形に触れる_6
「昨日今日で貴女の立場は大体わかりました」
紅い唇から漏れた短い溜め息に、アウローリィアはびくりと肩を震わせた。
失望されただろうか。選んだ自分が、実は王族でありながら何も持たないことに。
恐る恐る顔を上げると、女王は若干呆れたように天を見上げている。
「召喚システムはこういうことのために創ったのではないのですが……まあ、よいでしょう」
「……いいんだ?」
「ええ。後で気になることが出て来たのなら、他の王を締め上げて聞けばよい話ですもの」
女王の言っていることは、アウローリィアにはよくわからない。よくわからないが、何やら頻りに頷いている女王を見ていると、沈みかけていた気分が少しだけ浮上してきた。
晴れ渡った空に、鐘の音が響く。反響もあって幾重にも重なって聞こえるそれは、王都に時間を告げるものだ。
「……もう暮れの一時なんだ」
口に出した途端、急に疲労感と空腹が襲いかかってきた。思えば朝を食べたきり、王子宮で出された焼き菓子以外は口にしていない。
「折角街に出て来たんだ。お昼も過ぎちゃったし、何か食べて帰ろうか」
仮に転移を用いたとしても、今から屋敷に戻っても食事の準備まで時間がかかるだろう。それならと、アウローリィアは女王に提案する。
と言っても、今日は学園に通って昼も食堂で済ますつもりだったため、手持ちがそれほどない。これが普通の侯爵令嬢なら家の名でツケにすることもできるだろうが、生憎アウローリィアはそのような馴染みの店を持っていなかった。
「ちょっと歩くんですけど、大衆食堂でもいいですか?」
「貴女と一緒なら何処へでも」
果たして、建国の女王にこんなことを言わせてよいのだろうか。
まるで物語の恋人のように可愛らしい言葉を口にする彼女に、アウローリィアは嬉しいような、それでいてちょっと複雑であるような気分を抱いた。
「あー……でもその恰好だと目立つか……」
アウローリィアが着ている制服も貴族学園の物のため、街の中では浮いている方なのだが、女王のドレスは目立つどころではない。今だって通り過ぎていく城仕えの者たちが、無意識に足を止めて見惚れては我に返るということを繰り返していた。
きっと件の晩餐会に出ていないため女王の風貌を知らないのだろうが、それでも多くの視線を捉えてしまっている。街に出れば比べ物にならないだろう。
「お店までまた私の中に入ってる? でもお店の中だとしても、そのドレスは目立つかな……」
「魔法で構築しているので、ある程度は好きに変えられますよ」
女王が触れると、たちまち長い髪に結わえられた紅い絹のリボンは金細工の蝶に変わる。日光を返して煌めくそれに、アウローリィアは目を丸くした。
「じゃあ私と同じような格好は?」
「容易でございます」
くるりと、女王はその場で回る。その一瞬で、紅いドレスは乳白色の制服に変わっていた。
髪型もアウローリィアに揃えてか、長い黒髪を二つに分けて耳の後ろで結わえている。少し遅れて、何処からとなく落ちて来た帽子が黒髪の上に着地した。
「如何でございましょう?」
ぞっとするほどの美しさから打って変わって、何処か素朴な愛らしさが際立つ身形。内から滲み出る気高さは隠し切れていないが、女王というよりも姫君然として麗しい。
目の前で起こった一瞬に、門番たちが目を白黒させている。当然だ、このような奇跡は、記憶された王だからこそ、許されたものなのだから。
そんな周囲を意に介さず、裾を摘まんで左右に揺れて見せる女王を、アウローリィアはまじまじと見つめた。
「なんか、そういう格好すると急に毒気が抜けるね……?」
「素直に可愛いと仰ってはいかが?」
少しむくれたように、女王は頬を膨らませる。
ほんの少女のようなその仕草は類稀な美貌に対してどうもちぐはぐで、アウローリィアは思わず噴き出してしまった。
*****
カリュクス城の東側は貴族街が広がっているのだが、西側は図書館や劇場といった文化施設や、貴族でない富裕層の家や高級店が立ち並んでいる。城の近くは王族や貴族に向けた店が多いのだが、大通りを少し下れば城に仕える者たちが利用する比較的安価な店もあった。
そのひとつ、主に下級武官や役付き兵士が利用する食堂へと、アウローリィアは慣れた様子で足を運ぶ。
「そういえばさっきお菓子たくさん食べてたけど、お昼入る?」
「入りますよ?」
何を当たり前のことをと言わんばかりの女王は、確かもてなしの菓子を五、六個は食べていた筈だ。たとえどれもが三口ほどで食べられてしまう大きさであっても、それだけ食べればアウローリィアには満腹になる量だ。
「……もしかしなくても、朝食足らなかった?」
「いいえ?」
信じられないと細い腹を凝視するアウローリィアに、女王はころころと麗しい声で種明かしをする。
「わたくしたちの身体は仮初のもの。食べたものは全て魔力に分解されて残らないので、空腹や満腹と言った感覚はございません」
「そうなの?」
「ええ。わたくしたちは既に死した者ですもの、食事はただの嗜好品でございます」
そう語る女王の双眸は、何処までも澄んでいる。それこそ夜に沈む水面のように、底など存在しないのではないかと錯覚させるほど、果てが窺えない。
人間ではあるが、既に生者ではない。そのことを改めて突き付けられたようで、アウローリィアはなんだか急に女王との間に距離を感じた。
「そっか……ちなみにここ、鶏か魚が選べるんだけど」
アウローリィアは表に出されている鶏と魚の絵を示した。その横にはどちらも銀貨が二枚描かれている。
「アウローリィアのおすすめは?」
「今日はお肉の気分です」
「ではわたくしも同じものを」
扉を開けると、丈夫に下げられていた小さな鐘が澄んだ音を立てる。瞬間、店内の喧騒がふたりを迎え入れた。
「いらっしゃーい……ふたり?」
「はい。鶏二人分お願いします。林檎酒も二人分で」
「はいよー。何処でも好きなところ座んなー」
それだけ言うと、この店の女将でもある給仕は空いた皿の山を手に、器用に客の間を縫って奥へ消えていく。
店内には遅い昼休憩らしき兵士たちが多く座っていた。アウローリィアは比較的静かな窓際の席に着くと、向かいの女王に顔を近付けて声を潜める。
「本当は貴女を連れて来るには相応しくない気がするんだけれど」
「そうですか? 私はあまりそう思いませんけど」
アウローリィアは目を瞬かせた。いそいそと店内を見渡す女王の顔は、物珍しさはあっても始めて来る場所への緊張は見受けられない。
「こういうお店、来たことあるの?」
「ありますよ。まだ碌に味方がいなかった頃、此処に似て雑然としたお店に何度か来たことがあります」
アウローリィアは今度は首を捻った。感じた違和感を、素直に言葉にする。
「……なんか、さっきから口調が砕けてる?」
「場所が場所なので、ちょっと貴女に合わせてます」
「順応性の高い女王様だ……」
これが普通の貴族子女ならば、粗野な空気を厭うて店に近付くことすらしないだろう。洗練されたものを当たり前として享受する彼らは、自分たちの纏う日常が濁ることを、酷く嫌がる。
「貴女が嫌ならやめますよ」
穏やかな表情のままの女王に、アウローリィアは慌てて首を横に振った。
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