第32話 番外編 ダニエルの末路
牢屋の中で、ダニエルは一世一代の乗っ取り劇の失敗に、わが身の不運さを恨んでいた。
義姉がタイミングよく失踪してくれたおかげで、簡単に乗っ取りは成功した。それなのに、全てが白日の下にさらされた。
しかも自分は義姉の失踪には関与していない、監禁なんて本当に知らない。
なのに、証拠が挙がっている。
完全に誰かに嵌められてた・・・しかし、どんなに反論したところで兄を殺したのは事実。それだけでも極刑は変わらなかっただろう。
アリエルが盗賊に遭わなければ・・・シャルルに出会わなければ、シャルルがコベールにこなければ、・・・自分の罪が明らかになることはなかった。
これは天罰なのか・・・ダニエルはすべてをあきらめ、ただ暗い天井を眺めていた。
そんな時、ダニエルを呼ぶ小さな声が聞こえた。
鉄格子の方を見ると、フードを深くかぶった男が鍵を持って立っていた。
「あるお方から申し遣ってまいりました。」
「え?まさか?彼女か?」
ダニエルはがばっと起き上がり、鉄格子に詰め寄る。
男はそっと扉を開けると、暗い灯りを頼りにダニエルを案内した。
「おい、見張りは?」
「ふふ、ご心配なく。」
聞き取れないくらい小さな声の男に不気味さを感じるが、死刑を待つ自分にとって今以上に状況が悪化することはないはず。
彼女が助けに来てくれたのだとダニエルは思った。
馬車に乗るとどんどん進んでいく。追手がかかった様子もなく、ダニエルはほっとした。
牢に入ってからは絶望と死への恐怖で思うように眠れなかったダニエルは、馬車に揺られているうちに眠りについた。
どれくらい時間が経過したのかわからないが、ひと際揺れたかと思うと馬車は止まった。
ダニエルは起き上がり、外に出た。
まだ夜で辺りは暗く、月に照らされてはいたが、山中の道だということが分かっただけだった。
「おい、ここはどこだ?休憩か?」
御者を務めていたフードの男に話しかけたが、御者席には誰もいなかった。
用足しにでも行ったのかとダニエルはしばらく待ったが、戻ってこない。
自分が立っているところは月の明かりが届いてはいるが、道の奥は真っ暗でただ木々のざわめきと川の流れ、そして時々何かの獣の鳴き声だけが聞こえてくる。
その暗がりから何かが飛び出てきそうで恐ろしい。こんなところで一体御者はどこに消えたというのか。そう考えると更に恐ろしくなる。
まさか・・・と、山と反対側の崖の方を見る。
用を足そうと落ちたのではないだろうな?
ぞくっとしながら、ごうごうと急流の音が聞こえる崖の下の暗がりを覗き込んだ時、
「ここがどこだかわからないの?」
突然の声にダニエルは飛び上がって驚いた。
「あ、義姉上!?」
聞きなじみのある声がした。
行方不明だった彼女は、ワトー領で助けられ保護されたと聞く。自分が監禁していたことにされているが、一体今までどこで何をしていたのだ。しかもこんな時間にこんな場所に?
