第20話 すべてはわたしの掌に

 ──いよいよ北の領地、視察の日。

 玄関先から見える早朝の空は、雲一つない晴天。

 この世界での、初めての旅。

 いまの気持ち、楽しみ二割、不安八割……くらいかな。

 日本ほど治安よくないだろうし、路面は荒れてて馬車も揺れる。

 でも、この先ずっとこの世界で生きていくんだから、見聞は広めておかなくちゃ。

 そして……。

 領地間の移動を少しでも快適に、楽しくできる力が、アイリわたしにあるのなら……。

 頑張りたい。

 元は興貴と華穂への仕返しだったけれど──。


「……アイリお嬢様、馬車の支度がすみました」


「ありがとう、ルド。まずは例の場所へ寄ってね」


「はい。先導車に伝えてあります」


 中年男性議員二人と、護衛の私兵二人を乗せた馬車が、先に出立。

 わたしとルドを乗せた馬車……いわば女性専用車両は、それに先導される形で後を行く。

 車窓の景色が、次第に建物から樹々へ。

 うっすらと窓に映り込む自分の顔は、西洋の目鼻立ちと東洋の愛嬌をいいとこ取りした、美しさと愛らしさを兼ね備えた美女──。

 ……きっとアイリこの子は、生まれながらの才女で、そして頑張り屋だった。

 努力家でなければ、この美貌はとても保てない。

 同じ女として、すごくわかる。

 けれど才を生かす環境に、恵まれなかった。

 自由な発想、型に嵌らない行動──。

 それらが周囲から疎んじられ、抑圧を受け、伸び伸びと育つべき才能が捻じ曲げられる。

 やがて才は、遊びにのみ向けられるように……。

 あの子とは、そんなに長く話せなかったけれど……同じ肉体のわたしにはわかる。

 そしてそのわたしには、令和日本の知識がある。

 専門的なものじゃないけれど……。

 先の文明を知っているということは、斬新な発想や提案に、説得力が加わる。

 アイリが不得手だったことを、わたしがしてあげられる……。


「……お嬢様。着きました」


「……ん。それじゃあ少しだけ、時間貰うわね」


 わたしの希望……というかワガママで、視察の前にちょっと寄り道。

 興貴の畑。

 馬車から降りると、夫婦して水やりをしている姿が畑の中に。

 葉物野菜の中に半身を隠した、丸い背中が二つ。

 脇道を歩いてわたしのほうから近寄り、声掛け。


「……おはよう、お二人さん。朝早くから精が出るわね」


「……農家の朝は日の出前。いまはもう……さ。ベランダの植木鉢、昼間に水をやったら根が腐るって、教えたことあったろう?」


 興貴が挨拶抜きに答え、夫婦して同時に立ち上がる。

 泥水がはねた作業着に身を包んで並ぶ二人。

 悔しいけれど……夫婦が板についてる。

 でもこの悔しさは、わたしがまだ興貴を愛してるからこそ。

 悔しさは、うれしさ。


「そう言えば、わたしがこっちへ来てから雨降ってないわね。それで水やり?」


「いまは乾季なんだ。おまけにこの畑は、山から一番遠い。水路の水は手前の畑にほとんど取られて、ここに流れ着くのはスズメのションベンさ」


「アハッ! ションベンじゃなくて涙よ! その間違い、まだ直ってなかったの?」


「こっちにはスズメの涙って言葉自体ないからな。ションベンを定着させてやるさ。まあ、この水やりの苦労とも、もうじきお別れなんだが」


「あら、スプリンクラーでも発明したの?」


「ふふっ。どこぞのお嬢様が森を切り拓いて、俺たちの畑を作ってくれるのさ。これからは山から下りてくる水を、一番手前でいただけるわけだ」


「あらあら、殊勝なお嬢様もいたものね。そのお嬢様には、頭を下げないといけないんじゃない? ねえ……華穂?」


 ここまで無言の、強張った表情の華穂。

 わたしを睨みながらも、興貴の左腕を掴んだまま動く気配なし。

 水滴をはべらせたキャベツ大の葉物野菜を避けて、こちらから接近。

 真正面に立つ。


「あなたは泣き喚きはするけれど……。あらたまった謝罪、まだ一度もしてないわよね?」


「うぅ……」


「いまもそう。よそ行きのドレスのわたしは畑に入ってこない……と踏んで、黙ってやり過ごそうとしたんでしょ? あなたって本当、豆腐メンタルね」


「そ、そういうわけじゃ……。ただ、もう……。わたしたちの畑を潰そうとする、あなたに……下げる頭なんて、ないっ!」


 ──ピシッ!


