エピソード01


 母校がなくなっていた。

 そんなことが我が身に起こるなんて思ってもみなかった。

 いつの頃からかよく耳にすることではあった。全国で学校が次々に廃校となり、かつては子供たちで賑わっていた場所も寂しく静まりかえっている。今や日本はそんな時代になっていた。だがそれはどこか自分とはあまり関係ない話だと思っていた。

 なくなってみてわかったのだったが、それなりに喪失感というものがあるということだった。あることが当たり前だと思っていたから、それほど重要視していなかったわけだったが、それを今になって言ってみても仕方がない。しかしながら振り返るきっかけには十分な出来事だった。

 一体何がどうなっているか知りたくてネットで検索した母校は、他にもう一校同じ憂き目にあっていた学校と合併し、新しく生まれ変わっていた。

 それではかつての母校はどこにいったのだろうか。

 足跡というべき、そこに学校があったことを唯一示すものとしてホームページが残されていた。だがお世辞にも学校の歴史をひもとくといった内容とは言いがたかった。しかしその理由もわかっていた。母校は二十六年という短い歴史で幕を閉じたからだった。

 確かに見覚えのある校舎の写真。だがその写真に写った校舎たちはとても真新しく、綺麗で、生活感は微塵も感じられない。なのに、なぜかそんな風景が懐かしく感じてしまうのは、自分自身がそんな風景の中に身を置いていたからだろう。

 他に何か記録のようなものはないか検索を続けてみた。だが思っていた以上に母校に関する情報は出てこない。それほど母校には情報がなかった。よく見かけるのは、その高校から生まれ、プロデビューまで果たしたロックバンドに関するものだった。

 だが世代が違い過ぎた。その高校の三期生の自分にとっては、そこに思い入れも何もなかった。

 そういえば、卒業してしばらくは何か卒業生を対象とした会報のようなものが来ていた。だが、それらはすぐにゴミ箱行きとなっていた。これと言って思い入れがなかった学校に再び集まるというのは、まるで別世界の出来事のように思えて仕方がなかった。

 ホントにそんなところに人が集まるのだろうか?

 卒業生の集まりの代表みたいなことをやっているという人物の、その会報の顔写真に少しハッとさせられた記憶があった。その白黒の顔写真の女子とは、かつて同じ部活に所属していたことがあり、その面影はまだ自分がその高校と繋がっていたんだと感じさせてくれるものだった。そうでなければ、全くの他人事のような感覚だった。

 そんな彼女には海外の留学経験があり、積極的な活動がお似合いだと思えた。だがそこに写った彼女の表情を見ていると、何か不思議な感覚になった記憶がある。その表情は、何かまだやり残したことがあるような、学校に何か忘れ物をしてきたような、そんな感傷的な感覚に見えたからだった。

 もしかしたらそれが、代表を引き受けることになったのだろうか。

 そんな勝手な思い込みは、その部活が短期間で終わった故の郷愁が理由だからだろうか。



 三年になると否応なしに進路を意識させられる状況になった。

 完全に進路別にクラス分けが行われた。まだコンピューターが世間的に語られ始めた時代、これからは理数系が有利になるだろうと単純に考えたことで進路を理系にした。それが新学期を迎えることで大失敗だったことが判明する。

 三年の新しいクラスは真っ黒だった。それは本当に真っ黒だった。教室の中は黒い詰襟の学生服しかなかった。正確には詰襟の学生服の生徒しかいなかった。

 つまり全員男子だった。

 男子校とはこんな感じなのかと、行かなくてよかったと痛感した。それと同時に女子がいることがこんなにも心和むもんなんだと思い知らされた。

 もう終わったと思った。大袈裟に聞こえるかもしれないが、いままで当たり前に男女共学のまま進んでくると、こんなにも愕然することがあるんだと思い知らされた瞬間だった。だからといって特に女子生徒と仲良くなるわけだはなかったのだが・・・

 三年生の行事にはほとんどまともに参加した記憶がない。体育祭では選ばれたバスケットの試合には出なかった。各種目ともに適当に人選していただろうから、いてもいなくても何の影響もなかった。というか、そもそもその日一日を適当にサボって過ごした記憶しかない。担任にもサボってる現場で出くわしたが、特にとがめられなかった。いることが確認できただけでとりあえずよかったのだろう。三年生だから受験目前ということで多目にみていたのだろうか。