驚いたダニエルが周りをきょろきょろ見渡すが、暗闇に木の影が見えるだけで人影などどこにもない。
「どこだ?な、なんでこんなところに!?」
混乱したダニエルは大声で叫ぶ。
「出て来い!これまでどこにいた!?」
強がって怒鳴るが、胸の内は恐怖で一杯だった。
「あなたに聞きたいことがあるの。」
時折、何か大きなものが動いたように、空気がうねり、ばさりと風がなる音が聞こえてくる。
男のダニエルでさえ、こんな暗い山の中にいるのは恐怖なのに、貴族の夫人が平然と話しかけてくる事が恐ろしい。おまけにどこにも姿が見えない。
「とにかく出て来い!出て来てくれ!」
ダニエルは懇願するように大声を出す。
しかし、フレヤの声が冷静に返ってくる。
「アリエルを嵌めた異国の女とあなたも仲が良かったようね。」
「は?!な、何のことだ?」
「馬鹿な令息ども同様、あの女にたぶらかされて実の兄を殺めたのかしら。」
それを聞いた一瞬、ダニエルは驚きで恐怖を忘れた。
なぜフレヤは彼女との関係を知っているのだ。行方不明であったはずなのに。
彼女は私に情報を教えてくれ、私の身を心配してくれただけの優しい女だ。
彼女は私こそ当主にふさわしいと言ってくれた、私の為に涙してくれた優しい女だ。
「女? なんのことだ? あ、兄上は事故なんだ!冤罪だ!」
ダニエルは必死で言いつのる。
ばさりとまた何か大きなものが羽ばたくような音がして、うねるように空気が動き、ダニエルはびくりと身を震わす。
御者も戻ってこないままだ。この暗い山の中に冷たく響くフレヤの声がひどく恐ろしい。
一体、義姉上はどこにいる?義姉上は・・・普通ではない。いや、義姉上でさえないのかもしれない。そう思い至ると更に恐怖が増した。
「事故ねえ。あの女が紹介した組織にあなたが依頼したことはばれているわ。いつどこで誰と会ったか、依頼料はいくらだったのか、あの人の行動を報告していたことも全部わかってる。」
フレヤの声は淡々と言葉を紡ぐ。
いつまでたっても姿は見えない。なのに声だけは耳のすぐそばで話しているように近くで聞こえる。
「し、・・・知らない!本当だ。あ、義姉上!とにかく話そう、だから出て来てくれ!」
恐さに声が震えてくる。
「なぜあんな優しい人を殺したの?」
「私は本当に何もしていない!兄上を殺すわけないだろう。」
ダニエルがそう言った途端、またばさりと音がして、空気が揺れる。
よく耳を澄ますと崖の下、川の方から音が聞こえる。
「ここがどこだかまだわからない?あの人が死んだ場所よ。落石事故だと言われていたけれど・・・故意に石を落としたのね。」
暗がりでわからなかったが確かにここは兄が亡くなった現場だった。
自分も事故の時に駆け付けたあの場所。
なぜ兄を殺した場所になぜいるのだ、さらに恐怖心が募ってきた時、
ず・・ずっ・・ずさっ・・・
崖の方から何かが滑るような、踏みしめるような音が聞こえてくる。
その音はだんだん大きくなってくる。まるで誰かが崖から這上がってくるように徐々に近づいて来る。
ダニエルの背筋を冷たいものが這いあがった。
「ひ・・・た、たすけ・・・・」
ダニエルは恐ろしさにその場から走り出した。
月の明かりだけを頼りに、山の中の暗い道を走る。
必死に走って走って限界が来たところで道に倒れ込み、全身で大きく息をする。
振り切れたと思ったが、
ず・・・ぎゅっ・・・
まだ同じ音がする。
はっと見渡すと先ほど逃げてきた場所だった。
「うわああ、なんでだ!なんなんだ!誰か!義姉上?!どうして!?」
それでも何の応えもなく、崖を上る音だけが暗い夜道に伝わってくる。
その音は兄が崖から登ってくる音だとしか思えなくなっていた。
「許してくれ!!兄上が私を殺そうとするから!私の事を金食い虫の能無しだと切り捨てるから!」
「だから殺したのね。」
まじかでフレヤの声がして飛び上がった。
そしてやはり姿はない。
「もうやめてくれ!出て来てくれ!頼む」
