推しと婚約~しがない子爵令嬢は、推しの公爵様に溺愛される~

うり北 うりこ

推しと婚約


 推しと婚約した。

 

 大事だからもう一度言う。推しと婚約したのだ。こんにゃくでもなく、混浴でもない。婚約だ。

 

 私の推しであるイヴォルフ様は、冷血公爵とも呼ばれていて、めちゃくちゃかっこいいけれど、恐ろしいほどにクールなお方。

 笑顔を見せるのは、幼馴染みである皇太子様や王女様だけ。笑顔を見られた日は超絶ラッキーなの。


 しがない子爵令嬢の私とは当然ながら縁も遠く、いつも見目麗しい見た目に、心のなかで全力でうちわを振るのみ。

 心のうちわの文字はその日によって違うが、定番は【こっち見て】【愛してる】だったりする。


 そんなうちわを心のなかで振ってても、本当に結ばれるとも、結ばれたいとも思っていなかった。

 イヴォルフ様は私にとって雲の上の人であり、推しであり、崇める対象だったのだ。

 

 そんなイヴォルフ様と婚約……。しつこいのは分かっている。だけど、信じられないのだ。一度も言葉を交わしたこともないのに何故? 私の熱視線に気付いたとか? それなら、もっと熱烈なご令嬢もたくさんいたよね?


 結局、疑問が解消されることはなく、婚約の打診が来たと思ったら、あっという間に婚約し、私は今日から花嫁修行として公爵家でお世話になる。



 イヴォルフ様がお育ちになったお屋敷を見上げ、私は思わず拝んだ。ここは聖地なのだから、私からしたら当然の行動だ。


「はぁ……、尊い」


 大きく息を吸い込む。もしかしたら、イヴォルフ様が吐き出した二酸化炭素を吸い込めたかもしれない。

 いや、きっと吸い込めたに違いない! 生きてて良かった。


 婚約者が私になった理由なんて、もうどうでもいい。推しを日々摂取できる喜びを胸に抱いて生きていこう……。

 などと尊さに浸っていたら、麗しいお声をかけられた。



「ファーラ、何をしているんだ?」

「イ、イ、イ、イ、イヴォルフ様!?」


 どうしてここに? って、イヴォルフ様のお屋敷だからいらっしゃるのは当然なんだけど、ここは馬車を降りてすぐ。公爵家の大きな扉をくぐってもいない。


「よく来たな」

「……え?」

「婚約者が遠いところから来てくれたんだ。出迎えるのは当然だろう?」


 んえ? 誰? いや、イヴォルフ様なのは知ってるよ? だけど、いつも見詰めていたイヴォルフ様は特定の相手にしか笑いかけないし、他の人には冷めた目をしていた。それなのに──。


 何で微笑んでエスコートぉぉぉお!!?? 


 あれですか? 婚約者には甘々なんですか? そうなんですか? いつもクールな目元が和らいで細まった瞳は春の雪解けのように──(中略)とにかく、ヤバイ。鼻血出そう。どんなギャップ萌えなの? 最高なの? 最高だよ!!

 あぁ、推しの過剰摂取で天に召されそう……。


「部屋を気に入ってくれれば良いのだが」


 そう言って連れてきてくれたのは、何人部屋なの? ってくらい広くて大きなお部屋。品の良いお部屋は、よく分からないけどお高そうな調度品やら、キラキラのシャンデリアがとってもキレイだ。


 キレイなんだけど、壊しちゃったら弁償できない。どうしよう。一生かけて返すとかでいいかな? そしたら、ずーっとお側で堪能できるよね。えっ? 最高のアイディアじゃない? 推しに仕えるとか。何でもやるわ。一日一回ご尊顔できるんだったら……。


「気に入らなかったか?」

「いえ! 最高です!! ありがとうございます!」


 推しにそんな悲しげな顔をさせるなんて! 私のアホー!! ここは推しが用意してくれた部屋。NEW聖地よ!!

 あぁぁ……尊い。お部屋のちりほこりさえも尊いわ。って、そんなもの落ちてやしないんだけど。



「……あれ? あそこの扉は何ですか?」


 お部屋を案内してもらったが、あの扉だけはどこに繋がっているのか教えてもらっていない。うっかりしてしまったのだろうか。


「あー。あそこは、夫婦の寝室だ」


 夫婦の寝室? なるほど、夫婦の寝室ね。

 …………って、夫婦の寝室!?

