後編

 明け方になると、風は嘘のように収まった。クロエ達は結局、石壁のそばで一晩を明かした。

 その間、ハレックは燻製肉を食べ続けた。少しずつだが、彼の傷は癒えていった。

「信じられない……」

 人間より遥かに早い治癒能力。これは、アンデッド特有のものだ。

「どうしてこんなことに? アンデッドは、魔力を持つ人間が稀になるだけのはずよ。あなた、魔力を持ってないんでしょ?」

「理由は俺にもわからない。ただ、俺が魔王軍に襲われて死にかけたとき、王女にありったけの治癒魔法を受けたのは覚えている。もしかしたら俺はあのとき一度死んで、アンデッドとして蘇ったのかもしれない」

「王女? メイザ王女のこと?」

「ああ。あの人は治癒魔法が得意だったからな」

「あなた、王女とどういう関係なの?」

 王女から直接治癒魔法を施されるなんて、ただの兵士ではない。そういえば昨夜も王女のことを話していたし、これまでにも何度か、ハレックの口から王女の名前が出ていた。明らかに、ただの兵士と王女の関係ではない。

「……どういう関係だったんだろうな」

 ハレックは目を伏せた。クロエはそれだけで、ハレックにとっては大切な関係だったのだろうと分かった。

「俺は王女の世話になったんだ。王女の方も、よく俺を護衛として引き連れてくれた」

「仲が良かったのね」

 クロエは胸が痛んだが、ハレックは気付かずに話を続けた。

「年も近かったからな。俺は元々、スラム街の出身で……スラムに視察に来た王女を襲おうとしたのがきっかけで知り合ったんだ」

「襲う?」

「仲間に唆されてな。一発殴って金目のものを奪ってこいって。もちろん、護衛にすぐ捕まったが。そしたら、見かねた王女が俺を城に連れて帰り、兵士としての訓練をつけさせたってわけだ」

「そんなことってあるのね」

「滅多にあることじゃない。俺以外にそんな奴はいなかった。……まぁ、とにかくそんなわけで、俺はよく王女と一緒にいたんだ。普段からそうだったし、あの戦争のときも」

 結果的に、辛いことを思い出させてしまった。

「王女のこと、好きだったのね」

「ばか言え、王女だぞ。俺みたいな一兵士が好きになっていい相手じゃない」

 ムキになるその言い方が、ハレックの気持ちを雄弁に語っていた。ハレックは三年もたった今でも、王女のことを想っているのだ。

 クロエは、聞いたことを後悔した。


***


 クロエ達は日の出とともに宿を発ち、昼には王都に着いた。

 クロエはシエンシア王都に来るのは初めてだったが、そこがかつて賑わいを見せていた街だということはすぐに分かった。煉瓦造りの家々が立ち並び、そこかしこに商店らしき建物もある。

 しかし今はどこも無人で、たまに小さな獣が隠れているだけだった。石畳の道路も至るところがひび割れ、隙間から雑草が生えていた。

 不気味な街、というのが、クロエの第一印象だった。

「荒れてるな。前はこんな風じゃなかったのに」

 ハレックが悲しげにつぶやいた。ここは彼にとって、第二の故郷とも言える懐かしい街なのだ。

「もしかして、来たくなかった?」

「……いや。平気だ」

 ハレックは気丈に振る舞った。

「それより急ぐぞ。図書館はこっちだ」

 王立図書館は、王都の中心から少し外れた位置にあった。周囲の建物よりも何倍も大きな施設だった。

「まるでお城みたいね」

「本物の城はもっとでかいぞ」

 扉を押し開くと、中はとても広かった。受付のカウンターが入り口のすぐ横にあり、正面には女神の彫刻の乗った台座がある。その奥は吹き抜けで、広い閲覧室になっていた。上を見ると、五、六階建てくらいはありそうで、二階より上には大量の本棚が並んでいた。