最後の方は泣き声が混じっていた。
「あの人はあなたを切り捨てた事なんてないわ。」
「嘘を言うな!支援を頼んだのに助けてくれなかったじゃないか!」
恐怖に襲われていたが、フレヤの言葉にはいら立ちが勝ち、誰もいない暗い山道に叫ぶ。
「あなたが事業計画をろくに立てずに、資金を無駄に使っていると報告があったと言っていたわ。だから送金をしなかったの。」
「散財などしていない!取引先が撤退したり、返品が相次いだり、悪い噂が流れたのもすべて兄上がやったことだろ!厄介な弟を潰すつもりだったんだ、だから奪ってやった!」
「・・・あの人がそんなことをするはずがないでしょう。あなたを大切に思っていたのだから。それをやったのがあなたをそそのかした女の仕業となぜわからないの。」
「馬鹿な!じゃあなぜ支援を断った!」
「お金ではなく信用できる人間を派遣するつもりだったのよ。お金など渡してもすぐに消えてしまう、事業そのものを支えるには人材が必要だからと。」
「そんな・・・嘘だ・・・」
ある男から、兄がダニエルの事を無能で、貴族籍から籍を抜く算段をしていると聞かされた。除籍の正当な理由を作るため、事業が失敗するよう工作している。今、ダニエルがこんなに追い詰められているのは兄の仕業だと聞かされた。
そうして憎しみをあおるだけ煽られてた時、ある女と知り合った。
いい女だった。
気が付けば夜をともにしており、いつも「あなたは本当は出来るひとなの。お兄様が妬んで邪魔をしているのよ。そんな自分よがりなお兄様よりあなたの方が当主にふさわしい」と囁いた。
連日連夜、褒められ、持ち上げられ自尊心を満たしてくれた。
いつの間にか、彼女の言うことはすべて正しいと思うようになり、兄から当主を簒奪するのが当たり前に思うようになっていた。
しかし、簒奪したところで自分が侯爵として執務が出来ると思えない。事業をうまく回せなかった自分が領地経営などできるはずもない。アリエルが息子の伴侶になればなんとかなりそうだが。
そうこぼすとアリエルが婚約者に愛想をつかす手助けをするとあの女は言った。
それでも自分は動けなかった。
すると、その女はどこから調べてきたのか、兄が事業の邪魔をするために雇った組織を調べてきた。そして、彼らは金さえ払えば殺人をも厭わない集団のようだから気を付けて欲しいと涙し、あなたが殺されるくらいなら私があなたの兄を・・・
そう言って泣くサンドラを見て決意した。やられる前にやってやると。
すべてうまくいっていた。ドラゴナ神国がでしゃばって来るまでは。
「本当よ、派遣する人材の人選も進んでいたわ。・・・優秀なあの人を邪魔に思う人間にまんまと騙されたのね。あなたを陥れた証拠も挙がっているわ。」
「嘘だ!嘘だ!・・・兄上は私を! ・・・そんな・・・騙されてなど・・・」
男は怒りと後悔と悲しみとでぐちゃぐちゃになる。
「あなたがあの人に劣等感を感じていたのは勝手だわ。辛い思いをしたのなら、離れればよかった、見返すほど頑張ればよかった。あなたが死ねばよかったのよ。楽をして生きようなどと考えるあなたなんか劣等感を感じる権利もないわ。騙された自分を哀れだと思っているんじゃないでしょうね。」
ダニエルは指摘され、自分にその感情があることに気がつく。
そして実際、騙された自分は可哀想ではないかと思う。
男が自分を罠にかけ女が自分に近づかなければ、事業も傾かず、兄を疑うことも殺すこともなかった。
「事業がうまくいかなかったとき、原因を調べたの?あの人に相談したの?あの人のせいだと言われた時にあの人に問い詰めたの?真実を見ようとしたの?あなたは自分の都合のいい言葉に耳を傾けただけのただの情けない卑怯者よ。」
フレヤのきつい言葉にダニエルは崩れ落ちた。
「・・・本当に・・・兄上は私の事を・・・」
「だから、サンジェをやったでしょ?急ぎ、サンジェを派遣しその後従業員を派遣する手はずを整えていたわ。」