 

「すぐに使うことはないから、安心しろ」

 

 ぽん、と優しく頭に置かれた大きな手。推しからの頭ぽん。困ったような笑み。夫婦の寝室。爽やかな柑橘系の香り。推しからの気遣い。

 

「あ……」

 

 ぽたり、と鼻から流れ落ちた赤。それは、ぽたぽたと続く。 

 推しの過剰摂取……。そう頭に過った瞬間、私の視界は暗転した。

 

 

 倒れた日からおよそ一月が経った。イヴォルフ様は物凄く過保護になり、私を病弱扱いしてくる。

 

「無理はするなよ。少しでも辛くなったらすぐに言うんだぞ」

「大丈夫ですよ。あの日は本当にたまたまなんです」

 

 言えない。急激なイヴォルフ様の多量摂取により興奮して倒れたなんて。

 

 馬車に揺られながら、私のことを心配そうな瞳で見詰めるイヴォルフ様。

 そんなに心配なら、じっと見つめないでください。また過剰摂取で倒れそうです。なんて言えるわけもなく、推しの一挙一動も見逃したくないため、私もイヴォルフ様を見る。

 つまり、見詰め合った状態なのだ。甘い、甘すぎる。こんな状態が続いたら勘違いをしてしまいそうだ。

 既に分不相応なのに、これ以上望んではいけない。


「本当か? 今も無理してるんじゃ……。やはり屋敷に帰ろう」

「ダメですよ。王女様の婚約パーティーに公爵であるイヴォルフ様がいかないなんて」

「だが……」

「不敬になっちゃいます。それに、幼馴染みなんでしょう?」

 

 イヴォルフ様は王女様がご婚約されるまで色々なパーティーでパートナーをされていた。幼い頃から王子殿下のご友人としてお城に行っていたのよね。


 ……あれ? 私への婚約の打診が来たのって、王女様が隣国で婚約パーティーをしている時だったよね。それに、イヴォルフ様と王女様が互いに想い合ってるとかって噂もあったっけ。

 

 あぁ、そうか。そうだよね。イヴォルフ様がお優しいからすっかり忘れていた。この婚約はきっと王女様への想いを隠す隠れみのだ。

 良かった。早く気が付けて。私は今まで通りに心のなかでうちわを振っていればいいんだもの。

 もし、イヴォルフ様に新しい想い人ができたら大人しく身を引こう。推しと生活した日々を胸に生きていくんだ。

 

「……ファーラ? そんな表情をしてどうかしたのか?」

 

 そんな表情? 何のことだろう。きちんと笑っているはずなのに。

 

「どうもしませんよ? あ、着きましたよ! 楽しみですね!」


 たった一月だけど、公爵婦人になるための花嫁修行を頑張ってきた。今日はイヴォルフ様の完璧な婚約者を演じよう。きっとそれがイヴォルフ様のためにもなる。

 私の推し活は今日から完璧な婚約者を演じることだ。イヴォルフ様の新しいただ一人ができるまで。



 イヴォルフ様にエスコートをしてもらい、私たちは会場へと入場した。すごい視線の数に下げたくなったが、意識して視線をあげる。

 きっと表向きには仲の良い婚約者にみえるはずだ。そのために、同じ色合いでペアのように仕立ててもらったのだから。


 くるり、くるりとダンスも躍り、イヴォルフ様の婚約者として紹介もしてもらう。思った以上に公爵様の婚約者は忙しいらしい。

 そして、遂に王女様へご挨拶のタイミングがやってきた。


 初めて近くで見た王女様のあまりの美しさに言葉が出ない。そりゃ、好きになるよね……、と妙に納得してしまう。


「アイラ……ティス王女、婚約者のファーラです」

「はじめまして。ファーラ・シュツェと申します」


 イヴォルフ様が王女様をアイラと愛称で呼びそうになったことを感じ、なぜか胸がつきりと痛んだ。けれど、そんな気持ちに気が付かないふりをして微笑む。


「あなたがファーラね。ヴォルフは優しくしてくれてる?」

「余計なお世話だ」

「幼馴染みとして心配してるだけじゃない」

「あー、はいはい。ありがとうございます」


 何て気軽なやり取りだろう。王女様もイヴォルフ様をヴォルフと愛称で呼んで……。


 私はこの人の身代わりかぁ……。って、ダメダメ! 次にイヴォルフ様の新しい想い人ができるまで立派に婚約者を演じて、お役に立つ。それが私の推し活だって決めたじゃない。