 魔物の被害もほとんどなかったのか、街中に比べて荒れていなかった。机も残っているし、本もほとんど無事のようだ。食料さえ調達できるなら、ここに住むのも悪くなかった。

「禁書書庫は地下にあるのよね?」

「噂が本当なら、だけどな。俺も来るのは初めてだし、まず地下への階段がどこにあるのか……」

「そこじゃないの?」

 クロエは閲覧室の奥を指差した。二階へ続く螺旋階段のそばに、簡素な扉がある。

 扉を開けると踊り場になっていて、その先に地下へ向かう階段があった。

 クロエが「ふふん」と得意げに鼻を鳴らしてハレックを見上げると、彼は気まずそうに目線を逸らした。

「見つかったのなら、早く降りるぞ」

 と誤魔化すようにクロエを急かした。

 明かりは薄暗かった。壁には魔石でできた魔灯があったが、光が弱くなったり、消えてしまっているものも多かった。クロエは明るい魔石をいくつか取って、ランタンに入れた。

 地下室も同様に薄暗かった。外の音も聞こえず、しんと静まり返っている。クロエの足はすくんでしまった。あまりにも不気味だ。

「大丈夫か?」

「えっ、ええ。平気よ、このくらい! でも、もうちょっと近くにいてくれるかしら、明かりが足りないわ」

「はいはい」

 ハレックは寄り添ってくれた。そして、ランタンを高く掲げて遠くを見ようとする。

 地下室は、地上部分よりは狭いようだった。それでも、この薄明かりの中、たった二人で調べるのは厳しそうだった。

「本を探す必要はないのよ。私達が探したいのは、禁書書庫なんだから」

「ますます難しそうだが……」

「どこかに隠されているわけでしょ? 本棚を調べるんじゃなくて、壁とか床とか……そういう場所を調べればいいんだわ」

 クロエは振り返ると、入り口の横の壁を軽く叩いた。

「何をしている?」

「たぶん、叩くと封印が反応して開く、みたいな隠し方だと思うんだけど……」

「そうやって全部の壁を叩くつもりか?」

「どこにあるかわからない以上、そうせざるを得ないわ」

 地道な作業は慣れていた。どうせ時間はたっぷりあるし、誰かに邪魔されることもない。

 二人は壁と床を、しらみ潰しに調べ始めた。

 もしかしたら、気の遠くなるような時間が必要になるかもしれない。クロエはそう考えて、覚悟を決めた。


 しかし、その作業は驚くほど短時間で終わった。いつの間にか、少し離れた場所を調べていたハレックが、

「おい、クロエ、こっちに来てくれ!」

 と彼女を呼んだ。

「ここを見ろ」

 ハレックは床を指差した。

 床に、人がひとり通れるほどの穴が空いている。綺麗な真円の穴で、しかも鉄梯子がかかっていた。明らかに隠された通路だ。

 おそらく、本来この穴は魔法で塞がっていて、しかも本棚が乗っていたのだろう。クロエ達の目の前にある本棚は、直線に並んだ本棚の中で、不自然に傾いていた。

「探す手間が省けたわね」

「だが気になる。誰がいつこの本棚をずらしたんだ? そいつは今、どこにいる?」

 クロエは、じっと床の穴を見つめた。

「もしかして、まだ中にいるのかも。魔王軍から逃げて、ここに隠れて……もしかしたら、まだ生きているかも!」

 クロエは穴の中に向かって叫んだ。

「誰か! 誰かいますか!?」

 しかし、声は穴の奥に吸収されるだけで、何も返ってこない。

「聞こえないのか、誰もいないのか……とにかく、入ってみよう」

 二人は梯子を降り始めた。

 穴の中はさらに暗かった。ランタンの頼りない光で梯子を照らし、足を踏み外さないように注意して進んだ。

 梯子を降り切ると、目の前は通路だった。少し進むと、広い空間に出た。

 そこは、書庫だった。何台もの本棚が、整然と並んでいる。