「サンジェ・・・あの男・・・偉そうにあれは駄目、これは違う。ジョルジェ様の事を勘違いしていると口うるさくて・・・だから嫌がらせで送ってきたのだと・・。」
ダニエルの声が小さくなっていく。
「あなたは耳を貸さなかった。そして・・・あの人を殺した。」
「あああぁ!そうだ!私が依頼した!私を見下す兄上が許せなかった!私を陥れる兄上が許せなかった!殺される・・・そう・・・思ってた。・・・その前にやらなければと・・・」
ダニエルは地面に崩れおち、土を握りしめていた。
「ようやく認めたのね。あの女に騙されたのは哀れだと思うわ。でもいくらでも真実を知る機会はあった。あなたを許すことは出来ない。」
バサリバサリと羽ばたきの音が先ほどよりも大きくなる。
地面に這いつくばっているダニエルは顔をあげた。
崖の下から現れ月の光に照らされたその姿は、金の瞳を持ち空に浮かぶ巨大な竜。
「!!」
ダニエルは目が釘付けになり、ふらふらと立ち上がる。
「まさか・・・義姉上?」
ダニエルは衝撃のあまり立ち尽くす。
「あなたの罪を思い知りなさい。」
竜はそういうなり、翼をはばたかせダニエルを吹き飛ばした。ダニエルは木にたたきつけられて意識を失った。
気がつくとダニエルは、少し高い所から修道院を見ていた。
そこには一生懸命床を磨いている妻がいた。
貴族の娘でこれまでそんなことをしたこともない妻が・・・
指先を真っ赤にして、一心に磨いているところを他の修道女が通りがかる。
「あ、ごめんなさい。」
桶に蹴躓き、汲みおいていた水が綺麗にしたばかりの床に広がっていく。
「わざとじゃないの、わかってくれるでしょう?」
「・・・はい。」
「じゃあ、拭いておいてね。よろしくね。ふふふ。」
修道女が去っていくと、妻が涙を落としながらまた床を拭いている。
自分は妻を裏切り、罪を犯し、妻をこんな目に合わせている。いったい自分は何をしたんだ。自分の愚かさに絶望する。
思わず妻の名を呼ぶが声は届かない。
いじめられているのか、食事も思うように与えられていないようだった。
家督の乗っ取りを企てた共犯者と思われ、冷たくされていた。妻は何も知らなかったというのに。
済まない・・・ダニエルが涙を落としたとき、瞬間に場面が切り替わった。
そんな・・・なんてことに・・・
ダニエルが見たものは、息子がどこかの店裏のゴミ箱をあさり、食べ物を探している姿だった。
平民に落とされたうえ、事件のせいでどこも雇ってはくれなかった。
そのゴミ箱でさえ、テリトリーがあるらしく見るからに人相の悪い男に追いかけられ、殴られている。
それを目にしていても誰も助けず、警備兵を呼びに行くこともなかった。
自分のせいで・・・こんなことになるくらいなら自分が死んだほうがましだった。
フレヤの言った通り、自分が死ねばよかったのだ。
「はは・・・私は一体何がしたかったんだ・・・大切な人間をすべて苦しめて・・・」
ダニエルが、涙をこぼしたときひんやりとした空気に包まれて我に返った。
先ほどまでいた山道だった。
兄が死んだ場所。おとぎ話の竜が現れた場所。
義姉が竜だった?
妻や息子の幻覚を見たのか?
何が何だか理解できなかった。自分の頭はどうかしてしまったのかもしれない。
「兄上・・・申し訳ありませんでした。」
ダニエルはふらふらしながら崖の縁まで行き、下を覗き込んだ。
そして妻と息子にも詫びると、崖下に向かって倒れ込んだ。
ダニエルの身体ははるか下の急流にすぐに飲み込まれ、あとは何事もなかったように月の光が川面を照らすのだった。
*フレヤは実際には竜体にはなれません。ダニエルに無力さと神の怒りだとしらしめるために幻惑を見せていました。
これにて完結です!
ありがとうございました(*´▽`*)
あなたを愛する心は珠の中 れもんぴーる @white-eye
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