時は西暦2021年8月。

 流行病に世界中が侵され鬱屈とした心持に陰険な雰囲気が漂っていた。


 大学三年生の宇佐うさ孝盛たかもりは就職活動の難しさに苦悩していた。ただでさえ難しい就職に、未曾有の流行病が重なってしまっては、容易にこなせるものではなかった。

 不安やストレスはたまる一方で、どうにかなってしまいそうだった。


 それを心配した両親から、気分転換に地方に療養にでも行ったらどうかと言われた。

 しかし外出を自粛する空気に人々は縛られて家中に籠ることが良しとされているから、そう易々と外には出られない。

 そう反論したところ、母方の実家に行くことを提案された。


 母方の実家は富士山の麓の辺りで、山河に囲まれた人気ひとけの少ない場所である。縁のない場所でもないし、他人に迷惑もかけなさそうだから許されるだろうという主張である。

 宇佐も旅に行きたくないわけではないし、少しぐらいなら良いだろうということで自分を納得させた。その日のうちに祖母に電話をすると、病の心配をしつつも孫の訪問を大変に喜んでいる様子だった。




 一週間後、都合もついたので静岡に向かっていた。

 電車の中は、以前よりは若干少ないが、意外にも人は多く居た。


 電車に揺られて持っていた本を読んでいたら、酔ったのか気分が悪くなってきたので、瞼を下ろしてしばらくじっとしていることにした。

 そうしていたらいつの間にか眠っていた。

 どれほど経ったか、もうじき目的地に着く。大した物も持っていないが、自分の荷物がきちんと揃っているか確認して、下りる準備をした。


 駅を出て二十分ほど歩くと、血縁の土地に来た。

 長閑な原風景らしい景色をぼーっと眺めながら歩いていると、立派な平屋が見えてきた。母の実家である。

 古い田舎らしく、玄関は閉ざされていないので、引き戸を引いて祖母を呼んだ。


 出てきた祖母は、最後に会った三年前と対して変わっていないようだった。一方で祖母の方は孫の成長に機敏なようで、一々どこが変わっただの大きくなっただのと言っていた。

 しばらくはおとなしくもてなされていたが、途中で客人が来たため、その対応に迫られた祖母は申し訳なさそうに離れていった。


 宇佐は暇を持て余して、散歩をすることにした。書置きを残してスマホと身分証だけを持って外へ出た。山がすぐ近くにあるから、そちらへ行っても良かったが、電車に長らく座っていたから、あまり大変な運動はしたくなかった。

 実家からそう遠くない所に代々の墓があるからそっちの方へ行くこととした。




 どれほど歩いたか、シャツはたっぷりの汗を吸い込んで色を変えていた。

 道中で飲み物でも買いたかったが、売店も自販機も見当たらないので、我慢して歩いていた。墓地のすぐそばに自販機のあるのを覚えていたからだ。


 そこの墓地は広い割には墓の数は対して多くなかった。自販機で水を買って一息で飲み干した。それから己と深い縁のある墓の許へ向かった。

 それは広い墓地の隅にあって、すぐそばの森のせいで薄暗く、じめじめとした陰湿な場所にあった。代々の墓とは言うが、直接関係のあるのは二年前に亡くなった祖父くらいで、それ以外は直接会ったことはなかった。

 だが先祖を無下にできるほど豪胆ではないので墓参をした。


 さて帰ろうかというところで風が吹いた。

 暑い夏の日にはありがたい、涼しい風であった。

 森のざわめきが随分大きく聞こえた。

 梢の先の葉々が擦れ合っているだけとは思えないほど、騒がしく、何かを訴えている様だった。


 気になって森の方を見ると、けもの道か人口のものか分からぬほどの小さな道があった。それまで全く気付かなかった。故にか、その道がなんなのか気になった。

 必要もないが、なんとなくそちらへ足を運んでいた。


 森の中は意外なほど涼しかった。

 真夏日を超える猛暑であるというのに、この小道を歩いている間は上着が欲しいくらいだった。

 それに空気が澄んでいた。世間では流行病が人々の精神まで侵しているかのように、陰鬱な雰囲気があった。森の中はそんなことを気にも留めないように澄明な清々しい空気を持っていた。