「きゃあっ!」


 華穂の左頬を真っ赤に染め上げる、渾身の平手打ち。

 よろめいた華穂が、興貴に支えられる。


「……フン。華穂、いまのはただのビンタじゃないわ。あなたなんてね、アイリの掌中にいるんだってことを、痛みとともに教えてあげたのよ」


「うっ……うう……。ぐすっ……」


 そうよ、アイリは言ったわ。

 すべてはわたしの掌中……と。

 それは華穂だって例外じゃない。

 それにしても……ああ、すっきりした。

 やっぱり一度は、ダイレクトに叩いておかなくっちゃね。


「華穂? 興貴は立ち退きに対して、水に困らなくなると言い返してきたわ。あなたも興貴の妻なら、泣き喚いたり怒鳴り込んできたりせず、夫婦足並みを揃えて対抗しなさいよ。新しい畑で、より裕福になってみせる。第二の人生……スローライフを満喫してみせる、とかね」


「ううっ……ふぇ……?」


「そうでもしないと、このには勝てないわよ? じゃあ、またね」


 畑を出て、二人とは領主の娘と農家の関係に戻る。

 復讐──。

 復縁──。

 諦め、からの新たな恋愛──。

 この世界へ転生してから、ずっとブレてた。

 けれど、「すべては掌中」というアイリの言葉に救われた。

 別に一つに絞らなくてもいいのよね。

 わたしは若い。

 焦って道を狭めなくてもいい。

 わたしは美しい。

 興貴を過去にできる出会いにも、きっと恵まれやすい。

 わたしは権力者。

 いつでも握り潰せる華穂に、イライラし続ける必要もない。

 そう、農道や交易路の整備を進めながら、自分の道を広げていけばいいのよ。


「……お待たせ、ルド。馬車を出して」


 馬車へ戻り、着席。

 ルドが車内のベルを鳴らし、運転手へ発車を伝達。

 鞭を打つ音が軽く鳴り、車窓の景色が流れ出す──。


「……お嬢様、お召し物が汚れています」


「どうせきょうは、ずっと馬車の中なんでしょ? 黒いスカートだから泥跳ねも目立たないし、このままでいいわ」


「ですが用意したアクセサリーは、そのドレスに合わせておりますので……。ホテルに着き次第、汚れを落とします」


「そんなの、次の朝すればいいわよ。ルドも今夜はゆっくり休みなさ……ええっ!?」


 ルドが話しながら取り出したのは……あの宝石箱っ!

 乳白色の宝石の下に、張形がずらっと並んだ……あの二重底のっ!


「あ、あの……お嬢様?」


「なっ……なあに?」


「元のお嬢様は、その……。一番小さなサイズを、わたし専用と……仰っていました……」


 視線を目の端へ反らしながら、顔を真っ赤にするルド。

 ソバカスがまるで性悪のニキビのように、脂ぎって腫れ上がる──。

 アイリってば、ルドを抱いたとは言ってたけれど……。

 まで使ってたのっ!?


「むっ、無理にとは、言いませんが……。旅先でお嬢様の寵愛あらば……いい思い出になります。新たなアイリお嬢様からも、どうか、お情けをいただきたく……」


 すべては、わたしの掌中……。

 それにはもちろん、ルドも含まれていて……。

 男と女、なんてありきたりの関係にも縛られず……。

 オリジナルのアイリのように、たまには女の子も……。

 ……………………。

 いやいやいや、ないないないっ!

 いくらなんでも、それは自由すぎでしょっ!

 ルドには悪いけれど、わたしにそういう趣味ないって、早めに釘刺しておかないと──。


「『あら? 一番小さなサイズって、どれほどだったかしら? ルド、ちょっと使って見せてくれない?』」


 ……ええっ!?

 いま、口が勝手に……!

 まさかまだ……オリジナルのアイリ、消えてないっ!?


「えっ!? い、いますぐですかっ!? まるで元のお嬢様のような、ご無体です……」


「あっ……いえ、あのねルド? いまのは冗談! ほんの冗談よっ!」


「……ですが。下着の上から、なぞるだけでしたらば……。その代わり、しっかりと見ていてくださいね……お嬢様」


 ──カコッ……。


 上げ底開けなくていいからーっ!

 っていうかアイリ、あなた成仏したんじゃないのっ!?


『ウフフフッ……。成仏という言葉の意味はわかりませんが、わたくしならば、いまもってここに。わたくしも昨夜、永遠の眠りに就いたつもりでしたが……。どうやらまだ、肉体にる様子』


 ど、どうして……?


『考えられるのは、あなたとわたくしの相性の良さ。そして、手首の自傷痕。傷跡がくびとなって、わたくしたちを繋げているようですわ』


 頸木がなにかは、知らないけれど……。

 傷が消えるまでは、アイリあなたとまた会えるってこと?


『恐らく。では、きょうはこれにて。馬車の長旅は不得手なもので……クスッ』


 そっか……。

 また……アイリと会えるんだ。

 学生時代の悪友のような、世話のかかる妹のような、それでいて頼れる姉御肌のような、不思議な印象のあなたと、これからも……。


「ン……あふぅ……♥ お嬢様……ちゃんと、見ていてくださって……ますかぁ?」


「いや、だから始めなくていいのよ、ルドっ! ほっ……ほら、窓の外から見られてるっ! ウシが見てる~っ!」


 畑の中から馬車を向いてる、横に並んだウシ二頭。

 その首根っこを繋げてる木材、それが頸木。

 それを知るのは、ルドが我に返ってから──。

 この世界へ生まれ変わってからの、初めての旅。

 そして、第二の人生という長い長い旅路の、第一歩。

 令和の日本に、たくさんのものを残してきたから、不安も大きいけれど……。

 それを埋め合わせるたくさんのものに、わたしは恵まれてる!


 青島亜依莉アイリ・ラモディールの、セカンドシーズン……。

 いざ、開幕────!









 サレ妻時間差転生 -不倫当事者のあなたたちに、スローライフなんて送らせないっ-(完)








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サレ妻時間差転生 -不倫当事者のあなたたちに、スローライフなんて送らせないっ- 椒央スミカ @ShooSumika

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