逃がし屋と殺し屋
マコンデ中佐
第1話 🚕
見渡す限りに続く、ひび割れた大地。
その只中に、針山のような高層ビルの群れがある。
一面に施された太陽光発電パネルが黒く
そして、
「荷物が来ねえ」
愛車のボンネットに腰掛けて、タバコに火を点ける。一息吸って煙を吐く。
「マズい」
いつもの銘柄が手に入らず、味も知らずに買ったタバコは酷い味だった。
「でもまあ、慣れれば悪くねえ」
もう一口吸うと、意見がコロリと変わる。
逃がし屋は、万事に前向きな男だった。
盗んだ車を愛車と
カネ次第で誰でも運ぶ
強盗犯も殺人犯も、札束を積めば必ず逃がす。それが仕事だ。
「クソったれ。遅刻かよ」
約束の時刻は過ぎている。客が誰かは選ばないが、時間厳守は絶対のルールだ。しかも依頼人は
依頼料の半額は、前金として支払われている。後金と合わせればかなりの額で、新たな車のパーツを買えると期待した。しかし、荷がないのでは仕方が無い。
「空いた時間は、洗車でもするか……」
上層都市の金持ちから盗んだシェルビーコブラGT500KRは無論レプリカだが、二十世紀を代表する名作スポーツカーだ。
白のレーシングストライプが映えるブルーのボディは、週に三度のペースで磨かれている。
短くなったタバコを投げ捨て、愛車のドアに手を掛ける。最後にもう一度だけと時計を見ると、約束の時間からはすでに五分が過ぎていた。
「ん……?」
通りの向こうに少女がいた。
ひび割れた路面から伸びる雑草と、枯れた街路樹。落書きだらけのベンチに座って、赤毛の少女がこちらを見ている。
さっきまでは居なかった。後から来たなら気づいたはず。しかし現に少女はそこにいて、物言いた気にこちらを見ている。
逃がし屋は、身長二三〇センチの大男だ。たったの五歩。大股で道を横切ると、少女の上に影を落とした。
「ヘイ、ツルペタガール。俺に用か」
ぶかぶかのワンピースを着て、足には何も履いていない。慌てて伏せた顔には、まだ新しい
親に殴られ家を飛び出す。家出少女は、それほど珍しいものではない。
それとも人身売買シンジケートか、もしくはその取引先の売春組織か。いずれにせよ「触らぬ神に祟りなし」というのがこの街の常識だ。
「用なんて、ないけど」
「なら、なんで俺を見た」
「見てないし」
極めて無礼な呼び掛けに、少女はムッとしている。
しかし逃がし屋は、お節介な男だった。
おとがいを指で上げると、左の目元に殴られた跡。褐色の瞳が非難を込めて睨んでくる。
「やめてよオッサン。触らないで」
「誰にやられた?」
「関係ないし」
顔を背けて指から逃れる。逃がし屋の巨体がベンチに座ると、古い木材がギシリと鳴った。
「やだ、タバコ臭い」
「生憎だが、マウスウオッシュは切らしてんだ」
「勝手に横に座らないでよ」
「生憎だが、縦には座れねえ」
「……ムカつく」
「奇遇だな。俺もいま、客が来なくてムカついてんだ」
苛立たしげに嘆息しつつ、しかし立ち去る様子はない。顔を伏せたまま、少女はそっぽを向いている。
「何から逃げてる」
何処かから逃げてきたのか。それとも、これから何処かへ逃げるのか。この少女は、追われる者の目をしている。商売柄という訳ではないが、逃がし屋にはそれが分かる。
「関係ないでしょ」
その時、銃声が響いた。
一発や二発ではない。銃撃戦だ。距離は遠い。音からして、ツーブロックは離れている。
銃声がすれば驚くものだ。しかし少女は驚きもせず、ただ身を
「逃がしてやろうか」
「……関係、ないでしょ」
「俺は逃がし屋だ。どうやら予約はキャンセルみてえだ」
逃がし屋には妹がいた。
家庭が貧しいにも関わらず、幼い頃から賢かったが、その利発さが
いつも泣いていた。こんな場所から出ていきたいと、口癖のように言っていた。同じく幼かった逃がし屋は、そんな妹を守れなかった。
「だから俺は、逃がし屋になった。逃げたい奴を逃がしてやるのが俺の仕事よ」
立ち上がった逃がし屋が手を差し伸べる。一瞬だけ躊躇った少女がそれを握ると、ぐいと引き上げる。
立ち上がっても見上げるような身長差。しかし少女は、しっかりと逃がし屋の目を見て言った。
「あたしを逃がして」
◆ ◆ ◆
五〇〇馬力が
車の少ない大通りを、街の外へ向かって走る。数台のパトカーが、サイレンと共に走り去る。
街を出るには三〇分も掛からない。しかし市壁を抜けるゲートには、早くも検問が張られていた。
「よお、何かあったのか」
「下町で殺し。ギャングのボスが殺られて、対立グループと撃ち合いだってさ」
「へえ」
じゃあな。じゃあね。
ショットガンを肩に担いだ女警官は、助手席の少女に見向きもしない。ウィンドウ越しに気安く言葉を交わすと、車はすぐにゲートを出た。