 文化祭に至っては何をしたかさえ記憶がない。

 校外学習のようなどこかへ出かけるが、行事かどうか定かでない、自宅から私服で参加する、半分自由参加のようなものがあった。もうその頃は学校へすらとりあえず行っていただけだったので、はっきりと授業とはいえないものにわざわざ行く気など毛頭なかった。風邪を引いたと適当な理由を言った記憶があるが、それも結局これと言ってとがめられなかった。

 今考えたら、信用されていたわけではなく、どちらでもよかったのだろう。問題を起こすわけでもなく、何の影響もない。よくも悪くも大人扱い・・・いや、他人扱いだったのだろう。それは自分自身もそう望んでいたわけだし・・・。

 結局、進路を迫られるにしたがって、これと言って目標もなく、適当にやり過ごしてきたツケが回ってきたわけだった。

 学校とは、とにかくなんでもいいから参加しないと意味がないと、歳をとってから気づかされたわけだった。

 


 そんな状態だったから、自ずと学年が進むにしたがって学校への参加意識は薄れていった。面白いとか楽しいといった記憶がない、これといって何もない、ただ時間を過ごしていたような感覚しかなかった。意外と学校生活なんて、大半の人がそんなふうに捉えているものなんだろうと思っていた。

 なのに母校がなくなっている事実を知ったときは、人生の大事なものを少し無くしたような、喪失感のようなものが胸のなかに浮かんでいた。

 

 そうなると何か昔を辿りたくなってしまう。

 ネットで検索することが当たり前になった時代とはいえ、そもそも表示するべき情報に乏しいとこれといって何も出てこない。

 そうなると何か出てこないかとムキになってしまう。が、やはり出てこないものは出てこない。

 唯一といていい確かな情報は、現在の状況はどんなかだということ。

 今となっては、その統合された学校が母校の代わりとなる。


 統合された高校はNAGISAと名付けられていた。

 もちろん学校の名前なのだから理由があるはずなのだろうが、そこまでの興味は沸いてこなかった。

 NAGISAのホームページには、まだ歴史の浅い学校の真新しい風景があった。それはかつてのHIRANISHI を思わせるところがあった。

 新しさは新鮮さを感じさせる一方で、なぜか物足りなさを感じさせるところもあった。学校とはいかなるところかを感じさせるような、積み上げてきたものがまだないからだろう。仕方がないといえばそれまでだが、案外通っている生徒からすると、それが当たり前の日常となっていくものだ。実際自分がそうだったわけだから。

 部活に関しても同じようなことが言える。実績と呼べるようなものができるまでには時間がかかるだろう。積み上げてきた時間と労力がそれを証明することになる。

 多くの学校で体育会系の部活が花形の存在になることが多いかもしれない。もちろん活動範囲も広がっていけば様々な部活が活躍することにもなる。

 自分にとって関心となるのはコーラス部だった。あまり学校というものに関心がなかった自分にとって、それは良くも悪くも多少転機となるものだからだった。それ故気になる存在でもあった。

 生徒たちが集まって唱歌なるものを歌うような光景は昭和の時代に終わりを告げていた。歌う題材も変わって行き、誰もが知っているようなヒット曲を卒業式に歌う時代になって久しい。だがそれ以上に、生徒たちが集まって身体を寄せあって歌うこと自体、学校の風景としてはあまり見かけるものではなくなっていた。

 それだけのどかな時代だった。

 NAGISAの部活を紹介するページにはコーラス部があった。そこには5人の女子生徒による活動風景が数枚の写真とともに掲載されていた。

 あまり活発とは言いがたいその光景は、やはり歴史の浅い学校ならではのと言いたくなるくらい少々寂しい印象だった。

 部活は生徒数もさることながら、学校に熱意があるか、また熱意のある指導者に恵まれるかによって大きく違いが出るものだろう。

 それでも取り組んでくいる生徒がいるだけで嬉しい気持ちにもなった。

 ただ、その風景を見ていてふと思った。それはまるであのときと同じようだと。

 かつてのHIRANISHIでコーラス部を立ち上げたとき。初めて三学年揃った学校で、同じことを考えていた他の生徒と初めて顔合わせをしたとき。

 まだ何もないと思えた放課後でスタートしたあのときもそうだった。

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HIRANISHI ー 三年目の放課後 ー @kouzenji_1980

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