 そのあとも何かを話したけれど、全く覚えていない。イヴォルフ様が王女様と行ってしまったのも当然よね。


「こんなんじゃ、完璧な婚約者など程遠いよ」

「何が程遠いんだい?」

「えっ!?」

「やぁ。イヴォルフの婚約者さん。浮かない顔してどうしたんだい? 私で良ければ話を聞くよ」


 …………この方って、よくイヴォルフ様と一緒にいる……確かエンバル様よね。


「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 怪しい人じゃなくても、ここで待っているようにって言われたんだからきちんと待たないとね。


「イヴォルフとアイラティス王女の関係、教えてあげようか?」


 驚きで顔をあげれば、にこりと笑われる。


「さぁ、私と行こうか」

「えっ? いえ、大丈夫です。ちょっと待っ……」


 優雅にエスコートをされているのに、全く敵わない。行きたくないのに、連れていかれてしまう。


「イヴォルフさ──」

「ファーラ!!」


 大きな声で呼ばれて振り向けば、少し離れたところから私を呼ぶイヴォルフ様が見える。

 パーティーであんなに大きな声を出しては品がないと言われてしまうのに、どうして……。


「おや、ファーラ嬢の番犬のお出ましだ。思ったよりも早かったな」


 そう言いながら、私の肩を抱いてくる。どかそうとしても力が強くて離れてくれない。


「離してください」

「まぁまぁ。ほら、イヴォルフの顔見てみなよ」


 うん? すごい怖い顔だ。私が婚約者としてきちんと振る舞えてないからだよね……。


「婚約者、失格ですね」

「そうだね。可愛い婚約者を一人にするなんて、婚約者として失格だね」

「えっ?」

「ん?」

「失格なのは私の方ですよ」


 そう言った瞬間、何故か変な顔をされた。


「イヴォルフのやつ……」


 呆れたような声の意味が分からない。

 

「あの、離してください」

「そうだ。ファーラは俺の婚約者だ」

 

 ぐいっ、と引っ張られて私はイヴォルフ様の胸のなかにすっぽりと収まってしまう。ドキドキするけれど、どこか落ち着く柑橘系の香りに包まれる。

 

「イヴォルフさぁ、婚約者を置いて他の女についていくとか何考えてるの? それに、おまえの気持ち、ちゃんと伝わってないよ」

 

 それだけ言うと、エンバル様は去っていってしまった。

 

「ファーラ、俺の気持ちは伝わってなかったのか?」

「きちんと伝わっていますよ」

 

 王女様がお好きなことくらい分かっている。態々言われたくない。

 

「一人にして悪かった。帰ろう」

「えっ? でも、まだ……」

「もう用事は済んだからいいんだ」

 

 膝裏に手を差し込まれ、ふわりという浮遊感のあと、私はお姫様抱っこをされていた。

 

「あ、歩けます。下ろしてください」

「駄目だ。ファーラがいかに俺に愛されているのかを見せつけて、悪い虫が寄り付かないようにしないとな」

「……えっ?」

 

 愛されているか? 一体何を……。

 

 馬車へと戻ると、イヴォルフ様が私に淡い紫の宝石を見せてくれた。

 

「この宝石が隣国でしか手に入らなくてな。俺の手で手に入れたかったのだが、どうしてもできなくてアイラに頼んだんだ。格好悪くて隠そうとしたのがいけなかった。悪かったな」

「そんな、謝らないでください。それに、イヴォルフ様はいつでもどこでも何をしていても素敵です」

 

 気まずそうに視線を逸らしていたイヴォルフ様は、耳を赤く染めている。その姿があまりにも愛しくて……。


 推しとして向けていた感情との違いを誤魔化すのはもう無理なのかもしれない。

 

「互いの瞳の色の宝石を指輪の内側に入れると、ずっと一緒にいられるらしいんだ」

 

 真剣な海を想わせる瞳に息をのむ。その瞳には、確かに熱が籠っている。

 

「そんな迷信にすがるなんておかしいだろ?」

「そんなこと!!」

 

 堪えきれず、イヴォルフ様の胸へと自ら飛び込む。

 

 きっと、私たちはお互いに勘違いしてすれ違っていたんだ。

 

 もう、推しだなんて言葉では括れない。

 