「知り合い?」
アウトローの逃がし屋が、ポリスと仲良し小良しというのはおかしな話だ。首を傾げる少女に、逃がし屋が笑う。
「さっき話した妹だ」
「死んだみたいに言ってなかった⁉」
逃がし屋の妹は強かった。やられっ放しではいなかった。学校を出て警官になり、自分の親を無実の罪でブチ込んだ。
「あれには笑った。オヤジとお袋の顔は傑作だった」
「なによ。イイ話って思って損した!」
「子供が死んで、イイ話もねえだろ。違うか?」
「それは……うん」
白く砂に洗われたアスファルトが、乾燥した荒野を一直線に貫いている。この中を突っ走るのだから、マメな洗車は欠かせない。
「どこへ行きたい?」
聞いてはみたものの、行ける場所など限られている。この先にある古いハイウェイで、行ける街はひとつしかない。
「どこでもいい。遠くへ行きたいわ」
少女の声ではなかった。
逃がし屋が助手席を見ると、そこには女が座っている。くしゃくしゃだった赤毛は艶のある黒髪に変わり、ぶかぶかだったワンピースはサイズが合っている。
「認知干渉……じゃないな。
「大当り」
くすりと笑う表情には、幼さの
外傷は隠せないのか、痣はそのまま残っている。
「もともとお前が俺の荷だったわけだ」
「そういうこと」
「だったら最初から素直に車に乗れよ!」
「こっちにはこっちの事情があんのよ!」
待たされたストレスを爆発させる逃がし屋に、女も負けずに怒鳴り返す。車がわずかに蛇行した。
「何だよ。事情ってのは」
「迷ったのよ。一人で逃げるかどうか」
殺しの標的は、歓楽街を根城にするギャングのボスだった。コールガールを装って殺すのは、そう難しい事ではなかった。
ボスを殺されたギャングは、対立組織の仕業と考える。報復すれば、相手もさらに報復する。
ギャング同士の抗争を演出した依頼人は、さらに別の組織の者だ。その証人である殺し屋を、生かしておくかは怪しいところだ。
「でも結局、乗ってるじゃねえか」
「だってオッサン、お人好しだったし」
艶然と微笑む女を横目に見つつ、逃がし屋は大きくため息をつく。
「なるほど、しかしまだ分からん事がある」
「なあに?」
「大人の姿になったのに、どうしてツルペタのままなんだ」
オッサン呼ばわりされたお返しだ。ニヤリと笑う逃がし屋に、女が柳眉を逆立てた。
「ぶっ殺すわよ」
「
砂塵の中を走っていくと、ハイウェイの手前にあるのは、ガススタンドとダイナーだ。
この街を出ていく者が必ず立ち寄る、逃がし屋にとっては馴染みの店。ついでに言えば、ハンバーガーが気に入っている。
しかしそこは、依頼人が指定した荷の届け先でもある。そこへ行けば消されてしまう。
女がこの車に乗ったのは、賭けだった。このお人好しならば、自分を連れて逃げてくれるかも知れない。そう思った。
「ねえ。このまま遠くへ連れてって」
「悪いが、それはできねえ」
即答だった。アウトローにはアウトローの仁義がある。仕事においては信用第一。それができねば、この世界では生きていけない。
気の毒な奴は山ほどいる。助けを必要としている奴が、この世の中には多過ぎる。それをいちいち救っているほど、暇も余裕もありはしない。
「……そう、だよね」
殺し屋が淋しげに微笑むと、ダイナーは目と鼻の先にある。減速してハンドルを切り、車もまばらな駐車場に入っていく。そこに黒塗りのセダンが待っていた。
「ご苦労」
「今後ともご
女が無言で車を降りると、男が寄ってくる。無造作に差し出すリュックの中身は、輪ゴムでまとめた札束だった。
男に促され、セダンに乗り込む女はこちらを振り返らない。ドアが閉まると、すぐに車は発進する。
スモーク張りの窓が開くと、赤毛の少女がこちらを見ていた。
ハイウェイを右へ行けば隣の街。左へ行けば、道は途中で終わっている。どこへも行けない道の先は、無法者のゴミ捨て場だった。
「受けた仕事は、これで終わった」
重低音。
ゆっくりと動き出した、シェルビーコブラのウィンカーが左を示す。黒のセダンは遥か先だが、追いつく事は造作もない。
「ここから先は、プライベート」
爆音。
ブルーのボディが弾かれたように加速する。リュックの中には札束がある。暇も余裕も、今はある。
あの目をすれば、助けて貰えると思っていやがる。お人好しと思われるのは、気に入らない。
だが、それでも――――。
「子供が死んで、イイ話でもないもんだ」
逃がし屋と殺し屋 マコンデ中佐 @Nichol
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