第188話 永禄八年、年初の評定

 永禄八年(一五六五年)睦月(旧暦一月)、米沢城において年初大評定が開かれた。雪深き陸奥みちのくにおいては、この時期に人が移動することは難しい。だが新田領内においては、七万人を超える兵たちが街道整備と雪かきを行っている。これは冬場に体力を落とさないための調練の意味もあり、毎年恒例の景色であった。


「いやはや…… ただの雪下ろしならば子供にでもできる仕事ですからな。それを調練として使うなど、目から鱗の発想でございます」


 遠藤文七郎基信は、米沢城下を歩きながら旧主である伊達総次郎輝宗に話しかけた。間もなく、義姫との間に子が生まれる。そうすれば最上家とは縁戚となり伊達家、最上家の旧臣たちの間にある微妙な空気も霧消するだろう。総次郎はかつて自分の領地であった米沢の街を眩しそうに見ていた。


「僅か三ヶ月…… たった三ヶ月でここまで変わるのか。なぜ御当家が国人衆から土地を取り上げるのか、ようやく肚に落ちた。短期間でここまで変わるのであれば、五年後、一〇年後など想像もつかぬ」


 それは伊達家のみならず、小野寺家や最上家など新田に降った大名家の者たち全員の心境であった。これ程の内政力を見せられてしまったら、お前たちでは領民を豊かに出来ぬと言われても仕方がない。

  土地を失い、禄で仕えることとなったが、それが思いの外、暮らし易いことに気づいた。土地を持たないということは、自らの手勢を持たないということである。集落の管理や揉め事の調停、税の取り立てなどもしなくて済む。家臣それぞれが禄で仕えるため、家にいるのは屋敷を掃除したり、馬の世話をしたりする小者やくりや番、義姫の側女数名程度である。一万石の禄はとても使い切れるものではない。


「正直に申し上げて、それがしはいま困っております。中野家の御屋敷を頂きましたが、広すぎます。これまで某は、妻と子、そして妻の縁者である小者が一人という暮らしでした。とても掃除しきれないと、妻も愚痴を溢しておりまする」


「ハハハッ、七〇〇〇石を得ておるのだ。一〇人ばかり雇ってはどうだ? 殿からは、雇用を増やせという厳命を頂いておる。まず仕事を作る。人手不足の状態にする。すると自然と人が集まる。だから他領から、人が続々と流れてくるのだ。仕事づくりに其方も寄与せよ」


 この時代における七〇〇〇石の家禄とは、現代価値で換算するとおよそ七億円である。領地ではなく俸禄であるため、私兵を用意する必要も領地を管理する家臣を持つ必要もない。さらに役目の俸禄もそれに加わる。それらすべてを自分の家のためだけに使えるのだ。


「富裕の役目とは、銭を使うことと仰られておりましたからな。元修験者の某としては、そこまで贅沢な暮らしをしたいとは思いませぬが……」


 食事をするときの器が木椀から焼物になり、雑炊と漬物程度だった食卓に肉や魚が加わった。酒も好きな時に飲めるようになった。文七郎には、今の暮らしがとても贅沢なものに見えていた。


「贅沢などではない。飢えぬ、震えぬ、怯えぬ暮らしとはそういうものなのだろう。殿は日ノ本すべてに、その暮らしを行きわたらせるおつもりだ。倹約が悪いとは言わぬが、過度に質素である必要はあるまい」


 やがて米沢城に入る。新田家の家臣は、三月に一度の評定に参加する「評定衆」と、年初などに開かれる大評定に参加する「重臣」とに分かれる。簡単に言えば評定衆は家老であり、重臣は各地の現場責任者といったところだ。総次郎は評定衆だが、文七郎は重臣である。大評定は大広間で開かれるため、二人の座る場所は違う。総次郎は前の方に、文七郎は後方に座る。やがて主君が現れた。数十人の家臣全員が頭を下げた。


