可憐な花には棘がある

千夏 ケイ

可憐な花には棘がある

 修学旅行とは、なんてすばらしいイベントなのだろう。


 背の高い建物が並ぶ風景と独特の雰囲気は決して地元では味わえない。


 そして――




「北川君、あれがハチ公ですよ! 初めて実物を見ました」




 憧れの撫子さんと旅行ができるのだ。しかも同じ班で。




 清水撫子さん。彼女とは高校で初めて関わったが、実は彼女のことは入学前から知っている。中学時代、水泳の県大会に撫子さんがいたからだ。必死に応援する様子や自校の選手が勝った時の笑顔。どこを切り取っても美しいと言えるものだった。他にも色々とあるが、一言でいえば、撫子さんは、たった一日で俺の心を鷲掴みにしたのだ。




 しかし、彼女に惹かれているのは俺だけではない。教室で少しでも気を引こうと話しかける男子は数多くいる。まるで可憐な花に群がる虫のようだ。……俺はそんなことはしないぞ? しつこい男子は嫌われるからね。




そんな撫子さんと一緒の班とは。もしかすると、今、俺は一生分の運気を使い果たしつつあるのかもしれない。だとしたら、宝くじを買うタイミングは今だ。億単位のお金で何をしようか。好きなゲームは当然として、今よりも大きな家を買って家族全員で住むのも面白いかも。




「北川君?」


「あー、ごめんね。気にしないで」




 気が付くと目の前に撫子さんの顔があった。どうやら考え事に集中しすぎていたらしい。




「おいおい、北川。お前はまたぼーっとしていたのか?」




 笑いながら話しかけてきたのは同じ班の横田だ。




「都会の空気にやられたんだよ。圧倒的に人の数が違うだろ?」


「いや、北川っていつもふとした瞬間、自分の世界に入るじゃん」


「……」




 何も言い返せない。考え事が多いのは事実だからだ。このままでは負けたことになるので、軽く蹴っておこう。この行動自体が負けだろって? 確かにその通りかもしれないが、気にしてはいけない。




 撫子さんの方を見てみると、もう一人の班メンバーである西條さんと一緒にこちらを見ていたようでクスクス笑っていた。撫子さんを笑顔にできたのだから、その要因を作った俺の勝ちってことにはならないだろうか。……ならないよな。




「おっ、一駅向こうに明治神宮があるみたいだぞ。代々木公園も近いし、行かないか?」




 明治神宮か。いい機会だし、参拝したい。この修学旅行が終われば、学年全体が受験に向けた準備を始める。大学受験頑張りますと宣言しておいて悪いようにはならないはずだ。




 渋谷駅の構内は広い。俺の最寄り駅とは比べ物にならない。その広さに比例するように人が多い。三百六十度どこを見渡しても、視界に入る人の数は十を下回らない。こんな場所で迷子になれば、田舎の学生はもうおしまいだ。特に、俺は携帯の充電がない。気を引き締めないとな。




「北川君、お手洗いってどこにあるかわかりますか?」




集中しようと決意した矢先、撫子さんに声をかけられた。渋谷駅は初めて来たので、当然、トイレの場所はわからない。しかし、わからないで済ませてはダメだ。せっかく頼られているんだから、早く見つけないと。




「あっ、あっちにあるみたいだよ」




 運よくトイレの標識を見つけることができたので、指差しながら教えてあげた。




「ありがとうございます。ちょっと行ってくるので待っていてくださいね?」


「わかった」




 こんなにも人が多いので、どうせ待つなら近い方がいい。そう考え、足早にトイレへと向かう撫子さんを追いかけて、トイレ近くの壁にもたれかかった。姿は見えないけど、さっき、撫子さんは横田たちと話していたので、彼らも近くにいることだろう。




 それにしても、人が多い。気を付けていても何度もぶつかりそうになってしまった。自分のペースで歩くは無理だ。落ち着いてゆっくりと歩くことができるのは、地元のような田舎の特権かもしれない。


 人の多さに対する文句を頭の中で垂れ流していたら、撫子さんがトイレから出てきて、俺の隣に立った。




「お待たせしました」


「大丈夫、じゃあ行こうか」


「あれ、西條さんたちは……?」


「え?」




 周りを見渡してみるが、先ほどまでと同様、姿は見えない。


 もしかして、はぐれてしまったのか? こんなにも広く人の多い都会で?


 連絡しようと携帯を取り出した。が、タップしても何の反応もない。充電切れみたいだ。


 昨日寝る前に充電したはずなのに……できていなかったのか?




「ごめん! 携帯の充電が切れていて連絡できない。清水さんは?」


「私はできますよ」




 撫子さんが携帯を取り出し、触り始めた。


 こんなにもミスが続くとは。俺、いくらなんでも浮かれすぎているだろ。反省しなきゃな。


 反省の最中、清水さんが口を開いた。




「ごめんなさい。トイレに行くとき、みんなに連絡するべきでしたよね」


「いやいや、俺がもっと注意しておけば良かっただけの話だから」




 そう、俺が横田たちに言っておけばこんなことにはならなかった。トイレの場所を聞くぐらいだから、撫子さんには余裕がなかったのかもしれない。


 あれ? だとすると、横田たちと話していたのは――




「確か、明治神宮と代々木公園に行くって言っていましたよね?」


「そうだと思う」




 考え事は撫子さんの声で途切れてしまった。危ないところだ。さっきも考え事をしていたから、こんなことになったのだ。また同じ轍を踏んでしまうところだった。




「ここから三十分ほどですが、歩いていきませんか? どうも都会の電車は苦手で……」




 撫子さんも人が多い場所は苦手なのか? 確かに電車内の混雑度合いはこの比じゃない。それに、俺のせいではぐれてしまったのだ。罪滅ぼしもかねて提案に乗るとしよう。




「そうしようか。俺も人込みは苦手だし、助かるよ」




 そうして俺たちは渋谷駅から外に戻った。




 明治神宮へと向かう道中、僕は大事なことに気が付いた。撫子さんと二人きりになっているということに。どうしよう、意識してしまうと高揚と緊張で周囲がまったく目に入らなくなりそうだ。