 本棚だけではない。ショーケースのようなガラスの棚もあり、そこに見たこともない魔術具が整列していた。

 クロエは手近な棚から本を取って、ぱらぱらとめくってみた。そこには、クロエの知らない呪文や魔法陣ばかりが書かれていた。

「これが、禁呪……。たしかに、簡単に人を殺したり、操ったりできるような魔法が書かれているわ」

「こっちは錬金術だ。この世に存在しないものを作る術が載っている」

 クロエは本棚を見上げた。ここなら本当に、死者蘇生の魔法も見つかるかもしれない。

「ここの本、上に持っていけるかしら。片っ端から調べたいのだけど」

「一度に全部運ぶのはさすがに無理だ。何往復もするしかないな」

 そのときだった。

「ウウウウウ……」

 と、何者かの声が聞こえた。

「!?」

「誰かいるのか!?」

 声のした方にランタンの光を向ける。しかし姿は見えない。

「いま、声がしたよな?」

「ええ。女の人の声だった」

「探そう。怪我か病気で動けないのかもしれない」

 二人で声のした方へ行く。それほど広い部屋でもない。探せばすぐ見つかるはずだ。

「おい、どこだ! 返事をしてくれ!」

「ウウ……」

 とまた声がする。

「そっちか!」

 ハレックが本棚の間の通路に入っていく。その奥に、人影が見える。

「待って、ハレック! 止まって!」

「え?」

 クロエの警告は遅かった。

「グアアアアッ!」

 が、ハレックに襲いかかった!

「うわぁっ、なんだこいつ!」

 咄嗟のことで腕を噛まれたが、ハレックはすぐにアンデッドを振り解いた。だがアンデッドは、再びハレックに掴み掛かる。

「クロエ! 早くこいつに治癒魔法を!」

「で、でも……」

 クロエは躊躇した。相手がただの人間なら、クロエは躊躇しなかっただろう。攻撃したあとで治せるからだ。しかし、アンデッドは治せない。人間の形をした相手に、治癒不可能な攻撃を加えることは、クロエにはできなかった。

「お前はここで、死者蘇生の魔法を見つけるんだろう!? それなら、その魔法でアンデッドも治せるはずだ! だから早く!」

「そ、そうよね。その通りだわ。や、やるわ!」

 クロエが呪文を唱えようとした、その瞬間。

「いや待て! やめろ!」

 ハレックが突然制止した。

「何よ、どっちなのよ!」

 アンデッドを本棚に押さえつけたまま、ハレックは震えていた。その女の顔を見ながら、絞るように声を出す。

「メイザ王女……」

「えっ?」

 言われてみると、そのアンデッドは高級そうな衣類を身につけていた。戦闘から逃れ、この書庫に逃げ込んだあと……怪我か病気で死んだのだ。

「なぜです。なぜあなたが、こんなところに……」

 ハレックの手から力が抜ける。その機を逃さず、王女のアンデッドがハレックを押し倒した。

「ハレック! 逃げて!」

 クロエの呼びかけは、ハレックに届かなかった。アンデッドがハレックの首に噛み付く。

「メイザ王女。すまなかった。俺は、あなたを守れなかった。必ず守り切ると、約束したのに」

 ハレックはそのアンデッドを抱きしめた。

 クロエはどうすべきか、決められなかった。治癒魔法でメイザ王女を攻撃してしまっていいのか? そんなことをしたら、ハレックはどうなる? だがこのまま放っておいたら、ハレックが殺される。彼には、クロエの治癒魔法が役立たないのだ。

「そうだ、本! 死者蘇生の本!」

 クロエは本棚を探し始めた。今この場で、メイザ王女を復活させてしまえばいい。そうすれば、ハレックが殺されることもない。

 だがその場合、クロエはどうなる? メイザ王女とハレックは、固い絆で結ばれている。二人を人間に戻したら、ハレックがメイザ王女に取られる。クロエはそれに耐えられるか?

