲッタウェイ・ドライバーは、相手の素性は詮索しない。


 強盗犯も殺人犯も、札束を積めば必ず逃がす。それが仕事だ。


「クソったれ。遅刻かよ」


 約束の時刻は過ぎている。客が誰かは選ばないが、時間厳守は絶対のルールだ。しかも依頼人は一見客いちげんきゃくで、連絡の手段もなければ義理もない。


 依頼料の半額は、前金として支払われている。後金と合わせればかなりの額で、新たな車のパーツを買えると期待した。しかし、荷がないのでは仕方が無い。


「空いた時間は、洗車でもするか……」


 上層都市の金持ちから盗んだシェルビーコブラGT500KRは無論レプリカだが、二十世紀を代表する名作スポーツカーだ。


 白のレーシングストライプが映えるブルーのボディは、週に三度のペースで磨かれている。


 短くなったタバコを投げ捨て、愛車のドアに手を掛ける。最後にもう一度だけと時計を見ると、約束の時間からはすでに五分が過ぎていた。


「ん……?」


 通りの向こうに少女がいた。


 ひび割れた路面から伸びる雑草と、枯れた街路樹。落書きだらけのベンチに座って、赤毛の少女がこちらを見ている。


 さっきまでは居なかった。後から来たなら気づいたはず。しかし現に少女はそこにいて、物言いた気にこちらを見ている。


 逃がし屋は、身長二三〇センチの大男だ。たったの五歩。大股で道を横切ると、少女の上に影を落とした。


「ヘイ、ツルペタガール。俺に用か」


 ぶかぶかのワンピースを着て、足には何も履いていない。慌てて伏せた顔には、まだ新しい青痣あおあざがある。


 親に殴られ家を飛び出す。家出少女は、それほど珍しいものではない。


 それとも人身売買シンジケートか、もしくはその取引先の売春組織か。いずれにせよ「触らぬ神に祟りなし」というのがこの街の常識だ。


「用なんて、ないけど」

「なら、なんで俺を見た」

「見てないし」


 極めて無礼な呼び掛けに、少女はムッとしている。


 しかし逃がし屋は、お節介な男だった。


 おとがいを指で上げると、左の目元に殴られた跡。褐色の瞳が非難を込めて睨んでくる。


「やめてよオッサン。触らないで」

「誰にやられた?」

「関係ないし」


 顔を背けて指から逃れる。逃がし屋の巨体がベンチに座ると、古い木材がギシリと鳴った。


「やだ、タバコ臭い」

「生憎だが、マウスウオッシュは切らしてんだ」

「勝手に横に座らないでよ」

「生憎だが、縦には座れねえ」

「……ムカつく」

「奇遇だな。俺もいま、客が来なくてムカついてんだ」


 苛立たしげに嘆息しつつ、しかし立ち去る様子はない。顔を伏せたまま、少女はそっぽを向いている。


「何から逃げてる」


 何処かから逃げてきたのか。それとも、これから何処かへ逃げるのか。この少女は、追われる者の目をしている。商売柄という訳ではないが、逃がし屋にはそれが分かる。


「関係ないでしょ」


 その時、銃声が響いた。


 一発や二発ではない。銃撃戦だ。距離は遠い。音からして、ツーブロックは離れている。


 銃声がすれば驚くものだ。しかし少女は驚きもせず、ただ身をすくませている。


「逃がしてやろうか」

「……関係、ないでしょ」

「俺は逃がし屋だ。どうやら予約はキャンセルみてえだ」


 逃がし屋には妹がいた。


 家庭が貧しいにも関わらず、幼い頃から賢かったが、その利発さがうとまれた。生意気と言われては殴られていた。


 いつも泣いていた。こんな場所から出ていきたいと、口癖のように言っていた。同じく幼かった逃がし屋は、そんな妹を守れなかった。


「だから俺は、逃がし屋になった。逃げたい奴を逃がしてやるのが俺の仕事よ」


 立ち上がった逃がし屋が手を差し伸べる。一瞬だけ躊躇った少女がそれを握ると、ぐいと引き上げる。


 立ち上がっても見上げるような身長差。しかし少女は、しっかりと逃がし屋の目を見て言った。


「あたしを逃がして」



◆ ◆ ◆



 五〇〇馬力が咆哮ほうこうする。無駄にテールを滑らせて、シェルビーコブラは発進した。


 車の少ない大通りを、街の外へ向かって走る。数台のパトカーが、サイレンと共に走り去る。


 街を出るには三〇分も掛からない。しかし市壁を抜けるゲートには、早くも検問が張られていた。


「よお、何かあったのか」

「下町で殺し。ギャングのボスが殺られて、対立グループと撃ち合いだってさ」

「へえ」


 じゃあな。じゃあね。


 ショットガンを肩に担いだ女警官は、助手席の少女に見向きもしない。ウィンドウ越しに気安く言葉を交わすと、車はすぐにゲートを出た。


「知り合い?」


 アウトローの逃がし屋が、ポリスと仲良し小良しというのはおかしな話だ。首を傾げる少女に、逃がし屋が笑う。


「さっき話した妹だ」

「死んだみたいに言ってなかった⁉」


