逆様

小狸

短編

 *


 鏡は、苦手である。


 鏡の背後、透明な硝子ガラスの後ろには、銀が薄く張ってある。


 鏡に向かって進む光は反射する。


 何のことはない、その反射で形を結ぶ像こそが、鏡の正体なのである。


 その仕組みを知ったのは小学生の頃だったけれど、へえそうなんだ、と思った程度であった。


 故に、私の部屋には、洗面所以外の所に、鏡は置いていない。


 こういう時、自分が女性でなければ良かったのに、と思う。


 化粧は、今や社会人の女性にとっては必須と言って良いほどのマナーになりつつある。


 マナー。


 嫌な言葉である。


 いや、令和れいわの多様性を殊更ことさらに主張してやまないこの世である、そんな物言いも、世論という名の検閲に引っかかってしまうのかもしれない。


 気を付けよう、と思う。


 一人の表現者として、である。


 つい先日も、さる作家かぶれの者がSNSで差別用語を用い、炎上していたようである。そういう様を見るたびに、やはり自分にはSNSは向いていないなと自戒し、SNSというものは、己を映す鏡であると、思い知らされるのである。


 鏡。


 と。


 話が、戻った。


 偶然である。


 鏡は、私を左右反転して映す。


 一番苦手な、大元の理由は、恐らくそこにあるのだと思う。


 同じではないのだ。


 反転しているのだ。


 前述の通り、鏡の構造は、硝子の後ろに薄い銀があることによって成立する。


 よくよく考えれば、硝子というフィルターも加えられているのである。


 加えて、人々の視覚、視野はどうだろう。


 皆それぞれ同じだろうか。


 違うだろう。


 それは、盲目であるとか、乱視であるとか、そういう意味ではない。


 眼球の存在する位置――身長によっても、その者が見る対象というものも違う。


 家と、その近くに木があったとする。


 子どもなら、ああ、家の近くにでっかい木があるな――と思うだろう。


 大人はどうだろう、頭でっかちな者ならば、日照権がどうのこうのだと思うかもしれない。


 マタギなら、あの木をどう切ろうかの算段を頭で巡らせる。


 家主は家主で、そんな木のことなど気にせず、さっさと帰宅して夕飯の支度したくをしようと思うかもしれない。


 分かっていただけただろうか。


 いや、多分相当分かりづらい比喩表現を使っている自覚はある。これだから私は駄目なのだ。大変申し訳ない。


 何が言いたいのかというと――今回は家と木を用いたけれど――を視覚としてとらえた時、そこから得る情報というのは、千差万別多種多様である――ということを、言いたいのだ。


 ひるがえって、鏡は。


 人を、物を、左右反転した状態で映す。


 しかもそれは鏡に映った自分という情報であって、自分自身ではないのである。

 

 つまり、左右反転した状態で映って――いるように見えているだけなのだ。

 

 にもかかわらず、である。


 皆々は、至極当然のように鏡を使い、それを至極当然と受け止められている。そこに映っている者が、物が、本当にそこにあるモノなのかということなど、考えることもなく、当たり前の事象として、鏡の映しだす世界を、受け入れている。


 私にはそれが、心底理解できない。


 や、勿論、理解できないからと言って、我孤独也ワレコドクナリなどとツイッターで呟いて自傷的発言を繰り返したりはしない。


 皆が普通に受け入れているのなら、それはそうなのだろう。


 冒頭でも例に挙げたけれど、令和だってそうだ。


 当初は新しい年号だ何だと言って持て囃されて、話題の中心になっていたけれど、世の時流とは我々が思っている以上に速く流れているものなのやもしれない。行く川の流れは絶えずして――とは本当に絶妙な表現だと、令和のこの時代になっても思う。願わくはそれが濁流ではないことを、祈ってやまない。


 さて、鏡の話である。


 私は鏡が、苦手である。


 極力見ないようにしている、床屋などに行く際には仕方がないので、可能である時には目をつむっている。


 ふと、考える。


 いつから鏡を忌避するようになったのだろう。


 過去を振り返る。


 過去というものは一見、丁寧に脳髄の中に積載されているように見えて、曖昧模糊で粗雑に積みあげられている。


 白であったものが黒であったり、右だと思ったら左であったり――そんなことばかりである。過去は鏡ではなく、己自身に積み上がっているものだ。だからこそ、私は振り返ることに抵抗を感じないのだろう。


 鏡――鏡、鏡、鏡。


 鏡の形態を考えてみようか。


 鏡、丸鏡、四角鏡、手鏡――


 鮮血?


 どうして血が、ここで出てくるのだろう。


 記憶の棚を探る。私は整理整頓が得意な方ではない。


 手鏡と鮮血というキーワードが、不思議と繋がったというだけである。


 しかし、なかなかどうして、両者に整合性があるだろうか。


 手鏡、血、鮮血、血痕――。


 ――ああ。


 私は、思い出した。


 思い出したくもない思い出であった。


 今、その封を私は無造作に切ってしまった。


 それを後悔したが、もう遅い。


 記憶は、順繰じゅんぐりに私の体内を巡り、脳髄へと到達する。


 そうだ。


 あれは、10歳になる頃であった。


 両親はいつも口喧嘩をしていた。


 喧嘩が高じると、近くにある物を投げ合っていた。


 大体は、母が癇癪かんしゃくを起こす。


 そしてそれがしずまると、お互いの部屋へと帰ってゆくのである。


 そうなると、しばらくは出てこない。


 仕方がないから、私と弟が、その後始末をした。


 その時――その時だ。


「痛っ」


 私は、母が投げつけて、割れた鏡で、指を切った。


 手鏡であったが、真ん中から斜めに欠けていて、波紋のように割れが広がっていた。そこに指を引っ掛けて、切ってしまった。


 幸い深い傷ではなかったし、血も少量であった。


 ただ――その鏡に血が滴る形となった。


 それで私は、見た。


 鏡と、血と、そしてそこに映る己を。


 無論、割れていたし、きちんと見えたとは言い難い。ガタガタにゆがんで、壊れていた。


 それでも私には、なぜか、見えた。


 見えて、しまった。


「っ」


 その時私は、鏡を思わず手から離した。


 がちゃんと音を立てて、床へと落ちた。


 そうだ――思い出した。


 私は――鏡が嫌だったのではない。


 鏡に映る、私を見るのが、嫌だったのだ。


 その時鏡に映った私の表情は。


 


「――っ」


 思い出さなければ良かった。


 しかし、思い出してしまえば――それはもう、も同じである。


 私は家の洗面所へ行き、顔を洗った。


 何心配することはない、もう私は一人暮らしをして、自立して生活している。


 あの毎日何かに脳髄をむしられるような日常は、もうここにはないのである。


 じゃぶじゃぶと顔を洗い、タオルで丁寧に拭いた。


 皮膚はあまり強くないのである。


 そして見上げる。


 必然的に私は、鏡を見ることになる。


 そこには、母の顔があった。


 母はわらって、言った。


「愚か者」

 

 *


 埼玉さいたま県在住の会社員、真中まなか慎子ちかこが、自宅の洗面所にある鏡に頭を何度も打ち付けた状態の遺体で発見されたのは。


 令和5年の、10月5日のことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逆様 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