「って、何を考えているのよ、私! 今はそんなこと、考えてる場合じゃない!」

 本棚の間を駆けた。どこかに、死者蘇生の魔法が書かれた本は——。

「あらっ?」

 クロエのランタンが、床に散らばる本を照らした。何冊かが開かれていて、その頁には血が滲んでいる。

 座り込んで、内容を確かめる。見たことのない呪文と魔法陣の羅列。それらには、こんな名前が付けられていた。

「魂の器を治す術」

「死者の魂を呼び寄せる術」

「死体を修復する術」

「アンデッドの肉体を治療する術」

 これらはどれも——死者蘇生につながる魔法だ。

「これを使えば……! でも、なんで都合よく、こんな本ばかりがここに……まさか!」

 メイザ王女だ。彼女がここに来たのは、逃げるためじゃない。死者蘇生の魔法を調べるためだったのだ。しかし、重傷を負っていた彼女は、それを調べる途中で息絶えた……。

 クロエは本の内容に目を通した。この場ですぐ使える魔法があれば、メイザ王女を蘇生させられる。

「えっと……す、スキロスの生き血が必要? こっちはイェルガの眼球? ビモーの鱗粉にテボシの胞子? そんなものあるわけないでしょっ!」

 クロエは本を持って、ハレックの元に戻った。いつの間にか、ハレックはメイザ王女を組み付してしていたが、まだ彼女に噛まれたままだった。

「ハレック、ごめん! フォルス!」

 メイザ王女の足が光ったかと思うと、弾け飛んだ。

「ギャアアアアッ!」

「クロエ!?」

「いいから来て、ハレック!」

 クロエはハレックの右腕を掴んで引き寄せた。彼の体は咬み傷だらけになっていた。首も足も噛まれ、左腕は噛みちぎられていた。

 クロエはハレックとメイザ王女の間に立つと、本をめくった。

「ええと、ええと、たしかさっきチラッと見えた……あった、これ!」

 本の頁を破くと、そこに描かれた魔法陣をメイザ王女に押し付けた。

「コ・フォルス・ヒアキルケル!」

 魔法陣が白い光を放ち、頁から浮かび上がる。それは絨毯のように広がると、メイザ王女を包み込んだ。

「ガアアア、ア……ア……」

 やがて魔法陣が消えると、メイザ王女はその場で動かなくなった。

「なんだ、どうしたんだ? まさか殺したのか?」

「いいえ。眠ってもらっただけよ」

「眠る? アンデッドが?」

「そういう魔法らしいわ」

 魔法陣の消えた頁をハレックに見せた。そこには魔法の説明と、さっきの呪文が載っていた。

「こっちの解呪の呪文を唱えない限り、彼女はここで眠り続けるわ。だから、安心して、ハレック。私が必ず、アンデッドを人間に戻す魔法を完成させて、メイザ王女を元に戻す」

「できるのか?」

「この本に載ってる。ただ、このままだと使えない。珍しい素材も必要だし、治癒魔法だけで使えるように陣を改造する必要もある」

 だけど、とクロエは続けた。

「私なら、できる。だって私は、史上最強の治癒魔法使いだから」

「それは頼もしいな」

 ハレックはその場に座り込んだ。

「だが、まずは俺の荷物から肉を持ってきてくれないか? 左腕がなくちゃ、梯子を上れない。肉を食べて、再生させてくれ」

「……。わかったわ。じゃあ、取ってくるから、ここで待ってて。絶対に、ここにいて」

「ああ」

 クロエは書庫を出て、梯子へ向かった。途中、何度も振り返りそうになるのを、ぐっと堪えた。

 ハレックが書庫に残る必要はない。彼の運動能力なら、片腕でも梯子を上れるだろう。

 彼は、クロエを書庫から出したかったのだ。メイザ王女と二人きりになるために。

 クロエは胸が苦しくなった。この苦しみは、治癒魔法では治せない。

「私はこれから、どうしたらいいの」

 梯子の下で、クロエは泣きそうになった。せっかく人類復活の兆しが見えたというのに、全く嬉しくない。

 もし蘇生魔法が完成したら、真っ先にメイザ王女に使うことになるだろう。自分はそのとき、素直に魔法を使えるだろうか。そもそもクロエは、完成したことをハレックに伝えられるだろうか。

「……いいえ、やめましょう、こんなことを考えるのは。今は何も考えちゃダメ。ハレックを治すことだけ考えるのよ」

 クロエは自分に言い聞かせ、上を見上げた。長い梯子の先に、うっすらと地下室の明かりが見える。クロエはその光を目指して、梯子を上り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

治癒魔法は役立たない 黄黒真直 @kiguro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