「面を上げよ。なんとも壮観な眺めよな。これまで新田家は、文武官両方が不足していた。そのため内政に力を入れようにも人手が足らず、後回しにしていたことも多々ある。だが昨年、伊達家、最上家が臣従してくれた。これにより我が新田家は大いに充実した。この三月、新田の仕事の仕方を学びつつ、領地領民が豊かになる様を見ていたはずだ。この豊かさを日ノ本の隅々にまで広げる。飢えずに、震えずに、怯えずに、明日を夢見て生を謳歌できる国を作る。戦をするのも天下を統一するのも、そのための手段に過ぎぬ。皆もそう心得よ」


 新たに加わった家臣が多いため、なぜ新田が天下統一を目指しているのかを説明する。又二郎は自分の後ろに日本列島全体の地図を掲げ、いかに今が危機的な状況かを滔々と述べた。


「陸奥や出羽、会津、常陸などなどは、いずれただの地名になる。日本国という国名によって日ノ本を単一の国とする。主上は、日本国の象徴、日ノ本に生きる民の求心力となる。公家は悠久の歴史を持つこの国の伝統と文化を伝え残す役目をし、我々武士は、この国を守るために働くようになるだろう」


 新田家に長く仕える者は、又二郎から繰り返し聞かされている話ではあったが、伊達総次郎輝宗や最上源五郎義光、そして両家の旧臣たちにとっては初めて聞くことばかりであった。


(一〇〇年、二〇〇年先を見据えての天下統一…… 我が父、晴宗も身中に餓狼を飼っていたが、この方のそれは違う。これが「怪物」と呼ばれる所以か)


(天空を飛翔する大鷲と地べたを這う虫とでは、見ている世界が違う。他の国人たちが、たかが一つの集落を争っている間に、この方は遥か海の向こうを見ていたのか。勝てぬ。たとえ上杉、蘆名、武田、北条であっても、この方の世界には届くまい……)


 やがて大評定は、内政、外政、軍政の話へと移る。基本的に大評定では議論は行われない。決定事項とどうしてそう決定したのかという理由を紙面に落として全体に共有し、中長期および単年の目標を定めるために行われる。


「……以上のことから今後、五年を掛けて段階的に領内に商人を増やし、座で統括して矢銭を納める、という形式で税を考えております。また百姓や番匠、鍛師かなちなども徐々に産物による年貢や賦役ではなく、銭による租税への移行を図ってまいります」


「税制については良く考える必要がある。田名部や津軽では今でも可能であろうが、この米沢ではまだ貨幣経済が十分に浸透しているとは言えぬ。まずは読み書き算術の普及と、銭を使うことの利点と注意点、そして銭の貯め方なども教えねばならぬ」


(いずれ、新田家による銀行業を開始しよう。全国に支店を構え、金融と物流を新田家が行う。だがそのままでは大財閥になってしまう。新田家もまた、段階的に解体せねばならぬ。死ぬ前までに、死後二〇〇年間分の遺言を残しておくか。国民国家の形成と中央集権化、そして産業革命と議会制民主主義への移行…… 一八世紀中に日本がそこまで辿り着けば、世界大戦も生き残れるだろう)


 重臣たちの話を聞きながら、又二郎は遥か未来について思い描いていた。





 美濃一国を手中にした織田家では、新田家と同様に、年初で大評定を開いていた。井ノ口という地名を改めて「岐阜」と名付けること。旗印や朱印を「天下布武」とすることなどが伝えられると、家臣たちは色めき立った。尾張と岐阜の二ヶ国で一〇〇万石に達する。三万の兵力が動員可能であり、その力は武田や上杉にすら匹敵した。


「儂は天下を獲る。だがただ攻めれば良いというものではない。天下を獲るには口実が必要じゃ」


 室町幕府を事実上支配していた三好修理大夫長慶は、前年の永禄七年(一五六四年)に死去している。それまで三好家は、長慶の指導力によって幕府との関係を取り持っていた。それが崩れた以上、将軍親政を目指す足利義輝と、幕府を利用して自らの権益を高めようとする三好家との間に亀裂が生じるのは、もはや必然であった。