 歩みは止まらなかった。止めようなどとも思わなかった。どこまで行くのか、いつまで歩くのか、そんなことを全く考えずとかく奥へ奥へと歩いていた。

 するとついに行き止まりに来た。大したものもなくて、がっかりしながら帰ろうとすると、木々の奥に石が組まれているのがちらと見えた。


 もはや道もないのを無理に通ると、ちょっとひらけた所の中央に先ほど見えた石組みがあった。下敷きに平べったい石があり、その上に縦に長い石が置かれていた。

 自分の背丈ほどもあるそれは、恐ろしい気を発しているようだった。こんなところに人工物があるのも不自然だし、なんの為のものかも分からぬ。


 不思議に思って周りを見渡したあと、石組みそのものをじっと見つめた。


 いつまでも睨みつけていると、なにか文字が書いてあるように見えた。はじめはそんなものがなかったはずだった。いくらじっと見ているからと言って、文字が浮かび上がるわけがない。

 しかし実際に、今、目の前には文字があった。

 それは不思議な文字であった。カタカナのような直線の組み合わせによる字体であるが、見覚えがまったくない。少なくとも現代の日本語ではない。しかしアルファベットや漢字らしいものではなく、やはり最も近しいものはカタカナであった。


 それを暫く見ていると、宇佐の口から言葉が零れた。


「宇至王の墓」


 それが一際大きく書いてある文字であった。その下に小さく文章が書いてあった。

 その文章を読み終えたその瞬間、宇佐は思い出した。




——俺は宇至だった。

 俺が死んだあと息子の宇慶に或る悪霊が取り憑いた。その悪霊は幼子の振りをして、宇慶と虚菟という兵士を惑わせた。

 それによって国家は大いに乱れ、ついには滅亡の危機に至った。

 死後、霊体となった俺にはどうすることもできず、悔しさと無念さと怒りに悶えていた。


 ある時、宇慶は俺の墓参りに来た。その警護には虚菟もいた。俺はまたとない絶好の機会だと思って虚菟に取り憑いた。そして宇慶を悪霊もろとも殺した。

 だが俺の気配に気づいた悪霊は俺が取り憑いた虚菟を俺もろとも殺した。刺し違えたのだ。二人はそこで死んだ。


 それからは全く別の時代の別の人物に生まれ変わった。生まれ変わってからは前世のことなどすっかり忘れていた。

 しかしある時、風の声につられて森の奥深くへ歩いて行った。するとそこには小さな広場があって、中央には石碑のような石組みがあって、それをわけもなく見つめていると文字が浮かび上がって……。


 その文字は、あの悪霊が、死の間際に彫り込んだものだった。

 その文字は、呪いが籠められていた。

 俺を殺すための特別な呪いが、籠められていた。


 それを見た俺は宇至だったことを思い出して、呪いによって発狂して、前後不覚になって、自殺した。


 そしてまた全てを忘れて生まれ変わった。それから旅行でこの土地まで来て、この石組みを、いや、俺の墓を見つけたのだ。そうしたらまた、呪いの文字が浮かび上がってきて、全てを思い出して、俺は、俺を殺した——




 宇佐はそれが何千年も前から、これまで、幾度となく繰り返されてきたのを、全て思い出した。

 猛暑であるというのに、冷たい風が頬を撫でた。その風に紛れて声が聞こえた。


 声を聞いた宇佐は突然、悲痛な叫び声をあげた。

 喉が張り裂けそうなほどの声はなぜか森の外へは全く響かなかった。


 それから宇佐は墓に頭を打ち付けた。何度も打ち付け、墓が血塗れになっても続けた。

 だが直に静かになって、打ち付けるのを止めた。


 また冷たい風が吹いた。誰かの笑い声がひそかに響いた。

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墓碑の声 苔稲曇華 @kokeina_donge

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