形に触れる_5


 送りの馬車を断り、一度も振り返ることなく大股で王子宮を抜け出す。そして下級役人たちも歩き回る外宮まで辿り着いたところで、漸くアウローリィアは深く息を吐き出した。


「こんなことで今日の講義を無駄にするだなんて……!」


 よりにもよって昼前の講義しかない日に、肝心の受講の機会そのものを潰された。

 散々待たされた割に、実際に喋っていたのは半時間にも満たない。しかも会話ではなく詰問だった。


「貴女が怒っている点はそれなのですか?」

「だって魔法基礎学二の倍率高かったんだもん!」


 今から登園しても、講義はとっくに終わってしまっている。教務課の子爵夫人がちゃんと連絡を入れてくれているのならいいが、比較的馴染みのある講師の受け持ちを欠席してしまったことに、アウローリィアは深く肩を落とした。


 それよりも、だ。


「……ごめんなさい」

「はい?」

「うん……?」


 すぐ後ろを歩いていた女王が、夜水面をぱちくりさせている。小首を傾げているのを見て、アウローリィアも同じ方向へと首を傾けた。


「何のことでございましょう?」

「えっと、最初に私が怒りそうになった時、止めてくれたでしょう? なのに、結局怒鳴っちゃって……」

「ああ……あれでございますか」


 てっきり苦言を呈されるかと思ったが、それにしては反応が妙だ。訝しむアウローリィアに、女王はころころと鈴を転がすような声で笑う。


「よいのですよ。今回の件については、事の次第からして無礼はあちらもですもの」

「いいの……?」

「確かに、王族内での序列はあるのかもしれませんが、アウローリィアと王子は王候補としては同じ立場ですもの。寧ろ今回の場合は、あれくらいでよいのです」


 さらりと宣う女王に、アウローリィアは何とも言えない顔をした。だが女王が機嫌よさそうに笑っているので、いいということにしておく。


「ですが、短気は損気とも申します。今は未成年と言えど、あと二、三年もしない内に成人なさいましょう? もう少し落ち着きをお持ちになられた方がよろしいかと」

「……はい」


 神妙な顔をして頷けば、伸びて来た白い手に頭を撫でられる。

 こうして誰かに頭を撫でられるのは、一体何年振りだろう。懐かしくも慣れない感触に、アウローリィアはこそばゆい気持ちになった。


「そ、そう言えばなんだけど、エディルーシアは晩餐会って知ってた?」

「いいえ、存じ上げませんでした。特にこの地に遺っていないようですし……知っていれば、昨夜は貴女を早々に連れ帰ることは致しませんでしたわ」


 そんな初代女王が知らないような行事を当たり前のように言っていたのか、あの王子は。第七代からの習慣だとすれば確かに歴史もあるのだろうが、どうにも釈然としない。

 ふつふつとした感情を持て余して筆舌し難い表情を浮かべるアウローリィアの後をついて行きながら、それにと女王は言葉を続ける。


「わたくしは召喚されるのは今回が初めてのこと。色々と初耳でございます」

「……そうなの?」


 初代女王なのだから、てっきり一度や二度くらい召喚されているものだと思っていた。


 話している内に、一番外側の城壁が見えて来た。主に王族が使う用の通行門だからか、出入りする役人の数は少ない。

 本来なら馬車で出入りする門に歩いて近付いて来るアウローリィアたちに、門番たちは一瞬不審そうな目を寄越して来る。だが通達が行っているのだろう、すぐさま何事もなかったかのように最敬礼をアウローリィアと女王に向ける。


 会釈して門を潜ろうとしたアウローリィアは、しかしその手前でついて来ない女王に気付いて足を止めた。振り返ると、建国の女王はその花の顔を曇らせて逡巡している素振りだ。


「エディルーシア? どうしたの?」

「その……つかぬことをお伺いいたしますが、アウローリィアのご両親はどうなされたのですか? 昨夜からお見掛けしませんが、領地にいらっしゃる?」


 召喚時から一貫して泰然としていた女王の、躊躇いがちな問いかけ。いずれ訊かれるだろうと思っていたが、存外早かった。

 アウローリィアは跳ねかけた心臓を抑えつつ、静かに口を開いた。


「死んだ。私が四歳の時、視察で領地に行った帰りに、酷い大雨があって」


 王都で生まれ育ったアウローリィアはまだ幼く、馬車での長旅には耐えられないからと、両親からの信用に厚い使用人たちと共に留守番をしていた。

 定期的な領地視察は、けれどもいつもよりも時間がかかってしまったからと、王都に残した愛娘を案じた両親は急いで帰路に就いたという――それがまずかった。


「雨で視界不良だった上に道がぬかるんでて、馬車は隣の領に入ったところで路を外れて横転。運が悪いことに倒れた側が崖とまでは行かなくても傾斜のきついところだったから、そのまま落ちたんだって」


 大雨はその後数日に渡ったこともあり、両親が見つかった時には見るも無残な姿だったという。損傷が激しく、腐敗が進み過ぎた遺体は運搬が難しいからと、この国では珍しく現場近くで荼毘に付されることになった。

 お蔭でアウローリィアが最後に見たのは、両親の遺骨が詰められた小さな箱だった。


「私は成人してない上に王族籍だから、領地は父の叔父が管理するようになって、それからずっと王都の屋敷は放置されてる。知らない間に爵位も父の叔父のってことになってた」


 イルデトゥスでは貴族の子息であっても、王召喚の儀に参加できる者は生まれた時から王族籍に入れられる。本来の家の者として扱われるのは、王候補から逃れた時か、王に選ばれなかった時だ。

 王族籍であり未成年であるアウローリィアは、イルデトゥスの法律によって後見人なくしては領地の経営に携わることはできない。だが急過ぎる両親の死のすぐに後見人を見つけられる訳もなく、気が付いた時には父の叔父が領主代行であると届けが出されていると言われた。


「貴女の父君の爵位というのは?」

「……侯爵」


 幾度となく王女の降嫁を受け入れ、その度に数多の王族を排出してきた、歴史ある上位貴族。アウローリィアも生まれた時から姫君として蝶よ花よと育てられ、今頃は何の不自由もなく家族や使用人たちに囲まれて華々しく暮らしている筈だった。


「視察から帰って来る日、私の誕生日の筈だったんだ」


 はやくかえってきて。ぐずりながらも無邪気に言い放った言葉に両親が向けた笑みは、今でも鮮明に思い出せる。


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