元貴族

 アラン様と連絡がとれなくなった。

 研究所から戻られないまま、4日が経っている。

 アラン様の父君、ベルナルド子爵も行方を知らされないという。

 子爵が属する派閥の、伯爵からも研究所に問い合わせて貰うと言っていた。

 婚約者のエミリー様も心配して、毎日アラン様の屋敷に来ている。


「ウィレム、お城の様子が、どうにか分からないかしら」

 エミリー様が心配のあまり、僕にも訊ねられる。

 しかし、上級貴族との繋がりもない商人では、どうにもならなかった。

「申し訳ございません。魔導研究所となりますと、どうにも……」

「そう……そうよね。ごめんなさいね」


 城内の噂では、研究所で危険な実験が行われたとか。

 人間を強化する魔術なのだとか、魔物に変えるものだとか、噂が飛び交う。

 何も出来ないまま、さらに4日過ぎてから、アラン様が帰邸なされた。

 実際には、お会いできなかったが、無残な御姿だったと伝え聞いた。


 城からの通達では、研究所の実験に参加して、失敗なされたとされた。

 人の姿をとどめず、ほぼ肉片となったアラン様。

 それなのに、詳しい説明もなかった。

 ベルナルド子爵も夫人も納得できずに、あらゆる伝手を使って調べ始めた。


「何があったのか明らかにしなければ、納得できません」

 女神のようだったエミリー様も、血相を変え、単独で調べ始めてしまった。

 あの方には、危険な行為をしてほしくなかったが、お止めできなかった。

 そのエミリー様も、御姿を隠されてしまった。


 僕は必死に行方を、情報を求めた。

 金をばら撒き、やっと掴んだ情報は、信じられないものだった。

 エミリー様は、城の地下牢に居ると。

 意味が分からない。

 何故、子爵令嬢が牢に?


 城中には潜入できないが、地下なら別だ。

 裏から金を使って、地下牢に潜入する。

 地下の牢番なんて、金で簡単に言う事を聞くような連中だ。

 買収した牢番の案内で、貴族の令嬢が囚われているという牢を目指した。


「うっ……ひどいな」

 地下牢は王城とは思えない状況だった。

 下町のスラムの方が、マシなんじゃないだろうか。

 糞尿だけではない異様な匂い。

 壁にも天井にも、何だか分からない肉片のようなものが、飛び散っていた。

 天井に張り付いた肉片が時折、じゅるり……と、嫌な音と共に落ちて来る。


 吐き気を必死に抑えながら、地下牢を奥へ進んでいく。

 暗い牢の前で、牢番が立ち止まる。

「旦那が探している女じゃない事を祈ってるよ」

 ランタンを床に置き、牢番が少し下がる。


 牢の中には、人のようなものが、ひとり倒れていた。

 ぼさぼさの白髪に、ぼろきれ一枚すら身に纏ってはいない。

 生きているとは思えない姿で、うつぶせに倒れているようだ。

「エミリーさま……ウィレムです」


 喉がひりつく。

 うまく声が出ない。

 体が震えて動けない。

 違う、違う。絶対に違う。

 エミリー様であるものか。


「ウ……がっ……でぅ……がはっ」

 喉が潰されているようで、まともに声も出せないようだ。

 それでも血を吐きながら、必死に何かを訴えようとしている。

 手足のけんを切られ、立ち上がるどころか、う事もできない。

 顔も背も、手足も体中すべての、皮をがされていた。

 痛みに流す涙が、き出しの顔にみて、涙が流れ出る。

 最後の力を振り絞るように、顔を持ち上げ、目を見開いていた。


「そんな……エミリー様……な、なんで……」

 よく見れば、見開いているのではなく、目は剥き出しだった。

 まぶたを引き千切られ、閉じる事が出来なくされていた。

 その首には、見覚えのあるペンダントがあった。

 アルトゥーナ子爵家の紋章が入ったペンダントが。


 そんなものがなくても、その瞳はエミリー様に間違いなかった。

 泣き崩れそうになるのを必死にこらえる。

 僕の言葉に、エミリー様が懸命に答えてくれた。

 首を振り、頷きを繰り返し、時間を掛けて。

 彼女も血を吐きながら、潰れた喉から声を絞り出す。


 エミリー様は、僕にすべてを託して、地下牢で力尽きた。

 今の僕のちからでは、此処から連れ出す事までは出来ない。

 エミリー様の亡骸を、地下牢に置き去りにした。

 エミリー様は僕に託してくれたのだ。

 その信頼を裏切る事は出来ない。

 そのまま僕は、ベルナルド子爵邸へ向かった。


 そこでアラン様の両親へ、すべてを告げた。

「なんと……マーロンめ」

 夫人は泣き崩れ、子爵は怒りに剣を抜いた。

 このまま城へ切り込もうとするのを、必死にお止めした。


「お願いがあります。アラン様の名を下さい」

 子爵に頭を下げ、ずっと考えていた願いを口にする。

「どういう意味だ」

「研究所の事故で死んだのはウィレムです。私はアランを名乗って復讐します」


 魔導研究所の所長マーロン・ゲティスバーグ伯爵が、アラン様の仇だった。

 非人道的な実験にアラン様を使い、失敗したのはマーロンだった。

 それを調べ上げたエミリー様を捕らえ、彼女も実験台にしたのだ。

 エミリー様は、国の……国王の秘密まで知ってしまった。

 その所為で逃げられなかったのだ。

 敵はマーロンだけではなく、レシア王国すべてだ。


 息子を廃嫡とした子爵から、アランの名を貰った。

 今日、ウィレムは死んだ。

 私は貴族を捨てたアランとして、王国に復讐するのだ。

 そうしなければならない。

 平民のウィレムではなく、元貴族のアランとして、仇を討つのだ。

 アラン様とエミリー様の恨みの刃を、マーロンに突き立ててやらねば。


 元貴族のアランとして、王国内を旅してまわった。

 一人で敵わないのならば、同士を集めるのだ。

 不満を持つ者、マーロンに恨みを持つ者は、かなりの数になった。

 彼等をまとめ、求心力のある若者をリーダーに据えた。


 レジスタンスを組織して、王国の非道を暴露していく。

 マーロンだけは許せない。

 奴だけは必ず、この手で。

 地獄から蘇ったアランの手で復讐を果たすのだ。

 どんな邪魔があろうともだ。


 必ず仇を討つ。

 私はアランなのだから。

 亡き妻エミリーの仇を討つのだ。

 私のエミリーの恨みを晴らすのだ。

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ある商人の決断 とぶくろ @koog

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