とはいえ、渋谷駅での失敗を繰り返してはならない。携帯の充電がなく、はぐれたら迷子確定ということもあるが、最大の理由は、これ以上撫子さんを失望させられないからだ。




「北川君って、運とか信じる方ですか?」




 決意を新たにしていると、撫子さんが話しかけてきた。運か。これは考えるまでもなく、即答できる。




「そうだね、割と信じる方だと思うよ」




 当然だ。マイルドな返答にしたが、本当はめちゃくちゃに信じている。考えてもみてほしい。高校生活一度きりの修学旅行で好きな人と同じ班になり、アクシデントのせいとはいえ、二人きりで歩いているのだ。超が付くほどの幸運に他ならない。これで信じるなという方が無理な話だ。




「そうですか、でしたら、明治神宮内のパワースポットにも行きませんか?」


「いいね、行こうか」




 断る理由がない。撫子さんと一緒ならどこへでも行きたい。




 そうこうしているうちに代々木公園についた。先に参拝を終えた横田たちと合流するためだ。その後、二人には代々木公園で休憩してもらいつつ、俺と撫子さんで明治神宮を参拝、という流れになっているらしい。




「おっ、来たな。ウォーキングお疲れ様」


「ありがとう。明治神宮はどうだった?」


「凄かったぞ。雰囲気もいいし。北川も絶対気に入ると思う」


「そうか、楽しみにしとくよ」




 お調子者の横田がここまで興奮するんだ、きっと素晴らしい場所なのだろう。早く行きたくなってきたな。




 おっと、忘れないうちに駅でのことを謝っておかなくては。




「そういえば、さっきは勝手にはぐれてごめんな」


「いいって。それより大丈夫なのか?」


「大丈夫? 何がだ?」


「何って、お前体調――」




 何かを言いかけた横田の口が西條さんの手によって塞がれた。それと同時に、俺も撫子さんに引っ張られる。




「ほら、早く行こう?」




 横田の話が気になるが……それは後で解決しよう。




横田の話通り、明治神宮はいい場所だ。青々とした木々に囲まれ、多種多様な鳥の囀りが心を癒してくれる。東京の都心部にこのような落ち着きある空間が広がっているとは驚きだ。




だが、今はもっと向き合わなければならない問題がある。俺の隣を歩く撫子さんのことだ。流石におかしい。まずは渋谷駅の件だ。俺がいるから一人ではないとはいえ、見知らぬ土地でおいて行かれたのだ。だというのに、焦りなどが感じられなかった。それだけであれば、強い人だと思うだけだが、これに加えて、先ほどの横田の件もある。あれは恐らく俺の体調を心配してくれたに違いない。しかし、体調は万全そのものだ。確かに人ごみに辟易していたとはいえ、心配される要素など一つもない。




「北川君、どうしました?」




 だが、どうして? ここはあえて聞いてみるか。




「ちょっとね……分からないことがあって」




 撫子さんの顔を見ると、口角が上がっているようだった。




「そっか。その様子だと、やっと気付いたようだね」


「気付いた……?」


「そう。北川君は自分の都合がよくなるように考える癖があるでしょ? おかげで助かったよ」




 代々木公園でも一瞬そうだったが、いつもの敬語口調ではない。




「ほかの二人とはぐれるようにしたのはわざと。横田君に嘘ついて先に行ってもらったんだ。北川君が体調悪そうにしているって言ったらすぐに信じて心配していたよ。いい友達だね」




 そこまではおおむね考えていた通りだ。予想外なのは横田との友情だけ。まさかそこまでとは思わなかった。もっと大切にしなきゃな。




 さて、黒幕はわかった。唯一分からないのは――




「で、なにが目的なんだ?」




 ――行動の目的である。




「そんなの決まってるじゃん。北川君、いや、有紀君と二人きりになることだよ。全部、好きな人と二人きりになるためにやったんだ。西條さんも協力してくれたし」




 好きな人、という言葉に動けずにいると撫子さんが抱きしめてきた。




「私はね、運はあまり信じないんだ」


「えっ?」


「さっきの話。欲しいものは自分の力でつかみ取るべきだって思ってる。だからこの作戦を実行したんだよ。あ、それと、君の携帯、充電切れてるでしょ? それも私の仕業。横田君に連絡されたくなかったしね。そもそも、この学校に来たのだって、君が目的なんだよ?」




 怒涛の勢いに押されてしまう。何か言わなければならないが、何を言えばいいのかわからない。




「実はね、有紀君が私のこと好きなのも知ってるんだ。だから、絶対逃がさないよ。何があっても」




 そう言って、撫子さんは腕の力を強める。ここで俺は察した。俺の好きな人はただの花ではないのだと。狙った虫を逃がさない、食虫植物のような人なんだと。




 敬語口調をやめ、彼女の本性をさらけ出してまで言ったことだ。嘘、というわけではないだろう。




 つまり、俺はもうニゲラレナイ。

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