 推しとの婚約は、私に本当の恋を……愛を教えてくれた。


「イヴォルフ様、愛しております」


 そう伝えれば、顔を真っ赤にしたイヴォルフ様が嬉しそうに笑ってくれた。


「俺もだ。ファーラ、愛している。初めてを見かけた日からずっと」

「えっ? 初めてですか? 私はよくイヴォルフ様を見ていましたけど……」


 そこまで言って、慌てて口を閉ざしたが、既にイヴォルフ様の耳には届いていたようで、優しく頬をなでられる。


「俺がファーラを初めて見たのは去年のアイラの誕生日なんだ。あの日のファーラは勇敢で凛としていて、思わず目を奪われた」


 去年の王女様の誕生日って、何かあったっけ? 確かあの日は……。


「意地悪軍団が寄ってたかってクズみたいなことをしていた日ですね」


 それを見たイヴォルフ様が眉間にシワを寄せたのよ。推しにそんな顔をさせるなんて許せない……。

 って、おぉっと! 思わず口が悪くなってしまった。イヴォルフ様も驚いて……ないわね。


「あの時、俺も気がついてはいたんだ。だが、令嬢同士のことに男が絡むと拗れるから見て見ぬふりをした」

「それが正解だと思いますよ」


 イヴォルフ様がかばおうものなら、見えないところでもっと虐められたでしょうし。嫉妬って怖いもの。


「そんな時、ファーラが来てその令嬢を逃がしたんだ。自分が捕まることになるって分かってただろ? 知り合いでも何でもない相手にそんなことできる人は、男女関係なく滅多にいない」

「……あの、何で知り合いじゃないって知ってるんですか?」

「その時の令嬢……シフォン・ドゥレ嬢に直接確認したからな。ついでに虐めてた側の家も調査した」

 

 当たり前のようにイヴォルフ様はそう言うけれど、一月ひとつき見ていただけでも分かる。イヴォルフ様の忙しさは異様だ。

 それなのに、なぜ……。

 

「私、あの時やり過ぎたんです。これは報復されるな……って思っていたのに、何も起きなかった。もしかして、イヴォルフ様が?」

 

 イヴォルフ様は答える代わりに私の手を取ると、右の手に唇を落とす。

 その状態のまま、上目遣いで見上げられ、私の心臓は爆発するんじゃないかと思うほどに大きく脈を打つ。

 

「投げつけられるグラスをキャッチしたかと思ったら、ファーラ自らそれを割って手から血を流した姿は衝撃的だった。傷にならずに済んで良かった」

 

 そう言って、イヴォルフ様は右手を撫でる。


 イヴォルフ様の言うとおり、確かに私はシャンパンの入ったグラスを投げつけられた。だが、そうなるように煽ったのは私だ。

 そして、投げつけられたグラスで自らの手を傷つけてから叫んだのだ。注目を浴びるように。


 あの時の演技はなかなかだったと思う。誰が見ても集団で私をイジメ、怪我をさせたように見えたはずだ。

 あまりにも思い通りにいったものだから、笑いそうになるのを堪えていたら涙まで出てきたのよね。

 

 まさか、一部始終を見られていたとは……。


 

「……あれのどこが良かったんですか?」

 

 いや、本当に。勇敢とか、凛としているとか、全く当てはまらない。私は気にくわない相手をめただけだ。

 

「普通は、見て見ぬふりをする。それなのに助けに入った。しかも、相手を懲らしめるところまで。惚れない方がおかしいだろ?」

「普通は惚れませんよ」

 

 納得いかなそうな顔をされても困る。私だって、まさかあの時に好きになってもらえたなんて信じられないのだから。

 

「でも、あの時の私が好きなら、今の私は好きになれないんじゃないですか?」

 

 鼻血出したり、倒れたりと全く強そうじゃない。イメージした私とかけ離れているはずだ。

 

「そんなことはない。あれからずっとパーティーで見かける度に遠くからファーラを見ていた。婚約してからは近くで。ファーラはいつも面白かった」

 

 ん? 面白かった?

 

「いつでも俺を、周りを笑顔にしてくれた。本当は少しずつ距離を縮めようと思っていたのにエンバルまでファーラに興味を持つし……」

「イヴォルフ様をからかおうとしただけなんじゃ……」

 

 イヴォルフ様は例えそれでも堪えられなかったと言った。

 それにしても、どこで人を好きになるのかなんて分からないものだ。それでも今が幸せなのだからいいのだろう。

 

「イヴォルフ様、ずっとずーっと一緒にいてくださいね」

 

 そう言って笑いかければ、食べられてしまうのではないかと思うほど深い口付けが待っていた。

 

 一瞬、あの時の私を知っているのであれば、か弱くないことも知っているのでは? と疑問が浮かんだが、それもすぐにイヴォルフ様から与えられる快楽で溶けていったのであった。

 

 

 ──END──

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