形に触れる_7


 頼んだ料理は、そう待たずしてやってきた。


「お待ちどうさま。若鳥の牛乳煮と林檎酒だよ」

「おお……」


 卓の上に並べられる皿たちに、女王の夜水面が輝く。


 ごろごろと存在感のある人参や大根といった根菜に、輪郭が溶けるほどよく煮込まれてつやつやと光を弾く肉塊。出汁で淡く色付いたスープからは、少し刺激のある馨しい香りを含んだ湯気が立ち昇っている。お供の丸パンはこんがりと絶妙な焼き色で、上には溶かしたチーズがたっぷりとかけられていた。

 なんてことない、イルデトゥスの家庭料理だ。使う香辛料だけは各家庭によって多少異なるらしいが、平民の間ではよく食べられている。


「昔は野営続きで食事どころではない頃もあったので、私の中では大分豪勢ですね」

「や、野営?」

「あの頃は乱世だったので……普段の調理と言えば、焼くのが精々だったのですよ。偶に蒸したりもしていましたが」


 毒見のことといい、この麗しい女王は見た目に反してかなり過酷な経歴の持ち主のようだ。お伽噺や歴史書ではなんやかんやで済まされることの多い部分に思いを馳せながら、アウローリィアは自分の匙を手に取る。ちなみに女王の匙は既に口の中だ。


「どう?」

「ちょっとぴりっとしますが、美味しいです」

「よかった。ここは兵士のお客さんが多いから、ちょっと香辛料を強めに利かせてあるんだ。あと料理長がその日の気分で香草を変えるのが評判」

「へぇ」


 まだ春先の風が冷たい季節とあって、あたたかな料理が身に沁みる。林檎酒は大衆食堂に卸されるものだからか薄口でさらっとしているが、牛乳煮もチーズもこってりしている分、寧ろこれくらいがちょうどいい。

 きっと日頃から洗練された宮廷料理を口にしているギルバートあたりなら一口で眉を顰めるだろうが、街に慣れているアウローリィアにとっては親しんだ味だ。


「夜は牛肉のシチューもあるんだって……エルザが嫌がるから、私は来たことないんだけど」

「それは仕方のないことですよ」


 他愛もない会話をしながら、着々と皿の中身を減らしていく。


 そうしてアウローリィアが皿の半分を腹に収めた頃、不意にふたりの卓の上に影が差した。


「おっ、随分と美味そうに食う嬢ちゃんたちだな」


 降ってきた野太い声に顔を上げると、兵士の恰好をした男が酒の入ったグラスを片手に立っていた。

 アウローリィアよりも十は年上だろうか。特に知り合いといった関係ではないが、時々この店で見かける顔だ。休憩時間だからか制服の襟を緩めているが、兵士らしくこざっぱりと茶髪を整えて、人好きする笑みを浮かべている。


「……それはどうも」


 反応に困ってアウローリィアは素っ気なく返してしまったが、男は気にした風がない。これは下手に絡まれる前に店を出た方がいいだろうか。

 アウローリィアは女王の皿が八割方空になっているのを確認すると、自分の食べる速度を気持ち上げることにした。


 ひとりが話しかけて来たからか、わらわらと他の何人かも自分たちの卓を離れて距離を詰めて来る。まるで街中で見かけた子猫に群がるように若干遠慮がちではあるが、体格のいい人間が並ぶと少なからず圧迫感があった。


 女王はそんな兵士たちと必死に口を動かしている少女王族、そして少し離れたところから呆れた表情をしている女将を認めると、持っていた匙を置いた。


「私たちに何か御用でしょうか? 軟派ですか?」


 思わず噴かなかった自分を、大いに褒めたい。見た目だけは少女らしい清純な無知を装いながら宣う女王に、アウローリィアは頬を引き攣らせた。

 男たちも反応があるとは思わなかったのだろう。率直過ぎる女王の言葉に、互いに顔を見合わせている。


「いや、そんなつもりはなくてだな……ただそっちの金髪の嬢ちゃんは偶に見るが、黒髪の嬢ちゃんは初めましてだと思ってな?」

「最近この近くに参りました」


 嘘は言っていない。嘘は言っていないが、アウローリィアには気が気ではないやり取り。


 見るからに相手の男たちは兵士だ。しかも城内に勤めているのではなく、街を警邏する一般兵士である。規定の制服を着ていることからして、間違いない。

 となると、身分はアウローリィアたちの方がずっと上で、本来ならばこうして軽々しく声をかけることも許されていない。不敬罪もいいところだ。


 平民出身の兵士なら多少礼儀がなっていないというのは特段珍しくはないが、きっとこの光景を彼らの上司が見れば卒倒するだろう。ギルバートだって頭を抱えるに違いない。


 元はと言えば彼らの領域に足を踏み入れているアウローリィアが悪いのだが、総じて貴族というものは自由気侭、傍若無人なものだ。たとえ侯爵家生まれの王候補がお忍びでふらっと訪ねてもよい筈。たぶん。


 だが昼間からかなり酒を入れているらしい兵士は、そんなアウローリィアの気など知らずに女王に話しかけ続ける。


「それにしても、えらい美人だな……髪も目も見事に真っ黒だし、その制服を着てるってことは、嬢ちゃんもお貴族様かい?」

「いいえ、私たちは貴族ではありません」

「貴族じゃなければなんだって言うんだ?」

「王族です」


 率直過ぎる返答に、アウローリィアは今度こそ匙を取り落としてしまいそうになった。慌てて匙を掴み直し、澄まし表情がおの女王を呆然としながら凝視する。


 話しかけて来た男たちにも、一瞬動揺が走ったのがわかる。だが今更引けなかったのか、一番最初に話しかけて来た男が不穏な空気を吹き飛ばすように闊達に笑った。


「お嬢様じゃなくてお姫様だったか! それは間違えて済まなかったな!」

「よくってよ」


 実際はお姫様ですらないのだが、本人たちが楽しそうなので賢明なアウローリィアはもう黙っていることにした。


 一通り女王と話をして満足したのか、それとも午後の勤務の都合があったのか。男たちは程なくしてぞろぞろと連れ立って店を出て行った。


 途中から早食いを諦めて普段通り咀嚼していたアウローリィアは、急に静かになった店内を見渡した。


「……いつもは話しかけて来ないのに。やっぱり美人を連れてるから?」

「それだけではないと思いますよ」


 苦笑しながら林檎酒のグラスを傾ける女王に、アウローリィアは首を傾げる。




 食事の料金は、何故か先に店を出た兵士たちの手によって払われていた。



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籠庭の女王 白猫ねねこ @shironeneko

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