 逃がし屋の妹は強かった。やられっ放しではいなかった。学校を出て警官になり、自分の親を無実の罪で


「あれには笑った。オヤジとお袋の顔は傑作だった」

「なによ。イイ話って思って損した!」

「子供が死んで、イイ話もねえだろ。違うか?」

「それは……うん」


 白く砂に洗われたアスファルトが、乾燥した荒野を一直線に貫いている。この中を突っ走るのだから、マメな洗車は欠かせない。


「どこへ行きたい?」


 聞いてはみたものの、行ける場所など限られている。この先にある古いハイウェイで、行ける街はひとつしかない。


「どこでもいい。遠くへ行きたいわ」


 少女の声ではなかった。


 逃がし屋が助手席を見ると、そこには女が座っている。くしゃくしゃだった赤毛は艶のある黒髪に変わり、ぶかぶかだったワンピースはサイズが合っている。


「認知干渉……じゃないな。容姿変化能力者シェイプチェンジャーか」

「大当り」


 くすりと笑う表情には、幼さの残滓ざんしがある。しかし、少女特有の甲高い声は、落ち着きのあるメゾソプラノになっていた。


 外傷は隠せないのか、痣はそのまま残っている。


「もともとお前が俺のだったわけだ」

「そういうこと」


「だったら最初から素直に車に乗れよ!」

「こっちにはこっちの事情があんのよ!」


 待たされたストレスを爆発させる逃がし屋に、女も負けずに怒鳴り返す。車がわずかに蛇行した。


「何だよ。事情ってのは」

「迷ったのよ。一人で逃げるかどうか」


 殺しの標的は、歓楽街を根城にするギャングのボスだった。コールガールを装って殺すのは、そう難しい事ではなかった。


 ボスを殺されたギャングは、対立組織の仕業と考える。報復すれば、相手もさらに報復する。


 ギャング同士の抗争を演出した依頼人は、さらに別の組織の者だ。その証人である殺し屋を、生かしておくかは怪しいところだ。


「でも結局、乗ってるじゃねえか」

「だってオッサン、お人好しだったし」


 艶然と微笑む女を横目に見つつ、逃がし屋は大きくため息をつく。


「なるほど、しかしまだ分からん事がある」

「なあに?」

「大人の姿になったのに、どうしてツルペタのままなんだ」


 オッサン呼ばわりされただ。ニヤリと笑う逃がし屋に、女が柳眉を逆立てた。


「ぶっ殺すわよ」

本職プロが言うと迫力が違うね」


 砂塵の中を走っていくと、ハイウェイの手前にあるのは、ガススタンドとダイナーだ。


 この街を出ていく者が必ず立ち寄る、逃がし屋にとっては馴染みの店。ついでに言えば、ハンバーガーが気に入っている。


 しかしそこは、依頼人が指定したの届け先でもある。そこへ行けば消されてしまう。


 女がこの車に乗ったのは、賭けだった。このお人好しならば、自分を連れて逃げてくれるかも知れない。そう思った。


「ねえ。このまま遠くへ連れてって」

「悪いが、それはできねえ」


 即答だった。アウトローにはアウトローの仁義がある。仕事においては信用第一。それができねば、この世界では生きていけない。


 気の毒な奴は山ほどいる。助けを必要としている奴が、この世の中には多過ぎる。それをいちいち救っているほど、暇も余裕もありはしない。


「……そう、だよね」


 殺し屋が淋しげに微笑むと、ダイナーは目と鼻の先にある。減速してハンドルを切り、車もまばらな駐車場に入っていく。そこに黒塗りのセダンが待っていた。


「ご苦労」

「今後ともご贔屓ひいきに」


 女が無言で車を降りると、男が寄ってくる。無造作に差し出すリュックの中身は、輪ゴムでまとめた札束だった。


 男に促され、セダンに乗り込む女はこちらを振り返らない。ドアが閉まると、すぐに車は発進する。


 スモーク張りの窓が開くと、赤毛の少女がこちらを見ていた。


 ハイウェイを右へ行けば隣の街。左へ行けば、道は途中で終わっている。どこへも行けない道の先は、無法者のゴミ捨て場だった。


「受けた仕事は、これで終わった」


 重低音。


 ゆっくりと動き出した、シェルビーコブラのウィンカーが左を示す。黒のセダンは遥か先だが、追いつく事は造作もない。


「ここから先は、プライベート」


 爆音。


 ブルーのボディが弾かれたように加速する。リュックの中には札束がある。暇も余裕も、今はある。


 をすれば、助けて貰えると思っていやがる。お人好しと思われるのは、気に入らない。


 だが、それでも――――。


「子供が死んで、イイ話でもないもんだ」

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逃がし屋と殺し屋 マコンデ中佐 @Nichol

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