第48話 眼鏡を買いに

 それから二日後の日曜日。

 慣れない手付きで手間取りながら化粧を終えて玄関に向かうと、玄関にはわたしと同じ様に薄くお化粧をした余所行き姿のお母さんが立っていた。


「お母さんもどこか行くの?」


「ちょっとお買い物。銀座にお中元を見にね」


 そう言えば、もうそんな時期なのか。

 最近はリングバーンに振り回されてばっかりで、季節の移ろいを感じる暇など無かったから、今が夏前だということにやっと気がついた。


「途中まで一緒に行きましょう」


「うん」


 速度の遅いエレベーターで一階まで降りて、わたしとお母さんは二人連れ添って玄関ホールの自動ドアをくぐると、そこからいきなり、重く熱い空気が包みこむ。

 蝉こそまだ鳴いていないが、夏はもうここにいるのだ。


「灯里、どんな眼鏡にするか決めたの?」


「前に見て、良いなって思ったのがあったから、それにしようかなって」


「そう」


 お母さんは少し間をおいてから、口元を緩ませる。


「灯里が選んだ眼鏡なら、きっと似合うと思うわ」


 お母さんは柔らかな、だけどちょっと困ったような顔をする。

 お母さんの『心』の時間は順調に進んで、前のような怯えた感じは無くなっているけど、この頃のお母さんはこういうちょっとだけ困ったような顔をすることが多い。


「……そう言えば、アリスちゃんのことだけど」


「うん」


「今度ちゃんとお話したいんだけど……お願いできる?」


「わかった」


 わたしは短く答える。

 アリスのお父さんのこと、八重洲口のお別れのことは、きっとお母さんとアリスでしか共有できない。わたしはたった十数分を『見た』だけに過ぎない部外者だ。


 緑の葉の陰りとじりじりと熱したアスファルトの道を歩き、わたし達は地下鉄の駅にたどり着いて、丸ノ内線の赤色の電車に乗り込む。

 電車は休日なのに意外なほどに混んでいて、わたし達はドアが開くなり車内の奥の方に詰められる。

 そしてわたし達が電車の中程まで行くと電車が発車し、車窓は暗いトンネルに変わってしまう。


 車窓に他の乗客やお母さんの顔に混じって、わたしの顔が映る。

 去年の夏に香織と買いに行った私服姿で、ちんちくりんの女の子。

 ただ、いつか見たぼんやりとしたぱっとしない顔は、今は格好良く見える。

 わたしは、ガラスに映った女の子に向かって、その頭を撫でてやりたかった。

 ぐしゃぐしゃにして泣きながら、変われなかったことを悔やんでた同じ顔の獣に、あなただって時間が進んでるんだ。格好良くなってるぞ。って、言いたかった。


『自分らしく、カッコ良く』


 いつか見た広告の文句が頭の中に急に翻る。

 わたしはひとつ息を吐いてから、たん、と足を踏んで靴の踵をくっつけ、口元に力強い笑みを作る。車窓の彼女もそれに応えて、力強く笑ってくれた。


 どこまで自分らしかったり、人から見てカッコ良かったりしているかはわからない。

 だけど、少なくとも窓に映る彼女はわたしが嫌いになるような女の子じゃ無くなっていて、それどころか誇らしく思えた。

 リングバーンで戦う、眼鏡をかけて拳銃を持った魔法少女にも負けないくらい格好良い。


 抑揚の効いたアナウンスが新宿の駅への停車を告げ、電車は金切り音を上げて明るいホームへと停車する。銀座まで電車に乗るお母さんとはここでお別れだ。


「それじゃ、行ってくるね」


 わたしはお母さんと別れると、鞄の紐を掴む。

 逸る気持ちと焦る気持ちの両方で足を進めて新宿駅の迷宮を的確に通り抜け、待ち合わせの場所にたどり着いたのは、待ち合わせ時刻ギリギリだった。


「灯理、こっちこっち!」


 声を張り上げる香織に導かれるように、人混みを避けながらそちらへ向かう。


「遅れてごめん」


 軽く上がり気味の息をつきながらわたしは香織を見上げる。

 香織の格好は黒いシャツに白い綿パンツだけのくせに、それが妙に格好良くて様になっていて、ちょっとズルく感じる。


「いーや、まだ全員揃ってないからさ」

 香織は手のひらを横に降っていたが、すぐに「お」と声を上げて、もう一度大きく手を振る。

 そうすると、人混みの中からわたしでもわかるくらい背の高い影がわたし達のもとにやってきた

「……ごめん、遅れた」


 わたしたちのもとにたどり着くと、申し訳なさそうにアリスは言う。

 そしてアリスの格好に、わたしも香織も絶句せざるを得なかった。


「アリス、その服……」


 アリスは真っ白のフリルブラウスにミディ丈の紺のレースのスカート――ようは普段の彼女しか知らないわたし達には絶対に思いつかなかった、とても女の子らしい姿で現れてきたのだ。


「出る直前に姉さんに無理やり着せられた」


 迷惑なのか恥ずかしいのか、殆ど吐き捨てるように言うアリス。

 それを聞いて、わたしの脳裏には舞さんがアリスに無理やりこの服を着せようとする姿がありありと想像できた。

 多分限界まで粘ったけど、舞さんに押し切られたに違いない。

 さながら、アリスが寝込んだ日にいきなり電話がかかってきて、校門の前で待ち合わせたらわたしが断る間もなく鍵を渡された時のように。


「確かにこれは可愛いとは思って買ったわけだけど……やっぱり僕には似合わないと思う」


「……いや、似合ってるって。めっちゃ似合ってる」


「うん。凄い似合ってる。背が高いからかもだけど、すっごい綺麗」


 香織とわたしの素直な感想に、アリスの表情は目に見えるように固まり、視線は明後日の方向にずらされる。


「そうだ、灯理の眼鏡見終わったらさ、千里の服見に行かない?」


「は?」


 香織の突然の提案にアリスが低い声で返す。

 香織はアリスのドスのきいた返事もどこ吹く風で一人「そうしよう。そうした方がいい」と納得する。


「いや、待って。そういうのは別にいらないから……そうだ、灯理はどう?」


 アリスが視線を香織からわたしの方に向ける。

 助けてほしい、すぐ反対してほしいという合図なのだろう。


「わたしも賛成。アリス、服少なそうだし、多分これから他の輪上の乙女と合うことも増えるだろうから、色んな服持ってた方が良いよ」


 だから、ちょっとだけ意地悪してみる。


「んじゃ二対一で決定ね。三人で似合いそうな服探そうぜ」


「うん」


 アリスはというと、わたしを憎らしそうに睨んだあと、結局全てを受け入れたように、はあ。と溜め息を吐いて、渋々(本当に渋々だった)「わかった」と承諾の一言。


「じゃ、行こう。眼鏡を買いに」


「その後千里の服とカラオケね」


「……カラオケも初めてなんだけど。ぼく」


「大丈夫だよ。ただ歌うだけだから。わたしだって知ってる歌しか歌わないもん」


 二人の手を取って、わたしはデパートの方へと歩き出した。


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少女環状線 伊佐良シヅキ @sachi_ueno_1207

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