「幕府より内々に、上洛についての打診を受けている。三好との決裂は時間の問題じゃ。それが表面化したときこそ、我らが動く好機となろう。竹中半兵衛、なんぞ意見はあるか?」


 隠遁生活を願っていたのに、信長の命令によって半ば無理やり出仕させられた竹中半兵衛重治は、女性的な貌に微笑みを浮かべながら、自分の見解を述べ始めた。何だかんだと言いながらも、根っからの謀臣なのである。織田家という大大名の名だたる重臣たちの中で、天下統一に向けての大計を述べる。謀臣、策士ならば楽しくないはずがない。


「京の御所は数年前から守りを強くしていると聞いております。恐らく、三好を警戒してのことでしょう。三人衆や松永弾正などは、強欲者との噂もあります。修理大夫様が亡くなったことにより、彼らを止める者もいなくなりました。半年後には、足利と三好の敵対は決定的となるでしょう」


「修理太夫が死んだのは昨年の七月上旬。一周忌が終わった後が危ないというわけか?」


「はい。確かに、普通に考えればそうです。公方様もそう考え、備えるでしょう。されど松永殿ははかりごとに長けた方。誰でも読める動きなどされますまい。某はその前、水無月(六月)あたりが怪しいと考えます」


「であるか」


 パチリと扇子を閉じて重臣たちを見回す。今の話を聞いて理解できている者、いない者を顔色から判断する。半兵衛の話はただの読みに過ぎないが、柴田権六勝家などは、こうした理屈すら小賢しいと考える傾向がある。もっとも信長も、小理屈や迂遠なことは嫌いであった。こうした小賢しさも必要だから、自分でもアレコレと考えているに過ぎない。


「フンッ…… 猿、お前に役目を与える。京から目を離すな」


「ハイッ! 変事あればすぐに知れるように致しまする!」


 大評定の末端にいた猿顔の足軽大将が目に入った。元々はただの小者であったが、小知恵が働くのか使ってみると意外なほどに役に立つ。気が付いたら年初の大評定に参加できるほどに出世していた。ただの小者が、今では木下藤吉郎秀吉と名乗っていた。顔を見る限り、今の話を完全に理解しているばかりか、信長の希望まで察しているようであった。

 もっとも、そうした小賢しさを嫌う者は、家中にも一定数はいる。織田家が大きくなるにつれ、こうした新参者が取り立てられていく。譜代の者たちにとって面白くないと感じるのも仕方のないことであった。


「おね! 小一郎! お役目もらってきたぞ!」


 自宅の長屋に駆け戻ってきた秀吉は、満面の笑みで新たな役目を自慢した。足軽大将といっても、それほど豊かに暮らせているわけではない。雑炊と味噌だけの簡単な飯を食べながら、秀吉は初めて出た大評定についてアレコレと語る。


「竹中殿の話なんて、俺は半分も解らなかったのに、いきなり仕事を下された! きっと、働いて手柄を立てよってお考えになり、褒美として下されたに違いない!」


兄者あにじゃ、その竹中様っちゅう人の話、もう一度聞いたほうが良いぞ。きっとなんか知恵があるに違いない。でもって、手柄を立てたら竹中様のお陰と言うんじゃ。兄者はなにかと目立つ。これからどんどん出世するためにも、周りの人たちを味方につけにゃならねぇ」


 木下藤吉郎と木下小一郎。この兄弟が織田家中でさらに存在感を増し、やがては天下にすら影響を与えるようになるとは、この時は誰も予想していなかった。

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【書籍化】三日月が新たくなるまで俺の土地!~マイナー武将「新田政盛」に転生したので野望MAXで生きていきます~ 篠崎 冬馬 @toma_shinozaki

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